11 あの日食べたスイカとまんじゅうの味
有坂真。
つい数時間前にその身を戦場で散らし、骸すらも貪り喰われた僕の大切な――。
いや、違う。
あれはマコトではない。
キメラになり果てることで、失われたはずの人としての形を取り戻したのだ。戦場に散った血肉の残骸を収集し、この異界を統治する来栖野有栖によってキメラへと造り替えられた存在である。間違いない、あれはキメラだ。
一点の曇りなく磨き上げられた純白の渡り鳥に全身を包んだ有坂真が、ちょうどアリスと僕の間に割り込む形で上空より舞い降りた。
地に足をつけ、視線が交差した刹那、鋭利な黒い輝きが迫る。
「――っ」
敷地内の舗装された地面を純粋な脚力のみで抉り、愚直に吶喊してきたマコトが言葉もなく繰り出したのは、殺意が濃縮された大上段からの斬り下ろしであった。
それを真正面から刃で受け止める。煌めく蛍火が舞い散るのと同時に、直上から叩きつけられた壮烈な衝撃が伝播し、両足の接地面が爆ぜて円形に捲れ上がる。
耳を劈く爆音が衝撃波となって膨れ上がり周囲の樹木を騒めかせた。
本気だ。
彼女の殺意は本物だ。
強力な武装を携え、外部兵装たる渡り鳥に身を包んだアマツバメ。
万全な特二十型装甲義体。
手を抜ける相手ではない。
彼我より打ち合わされた二振りの相州鬼正が、その従来の静粛性からすれば異常ともいえる耳障りな高周波を発して刃を喰い込ませ、互いの刀身を削り殺し合っていた。
強烈な異音を放つ浅黒い刀身は瞬く間に赫灼と色づき、熟達した仕手であれば、数百の鉄塊を切断してなお刃毀れ一つしない、相州鬼正の強靭な耐久性を躊躇なく炉にくめながら大輪の火花を散らす。
「マコトっ!」
眼前で轟く切削音にかき消されまいと全力で叫ぶ。
深紅に赤熱する刀身から熱波が放たれ、心身を焼き焦がした。
「…………」
「有坂真っ!」
返事はない。マコトは感情の読み取れない真顔を貼りつけ、口を横一文字に閉ざしたまま、圧し掛かる刃の重みだけを倍増させた。いまさら交わすべき言葉などありはしないということか。
近接戦闘においては永遠とも思えるような数秒が経過し、絶え間ない恐怖と緊張の連鎖に魔が差したのかもしれない。ほんの一瞬、凝視していたマコトから視線を外し、肩越しに彼女を覗き見ようとした。無意識のうちにアリスの身の安全を案じてしまったのだ。
その油断の代償を僕はすぐさま支払うはめになる。
「よそ見してる場合か?」
「――ぐうッ」
それは艶のあるしわがれた声だった。
同時に放たれた流麗な後ろ回し蹴りが、吸い寄せられるように上腕部へと突き刺さる。
視線を対象の背後に向けていたせいで予備動作を見落とし、反応が遅れて回避も不可能な状態であった。
視界が揺らぎ、傾いてぼやけた景色が風切り音を立てて真横に流されていく。
勢いそのままにふわりと浮き上がった体は鶺鴒館の生垣を突き破り、あっという間に敷地外の急斜面へと弾き飛ばされた。そこはすでに空中。十数メートル下方には寂れた山道があり、現在の状況においてなんの役にも立たない苔むしたガードレールが、薄暗い山林の隙間で所在なさげに立ち並んでいる。
「小春」
「――!」
頭上から降り注ぐ陽光が人影によって遮られた。
白光を湛えて煌めく手のひらが視線の先に浮かんでいる。
渡り鳥の機体性能がもたらす絶対的な機動性を駆使し、鶺鴒館から飛翔して瞬時に肉薄したマコトが、必殺の一撃を放たんと発射態勢に移っていた。
