4 勲章
到着した整備格納庫で渡り鳥を取り外し、そのまま隣接するシャワー室へ向かった。
「なんか、白っぽくなってきちゃったな」
狭い更衣室でパイロットスーツを脱いで洗面台の鏡の前に立つと、自分の髪が全体的に白くなっていることに気づく。
長時間の作戦行動によって高温に晒され続けた影響か、それともストレスが原因か。
たぶん、その両方だろうな。
そんなことを妙に冷静な頭で考えながら、黒焦げの眼帯を取り外す。
鏡の中に現れた煤まみれのパンダ顔に苦笑しつつ、タオルを片手に、裸足でペタペタと浴室へ向かった。温度も水圧も良好なシャワーを浴びて、全身から炭化した汚れを洗い落とす。
五分ほど、温水を贅沢に堪能させてもらった。
持ち込んだタオルで水気をふき取り、更衣室に戻ると、全裸で洗面台の前に立つ。
より白く輝き始めた髪をドライヤーで丹念に乾かして、新しい眼帯を装着する。
赤黒く内出血していた脇腹に巨大な絆創膏を張り付けると、支給された男性用下着を履き、制服を着用していく。
ワイシャツの第一ボタンを留めて、ネクタイを締めると、手元に落としていた視線を正面へと向けた。洗面台の鏡の中で、黒い眼帯で右目を覆う軍人が、不機嫌そうな仏頂面をかかげて佇んでいた。
最後に、紺色のジャケットに袖を通すと、鏡を見据えながらボタンを留めていく。
その度に所属を表す徽章のバッジがこすれて、金属質な音色を奏でた。徽章と一緒に制服を彩るのは、色と模様によって授与された勲章を表す長方形の小さなリボン――略綬だった。
二〇一二年の関東絶対防衛線、第一次から第七次までのアルバトロス討伐作戦。
その八つの作戦における第一級の戦功勲章と、世界各国の最上位勲章。
そして賽原基地の造幣支局が、オメガ作戦の成功を祈願し、攻め寄せる敵集団と砲火を交えながら作成したというオメガ討伐勲章と、キメラ討伐二十億体をたたえる特別戦功勲章。
それらの勲章の略綬によって形作られた絢爛豪華な六列横隊が、光り輝くモザイク模様となって、制服の胸元をメタリックな極彩色で飾り立てていた。
「これは自分、これは自分」
目を閉じ、呟く。いつも欠かさない、日課の自己暗示。
吐き気がこみ上げてくる。
リボンが重かった。
それは数十億ガロンの血液が染み込んだ重みである。
世界最高の頭脳と評され、統合軍の上級大将にまで上り詰めたアリス様の制服に、なぜ略綬がほとんど付いていなかったのか、その理由を、僕は今更になって理解した。
今すぐに、この忌まわしい装飾を根こそぎむしり取って洗面台下のゴミ箱にジャケットごと投げ込みたかったが、理性を総動員して我慢する。
「……はぁ」
ため息をひとつ。
数多くの勲章を吊り下げて、僕はひとり、更衣室を後にした。
「雪風大佐、申し訳ありません」
格納庫に戻った直後、渡り鳥はもう整備できないと何度も謝罪された。
「そうですか。わかりました」
専門の技術者も、予備の部品も、それを製造する高度な工場設備も、すでにこの世にはないそうだ。内部パーツも相応に消耗しているらしく、これまで不具合なく動作していたのは奇跡のようなものだったらしい。
すくなくとも今後数年間は、消耗した部品を新品と入れ替えるといった、最低限の整備すらも難しいそうだ。僕は、沈痛な面持ちで現状を説明する熟練の整備員に、自分の渡り鳥を預けることにした。
「…………」
抜け殻となった渡り鳥が、割り当てられた戦車用の整備格納庫の中で放置されている。
「よくがんばったね。今まで、ありがとう」
無数の細かな傷が刻まれた白亜の装甲に触れながら語りかける。
不思議な気分だ。
生身の人間はもちろんのこと、全身機械化のサイボーグよりも、ずっと頑丈な自分の体が、今はあまりにも頼りない。渡り鳥を身に纏っていないことが、こんなにも心細いものであったとは驚きだ。
いや、違うな。
寂しいわけじゃない。
そうか、僕は翼を失ったんだ。
成層圏まで飛翔して、太平洋すらも横断する、そんな自慢の翼をもがれたのだ。
だからきっと痛くて、つらいのだ。
「よろしく頼みます」
最後にゆっくりと深く頭を下げてから、部下たちを連れて整備格納庫を立ち去った。
渡り鳥は、いつまでも静かに佇んでいた。
「大佐殿、髪が……」
「おいバカ、よせ」
報告を聞きながら賽原基地を歩いていると、脱色しつつある髪の毛に自然と周囲の視線が集まった。
「ふふっ」
制服の色鮮やかな胸元を差し置いて、この白銀の髪だけが注目の的になるのが、おかしくてたまらない。けれど、ウェットに富んだ軍隊式ジョークを一発かまして、場の空気を和ませる気分にもなれなかったので、僕は素知らぬ顔を決め込んだ。
それからの半日間は、まさしく怒涛であった。
現状、旧アメリカ大陸を除いた地球全土において、最後の統合軍司令官と認識されつつある自分には、ありとあらゆる権限と情報が集約され、その多忙さは、人間では対処不可能な領域へと片足を突っ込み始めていた。
ようするに、それからは一秒たりとも、休む暇はなかったのである。




