306. ハンフリーの魔法
「う……あ……あぁ……!!」
ルシンは己の側に転がってきた、その首を抱き抱えた。
なぜ。どうやって?!
だがそれよりも。
ルシンの頬をいく筋も涙が流れて落ちる。
熱い。
腕の中のものは、どんどん冷たくなっていくのに、自分だけが、熱い。
「セレンめ……どうやって現れたか知らんが、丁度良い。元々殺すつもりだったしな」
ゼフ、いや元エルフ王シャザーンはオリガの身体から腕を引き抜くと、乱暴に突き放した。
「そのハイエルフの身体を盾にすれば上手く行くと思ったが、良い働きをしてくれた。礼を言うぞ、オリガ」
「……ふ、さま……」
「その名もこの姿も私のものではない。本当の姿などとうに忘れた。だが今の私の名はシャザーン・エルロンド。エルロンド王国の王だったもの」
名乗りはしたが、とうのルシンはそれを聞いてはいなかった。ただただセレンの亡骸を抱いて、涙を落としている。
「腑抜けたか。まあ良い。私を神の御座位まで案内するのだ。それが出来ぬならここで死ね」
✴︎ ✴︎ ✴︎
エヴァの心臓から、2つの精石が溢れ落ちたとき、ルシンはそこに閉じ込められた記憶を見た。
そしてセレンも。
己の肉体に封じられていた記憶を思いだしたのだ……。
『助けて……!! 助けて女神様!』
それは女神を呼ぶ声だった。その声にセレンは聞き覚えがあった。だからレーヴィーはそこへ向かった。
「セレン!!」
迎えたのは熱き抱擁だった。エヴァではない、成人前の若い娘スーリヤ。
「……貴方、だれ?」
スーリヤはすぐにレーヴィーの存在に気づいた。
「誰でもいいわ。お願い、エヴァを助けて! もう5年、エヴァはお腹に赤ちゃんを抱えているの。もう十分育ってる筈なのに! エヴァは昨日から苦しそうなの!」
「ここでの対応は難しい。エヴァの出産に関しては、こちらでも用意がある。連れていくぞ」
セレンの身体でレーヴィーはエヴァを抱えた。
スーリヤの手が、レーヴィーの服の裾を掴む。
「まって、私も連れてって!!」
「ダメだ! あの国は君のような子が住めるところではない。この国でこの家を守っていなさい」
レーヴィは後ろ髪を惹かれつつも、エヴァを連れてエルロンドへ帰った。
子が他の場所に転移してしまわないよう、結界を張った産室を用意する。
国王シャザーンは、教国でゼフという名を使い何かしら活動して不在のようなので、丁度良かった。
レーヴィーはエヴァを寝台に寝かせる。
「随分と顔色が悪い。何か必要なものはあるか?」
エヴァは喋るのも苦しそうだったが、縋り付くようにレーヴィーの腕を強く握りしめた。
「……嫌な……予感が……する……の。私の……お腹から……子を……出して……貴方の……なら……できる……でしょう?」
「……しかし」
「早く!!」
レーヴィがその権能を使い、取り上げた赤子は、首に臍の緒が巻きつき呼吸は無かった。首から上は青黒い色をしている。
エヴァは最後の力を振り絞るように、震える手で赤子から臍の緒をほどくと、その小さな身体を、必至の形相で平手で叩きつけた。
「泣きなさい! 泣くのよ!! お願い!!」
じわりとエヴァの衣服の下肢から血が滲み出していることに、レーヴィーは気づいた。
赤子はレーヴィの権能で、母体を傷つけず取り出したのに、何がおこってるのかわからない。確かなのは、エヴァの身体に異常がおきているということだけだ。
突然赤子が鳴き出し、エヴァは安堵で寝台に倒れ込んだ。それでも弱った身体で、息を吹き返した息子に乳を与える。
「不思議……血が止まらない……私……死ぬの……ね」
「気をしっかり持て、エヴァ! 君は権能を持つ始まりのハイエルフだ。争いや厄災とは無縁にただ平凡に子供を育てることを望んでいたはずだ。こんなことが起こるはずがない!」
「でも……見えるの……世界の端……が、解けて……大きく裂けてしまう……のが。あれが……貴方の言っていた……綻び……」
「何故、そのことを……?!」
レーヴィーはエヴァが世界の綻びについて知っていることに驚いた。それは彼と、2、3、4番目の3人と、女神しか知らないはずのこと。
