307. 神の御座位
魔法らしい魔法は使っていない。ただ斬撃と刃と刃が火花と共に弾ける音だけが響く。
ニレルは相手の斬撃を受け流し、また次の手を受けて流す。
ディオンヌは、当然手強い敵だった。
敵――などとは、思いたくなかった。
だが、斃さねばならぬ相手だ。今ここで諦めれば、2度とエステラに会えない。
――僕はエステラのものだから。
エステラが生まれた朝に、スーリヤにそう誓った。だから、エステラの側に行かないと。
真っ向から受ければ、刃は折れる。
ディオンヌの攻撃を流す事しか、まだニレルには出来なかった。
だって何処を切り落とすか、決められないのだ。
「くそっ」
ニレルは歯を食い縛る。
訓練として刃や拳を交えることはあっても、本気で殺し合うことなど考えもできない相手だ。
ディオンヌは。
ニレルにとって、育ての母ともいえる家族だった。そしてその、何があっても己を貫く生き様は、まさに闇の中の月のようにニレルを導いてくれる……帰る場所だったのだ……。
壊すのか、それを。
いや、もう既に失ったものだ。
だが、それをもう一度……?
女神はどうして、そんな事を望むのか。
ディオンヌの刃先が迫るのに反応しきれず、咄嗟にニレルは飛び退いて距離をとる。
チラリと目に入った階段の奥に、漆黒のドレスに金色に輝くおくるみに包まれた、赤子のようなものを抱く女が見えた。懐かしい淡い金髪が揺れている。
(スーリヤ?! まさかあれが神の御座位……)
スーリヤが抱く赤子なら、エステラと決まっている。だが今、エステラは聖エルフェーラ教国にいるのだ。
どういうことだ。
当然本物ではないとしても、一体何の意味が。
なぜ、スーリヤが。
不意に悲痛な声が響いた。それは、産声のような泣き声だった。
『う……あ……あぁ……!!』
その声に、ディオンヌの動きが止まる。その瞳に慈悲を浮かべて。
「ルシン……」
星読みの権能を持つルシンは、誰より創世の女神に近しい存在だ。女神の塔もその悲しみを感じ取って、その神秘の空気を震わせていた。
ディオンヌは刀を下ろした。
「ルシンがあんな風に激しく感情を吐き出すことは、今までなかった……。随分と、人らしくなったんだね。あの薄情者は」
「叔母上……」
ニレルは戸惑った。目の前のディオンヌは、戦闘のためのただの写身ではなかったのだ。
「覚えているかい、ニレル。エステラは時々夜中に声を殺して泣いていたね……」
「覚えているよ。ぼろぼろ涙をこぼして……口を開けてるのに、まるで声を無くしたかのように泣いていたね……見ている方が辛かった」
その度にスーリヤが優しく抱きしめていた。あんなに賢い子なのに、その涙の理由を尋ねても、ただ首を横に振るだけだった。
それはヒラを拾って来るまで続いた。
そしてヒラを拾ってから、ぴたりとなくなった。エステラの夜の泣き顔を、自分が止められなかったのは、今でも悔しい。
「あれはね、哀しみを乗り切る為の予行練習だったのさ。あの子は私とスーリヤの寿命が短い事を知ってたからね。創世の女神と切り離されて、異世界で随分と疎外感と孤独を味わって、そうしてやっとこの世界に帰って来れたのに、また別れだ」
ディオンヌは苦々しく顔を歪めた。
「本来なら女神の一部として、到底経験する必要もなかった苦しみと悲しみだよ」
ディオンヌの瞳が、昏く輝いた。
「ニレル、お前は私に勝てない。だったら私の大事な弟子は、もう女神に還そう」
ニレルは目を見張った。
「なにを……!!」
ディオンヌから、まばゆい銀の魔力が放たれる。その手に持つのは、刀ではなく弓だった。
「4番目のハイエルフ、力の権能をもって創世の女神の名において願い奉る」
ディオンヌは魔力の矢をつがえ、天に向かって引き絞る。
「我が一矢、我が唯一の弟子を女神の御光に還さ」
「やめろ!!」
