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1 人類の希望、人類を救った英雄

 



 西暦二〇二三年・六月四日。午前十時十三分。


 いくつかの大型格納庫が倒潰し、PXに至っては炎上した上で瓦礫の山と化していた。

 大破した賽原基地の全景を上空から眺めつつ、地上から発せられる張り裂けんばかりの歓声に導かれて、応急的に補修された凹凸だらけの滑走路へと降り立った。


 着陸と同時に両足が土の地面にめり込んで、まもなく全身の装甲の隙間から過熱蒸気が噴出する。空っぽのブレードランチャーを腰部から切り離して投棄し、埋まってしまった足を地面から引き抜いた。


「……うっ」

 作戦中に被弾した横腹に鈍い痛みと異物感が走る。


 手で触れてみると装甲の表面にぽっかりと穴が開いていて、不透明なゲル状の物体が指先に付着する。この傷は、渡り鳥のシステム側では小破判定となっているが、専門知識のある技師に見てもらうべきかもしれない。


 だが果たして、大損害を被った今の賽原基地に、最先端技術の塊である渡り鳥を整備可能な人員と設備は残されているだろうか。地上に設けられた戦車や航空機の整備格納庫に向かったほうが、いくらかはマシな修理が受けられるような気さえする。


「大佐ッ! 雪風大佐ッ!」

「大佐殿! ご無事ですか!」


 複数の声が聞こえた。

 管制塔の方向から、胸元を略綬で彩った階級の高い軍人たちが駆け寄ってくる。


 年齢分布は二十代から四十代の範囲。

 人種や性別も異なり、階級は一番高い者で中佐、一番低い者でも大尉であった。


 ほぼ全員が、人類統合軍において高級将校に分類される階級であったが、皆一様にひどく負傷していて、頭や腕に巻かれた包帯にはところどころ血が滲んでいた。


 僕は、おそらく地球上でもっとも高潔な歴戦の勇士たちに囲まれ、その感極まった熱い視線を一身に浴びることになった。


「作戦は成功です。作戦目標のオメガを破壊したことで、ネストは完全に崩壊しました」

 相手側から寄せられる強い期待に応じて抑揚なく告げると、幾多の戦場を渡り歩いてきたであろう歴戦の軍人たちは、大粒の涙を目元に浮かべた。


「おお!」

「やはり、キメラが一斉に死滅したのは大佐殿のおかげでしたか!」

「大佐! おめでとうございます!」

「特異点に突入してから二日間ずっと、通信が途絶えて、バイタルサインも消失したままで、本当に、本当に心配していました」


「……二日」

 二日間という単語が耳に残った。


 急いでデータログを確認したところ、不安定な特異点を通過してネストから帰還した直後、日時に修正が入っていた。どうやらオメガ作戦が発令されてから、こちら側ではすでに四十八時間以上が経過しているようだった。


 自分にとってオメガ作戦とは、せいぜい三時間から四時間程度の出来事であったが、こちら側ではネスト内を丸二日かけて攻略した長期戦であったと認識されている。


 おそらく特異点によって接続された二つの世界間において、時の流れる速度が一定ではなかったのだろう。


「あの、大佐殿、有坂真少佐は……」

「有坂少佐は戦死しました」

「!」


 周囲の軍人たちが息をのむ。その戦死報告に誰よりも強いショックを受けていたのは、大尉の階級にある二十代の女性であった。


 彼女の見開かれた両目からあふれ出た涙が、両手で覆い隠された口元へと静かに流れ落ちていく。なにかと人当たりのよかったマコトのことだ、きっと生前、この大尉とも交友があったのかもしれない。


「オメガ作戦についての詳細は、近日中に報告書としてまとめ上げ、賽原基地の共用サーバーにアップロードするつもりでいます」


 僕はその光景をただ一人冷静に眺めていた。


「気になることは多いと思いますが、作戦についての質問は後にしてください。それよりも今は、我々が置かれている状況を整理することこそが肝要です。とりあえず簡単で構いません、現在の賽原基地の状況を各自報告してください」


 遠くから複数の足音が聞こえてくる。

 土ならし用のトンボを肩に担いだ整備員と思しき数名の男女が、基地施設の方向から全速力で駆けてきていた。彼らは金属製のトンボを使って、僕が掘り返してしまった滑走路の地面を手作業で均一にならしていく。


 なぜ重機ではなく手作業でそんなことをしているのか、なんとも嫌な予感がしたが、どうせすぐにわかることなので今は追及しなかった。


 いつまでも滑走路の真っただ中で立ち話を続けるわけにもいかないので、僕は管制塔に向かって歩き出す。

 整備員たちから無邪気に向けられる尊敬の眼差しが、全身に深く突き刺さった。


「了解しました。では、戦闘の経過を時系列順に報告します」

 周囲を取り巻く軍人たちは、僕の背中を足早に追いかけた。


「六月二日、午前五時二十六分。賽原市上空に特異点出現。同〇八三〇。賽原市市内に出現したキメラ三万体を撃破。同〇八四〇。オメガ作戦発令、敵の第二波出現。同一三〇〇、戦線が崩壊。賽原基地陥落。非戦闘職員、多数死傷」


