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6 鬼道かおる

 



 僕が心から求める情報、マスターピースは、きっとこの先にある。

 もう止まらなかった。


 彼女の名前が記されたファイルを次々と手に取っては、そこに詰め込まれた知識と情報を手あたり次第にむさぼった。


 香りを改善した配給食。二〇〇九年。博士課程卒業論文。

 次世代配給食の合成。二〇一二年。

 次世代配給食・甲型の着色と成形。二〇一二年。

 香り成分の添加によって甲型配給食を中華風味にする研究。二〇一五年。


「…………」

 鬼道かおる。

 彼女はハミングバードの隊員の一人だ。好物は、天然ウナギ(静岡県産)の蒲焼き。

 同隊員の鬼道りく少尉は、彼女の実弟にあたる。


 享年二十八歳。

 二〇一九年、北アフリカにおける第三次討伐作戦において作戦中に戦死している。


 彼女の専門は、有機化学と高分子化学。

 二〇〇九年、若干十八歳にして、日本統合軍大学の大学院において博士号を取得。


 大学院を卒業後、士官待遇で賽原基地の研究機関に在籍し、おもに配給食を改良する研究に従事する。彼女の特筆すべき功績は、後に甲型配給食と命名される、無味無臭無色の配給食を世界で初めて合成したことである。


「なるほど。二〇一二年当時は、単に配給食とだけ呼ばれていたそれは、甲型配給食の登場によって、乙型配給食と呼ばれるようになったわけか」


 珪藻土と有機物と水と光から無尽蔵に製造可能な合成食・代用ソイレントを単一の原料として造り出される配給食は、省力での大量生産が可能かつ栄養価に優れるため、アルバトロスの侵略によって陸地の八割を失ったこの世界の人類にとっては、長らく欠かすことのできない食料だった。


 しかし、そんな配給食には大きな欠点がある。


 従来の配給食は、味も、見た目も、匂いすらも、粘土そのもの。後年開発された甲型配給食も、当初は味気ない豆腐と評されるほどに無味無臭だったらしい。


 鬼道かおるは、その才覚を遺憾なく発揮し、それらの欠点を次々と克服していったのだ。

 不完全ながら粘土臭が除去された乙型配給食には、焼けたパンの香りが付加された。

 甲型配給食に至っては、食品形状の忠実な模倣と、かすかな風味付けに成功している。


 賽原基地の食堂で提供されていた和風・洋風・中華風の各種定食は、鬼道かおるの研究成果によって実現されたものだったのだ。


「……!」

 ――懐石料理を乙型配給食から製造する研究の第一次報告。二〇一九年。


 そのファイルの背表紙に記された一文が目に飛び込んできた瞬間、僕は我を忘れてそれに手を伸ばしていた。


「……これだ」

 ああ、間違いない。これだ、これなのだ。

 最良の未来を手繰り寄せる最後のマスターピースは、まさにこれなのだ!


 無心でそのファイルを読み進める。

 そこには鬼道かおるの最終目標、彼女の夢を叶えるための構想が、事細かに記されていた。


 懐石料理を乙型配給食から製造する研究――それは要するに、ありとあらゆる食品を、土と光と水からインスタントに作り出す製法の研究であった。


 鬼道かおるという天才が、配給食に対して香りを付加したのも。

 次世代の配給食を生み出したのも。

 甲型配給食に着色し、それを食品サンプル並みの精度で料理へと成形したのも。

 無味無臭の甲型配給食を中華風味にしたのも。

 乙型配給食を原料に、合成肉を製造しようとしていたのも。


 全部が、全部。

 乙型配給食から、懐石料理を製造する研究の一環だったのだ。


「……研究の完成度は、だいたい十七パーセントってところか」

 ただし、ファイル名に第一次報告とあるように、この研究は未完成だ。


 進捗は、全工程の二割にも達していない。基礎理論の大枠は固まりつつあるようだが、全体的に虫食い状態であった。これは時期的に、ハミングバードへの入隊が大きく影響していると考えて間違いない。


 僕はファイルを読み進めつつ、極度に乱れた文章や、付箋、ページの間に挟まれていたチラシの裏の落書き、余白の走り書きにも順次目を通していく。


 一二五六ページ目。文章が途中で途切れていた。

 どうやら収集した膨大なデータによって知識を醸成し、完璧な製法へと昇華させようとした段階で、第三次討伐作戦が発令され、時間切れになってしまったようだ。


 彼女の研究が完成しなかったのは、ハミングバードを率いる部隊の長、つまり僕自身の責任であった。


「ありがとう」

 ひとすじの涙が頬を伝う。


「……ああ、絶景かな」

 巨人の肩の上から望む世界は、地平線の彼方まで、一点の曇りなく透き通っていました。

 あなたの知識を、矮小な私に貸し与えてくださったこと、心から感謝します。


「…………」

 現在の時刻は、午前四時。残された時間は、あと一時間だ。

 意識が沈み、室温がさらに一度上昇する。


 人工知能は、人間とは違って、零から一を生み出すことはできない。

 一を正しく発展させて、十へと育てることも、今の僕には、まだできない。


 けれど正しい十を正確に入力できたなら、人工知能はそれを瞬間的に解析して、正しい百を出力することができる。


 そして今、僕の手元には、正確に入力された正しい十の情報があった。


 幸いにも、賽原基地内の配給食製造プラントは、生産能力を低下させながらも稼働を続けている。合成肉を製造するためのプラントも、未完成ながら被害を免れている。


 こんなこともあろうかと、休憩に入る前に、製造プラントの様子を確認しておいたのだ。

 技術の特異点を作り出すための条件が、ここにそろっていた。


「……完成」

 生成開始から、五分後。

 この世界に、新しい論文が誕生した。

 題名は、鬼道かおる博士の研究に基づく代用食品の製法。


 論文はデータファイルにまとめられ、そこには〝フードエンジン〟というソフトウェアと、論文の補足資料として生成された映像データが格納されている。


 ファイル全体の容量は五テラバイト。

 とくにそのソフトウェアが超重量級だった。八百億の項目からなる五感パラメータによって個別に数値化した、二千五百種類の食品情報をフードエンジンに実装した結果、データサイズが四・七テラバイトにまで肥大化してしまったのである。