ニレルは刀を振るった。
ディオンヌの矢はその手を離れ、天に消えた……。
「……それでいいんだよ」
銀の老婆はにやりと笑む。
直後、滑らかにその首が落ちて光の粒になって消えていった……。
「……っ」
ニレルの瞳に、その長いまつ毛の影が濃く落ちて震える。
階段からゆっくりと、スーリヤが降りてきた。
「悲しい? 悔しい?」
静かにスーリヤはニレルに問うた。
「……その両方だよ」
「忘れないでね、その感情を。人は辛いことの方が何度も記憶を繰り返すの。それはきっと、これを受け取った後の貴方の役に立つわ」
スーリヤは抱いていた金のおくるみのような布をゆっくりと解く。
「忘れないでね。だからこそ、幸福や喜びは何度求めても、何度受け取っても善いものなの」
スーリヤの手に、金の宝箱がある。開かれたそこには、星を連ねたサークレットが現れた。
「それが……神の御座位?」
スーリヤはにこりと微笑む。
「もうすぐ世界の綻びから滅びが姿を現すわ。まだ油断しちゃダメだからね! でも、少し寄り道するくらいの時間ならある。貴方が覚えていたらだけど」
ふわりと浮かび上がると、スーリヤはニレルの額にサークレットを嵌めた。
「どうか私との約束、忘れないでね」
その為に、スーリヤはここに来た。
「貴方はエステラのものだから、ちゃんと2人で幸せになって……」
彼女は小さく呟く。
そしてスーリヤの姿も、光の粒になって消えた。
サークレットの星から額の精石に神力が流れこむ。
目の前に光が溢れて、ニレルの中ではエステラの腕とディオンヌの首が離れる様子が、なんども繰り返された――
やがてニレルは、自身の身体から光が溢れ出すのを感じた。
徐々に。
意識が遠ざかって行く。
ゆっくりと暗雲が、世界を包みだした。
――世界の綻びを修復せねば。
――この姿では小さすぎる。
重く厚い雲のなか、雲放電が幾つも瞬き始めた。
ああ、僕は。
誰だったか。
――世界の綻びを修復せねば。
僕は……?
そんなことは、神の身には些細なこと……。
――世界の綻びを修復せねば。
神の御座位によって新たに生まれた神は、
「我が君ぃぃ――――!!」
ドミニクは叫んだ。
夜が明けたと言うのに、まるで薄布を掛けたかのように、空は暗かった。
とうとうその時が来たのだと察して、後ろ髪惹かれつつも、ルシンとセレンを置いて、ウイングボードを飛ばして女神の塔まで戻ってきたのだ。
やがて女神の塔の真上で渦巻いていた暗雲から、ぱちぱちと音を立てて光が瞬いたと思ったら、轟音と共に雷が。
「我が君――! ニレル様!!」
ドミニクはもう一度叫んだ。
女神の塔の尖塔から、天に向けて走るそれは、間違いなく己が主と定めたものが、神になった姿だと確信があった。
だから叫ぶ。地に這いつくばり、天を見上げて。
新たな神の名など知らぬ。ましてや創世の女神の名も。だから叫ぶのだ。その名を。
「ニレル様! 我が君よ!」
「貴方の魔法使い殿の名は、」
「エステラ様――――!!!」
直後、天より真っ直ぐに。
ドミニクの横に、光が落ちた。
「我が君――……」
ニレルがいた。ドミニクの目の前に。黄金と虹の輝きを纏って。
「よくやった、ドミニク。よく僕を呼び覚ましてくれた」
「……っ」
ニレルの長い白金の髪が、その純白の衣と共に揺れ動く。彼の美貌に翳りはなく、ただ静かにドミニクを見つめていた。
「僕はこれから、己の運命と対峙しなければならない。全てが終われば、約束通り空間魔法を伝授しよう。僕が戻るまで、ショウネシーとエステラを守れ」
「御意に!」
ドミニクは膝まずいて、首を垂れた。
そうして再び顔を上げた時には、ニレルの姿はなかった。
ただ、遠くに落雷の音が響いていた。
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