12 僕は死んだ
太陽が照りつける真夏の空。
深緑が眼下に波打つ山間部。肌に絡みつく熱風が吹き抜ける。
肩部より噴射される荷電粒子によって塗り広げられた不定形の青い翼を軽快に羽ばたかせ、僕らは透き通る晴天の下で殺し合う。明確な殺意を宿して互いに行使される暴力は、あっけなくタガが外れて、その烈度を急激に増していった。
「死ね」
「ごめんなさい」
「何度も言わせるな、謝るくらいなら死んでくれ」
死ねと言われるたびに心が血を流し、冷たくなって死んでいく。
僕はあと何度彼女に殺されるのだろう。
血を流して軽くなった心は、肉体までも軽くする。太刀筋はどこまでも甘美に冴えわたり、敵機の未来位置は視界内で極限まで収束する。
平時においては、軽挙妄動の極みであるような愚かしい殺し合いの最中であっても心の水面は凪いでいて、それをあさましいと感じる程度に繊細な感性はとうの昔に失われていた。
刻々と形状を変化させる平面的な青い翼を小刻みに羽ばたかせ、互いに音速の五倍に比する速度で空中を駆け巡る。
肩部に並ぶ双発の推進器と三次元推力偏向ノズルが、足場のない空間における制動力を十全に担保し、殺人的なアクロバティック・マニューバを実現していた。
マコトが繰り出す九十九折りの鋭角なクイックターンに追従しつつ、耳障りな金切り声を上げる満身創痍の対物ブレードを幾度となく振るって斬り結ぶ。乱打の応酬は際限なく加速し、いつしかそれは秒間三十二拍の硬質な打撃音となって刻まれ、刀身から剥離した金属片は火花となり舞い散った。
この戦闘によって、周辺環境には甚大な被害がもたらされていた。
雷鳥を放つたびに致命的な熱と光がまき散らされ、赤茶けた死の大地が拡大する。
稲穂が実りつつある水田、収穫期を迎えた夏野菜の畑、それらを下支えする豊かな土壌が、ふりまかれた戦火によってことごとく燃やし尽されていた。
そして今まさに視線の先で、見覚えのある古びた駄菓子屋が、燃え盛る炎に容赦なく飲み込まれていく。ほんの数十分前に頬張った、手製駄菓子の甘ったるいチープな味わいが口一杯に広がった。誰かが泣き叫んでいた。
「才能ないよ。やめちまえ」
「……っ」
「実際、気づいてたんだろ? 才能がない、人の上に立つ資格なんてないって。だったらやめちまえ。もう全部無駄なんだよ、全部な」
異様な唸り声を上げる相州鬼正の切っ先が不規則に乱舞し、恒星級の熱量を保持した雷鳥の光弾が横殴りとなって降りしきる。推進器からあふれ出る青い燐光によって点描された曲線が幾重にも集積し空間を塗り潰す。
「!」
ひときわ甲高い異音を響かせ金属片が飛散した。殺意の滲むマコトの鋭利な三白眼が、砕け散った自身の相州鬼正の刀身とすり減った柄を一瞥して屈辱に歪む。
「チッ」
ひどく摩耗したその柄は、舌打ちと同時に空中へと無造作に投げ捨てられ、土煙の立ち上る荒れ果てた田畑へと吸い込まれていく。
その間も青い燐光をまき散らす推進器は最大出力を維持し、推力の偏向と同期して羽ばたく平面的な双翼が、追いすがる雷鳥の光弾を回避せんと明滅する。
「……次は」
一見して不規則かつ機敏な空中機動を繰り返すマコトであったが、自分にはその回避機動に若干の規則性のようなものが感じられた。僕は感性の赴くままに、敵機の未来予測位置に対して順次左手の砲口を向け、雷鳥の光弾を的確に並べ立てていく。
「……そこ」
まもなく予測は的中した。
「――ッ!?」
驚愕と恐怖が混ぜ合わされた彼女の横顔へと白色の光弾が直撃する。
ただし相手は渡り鳥だ。これでは撃墜には至らないだろう。
高度を落としつつも反転したマコトは、電磁流体装甲から剥離した煌めく粒子の尾を引きながら真新しい一振りを抜刀すると、歯を食いしばり吶喊してきた。
神速の一撃を基軸としながら、時には遅く打ち込んでタイミングをずらし、必殺の雷鳥すらも牽制に用いて緩急ある連撃を叩き込んでくる。
刃鳴散らし、斬り結ぶこと数十合。
見る間に赤熱した二つの刃、一つは砕け散り、一つは満身創痍になり果てる。
再び刃を砕かれたマコトは心底悔しそうに罵声を吐き捨てた。直後、間合いを取るべく交互に掃射された雷鳥が流星となって水平線や地平線へと降り注ぐ。
海は沸き立ち、山肌は溶けて流れ落ち、光の激流が万物を根こそぎ洗い流す。
灼熱の地獄がその版図を急拡大させた。
マコトは、鉛が融解するほどに過熱した機体でいっそう激しく闘気を燃やし、排熱に逆巻く前髪の奥で、琥珀色の瞳が、獲物に喰らいつく山猫のごとき剣呑な輝きを放つ。