 ソフトウェア自体は、もう少し軽量化できそうではあるが、今は時間がないので諦めよう。

 早速、その巨大な論文ファイルを、賽原基地に所属する軍人や軍属職員であれば誰でも自由にアクセス可能な、いつもの共用サーバーに無圧縮で叩き込む。


 ファイルには、研究中の合成肉プラントを適切に改修するための手順が、映像資料と一緒に付属している。あとは手順通りに、フードエンジンを合成肉プラントに実装し、装置の一部を改修すれば、理論上は、ありとあらゆる食品が、乙型配給食のみを原料として製造することができるようになる。

 もちろんスイカだって製造可能だ。


 設定された膨大な五感パラメータの数値に基づき、乙型配給食はプラント内で再合成され、味や香り、形状や色彩はもちろん、あの赤い果肉のシャクシャクとした食感すらも再現されるだろう。


 理論上は、天然のスイカと遜色のない食事体験を実現するはずである。再合成前の乙型配給食のそれと比べれば、文字通り、雲泥の差であることは疑いようがない。


 あっ、そうだ。

 ついでにフードエンジンをウェブアプリ化してしまおう。


 共用サーバー上でフードエンジンを動作させ、パラメータをいじって多様な食品を再合成するという機能を、各自のパソコンにソフトウェアを逐一ダウンロードしなくても手軽に体験できるようにしてしまうのだ。


 もしかすると、人々の柔軟な発想によって、ユニークな味や食感を備えた、まったく新しい食品が誕生するかもしれない。


「……うん、問題なし」

 まもなく、全作業が滞りなく完了した。

 フードエンジンは、サーバー上でもちゃんと動作していた。

 さすがはアリス様の賽原基地である。ネットインフラもつよつよだ。

 ――以上の点を踏まえて、早急にプロンプトを修正する。


「法務局、軍警察、女性オペレーター、フォート・プライマル、民間人、鶺鴒館、砲兵部隊、紅はるか、鰻重、チョコレートケーキ、十番目、ベル・ボーマン、妻子、皇帝」


 よしこれでいい。

 シミュレーション結果も想像以上に良好だ。


 僕はさっそく卓上の受話器を手に取り、鬼道かおる博士の古巣、兵站部へと内線電話をかける。夜明け前という非常識な時間帯だったが、四コール目を数える前に、この基地の兵站全般を統括している人物の執務室へと繋がった。


《は、はい、こちら兵站部》

「私です」

《……え? ……あっ、ゆ、ゆゆ》

「ゆゆ?」

《雪風大佐ですかっ!? い、いったい、どうされましたかっ!?》


 その声には聞き覚えがあった。

 大きな眼鏡をかけた白衣姿の女性。次々と発言する歴戦の将校たちの前で声を張り上げて、物資製造区画の被害状況を的確に報告してくれた人物である。


「申し遅れました。私は賽原基地司令官の雪風小春です」

《は、はい! 存じております! 賽原基地兵站部、統括部長の早乙女志乃(さおとめしの)です! 戦時特例によって特務大尉の階級を拝命しております!》


 声紋を照合しつつ、賽原基地のデータベースを確認する。

 どうやら本人で間違いなさそうだ。


「早乙女大尉。手短に伝えます。賽原基地の共用サーバーを確認してください。ついさきほどアップロードされた新しいファイルがあるはずです」

《共用サーバーですか? ちょ、ちょっと待ってください》

 待たない。マグカップの割れる音が受話器越しに聞こえてくるが無視する。


「賽原基地司令官として命令します。賽原基地兵站部は、現在進めている復旧作業をただちに中断、最優先で、合成肉プラントの改修に取り掛かってください」


 返事はなかった。言葉の代わりに、キーボードを高速でタイプする音が、受話器の向こう側から聞こえ始める。


「本日一三〇〇までには合成肉プラントの改修を完了し、同一八〇〇の夕食に間に合うように代用食品の生産を開始してください」


《…………》


「夕食の献立は鰻重にしましょう。ウナギは肉厚な天然もの。炭火の風味を十分に感じられるとベストです。可能であれば事前に試食しておきたいので、一四〇〇までに、夕食と同じものを司令部庁舎まで届けてください。あとついでにチョコレートケーキを一切れ、頼みます」


 めちゃくちゃなことを口にしている自覚はあった。


 これでは暴君そのものだ。だがそれでも、ここでの躓きが許されない以上は、彼女には絶対にこちらの命令に従ってもらう。では、どうすればこの横暴に従ってもらえるのか、僕は内心でかなり焦りながらも、何通りかの対処パターンを事前に考えていた。


 けれど、一分後。そういった心配は杞憂に終わる。


《雪風司令、状況は理解しました》

 その一言で僕は理解した。

 この早乙女志乃という人物もまた、人類復興の先駆けとなるべく、賽原基地に集った天才の一人なのだ。


《これ以上の説明は不要です。緊急なのですよね? この論文の出処も、今は詮索しません》

「やっていただけますか?」


《やります、やらせてください。……かおるちゃんの夢は、私が絶対に実現します》

「よろしくお願いします」

 電話は向こう側からガチャリと切れた。



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