もはやなりふり構っていられるような状況ではなかった。
僕は胸部に内蔵された動力炉からエネルギーを強引に引き抜いて、左右肩部に並ぶ推進器へと叩き込む。三枚の花弁で形作られた推力偏向パドルが一斉に花開き、青々とした火炎を噴射しながら猛烈な推進力を発揮した。
空中を縦横無尽に駆け巡るための力が全身に満ち溢れ、今まさに推進器から噴射されつつある円柱状の火柱をパドルによって平たく押し潰す。
偏向された推力に乗って体を横方向へスライドさせながら、眼前に突きつけられた光電放つ手のひらを全力で蹴り飛ばした。
直後に放たれた最大出力の雷鳥は、射線を大きくずらして賽原市の南西へと飛んでいく。
異界の賽原市の南西、のどかな田園に雷鳥の一撃が炸裂した。
人類の憤怒が鍛え上げた純白の閃光が敵地の一部を光へと還元し、新緑に輝く稲穂を塵一つ残さず焼き払う。
「なぁ小春、答えてくれよ」
もうもうと立ち上る土気色の爆煙を背負いながら、対物ブレードを携えたマコトが空中にて静止する。
「なぜすべての元凶であるオメガを、あの来栖野有栖を殺さなかったんだ。ネストの最深部、昇降機、街中。斬り殺すチャンスはいくらでもあったはずだろう? あれを殺せばそれで全部終わるってのにさ」
血の気が引いていく。
差し向けられた冷酷な視線に全身が凍りついていた。
「私情が邪魔したのか? だったら俺はなんのために、これまで戦ってきたんだ? なんのために俺は死んだんだ? 人類の救済を心から願って死んでいった、幾千万の軍人たちの屍の上で食うスイカとまんじゅうの味はどうだったんだ? なぁ、教えてくれよ」
噴き出す冷や汗と、逆流する胃液の不快感。叶うのならば、この場に跪いて許しを請いたい気持ちで胸が張り裂けそうになる。
「ごめん、なさい」
「謝るなッ!」
「……っ」
「ふざけるな、ふざけるなよ」
僕らの関係性が、その謝罪の一言で致命的なまでに決裂してしまったのを察した。一縷の望みに賭けて相手を説得するという段階はとうに過ぎ去っていた。
「指導者の謝罪ほど無価値なものはない。戦時であるなら、その謝罪は有害ですらある。常識だろそんなことは」
次に向けられたのは深い失望の眼差し、そして雷鳥の閃光だった。
真横を通り過ぎた一塊の光弾が遠くの山の稜線へと突き刺さり、ほどけて爆ぜた。
「アホ顔晒しながらスイカ食ってまんじゅう食って。オメガを殺すチャンスは山ほどあったのに、まんまと時間稼ぎされやがって。本気じゃなかったんだろ? 人類の救済や世界平和は、小春にとって所詮その程度のものなんだろ? だったらもう世界なんて救わなくてもいいじゃないか」
「…………」
「だんまりか。でもまあ、これは、仕方ないか。やっぱり理屈じゃないよな、こういうのは。あーあ、死んじゃった。ヘマしたなー。いろいろと悔しくてたまらないけど、終わったことをあれこれ思い悩んでも意味ないか」
寂寥とした表情で、空中を泳がせていた両目という名の照準器が、再び正面へと定められていた。彼女の頬から朱が消え、蒼が差す。鉛色のグラデーションが吹きつけられた顔色の奥底で、狂気に類似した純青の気炎が色濃く立ち昇る。
「そういうわけだ」
それは宣戦布告であった。マコトの姿が、蜃気楼の如く立ち消えたかと思うと、濃密な死の気配が瞼の開閉する合間に接近し、彼我の距離はゼロとなった。
琥珀色の瞳が狂乱する肉食獣さながらに爛々と輝いていた。
「小春、死んでくれ」




