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プロローグ〝序〟

ながかった

 



 よし、一つ仕事が片付いた。

 ああ、なんとも心地い。胸のつかえが取れた気分だ。


 空っぽの冷たいマグカップを手に席を立つと、いつもの戸棚へ向かう。


 濃度三倍の代用コーヒーで容器を満たし、その場で一口飲んだ。

 苦い、脳が震えるほどに苦い。

 次だ、休んでいる暇はない。


 あと二十分しかない。

 その残りの休憩時間で、オメガ作戦の報告書をまとめ上げてしまわないと。


 けれど統合軍の書類形式にそった堅苦しい文章で、作戦の経過を完璧に網羅した数万ページにも及ぶ報告書を作成したとして、はたしてその情報は万民に広く伝わるだろうか。


 事前情報のない民間人にも、いや、その民間人にこそオメガ作戦の全容をわかりやすく伝える努力をすべきではないだろうか。


 では具体的に、どうするべきだろうか。

 代用コーヒー漬けの、ふやけた脳味噌で考えた結果、僕はその報告書を自伝として執筆することに決めた。


「序」

 強烈な苦みを何度も味わいながら、鳥柄のマグカップを片手に口ずさむ。


「僕は男だ。けれど今は、とあるお屋敷でメイドとして働いている」

 たった数カ月前の、けれど遠い過去の出来事になり果てた日々の思い出を、脳裏にありありと思い描いていく。


「本当に最低だ。僕は恩人を騙し続ける最低最悪な女装野郎だ。いつかその報いを受ける時が必ずくるだろう。それがたまらなく、どうしようもなく恐ろしい。けれど鏡の前で立ち尽くす自分は、その恐ろしい現実を直視することができなかった」


 正式な報告書は、次の休憩時間にでもまとめて書けばいい。

 指導者というのは、みんな分厚い自伝を書く。

 遅いか早いかの違いだけだ。


 かなり恥ずかしいのは事実だけど、見ず知らずの他人に解体処分されて、不慣れな手つきで脳味噌をほじくり出される未来よりは、ずっとマシだ。


 一人で百面相をしつつも、代用コーヒーを片手に着席するころには、作業の九割が完了していた。バグまみれのテキストデータを無理のない範囲で修正し、日本語で三十万文字からなるその文章を、現在の賽原基地でもっとも使用頻度の高い八つの言語へと翻訳する。


 作成開始から、三分後。


 記憶に存在する限りの半生を一人称視点で描いた自伝が、ここに完成した。


 それを世界中の誰もが閲覧可能な、賽原基地のウェブサイトに掲載する。


 例の共用サーバーとは別系統の、だいぶ旧式のワークステーション上で動作するウェブサイトだが、世界の総人口が二万人規模である以上、アクセスが集中してサイトが落ちる心配もない。


「おわった」

 休憩時間中に片づけておきたかった全作業が、これにて完了した。ちっぽけな達成感を胸に抱きながら、机の上に力なく突っ伏した。ほっぺたがひんやりとして、なんとも心地いい。


「ねえ、マコト。僕、頑張ってるよね? 完璧ではないけれど、よくやっているほうだよね? ねえマコト、僕をほめてよ。僕を叱ってよ。……君の声を、また聞かせてよ」


 しばらくぼんやりとしているうちに、時計の針が午前五時を指し示す。

 賽原基地へ帰還してから十七時間が経過した。


 昨日の午前中に賽原基地を飛び立った四発のティルトローター機は、もうまもなく太平洋を横断し、西海岸に到達する。


 カリフォルニア州ロサンゼルス。

 その北部の広大な荒野。アンテロープ・バレーの地下深くに根を張る世界最大の軍事拠点、フォート・プライマルでの調査活動が、これから始まろうとしていた。


「…………」

 はたして、夜間光観測によって発見したという光源は、本当に百万人規模の生存者の存在を裏づけるものとして適当だったのか。


 もし、それだけの生存者が存在するのなら、なぜ統合軍総司令部は機能しなくなったのか。


 なぜ先月時点で十二万人もの職員を擁していたはずの世界最大の軍事拠点が、キメラ絶滅後も沈黙を続けているのか。


 なぜそのような異常事態であるにも関わらず、救難信号の一つすらも発していないのか。

 それらの理由が、揺るぎない真実として、全人類二万人の眼前で、容赦なくあばかれようとしていた。


 その真実を目の当たりにした時、極限の生存競争を生き抜いてきた民衆は、いったいなにを思って、どんな行動を起こすだろうか。


 統合軍総司令部の指揮下にある賽原基地は、確実に従来型の組織運営が不可能となり、それに引っ張られる形で権力構造も大きく変化するだろう。


 全人類の指導者は誰か。

 全人類の精神的支柱は誰なのか。 

 人類統合軍の全軍を指揮する統帥権は、いったい誰が手にするのか。


 それらの結果が、どういった現象に結びつくのか、それを予測するのは、あまりにも容易なことであった。


 ――戦争だ。戦争が始まるのである。


 全世界の指導者層がキメラ化したことで、一度は根絶された権力闘争という古びた戦争が、賽原基地という閉じた小さな世界の中で、再び巻き起こるのだ。


 次の戦争は、もはや避けられない。


 では、次の次の戦争を、次の次の次の戦争を、そのまたさらに次の戦争を回避するために、なにをすべきだろうか。


 僕は、どんな存在になるべきだろうか。




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