番外編 異世界問答と水平線の向こう
ザザァァァ……ン……
心地よい波の音と、規則正しい船の揺れ。
シルフィーナ大陸を出航して数日が経過した大型船『ナターシャ号』は、順調にグローリア大陸へと向かっていた。
俺たちが割り当てられたのは、カーティスの特別手形のおかげか、やたらと広くて豪勢な一等船室。
その中央にある円卓で、男がひとり、満面の笑みを浮かべながら万年筆を走らせていた。
「さて、ウィル、スピカ。約束通り、君たちがいた世界の話を聞かせてもらおうか」
机の上には湯気を立てるハーブティーと、分厚い羊皮紙のノート。
銀髪を揺らしながらこちらをじっと見つめるカーティスの目は、完全に「獲物を見つけた学者のそれ」だった。
……正直、ゾーイと対峙していた時よりも目がギラついている気がする。
「な、なんか尋問みたいで緊張しますね……」
スピカが身を縮こまらせながら、お茶請けのクッキーを口に放り込む。
「まあ、気楽に頼むよ。異世界の文化、文明、そして人々の暮らし……知識の探求こそ我が人生最大の娯楽だからね」
「そうは言ってもなぁ。俺たち、ただの一般人だぜ? 専門的なことなんて何一つ説明できねぇぞ」
「構わないさ。君たちが“当たり前”だと思っていることこそが、私にとっては何よりの宝だ。……ではまず、君たちの世界における『情報伝達』について聞かせてほしい」
情報伝達か……。
俺は頭をポリポリと掻きながら、ポケットから取り出すジェスチャーをした。
「えーっと、そうだな。俺たちの世界には『スマートフォン』……まあ、スマホって呼ばれる、手のひらサイズの薄い四角い板があるんだ」
「ほう、魔道具のようなものかい?」
「マナは一切使わないけどな。その板の画面を指でピコピコ触るだけで、地球の裏側........あ、別の大陸にいる奴と一瞬で顔を見ながら会話ができるし、メッセージも送れる」
パサッ。
カーティスの手から万年筆が落ちた。
左目の片眼鏡がカチャリと揺れる。
「……すまない、もう一度言ってくれるかい? 『マナを使わずに』『一瞬で』『別の大陸にいる者と』……?」
「はい! しかもですね、カーティスさん!」
ここでスピカが身を乗り出して、目を輝かせながら会話に割り込んできた。
「その板を使うとですね、世界中の美味しいご飯の映像が無限に見られるんですよ! 『動画配信』って言うんですけど、ケーキを焼く音とか、お肉がジュージュー焼ける映像を夜中に観てると、お腹が空いて眠れなくなるんです!」
「いやスピカ、それYouTubeの飯テロ動画な。お前の偏った使い方を基準にするな」
「えぇ〜!? でも一番大事な機能ですよ!?」
カーティスは顎に手を当て、眉間にシワを寄せてブツブツと呟き始めた。
「待ってくれ……マナを使用せずに映像と音声を瞬時に伝達する……? しかも、それを一般人が誰でも所持しているだと……? 一体どのような技術体系なんだ……」
「あれ、カーティスさん? 」
「おーいカーティス、聞こえてるか!?」
俺が肩を揺すると、カーティスはハッと我に返った。
「失礼……少し考え込んでしまったよ。信じがたいが、実に面白い……。では、移動手段はどうなんだい? 海を渡る船や、大陸を移動する手段は?」
「あー、乗り物か」
俺は窓の外に広がる海を見つめながら言った。
「陸なら『電車』っていう鉄の箱がレールの上を時速数百キロで走ってるし……海ならもっとバカでかい鉄の船がある。あと、空を飛ぶ『飛行機』ってやつもあるな」
「……飛行機。鳥の羽を模したグライダーのようなものかい?」
「いや、数百人を乗せた巨大な鉄の塊が、雲の上をとてつもないスピードで飛んでる」
シーン……。
部屋の中に、恐ろしいほどの静寂が訪れた。
「鉄の塊が……空を飛ぶ? しかも数百人を乗せて……? そんな重量物を浮遊させることなど……それこそ膨大なマナが必要になると思うのだが」
「だから、魔法は一切ねぇんだって。燃料を燃やして......エンジン?の力で空気を押し出して飛ぶんだよ。……まあ、詳しい構造は俺にはさっぱりだ」
「私もわかりません! でも、空港の近くで見るとすっごく大きくてかっこいいんですよ♪」
「……っ」
カーティスが突然、ガタッと椅子から立ち上がった。
「君たちがいた世界は......なんと素晴らしいのだろう! 空を制し、距離を無に帰す技術……なんだその世界は!? もし転生できるのなら、私は君たちの世界に今すぐにでも行ってみたい!!」
「お、落ち着いてくださいカーティスさん!!」
「転生できるならって!それ死んじまうだろうが!」
カーティスが「あっ」と口を押さえた。
「……失言だったね。すまない」