 次第に取り巻きが増えていく。その中には、厳つい風貌の歴戦軍人だけでなく、大きな眼鏡をかけた白衣姿の女性もいた。

 彼女は軍属の研究者だろうか。


「六月三日、午前一時二十二分。キメラ、突如として活動を停止。まもなく、甲殻が粒子状に砕け散り、夜明け前には全キメラが灰の山になりました」


「キメラの活動が停止した段階で、生存者を捜索しつつ、残存した部隊は賽原基地へと帰還。自発的に基地の復旧を進め、現在に至ります」


「次」


「報告します! 賽原基地における直近七日間の死者および行方不明者は、軍人と軍属を合わせ二万――失礼しました、二万四百六名です。たった今、集中治療を受けていた部隊指揮官が一名亡くなったようです」


「誰ですか?」


久留木(くるき)拓馬中尉です。生前はその決断力と統率力が高く評価され、中尉の階級でありながら臨時編成された重機械化歩兵旅団において、第二大隊を指揮していました」


「そうですか。次、報告を続けてください」


「現在、賽原基地において実働可能な人員は、軍人が二千十五名。科学者、エンジニア、医療従事者、軍警察などの軍属職員が七千九百三名となっています」


 先月時点での賽原基地の所属要員は、軍人軍属合わせて約三万名。来栖野有栖が私財を投げ打って創設した賽原基地は、人類復興の先駆けとなるべく、世界中の国々から集められた優秀な人材を数多く要する極東地域最大の軍事基地だった。


 それが今や、准将以上の階級にあった人々は例外なくキメラの餌食となり、生き残った人員の数は、すでに五桁を割っている。綺羅星の如き将星たちを根絶やしにされ、高度な専門技術に精通した非戦闘員すらも戦火に焼き払われて、全体の損耗率は七割に迫る勢いだ。


 現代戦の常識に当てはめるのであれば、賽原基地は壊滅したと判断するべきなのだろう。


「賽原基地兵站部から報告しますっ! 基地内の物資製造区画に甚大な被害が出ていますっ! 甲型配給食製造プラントの一部が大破、せ、生産能力が六割減少しています! また各種医薬品や日用品の生産能力も大きく低下している模様です!」


「飲料水は十分に供給できていますか?」


「は、はいっ! 飲料水製造プラントは健在です。あと研究中の合成肉プラントも――」


「報告します。現在、横須賀基地の周辺で保護した民間人を当基地へ輸送中です。昨夜未明、第一陣が到着し、怪我人、子供、女性を中心に四千五百名を受け入れました。第二陣の到着は十二時間後の予定。現在も工兵部隊総出で、仮設住居の建設が急ピッチで進められています。明後日までに、八百戸の建設が完了する見込みです」


 雑多に構築されたバリケードの隙間を通って屋内に入る。天井の照明が落ちた薄暗い通路には、何度も散布されたであろう消毒液の匂いが充満していた。


「保護した民間人について教えてください。横須賀には、二十万以上の民間人が居住していたと記憶しています。これを賽原基地単独で受け入れるのは、物理的に難しいのではないでしょうか」


「大佐、問題ありません」

 問題ないと口にしながらも、発言者の顔色からは血の気が引いていた。


「我々が保護した民間人は、およそ一万名です」


「横須賀にはもう、それ以上の人間がいないのです」


「横須賀基地は跡形もありません。キメラの大軍勢に飲み込まれ、遺体すらも食い尽くされた模様です。今現在も、民間人以外の生存者は確認できていません」


 矢継ぎ早の報告の後に、誰もが口を噤んだ。

 足音だけが通路に反響する。

 散乱したガラス片が靴裏で割れる音がした。


「……ぅ」

 吐き気がする。喉まで出かかっていた謝罪の言葉を寸前のところで飲み下す。

 息苦しい。逃げたかった。無意味な謝罪に終始して、現実から逃避していたかった。


 けれど、逃げ場はなかった。


 情けない心情を悟られぬように心を閉ざして、早くもボロボロになりつつある指導者としての仮面をダクトテープで補修する。


 歩くたびに空気が重くなり、鉄と硝煙のにおいが強くなる。繰り広げられた室内戦の激しさを物語る無数の弾痕が刻まれた通路を延々と歩いて、司令部庁舎のエントランスへと踏み入った。


「人類の希望! 人類を救った英雄! 雪風司令官に対して――敬礼っ!」


 淀んだ空気を吹き飛ばす猛々しい号令が、瓦礫の散乱する半壊状態のエントランスホールを震わせる。雪風小春という存在に対して、待ち受けていた軍人たちは一斉に敬礼し、職務中の軍属職員たちも足を止めた。


 決して狭くはない司令部庁舎のエントランスは、あっという間に駆けつけた群衆であふれ返り、人種や軍民の区別なく誰もが肩身を寄せ合っていた。


 特異点を通過する最中に付着物が剥がれ落ちて、白亜の輝きを取り戻した渡り鳥の装甲を、崩壊した天井から差し込む日光が照らし出す。


 すでに僕の立っている場所は、群衆によって半円状に形作られた舞台の中央だった。


 ここが、この世界の中心だった。




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