304. 涙
夜明け前の、まだ真っ暗な吹雪の中、それはやって来た。
ショウネシー領東門。
「ご用件は?」
グレイはその美しく不気味な訪問客に声をかけた。
聞いていた通りの容貌。ルシンと同じ褐色の肌に、輝く黄金の瞳と巻毛。この吹雪の中、髪一房乱さず薄着で立っている。
だがグレイがそれ以上に気になったのは、その背後につきそう黒い外套の男だった。現実味のない女の後ろで、強風に煽られるまま外套をはためかしているが、雪は被っていない。表情の無い黒い瞳は、伽藍洞の闇のようだった。
「観光よ。良い温泉があると聞いたわ」
「ではリィンの町行きのマゴー車はあちらになりますのでご利用下さい。良い旅を」
グレイは訪問者カードを発行して2人分渡した。
女は受け取ると、くすりと笑った。
「ところで有名なショウネシー伯爵邸はどちらに?」
「それは領都ステラの方になります。領都は観光向けではないので宿泊施設がございません。まずはリィンの町で宿を取られてから、ゆっくり散策されるのをおすすめします」
「ああ、そう」
当たり障りのない対応をして、2人が去ったのを確認すると、グレイは奥にいるマゴーに合図を送った。
そして領民カードの通信機能を発動させると、アーベルに通信を入れる。
「グレイです。対象を確認。ハイエルフの身体を使う混血女性1名、エルフの男性1名入領。リィンの町行きマゴー車に乗りました」
『了解した。後は任せろ』
通信が終了すると、グレイは己の任務が一段落ついたことに安堵した。
敵を油断させる為にも、門番として対応するのは、ただの人ではないといけなかった。マグダリーナはその為に、ずっとグレイを東門に詰めさせていたのだ。
まさかショウネシー家の旅立ちと入れ違いにやって来るとは思わなかったが。
「グレイさん、大役お疲れ様でしたー」
マゴーが温かいお茶をと甘いお菓子を用意してくれた。
「ああ、ありがとう」
「一息ついたら、念の為フェリックス様と一緒にハンフリー様の警護の方へ行ってもらって構いませんか? あ、筋肉ほぐすマッサージもしますね。今日はお嬢さん方はアスティン邸に行ってもらってるんです」
「そうか……しかししそうなるとショウネシー邸に居るのはケーレブさんだけか?」
「それ以上のマゴーとスラゴーも詰めてますから安心です」
「なら安心だな……」
ついでに軽食を摘み、ふと内ポケットに入っているものを取り出した。
透かし編みの素朴な守り袋に入った、飴粒のような美しい宝石。
ヒラが流した涙だ。今朝マーシャとメルシャが御守りだと渡してくれた。
いつか娘達に小さな宝石を……そう考えていたこともあった。
それが逆に貰うことになるとは……。
この涙の宝石は、あの無垢で愛らしいスライムが、主人であるエステラのことを想って流された世界一美しい宝石だ。こんな物を自分が手にする未来など想像したことが無かった。
グレイはヒラの宝石を両手に包んで祈った。女神様、流したこの涙の分だけでも、ヒラに幸福がありますように。そして我が主たち皆が無事に帰って来られますように。
僅かにきらりと宝石が輝いた。
リィンの町の居住区。領都の図書館で字や計算を習っていた子供達は、吹雪で外に出れない不満を、動画を見ながら室内で体操したり、簡単な運転をしたりして解消していた。それは元いた国では考えられない行動だった。
吹雪は当分続き、不要不急の外出を控え、必要な物があれば魔導通販を利用するよう町から注意喚起が出ていた。
「お母さん、これこれ!」
ドワーフの子供の成長はゆっくりだ。4歳程の外見をしているが、満8歳のその子は、魔導通販の画面を見て興奮した。
「領民限定ヒラちゃんの涙でできた御守り宝石だって! 注文していい? 1人1個限定無料だよ。家族分注文するね!」