前方へと突き出した彼女の両手からは極太の光線が放たれ、腕部の可動と共にそれは目標を追尾し、交わり、収束する。ただ自分としては、ここで引き下がり、積極性に欠ける回避運動に終始するつもりはなかった。
肉眼で防御層を視認できるほどの出力で電磁流体装甲を緊急展開すると、砲火の中へと飛び込み、光線上を這うように飛翔しながら激流を遡上する。
体の一部が光線に接触した。
瞬時に防御層の大部分が丸ごと抉り取られ、代償は主機への負担の増大と機体温度の急激な上昇とな
って跳ね返ってくる。全身が火達磨になったと錯覚するほどの温度上昇に、口から漏れ出しそうになるうめき声を噛み殺す。
乱舞する閃光が、新町の閑静な住宅密集地を容赦なく薙ぎ払う様を僕は目撃した。
見覚えのある神社、通り道、商店街、それが無価値なゴミクズ同然に焼き尽くされていく。
機械化された僕の眼球に備わった高精細なイメージセンサーが、そこに住まう無数の人々の表情の一つに至るまで詳細に認識し、それらを無機質な情報のトロフィーとして脳裏に飾り立てた。
接した時間は短くとも、心に深く刻まれていた情景は完全に消え去った。
もう二度と目にする機会はないのだろう。
満身創痍の相州鬼正の浅黒い刃を閃かせ、一直線に飛び込んだ。無防備な総体を晒す渡り鳥の純白の装甲に、その刃毀れした切っ先が拍子抜けするほどにあっけなく沈み込む。
「……ぅ、あ」
あたたかい。
胸を刺突されたマコトの身体が何度か震え、感触が刀身から両手へと順に伝わった。
裂傷から流れ出た液体が純白の装甲を赤く染め上げる。
視線の先にマコトの苦悶する顔が浮かんでいた。僕はそれを表情筋一つ動かさずに凝視すると、刃をより深く突き上げて、両手で握りしめた柄を捻り上げる。
相州鬼正の研ぎ澄まされた切っ先は、二重の装甲を引き裂いて体内で半回転し、義体の主機を完全に破壊した。
色鮮やかな液体が噴き出る。
それは人体における心臓の破壊と同義であった。
「痛い。痛いよ、小春」
マコトの身体がまた震え、潮の匂いが強くなる。
生命が体内から零れ落ちる匂いだった。
「嫌いだ、お前なんか大っ嫌いだ」
ぐったりと僕の肩口にしなだれたマコトの上半身から、燃え上がらんばかりに発露していた熱い闘志が抜けていく。
「こんな世界いらない。こんな世界、滅んじゃえばいいんだ」
空虚だった瞳から意志の光が完全に消えるのと同時に、それは物言わぬ金属とケイ素の塊になり果てた。斜めに傾く頭部と上半身、力なく垂れ下がった両手足が風に揺れ、自重によってこうべの垂れた刃から物言わぬ骸がずるりと抜け落ちる。
戦火に包まれた地上の街へと落ちていくそれを最後まで呆然と眺めてから、僕は壊れかけのつるぎを手に、霞がかった重たい頭を持ち上げて空中を駆けた。
目指すは鶺鴒館。
「…………」
燦々と照りつける太陽を背にして黒煙昇る賽原市を横断し、戦火を免れた深緑の木々が騒めく鶺鴒館の門前に降り立つと、ロータリーを一直線に通り抜けて屋敷の内部へと踏み入った。
静寂が押し寄せ、少し遅れてやってきた温かな柔らかい香りに包まれる。深みある色合いのマホガニーで贅沢に彩られ、隅々まで手入れの行き届いた清潔な空間がそこにあった。
雑多な環境音の一切が消え去り、無音の室内に扉の閉まる音だけが反響する。
「ぼくは、帰ってきた?」
足音を響かせながら静まり返ったエントランスを歩いていると、これまでの全部が夢の中の出来事であったかのように錯覚させられる。
いつしか錯覚は安易な願望となり、願望は直視に堪えない現実を一方的に塗り潰す。発狂した心は気色の悪い悪夢からの目覚めに歓喜して、ぬるま湯の安息が胸に満ちていく。
ゆっくりと室内を見渡した。
何もかもがそのままだ。
いや、花瓶に生けられた草花と家具の配置が少し違うだろうか?
自分の意志とは無関係に口元がほころぶ。
しかし、エントランスに設置された大きな鏡がそんな現実逃避を許さない。
「……あ」
無残に刃毀れした黒い刃を持つ、おぞましい機械人形がそこにいた。
感情の欠落した空虚な顔。
だらしのない口元。
血走った眼。
開いた瞳孔。
乾燥したおびただしい返り血よって全身が黒ずみ、壮絶な心身の疲労によって姿勢は前傾に崩れ、人類に残された最後の希望を体現した純白の威容は、もはや見る影もなく弱々しい。
「死ね」
鏡に向かってひとこと呟く。
僕は死んだ。




