2 救世の英雄
「大佐っ!」
「雪風隊長!」
「雪風司令ッ!」
彼らの歓声に呼応して、フラッシュが何度もたかれた。軽く周囲を見渡すと、巨大なレンズを備えた各種カメラが遠くからこちらを撮影していた。
「……ありがとう」
目礼を交えつつ、部下たちが用意してくれた大きくて頑丈な弾薬箱の上に、脇腹の傷をかばいながらゆっくりと立つ。
箱の上に立つと、周囲をよく見渡せた。
彼らの顔つきを見ればわかる。
誰もが英雄を求めていた。英雄が放つ希望の光を求めていた。
けれどその希望の光とは、きっと戦功を誇示するような勇ましい言葉の羅列ではない。
絶え間ない恐怖と絶望に苛まれ、傷つき疲れ切った眼前の人々は、ただ一心に、安息を求めていた。だから僕は、あえて敬礼をしなかった。
「みんな、ただいま」
空気が張り詰め、音が消える。
「どうか、楽な姿勢で聞いてください」
囁き声ですら悪目立ちするほどの静寂の中で、誰もが、人類を救った英雄の言葉を求めていた。向けられたカメラを意識の外へと追い出して、一人でも多くの人と視線が交わるように、駆けつけた群衆の最後尾をなぞりながら、屋外へと視界を動かしていく。
「戦争は終わりました」
さざ波のように始まった拍手と歓声は、いつしか大きなうねりとなって爆発する。
その喝采の渦が沈静化するまでの数十秒間、僕は一言も発することなく、その場で待ち続けた。戦勝の喜びを十分に噛みしめ、周囲が再び静かになってから、彼らが今まさに求めている言葉を紡いでいく。
「作戦は成功しました。アルバトロスもキメラも、もう二度と、この世界に現れることはないでしょう。すべての外敵は退けられ、もはや私たちの生存を脅かす敵対勢力は存在しません。世界は平和になりました」
オメガ作戦の推移と、その結末を今この場で事細かに語るのは適切ではない。
この場に集まった二千人が、とくにその中でも横須賀基地から着のみ着のまま避難してきた民間人が、今何よりも求めてやまない情報は、この賽原基地が自分の身の安全を保証してくれるのか否かだ。
「賽原基地には、水と食料の十分な供給能力があります。近日中に、仮設住居八百戸の建設が完了する見込みですが、更なる増設にも柔軟に対応します。その他に必要なもの、不足しているものがあれば、遠慮なく申し出てください。ただし、当基地の物資製造区画にも甚大な被害が及んでいます。要望を完璧に叶えることは難しい現状ではありますが、可能な限り実現できるよう最大限努力します」
崩壊した天井から陽光が差し込み、屋内を清涼な風が吹き抜けていく。
白昼にあっても紺碧の瞳は存在感を失わず、陽光を受け光り輝く淡い金糸の髪が、風に乗ってゆらめくプラチナの王冠を頂いた。
雪風小春という存在の容姿は、完璧主義の設計者によって、どこまでも計算され尽くしていた。自然界には存在しない体色ゆえの視認性によって、強い日差しの中に佇む群衆の白飛びした視界であっても、その容姿は鮮烈に浮かび上がる。
真昼の上空、常闇の地底。
いかなる時、いかなる環境おいてでも、設計者の究極の理想を体現し続けるのだ。
「傷ついた人々、助けを求める人々を、人類統合軍に所属する私たちは絶対に見捨てません。戦争は終わりました。世界は平和になりました。私たちは今こそ、人類の負託にこたえる時です。私たちは、自らに課せられた使命、その本分に立ち返り、世界平和の維持と、人類社会の復興に全力で取り組みます。その決意を、ここに表明します」
静寂の中、深く一礼する。
弾薬箱のお立ち台から慎重に降りると、背後に並んでいた将校たちに目配せした。
統合軍において広く使用されるハンドサインを駆使しつつ、自分についてくるよう促す。
力強く頷いた彼らを引き連れて、エントランスホールを後にする。
激しいカメラのフラッシュと、熱狂する群衆の喝采が激しく背を打つのと同時に、興奮冷めやらぬ一部の民間人が、集団の輪から飛び出して駆け寄ってきた。
歩兵部隊の屈強な軍人たちが、彼らの前に立ちふさがる。
やせ細った複数人の男女が、鬼のような形相で、軍人たちの太い腕の隙間から懸命に手を伸ばしていた。
人々の叫びが聞こえてくる。
もっと食べたい、もっと飲みたい、もっと軍票の配布量を増やしてほしい、すべてほしい、私を統合軍に入れてほしい、行方不明の家族を捜索してほしい、俺を統合軍に入れてほしい、神に祈る場所がほしい、火葬したい、土葬したい、私を助けて、俺を助けて、自分を助けて、それぞれがまったく異なる願いを口々に叫んでいる。
僕はその場で立ち止まり、振り返ると、彼らと正面から向き合った。
「近日中に、オメガ作戦の詳細や、民間人への援助、賽原基地の今後の行動計画も含め、様々な情報を逐次公表するつもりでいます。そう長くはお待たせしません。約束します」
自然と笑みが顔に張りついていた。
「ですから今は、ちょっとお時間をください。じつは作戦中に一発被弾してしまいまして、これから修理を受けなくてはいけないのです」
弾痕の穿たれた脇腹の装甲をめくって、耐衝撃ゲルが飛散した黒こげの損傷部を見せると、その場から言葉が消えた。
フラッシュが一度だけたかれた。
周囲の誰もが、歴戦の将校たちまでもが、常識が通用しない怪物と遭遇してしまったかのような表情で僕を見つめてくる。
「今度こそ失礼しますね」
もう二度と、こちらを引き留める声は上がらなかった。
なんだか不要な心配をかけてしまったみたいで心苦しいな。
「大佐、どうして負傷していることを事前に言ってくださらなかったのですか? あなたの身になにかあれば、我々はもう……」
「中佐、あなたに無駄口を叩いている暇はないはずです。報告の続きをお願いします」
「……了解、しました」




