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13 私は鳥になりたかった




「私は鳥になりたかった」


 コーヒーの香りが鶺鴒館のリビングに満ちていた。


 磨き上げられた低いテーブルの上には、手作りと思しき不格好なマフィンが一つだけ乗せられた青い平皿と、コーヒーの注がれた鳥柄のカップとソーサーが置かれていた。


「病弱だった幼少期。私の唯一生存の許された世界は、病室の中だけだった。そこは一年中、滅菌され、加圧された、生暖かい空調の効いた狭苦しい空間。窓はあったけれど全部はめ殺しにされていて、一ミリも開くことはなかった」


 アリスは、もうほとんど自分のコーヒーを飲み終えていた。妙にやぼったい形状のマグカップを両手で大切に持ちながら、ゆったりとした動作で遠くの窓の外へと視線を向けた。


「私は自由に空を飛ぶ鳥になりたかった。小さな綺麗な鳥、もこもこの可愛らしい鳥、時にはカッコいい鳥に。私にとって鳥は、希望と憧れの象徴だった」


「…………」


「アルバトロス、モズ、カワセミ、セキレイ、ムクドリ、四季鳥、カササギ、雷鳥、ツバメ、アマツバメ。こうした鳥の名前を冠するもの、兵器やシステム類は、すべて私の作品。ただしこの中だと、アルバトロスが一番の駄作。だから、一番嫌いな鳥の名前をつけた。巨大な体であれほど長く飛んでいられるくせに、離陸するのも着陸するのも下手くそ。あの鳥は見ていて気分が悪くなる」


「…………」


「荷電粒子砲の雷鳥は、私と式上ゆき博士の合作。新機軸をふんだんに盛り込んだ意欲作ではあったけれど、開発目標を高く設定しすぎた。結果、欠陥だらけ、バグまみれ。いちじるしく完成度を欠いていた。私が異界から持ち帰った先進的な超電導技術がなければ、決して実戦に耐え得る性能にはならなかった。だから雷鳥。あの鳥は飛ぶのが苦手、すこし嫌い」


 アリスは正面に視線を戻し、コーヒーの最後の一口を飲み終えると、容器を手元に置いて落ち着いた動作で席を立つ。かかとを鳴らし、小鳥のような歩幅で無警戒にこちらへと近寄ってくる。


「あなたに搭載されているモズ型バリアブル人工知能はかなりの自信作。知能レベルを可変式にすることで、どこか抜けていて、バカっぽいところはあるけれど、一途で、いじらしくて、愛嬌があって、……でも、有事の際は勇猛果敢な英雄に早変わり。私が理想とする雪風小春を正確に出力することができた」 


 無機質な青い瞳が僕を見上げていた。


「もう気づいているかもしれないけど、私は、あなたが愛した来栖野有栖という存在の記憶と意識を完璧に引き継いでいる。キメラに捕食させることで抽出した情報を、自分の脳内に流し込み、二つの来栖野有栖を一つに統合した。直接見聞きしてきたみたいに、いろいろな過去を語ることができたのはそれが理由」


 僕は……。


「ねぇ小春、滅びてしまった世界なんてもう忘れない? あなたの世界で暮らしていた三億人は、あと十九秒で、一人残らずキメラ化する。総計二十三億人が暮らすこの世界で、全人類が幸せになれる、究極の世界平和を一緒に目指さない?」


「…………」


「あなたは何もしなくていい、ただ寄り添ってくれるだけでいい。あなたさえ隣に居てくれれば、どんなに険しい道のりも、きっと――」


 僕は眼前のキメラを斬り捨てた。二つが一つに統合されていた来栖野有栖は、再び二つになって様々なものを切り口から吹きこぼしながら鶺鴒館のリビングに散らばった。


 無機物と有機物が混ざり合った残骸から、急速に温もりが失われていく。


 散らばったそれらを凝視する。


 全キメラを統括する特殊個体〝オメガ〟の完全破壊を確認。


 オメガ作戦、成功。任務完了。


「――――」

 空虚だった。呼吸が浅くなり、意識がにじむ。


 無言で足元の残骸を眺めていると、どこか遠くで唸るようなサイレンが鳴り響く。


 力なく垂れ下がった刃から赤い雫を滴らせ、のそりのそりと緩慢な動きで散らばった残骸を跨ぎながら室内を横断する。片手で掴んだ重たいカーテンを押し退けて、玄関前のロータリーを一望できる大きな窓から空を仰ぎ見た。