エヴァには世界の修復などという、途方もない面倒なことを、何故レーヴィーが行おうとしているのか理解ができなかった。
ウシュ帝国の滅びる前に、偶然ルシンとディオンヌの会話を盗み聞きし、何故女神様は創世時に、瑕疵のある世界を滅ぼし新しく造り直さなかったのか不思議だった。
でも今ならわかる。生きて、齢を重ねた今なら。
1度壊れたものは、2度と同じには戻せない。ましてや創世時に造り直していたら、思い出すら残らないのだ。
エヴァは浅く目を閉じて、遠くなる意識を感じると、最期の力を振り絞って起き上がった。
「エヴァ!!」
「セレンと……この子を……お願い……」
今のレーヴィーの身体は、誰よりもよく知る夫のものだ。彼がどこに何を持っているか、エヴァはよくわかる。
レーヴィの腰帯に手をかけ、そこに隠してある折り畳みのナイフを奪う。
エヴァは渾身の力で赤子の耳の一部と、額の精石を切り落とした。
「エヴァ……!!」
レーヴィーは悲鳴のような声を上げた。慌てて不得手な治癒魔法をかけるも、魔力の弱ったレーヴィーには赤子の命を取り止める処置で手一杯だった。
そしてその間にエヴァは命を引き取っていた。彼女は自ら額の精石を切り落としたようだったが、赤子のものと2つ。精石は何処にも見つからなかった……。
そしてルシンは見た。赤子の己に“女神の子”の標があるのを。
エヴァは“女神の子”を助ける代償となって亡くなったのだ――
それなのに、セレンは…………。
✴︎ ✴︎ ✴︎
そうして今、ルシンの手の中に2つの精石があった。本来の自分のものと、亡き母の。
そして父セレンの首が。
シャザーンはもう一度、剣を構えた。彼の姿が、セレンのそれへと変化する。
「貴様、その肌の色。なるほど、セレンの息子だな。ではこの姿で殺してやろう」
ズドォォォン!!
轟音と共に、車体が激しく揺れた。
「何があったよ!!」
マゴー車にウイングボードをぶつけて、乱暴に青い髪の男が入って来た。
車内の惨状を見て状況を察したドミニクは、素早く魔法を放つ。
それは、セレンの姿をした者の皮膚を容赦無く引き裂く。
シャザーンは剣を落として、防御魔法を展開した。
「おのれ! 人族の分際でちょこざいな!!」
「くせぇ! お前だ! お前だ! お前だ!! お前が妖精熊にあの毒を作らせたな! やけに身軽に移動しやがってたのも、妖精熊を利用してたんさ! お前あの時、レーヴィーが逃したセレンの側に居たんだろう、大精霊が抜けた内に、始末しようとさ!」
ドミニクは攻撃の手を緩めず、シャザーンを糾弾する。
「それがどうした! 私は世界の王になる者、神の御座位を手にするものだ!」
「はん、てめぇの国もショボいまんまにしかできない野郎が、世界の王になれっかよ!」
ドミニクは遠慮なく火炎魔法を放つ。
シャザーンの防御が破れ、火炎に包まれて転がった。
その隙にドミニクはルシンに寄って、その頬を叩いた。
ドミニクを見たルシンは、迷子の少年のような顔をしていた。
「なんで……ここに」
「セレンがいきなり消えたから、私もこっちを見にきたんだよ! しっかりしやがれ! ここはお前の戦場だぞ! セレンが愛したあの女は、お前しか解放できないじゃん」
ルシンは正気を取り戻して、気を失っているオリガの入ったエヴァの亡骸を見た。
「多少周りはうるさいだろうが、文句は言うなよ」
ドミニクは長杖と短杖、2本の杖を取り出して、十字に重ねると、まだ息のあるシャザーンに向けて魔法を練り上げ始めた。
「青銀の波、漆黒の角持つ黄金の竜。輝ける神殿で、精霊達はふるえ、ゆれる」
ドミニクの外套のフードに入り込んでいたカーバンクルが、やわりと輝く。
ゆっくりと立ち上がり、ルシンも己の杖を真横に構えた。
「その器にただひとつ……ただ……」
ルシンは一旦、唇を引き結ぶと、意を決して歌い舞う。
〈その器にただ一つの灯火
巡りの輪に揺られ宵闇に溶けゆかん〉
杖を手首で回すと、ふわりと女神の光花があらわれる。
〈月の導きに続け
今が世界に還帰る時〉
エヴァの身体はが透き通る。
(やめろ! 死んでしまう……!)