カーティスは再び椅子に腰かけると、冷めかけたハーブティーを一気に飲み干した。
「……ふぅ。取り乱してすまないね。だが、それほどまでに発展した豊かな世界か……。私にとっては幸福を享受できる理想郷のように思えるがね」
ふたりが一瞬、顔を見合わせたのを、カーティスは見逃さなかった。
「それでも……君たちは、幸せではなかったんだね」
その問いに、俺とスピカはピタリと言葉を失った。
部屋の中に、また別の静寂が流れる。
窓から差し込む光が、机の上を白く染めていく。
「スピカは、ずっと病床にいたと言っていたね。技術がそれほど発達している世界なら、医療も同様のはずだ。........治せないような病だったのかい?」
「……どうなんでしょうね」
スピカは自分の細い指先を見つめながら、ぽつりと言った。
「生まれつき、身体が弱くて。お医者様も色々手を尽くしてくれたんですけど……ずっと熱が下がらなくて、死ぬまでの殆どの時間を病院で過ごしてました。でも……」
「でも……?」
「外に出て、誰かと仲良くなって、幸せになって……そういうことを望んでいたようで、それと同時に無意識に『これでいいんだ』って考えてる自分がいて。……胸の奥で、幸せになることにブレーキをかけていたような……そんな変な感覚があったんです」
スピカの言葉に、俺の胸もチクリと痛んだ。
「……なんか、わかる気がする」
俺は自嘲気味に笑った。
「スピカと比べたら大したことじゃないけどさ。病気だったわけでもない、別にいじめられてたわけでも、家庭環境が悪かったわけでもない。普通に友達を作ろうと思えば作れたはずなんだよな。……なのに、俺は気づいたら部屋に閉じこもって、ひとりでゲームの画面ばかり見てた」
画面の中で、他人のキャラクターを執拗に『確殺』し続けた日々。
他人との繋がりを、無意識に断ち切って生きてきた。
「仲間が欲しかったはずなのに、誰かと笑い合ったり、約束を交わすってのを......どっかで恐れてた気がする。……まるで『俺に仲間を作る資格なんてない』って、誰かに呪いをかけられてるみたいに……」
俺とスピカの視線が、ふと交錯する。
お互い、元の世界では赤の他人だった。
住んでいた場所も、境遇も違った。
なのに……なぜか、胸の奥にある「ぽっかりと空いた穴」の形が、驚くほど似通っている気がした。
「……ふむ」
カーティスは静かに顎を撫でながら、ふたりの顔を交互に見つめた。
「魂の記憶、とでも言うべきかな。君たちの生前の執着がユニークスキルとなったように……肉体が滅び、別の世界に生まれ変わっても、なお魂に刻まれ続ける深い感情というものがあるのかもしれないね」
「魂の記憶……」
「まあ、ただの推測だよ。だがね、ウィル、スピカ」
カーティスはノートをパタンと閉じると、いつもの不敵で、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「今の君たちには、互いがいる。そして……私もね。前の世界でどんな呪縛があったのかは知らないが、少なくとも今の君たちは、ちっとも孤独には見えないよ」
「……カーティスさん」
スピカがパッと顔を明るくする。
俺も、なんだか照れ臭くなってそっぽを向いた。
「へっ……調子のいいこと言いやがって。さっきまで鉄の塊に大興奮してたくせにな」
「ははっ、 痛いところを突くね」
カーティスが声を上げて笑った、その時だった。
カァァァァン! カァァァァン!
甲板の方から、鋭い鐘の音が響き渡った。
続いて、見張り台からの野太い声が風に乗って聞こえてくる。
『針路よし! 前方に陸地を確認――!! 恵みの港町、フルメシアだぁぁぁ!!』
船室の空気が一変する。
俺たちは一斉に窓辺へと駆け寄った。
水平線の向こうには、シルフィーナの小さな港町とは比べ物にならない、見渡す限りに広がる巨大な石造りの港湾と、海へと突き出た無数の桟橋が見える。
「……すげぇ」
思わず声が漏れた。
「わぁぁ……! 凄く大きい……!」
スピカが目を輝かせて窓ガラスに張り付く。
「さあ、着いたようだね。大いなるグローリア大陸、その玄関口だ」
カーティスが立ち上がり、外套を羽織りながら言った。
「ここから先は、シルフィーナのような長閑な田舎とはわけが違う。あらゆる富と、あらゆる欲望、そして様々な種族が入り乱れる混沌の街だ。……気を引き締めて行くとしよう」
「ああ!」
胸が高鳴る。
これから始まる新しい大陸での旅。
どんな困難が待ち受けていようと、今の俺には背中を預けられる仲間がいる。
……まあ、この数時間後。
カーティスと別れた俺たちが、酒場の乱闘に巻き込まれて指名手配されるハメになるなんて、この時の俺は知る由もなかったわけだが。