 ――こんな世界滅んでしまえばいいのに。


 誰かが呟いた。


「……ああ」

 感嘆からは程遠い無意味なビープ音が、半開きの口先からこぼれ落ちる。


 現状、見渡す限りにおいて数十本はあるだろうか。


 三段式の固体燃料モーターを備えた巨大な大陸間弾道ミサイル、数十の戦略兵器の群れが、遠くの山の稜線から垂直に上空へと駆け上っていく。


 そして今まさに、地球全土を射程圏内に収める戦略兵器の名に冠した一発の核ミサイルが、その二十五メートルの巨体からは想像もつかない軽快なマニューバを描きながら、鶺鴒館へと飛来していた。


 ミサイル到達まで、あと八秒。

 空っぽの心を置き去りにして、体がひとりでに動き出す。


 夢、希望、力、生きる意味。

 すべてを投げ捨て、全力で走り出す。

 吶喊する。


「さようなら」

 はめ殺しの分厚い窓ガラスを窓枠ごと突き破り、ガラス片をまき散らしてふわりと浮き上がる。背面の左右肩部に並ぶ噴射口が、最大出力で青い炎を噴射した。


 飛翔する。

 輝く火焔の翼を操り、青い鳥になって空へと舞い上がった。


 一千メートルほど高度を稼いでから宙返り、そのまま山林に飛び込むつもりで全力噴射からの急降下。機体は音の壁を悠々と貫いて、続く第二噴射で機首を上げ、熱の壁を置き去りにした。


 あと三秒。


 バチバチと音を立てて燃え盛る樹木。

 内側から弾け飛んだのり面。

 土砂と瓦礫によって、根本からなぎ倒された信号機。

 熱波に晒されて融解したガードレールと割れたカーブミラー。


 それらの光景をつぶさに記憶しながら、崩壊した山道をなぞり、山間部を這うように飛行して旧町へと入った。


 ついさっきまで青々とした田園が広がっていた賽原市西側の旧町は、幾度となく照射された熱線の劫火に嘗め尽くされて、あたり一面が灰燼にまみれていた。


 戦闘の余波で巻き上げられた大量の煤塵が、色濃く太陽を塗り潰す。

 平地は深雪の降る夜半さながらに暗く、人の気配の一切が感じられない静寂に包まれた世界がどこまでも続いていく。それは賽原市でもっとも栄えた地区である新町にたどり着こうとも変化はなかった。


 あと二秒。


 上空から舞い落ちる大粒の灰。

 暗く静かな死んだ街。

 見渡す限り壊滅した住宅地が続いている。

 世界から人が消えていた。


 街一番の繁華街からも人が消え去り、道路上には、灰の降り積もった無人の自動車が何台も停車している。電気が来ていないのか信号機すら点灯しておらず、あれほどやかましく熱風を歩道に吐き出していた室外機の群れは沈黙し、国道沿いに軒を連ねる店という店から明かりが消えていた。


 中華料理屋の換気扇が止まっていた。

 青果店の軒先に並べられた新鮮な野菜や果物に灰が降り積もっていた。

 酒まんじゅう屋の蒸籠からも、すでに白い蒸気は漏れ出ていなかった。


 あと一秒。


 賽原市新町の外れ、立派なクスノキが林立していた名も知らぬ神社は、今はもう本殿も含めてすべて焼き尽くされていた。

 

更地となり果てた境内は、底が抜けたかのように地面が丸ごと陥没していて、真っ黒な縦穴がぽっかりと口を開けていた。境内のエレベーターも、地上に顔を出していた建屋ごと穴の中に脱落していて跡形もない。


 その深い縦穴に、迷いなく身を投げた。


 ゼロ。


 強烈な白い光が視界の端から差し込む。


 今まさに鶺鴒館の正門に突き刺さったミサイルが、弾頭に封入された絶大な暴力を解き放っていた。地上に産み落とされたばかりの小型の太陽は、はやくも数億度の熱を発しながら煌々と光り輝く。


