303. 黄昏に佇む
本当の名前など、とうに忘れた。
もうすぐ子が生まれると、幸せそうにお腹を撫でて微笑む女。
珍しい薄荷色の髪をした、世にも美しい女。
オリガ。
美と幸福を手に入れたあの女の全てを奪うと決めた時から。
本当の姿など、とうに忘れた。
オリガの姿を手に入れたから。
オリガとその夫は、教国にまつろわぬ異端の流民だった。名も知らぬ古い女神を祀っていた。
否、私は忘れちゃいない。
己がエルフとの混血であったことを、惨めな奴隷だったことを。
だからオリガの姿と名を、そして娘を奪い、その伴侶の生命も奪った。
私の世界は醜く汚く、生きづらい。
美しいものは皆、私達の苦しみを踏みしめた結果そこにある。ならばどんな容赦も要らない。私を守ってくれる大精霊様とゼフ様だけが信じるに値するもの。
だが、オリガの姿は老けるのが早かった。あの姿自身に魔法的な神秘が宿っていたかのように、私を拒絶する。
そこに現れたのがこの美しいエルフの女の遺体。額に傷があることは残念だが、死して尚輝きが朽ちぬ、永遠の肉体。
姿変えの魔法などではない。ゼフ様のお力を借りて、死の直前に直接その器を手に入れたのだ。
ショウネシーを呪うために。
全てを焦土とするために。
✴︎ ✴︎ ✴︎
冷たい雪だった。それでも昏く黄昏れは訪れる。
冷たい人生だった。それは王になると決めた時から理解していた。
そうで無くても、己は黄昏れに向かってしか生きられぬ質であった。
誰かの喜びを分かち合って幸福を感じることなどない。いつも飢えて渇き、落ち着かぬ心を持て余していた。
エルフ族はその力の有り様が、美醜に現れる。だが自分は産まれてすぐこの顔に醜い痣を、歪んだ骨格を与えられた。赤子の扱い方のわからぬ粗忽者のせいで。
それは己のせいでは無いし、己の価値とはまた別であるはずだった。
しかし誰もが彼を嘲笑した。
だからまず、姿変えの魔法を覚えた。
美麗な見目になれば、彼への嘲笑は無くなった。
だがそれで満足など出来なかった。
兄弟達を弑して王座に着いた後も。
そして王になった時、先王より、創世から語り継がれてきた“神の御座位“の存在を知らされ、初めて彼……エルフ族の王、シャザーンは胸を躍らせた。
それは我が物。神となるのはこの私しかないのだ――
だから教国へ向かい、大精霊が他人の身体に入り込む技を観察した。
いつ現れるともわからぬ、その存在を待つ為に。
研鑽を怠らず、長い年月をかけて、魔法を完成させた。
己の“血縁者の身体”を“器”として奪う魔法を。
シャザーンはちらりと同行者の女を見た。
今はハイエルフの亡骸に入っているオリガ。彼女はシャザーンがゼフの名を騙り、魔法の実験体としたものだった。
生物に対する改造魔法が得意なエルフは、新たな魔法を生み出す際には、まずその不完全な魔法を他人を改造して移植する。そして様子を見ながら改良していくのだ。
オリガは随分と役に立った。
きっとショウネシー領でも、役にたつはず――
あとは、息子の身体と神御座位を手に入れれば――――
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