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3 ぎぶみー、チョコレート




 目的の整備格納庫へと向かう道中においてでも、今後の基地運営の舵取りを大きく左右しかねない情報が次々と浴びせかけられた。


 一両日中に終えなければならないタスクと、そのタスクを達成するための前提条件となる複数個のタスクが、ミルフィーユ状に積み重なっていく。


 入れ替わり立ち代わり、続々とやってくる部下たちの報告に応対しながら、無点灯の通路を歩いていると、酸化した油のにおいが、より強くなる。


「……うっ」

 若い将校の一人がうめき、口元を手で押さえた。


 賽原基地が被った本当の被害というものが、ついに取り繕うこともできず、むき出しの状態になっていた。活動的な人々の喧騒が遠ざかるにつれて、通路の端にうずくまっている人たちと、放置されたままの遺体袋が、急激にその数を増していく。


 異臭を放つ遺体袋の隣でうずくまる大勢の人たちは、力なく手足を投げ出し、頭を垂れたまま微動だにしなかった。もはや生きているのか、死んでいるのか、それすらもわからない。


「ぎぶみー」

 次の十字路を右折すると、足元から英語風味のたどたどしい日本語が聞こえてきた。

「ぎぶみー、チョコレート」


 視線を下方向に動かすと、うつろな暗い瞳と目があった。

 年齢的にも児童と呼ぶにふさわしい少女が、遺体袋の隣で、壁を背にして座っている。

 彼女は黒ずんで穴だらけになったボロを着て、小刻みに震わせた細い両腕をこちらへと伸ばしていた。


 僕は将校たちに尋ねる。


「水と食料はあるか」

「はい、大佐。こちらに」

 将校の一人が背嚢から取り出した飲料水のペットボトルと、包装されたブロック状の甲種配給食を受け取り、その場に膝をつく。


 間近で見た少女の表情には、およそ感情と呼べるものがなかった。

 真っ黒な二つの瞳が、差し出された水と食料をぼんやりと眺めていた。

 彼女の全身に死臭が染みついていた。


「あんた外人なのに、日本語話すの?」

「自分は生まれた時から日本人です」

「軍人なの? エライ人?」

「はい」

 少女が僕の顔を見上げながら呟く。


「チョコレートは?」

「ここにはありません」

「ふーん」

 少女は水と食料を掴み取ると、つまらなそうに自分の手の中に視線を落とす。


「賽原基地は世界一裕福だから、毎日チョコレートが配給されて、いつでもお風呂に入れるって話は、やっぱり弟の嘘だったか」

「……はい」

 きっと強烈な空腹と喉の渇きを感じているはずなのに、少女はすぐさま食べ始めようとはせず、飢えた野生動物みたいに縮こまり、こちらの様子を油断なく探るばかりであった。


「何日か前に、弟が死んじゃった。たった一人の家族だったのに。体も、損傷が激しいとか言われて、ついさっき、どっかに持って行かれちゃった」

「…………」

「ねえ、あんたはエライ軍人さんなんでしょ?」


 ゆっくりと頭が動いて、再び視線が交わった。固着した前髪から乾燥した血液が剥がれ落ちて、樹木のウロみたいに真っ黒な瞳が、生気のない落ちくぼんだ眼窩の中で鈍く輝く。


「どうして、もっと早く戦いを終わらせてくれなかったの?」


 なにも答えられなかった。

 世界を救ったはずの英雄は、一人の少女を前にして、両目を見開くことしかできない。


「あんたがもっと上手くやっていれば、弟は死ななかったかもしれないのに。ねえ、どうして私の弟は死んじゃったの?」

 ただただ、その暗い瞳から逃げ出してしまいたかった。


「私にしてほしいことは、なにかありますか?」

「軍人になりたい。今すぐ軍に入れて」


 少女からその言葉を聞いた瞬間、僕は自分の無力さと、どうしようもない愚かさを思い知らされた。特殊個体オメガ。ネストの深淵で、二十億のキメラの頂点に君臨していた来栖野有栖を、迷うことなく排除できていれば、少女の弟は死なずに済んだかもしれない。


 何百万人、何千万人という規模で、もっと大勢の生存者がいたかもしれない。

 だからこれは、僕が犯した罪に対する罰だった。


「それは、統合軍への入隊を志願するということですか?」

「うん。だって統合軍に入れば、命令に従っているだけで、毎日お腹いっぱいご飯が食べられるんでしょ? 頑丈で壊れにくい、機械の体だって、タダで手に入るんでしょ? だからさ、私を軍に入れてよ」

 そのたった一つの願いを、どうしても退けることができなかった。


「あなたの名前と年齢は?」

「水鳥桃花。十二歳。桃の花って書いて、トウカ」

「わかりました。手配しておきます」

 僕が了承すると、少女は初めて年相応に笑った。


「雪風大佐、そろそろよろしいのではありませんか?」

「大佐、至急報告しておきたいことが」

 こちらの会話が一区切りついた瞬間、背後に立ち並ぶ将校たちは、待っていましたと言わんばかりに口を挟んできた。


「トウカ、約束は守ります。必ず、です」

「うん、期待しとく」


 ゆっくりと立ち上がり、十二歳の少女と約束の言葉を交わす。別れ際に、今の自分にできる精一杯の笑顔を浮かべると、小さく手を振ってからその場を離れた。


「当基地の法務局および軍警察が、雪風司令に対して、カリフォルニア州ロサンゼルス郡への大規模な調査部隊の派遣を要請しています」


「昨日、法務局長代理のベル・ボーマン少佐から緊急要請を受け、破損していた通信アンテナを修復。同一五〇〇、復旧した衛星回線を使用し、緊急で実施された低解像度での夜間光観測の結果、ロサンゼルス郡のアンテロープ・バレーに強力な光源を発見。現在の地球上で唯一、百万人規模の生存者がいると推測されています」


「観測開始から五分後、通信アンテナが不調となり、観測に使用していた光学衛星とのリンクが途切れました。復旧の見通しは、現在も立っていません」


「アンテロープ・バレーは、ロサンゼルス郡の北部に広がる荒野です。そして世界最大の統合軍基地であるフォート・プライマルが存在する地域でもあります」


「フォート・プライマルは、軍人軍属合わせて十二万人もの職員と、統合軍総司令部を要する巨大な軍事要塞です。短時間ではありますが、光学衛星のとらえた人工の光は、生存者の存在を裏付けるものとしては十分かと」


「わかりました、許可します。ただちに部隊を編成してください」

 すでに自分の表情からは、笑みが消えていた。

 歩幅を精一杯に広げ、死で満たされたあい路を猛然と突き進む。


 決して振り返りはしなかった。

 今は、振り返る時間すらも惜しいのだ。


「そう言ってくださると思っていました! すでに部隊編成は完了しています!」

「航空機との通信回線は、データ中継機能を持つ、滞空時間の長い無人機を複数飛ばすことで確保します」

「現地の滑走路の状態も考慮し、使用する航空機は、四発のティルトローター機が適当かと思われます。武装をすべて取り外し、空中給油を行えば太平洋横断も可能です」

「委細は任せます。必要であれば、装備や物資も自由に使って構いません」

「了解しました」




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