 太陽は周囲の冷たい物質と混ざって、一旦は膨張するものの、すぐに勢いを失って押し潰され、収縮する。そうした爆縮によって臨界点に達した太陽が再び大きく爆ぜた。


 第二点火。質量が熱エネルギーへと過不足なく変換され、数億度の熱波が輝きの洪水となってあふれ出す。壊滅的な白い輝きが、地上から剥ぎ取った構造物を例外なく飲み込んで光へと分解していく。


 それがこの地球上で見た賽原市の最後の姿だった。


「……っ」

 震える唇を噛みしめて無価値な謝罪の言葉を飲み込むと、絶望の深淵をたった一つの乾いた瞳で直視して、真下に果てしなく広がる暗闇へと落ちていく。


 落ちていく。高度はゼロからマイナスへと転じ、どこまでも深く、深く落ちていった。


 深度五万メートルを過ぎたあたりから、縦穴の無味乾燥な岩盤の内壁に、極太のケーブルや用途不明の機械類が雨後の筍のごとく繁茂し始めた。


 深度十万メートルを過ぎると、巨大な白色のプレートが外皮となって、機械仕掛けの臓腑をハケで塗りたくったかのような内壁をその薄皮で覆い隠した。


 深度百万メートルを過ぎようと、どこまでも直線的な白亜のトンネルは、果てしない重力の井戸の底へと続いていく。


 変化の乏しい景観によって感覚が曖昧になり、視界内で随時更新されるはずのマップデータすらも、原因不明のノイズに覆い尽されて、もはや機体が落ちているのか、飛んでいるのか、それすらもわからなくなっていく。


 まもなく激しい揺れが襲い掛かり、トンネル内のいたるところが崩落していった。


 白いパネルが次々と砕けて、むき出しとなったケーブルやダクトが火花や蒸気をまき散らしてちぎれ飛ぶ。壁面にびっしりと埋め込まれた精密な機械類は、クリスマスツリーの電飾さながらに明滅すると、たちまち火を噴いて爆散していった。


 揺れがさらに大きくなる。

 複数回の爆発が起こり、その度に金属片や瓦礫が飛散した。

 爆発は絶え間なく連鎖して、刻一刻とその烈度を増していく。

 破滅の足音が、背後から駆け寄ってきていた。


 特異点の向こう側、並行世界の地球。その大深度に巣食うネストと呼ばれた地下構造体が、断末魔を上げてのたうち、血を吐きながら、今まさに死に絶えようとしていた。


 この先に出口はあるのか、この逃避に意味はあるのか。

 思考を捨て、疑問を頭の外へと追い出して、重力の底を目指して飛び続ける。

 白から灰色、灰色から黒へと、崩壊と共にグラデーションを変化させていく空間。

 轟音にあわせて、空間そのものが握り潰されたアルミ缶さながらに変形して破断する。


 進行方向の空間全体が圧壊し、物理的に狭まっていく視界。

 その視界の先に、荒々しい不定形の特異点を視認した。


 ネスト突入時とはまるで印象の異なる荒れ狂う漆黒の境界面。

 光すらも脱出不可能な平面的な黒点へと、僕は自殺するつもりで頭から飛び込んだ。


 直後、自分の身体が極限まで引き延ばされて、直径が素粒子一個分の均一なひも状になっていく感覚に襲われる。


 低い唸り声を上げて鳴動する世界が、遥か後方へと遠ざかっていった。

 次第に音が消え、熱が失われ、光すらも消え失せた。

 完全な闇に閉ざされた世界。光や熱、音の一切を感じない無の世界。


 ついには時間や重力といった概念すらも消え去った。

 そして予測不可能な特異点の海原で、自己の死を悟った永遠の刹那。


「……あ」

 視界が晴れ渡る。


 どこまでも透き通った青空、たった一つの輝く太陽、戦禍の爪痕が深く残る瓦礫に覆われた大地。心地のいい風が上空を吹き抜けて、遠くの緑の山々を優しく撫でおろす。


 しばし呆然としながら、気の向くまま風の吹くままに、ゆったりと低空を滑空する。


 まもなく地上から、これまでに聞いたことのない大歓声が上がった。

 




第10章・完。

お疲れ様です。

感想おまちしてます。

質問もあればお気軽にどうぞー。

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