オリガは声なく叫んだ。
(やめ――――)
〈器は大地になり
心は風のまま流るるだろう
そして魂は女神の庭へと至り
冬に種となり
春には芽吹き美しき花となる
女神の愛に照らされながら〉
やがて光の粒になり、エヴァの身体は消滅した。
シャザーンにとどめをさして、ドミニクが振り返ると、ルシンは俯いたまま立ちすくんでいた。
ドミニクはそっと、ルシンの肩を抱き「セレンを広いところへ出してやろう」と声をかけた。その声は、ドミニクにしては落ちついた優しい声だった。
そして運転席にいたマゴーは、事前にルシンから言われていた「手出し不要」の命令を守り、ただただ状況を報告するのみであった……。
領民の死亡報告を受け、ハンフリーは直ぐに現場に向かおうとした。
だが、まだ敵がいて、マゴー車内という密室に行かせるわけには行かない。フェリックスは、ばあやのマハラに頼んでハンフリーを引き止めていた。
だが全て終わって、清掃段階に入るとマゴーから連絡が入ると、ハンフリーは黒マゴーを呼び出し、現場に向かった。
ルシンは首を、ドミニクは胴体を担いでマゴー車を出た。
道路ではなく、真っ白な雪の積もったところへと運ぶ。
「私とセレンは女神の塔の1階にいたさ。ところがセレンのやつ、いきなり『ルシンが危ない』って目の前から消えた。こいつのせいだな」
ドミニクが握られていたセレンの手を開いた。砕けたスキルの卵石が、そこにあった。
「直前に、うっかり倒したスライムからドロップしたもんだ。転移魔法のスキルだったのか……。ん? こっちの手にも何か」
ドミニクは反対側の手も開いた。
そこにあるものを見て、ルシンは目を見張った。
それは、どさくさに紛れて忘れていた、ルシンとエヴァの精石だった。
だが、エヴァの精石は、亡骸と共に還帰るよう葬送したはずだったのに。
「ルシン! ドミニク!」
黒マゴーと共に、ハンフリーとフェリックスがやってきた。
「大丈夫か?! セレンは、……!」
ハンフリーはセレンの無残な亡骸を見て、膝をつき、地面を殴った。
眼鏡が白く曇っている。
「くそっ、もう老衰以外で死者を出したく無かったのに……!!」
「ハンフリー様……」
フェリックスは腰のポーチを探り、迷いながら真珠貝の箱を渡した。
「以前、女神の塔で手に入れた小瓶です。このような状態でも効果があるのかわかりませんが……」
ハンフリーはフェリックスから受け取った箱を開けた。見つけた時のように、説明書きを呆然と読む。
「〈奇跡の魔法の小瓶〉契約している精霊の強さによって、死者をも蘇生させる程の魔法が使用可能。使い切り」
ルシンの顔に、生気が戻り始めた。
「しかしこれを使うためには、強い精霊と契約している必要があるな」
ハンフリーの言葉に、黒マゴーは咳払いをしてから指摘した。
「でしたらこちらは、やはりハンフリー様しか扱えぬものかと」
「ん?」
「契約していらっしゃるでしょう? 地上における創世の女神の代理人。精霊エルフェーラ様と」
――これはハイエルフであり精霊であるわたくし、エルフェーラと貴方との個人的な契約。もし貴方が大きな魔法を使う必要がある時には、わたくしが手伝いましょう――
すっかり忘れていた、精霊エルフェーラの言葉を思い出して、ハンフリーは恐る恐る小瓶を手に取った……。
そして震えながら呟いた。
「しかし私は、死者を蘇生させるような魔法は知らない」
息を呑むような静寂が流れる。
夜明けが訪れるかと思われた瞬間に、暗雲が天を覆いはじめた。
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