注文が終わると、目の前に輝く宝石が直ぐに届いた。
「きれーい!! でもヒラちゃんどうしてこんないっぱい泣いちゃったのかなぁ? お母さん何か知ってる?」
「さあ?……」
「魔法使い様に何かあったのかなぁ? ううん、魔法使い様だからきっと大丈夫!! 女神様、ヒラちゃんがもう泣かなくてもいいよう、笑顔にしてください」
ドワーフの子供は、ヒラの涙の宝石を手で包むと祈りを捧げた。
それを見た母親も思い出す。初めてショウネシー領に来た時に、温かく美味しいお粥を振る舞ってくれたスライム達のことを。
「お母さん?」
「お母さんも一緒に女神様にお祈りするわ」
「うん!」
ドワーフの長の家にも、ヒラの涙の宝石があった。小さな祭壇を造ってそこに飾り、祈りを捧げる。
「女神様。こんな幸福をありがとうございます。ショウネシーに来て、私達はようやく生きることの喜びと充足を得ることが出来ました。どうか我が同胞と優しき隣人達、そしてこの優しい世界をつくり賜うショウネシーの人々の歩む道に導きの灯りを灯して下さい……」
ドワーフの長の娘サラータは顔を上げると、長を振り返った。
「……欲張りすぎだったかしら?」
長は優しく微笑んだ。
「良い良い。我らが魔法使い殿も、女神様に遠慮はいらんとおっしゃっていた」
✴︎ ✴︎ ✴︎
オリガはマゴー車の車窓から純白に染まるショウネシーの景色を見る。
こんな吹雪の日なのに、家々の灯りや街灯の灯りに照らされて、確かな人の営みを感じる。そこにはとても素朴であたりまえの平穏と幸福がある……とても羨ましいものだった。オリガは無性に腹ただしくなってきた。
なぜリーン王国は今もあるのか。
なぜショウネシーは没落しなかったのか。
なぜクレメンティーンにかけた呪いの結果が、こんな心臓を握り潰されるような惨めさを味わされるようなものになったのか。
なぜ。なぜ。
クレメンティーンにかけた呪いは、まさしく己の全てを込めた特別なものだったというのに。
なぜ。
なぜ、この身体に入ってから、呪いの異能も他者を操る異能も無くなってしまったのか。
オリガがそれでもショウネシーにやって来たのは、彼女の同行者が見せてくれると言ったからだ。
ショウネシー領が滅びるさまを……。
美しいリィンの町が見えてきた。
そしてまだ町まで遠いのに、マゴー車が止まる。
マゴー車の扉が開いて、冷たい空気と雪が素早く吹き込んで来る。
そしてゆっくりと、1人の若く美しい青年が乗車してきた。
扉が閉まり、青年はまっすぐオリガを見た。
今のオリガの身体と同じ褐色の肌、片方の瞳も同じ輝く黄金。そして長い髪だけが、外と同じような白銀の色をしている。
そして長く尖った両の耳……!
オリガは慌てて立ち上がった。目の前のこれは敵なのだ!
「ゼ……さ、ま……?」
今オリガの目の前に。
そう目の前に見えるのは、千切れた血管と心臓を掴む男の手。
背後から。
なぜ……?
そう問おうとしても、舌が動かなかった。所詮は生命のない肉体。損傷が激しければ、正常に動かせないのだ。
だが、その心臓から飛び出した2つの輝きは、青年の手のひらに掬われ、彼は呆然とその動きを止めた。
「死ね! ハイエルフよ!!」
オリガの胸を手で貫いたまま、黒い外套を纏ったゼフことシャザーン・エルロンドは、漆黒の剣を青年に振り下ろした。
「ルシン!!!」
青年の……ルシンの身体を、この閉ざされた車内に来れる筈のない者が、庇う。
血飛沫が上がり、重い身体を抱えるように、勢いのままルシンは床に尻をつく。
遅れて身体から離れた首が、床についた片手のそばに転がってきた。
長い黒髪に縁取られたその顔は、微かに微笑みを浮かべていた……。
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