296. 999
僕は人が好きだった。
だからハイエルフとしての数千の年月を、定住せずに冒険者として渡り歩いた。
なるべく多くの人と関わるように。
人の善き行いも、汚泥のような闇も、苦しみも喜びも涙も怒りも何もかも。
地上で肉体を持ち生きているからこそ、起こりうる奇跡だったから。
だけど、やがて世界が滅びを迎えるその時には。その時には、
僕は人と共に滅びを受け入れるだろう……。
月のない闇夜は、余りにも寂しすぎる。
じきに闇夜がくる。
酒と化粧と女の匂い。
冒険者の付き合いで娼館に来ることは、ままあった。
潔癖過ぎても、溺れ過ぎても人に馴染めない。目立たないのは無理でも、目立ち過ぎてはいけない。
ほどほどに稼ぎ、ほどほどに遊ぶ。そうして少しの魔法を使って、時が経てば人々の記憶に残らぬよう、ニレルは生きていた。
「ねぇ、もう行っちゃうの」
服を着たニレルの背中に、女がそっとしなだれる。
「外は吹雪よ。今行くと危ないわ」
「大丈夫だよ」
ニレルは女のそばかすを優しく撫でて、素肌の女に寒くないよう、女のガウンを掛けてやる。その上に毛布を掛けて包むと、女の代金より多い金額をその薄い手のひらに握らせた。
外は確かに吹雪だった。それは1年の終わりの日だった。
転移魔法が使えるニレルに、天候はさほど影響しない。
娼館を出たニレルは、リーン王国ゲインズ領、コーディ村へと降り立った。
寿命を迎えようとする叔母の、最後の数年を共に過ごし看取る為に――
叔母の家の扉をノックすると、勢いよく扉が開く。
素早く避けた扉の代わりに、別の物がニレルの鳩尾を下から上に抉るように直撃し、僅かに身体が浮き上がる。転倒しないよう踏ん張ったが、腹にめりこんだままのそれが、叫んだ。
「今この家に穢れや不浄を持ち込むんじゃないよ! まずはその娼館臭い身体をなんとかしてきな!! ……ってディオンヌが言ってるなの」
「ハラ……僕の身体に穴を開けるつもりだったのかい?」
「それはハラを投げたディオンヌに聞いて欲しいなの」
痛みを堪えて、ニレルは腹からハラを剥がす。
「叔母上は今、何か重要な儀式の最中なのかい?」
「出産なの」
「叔母上が?!」
「そんな訳無いなの。スーリヤなの」
「誰?」
「騒ぐと近所迷惑なの」
真夜中を過ぎ、とうに新年を迎えていた。もう数時間すれば、村人達も起き出すだろう。
ニレルは黙って自分とハラに浄化と清浄の魔法をかけると、叔母ディオンヌの家に入った。
スーリヤという妊婦は身体が弱っていた上に初産らしく、ニレルが到着して2時間ほど経ったが、その前から弱い陣痛を繰り返すばかりで産声は聞こえない。
歴戦の産婆でもあるディオンヌの助手たるハラは、陣痛促進薬を作りはじめた。
ニレルは気が散るから近寄るなと言われて、いつ生まれるかわからぬ赤子と顔も知らぬ妊婦の為のお湯を用意して魔法で温度を保っているだけだ。
やがて夜明けと共に産声が聞こえた。
産室となっていた部屋から、ハラが赤ん坊を抱えて出てくる。
「エステラの沐浴は任せたなの」
「エステラ……」
ニレルの手に、母親の血に塗れた女の子が渡された。元気いっぱいに泣いてる。
ニレルは慎重に産湯につけて、赤子を洗ってやる。小精霊達が赤子の周りに集まり、朝日と共に輝いた。
見覚えのある魂だ。
――また会えるとは思わなかった。
「僕はこの子が欲しい」
その時ニレルの闇夜に、美しく瞬く星が煌めきだしたのだ。
「突然やってきて、ずうずうしいこと言ってんじゃないよ! その子は母親と私のものさ。さっさと渡しな」
背の高い老女がニレルを睨みつける。
ニレルの母親代わりだった叔母は、相変わらず居丈高で……元気そうだった。
「母親はともかく、どうして叔母上の」
ディオンヌはさっとニレルから赤子を取り上げ、その顔を眺めて珍しく微笑んだ。
「そりゃあ、私のたった1人の弟子だからね。おまえみたいな浮ついた男にはやれないよ」
ディオンヌは素早く母親のいる部屋へと去っていく。ニレルは慌ててその名を呼んで追いかけた。
「エステラ!」
部屋に入ると、ディオンヌから赤子を渡された女性と目が合う。彼女がスーリヤなのだろう。生まれたばかりのエステラとそっくりだった。
そして出産直後の疲れ果てた様子でも翳らぬ美貌をもっていた。
「おまえは……っ、」
ディオンヌは青筋立てて甥に鉄拳を喰らわそうと拳を握りしめるが、ニレルはそれより素早く動いてスーリヤの側にいき、その手をとって片膝ついて、彼女の手の甲に額をつけた。
ハイエルフの最上級の礼である。
「御母堂、どうかエステラ嬢を僕にください」
スーリヤは目を丸くして、ニレルを見て、それからディオンヌを見た。
「え? え? まさか求婚? 生まれてすぐ求婚されるなんて、どうしようおばあちゃん」
ディオンヌは苦い顔をして息を吐いた。
「ハイエルフはそうなっちまうとどうしようもないんだよ。スーリヤの好きにしな」
スーリヤは少し迷って、それからキッパリと「あげません!」と答えた。そしてニレルが絶望する間も無く宣言した。
「貴方がエステラのものになって! それなら許します」
そうしてニレルは、エステラのものになった。
エステラが生まれた、新年の朝のことである。
◇◇◇
マグダリーナ達が王宮に新年の挨拶に行っている間に、恩恵アップキャンペーン中の女神の塔を周回しまくるニレルとエステラ達だったが、とうとうニレルのレベルが999になった。なった、が。
「……それらしいものがないね。まだ条件が足りないのか……」
〈神の御座位〉がどんな物かは、ニレルもエステラも知らない。だが、現れれば必ず分かると確信があった。
「2号は? まだ全部回収してないからじゃない?」
「……それがあったか」
ニレルが大昔に金の神殿に封印した、自身の力の一部。それは勝手にエステラをハイエルフにしてしまったこともあり、ニレルは徐々に向き合って回収していたが、全ては回収しきれずにいた。
永の年月の間に、封印された魔力自身も膨れ上がっていたからだ。
女神がニレルにレベル999という条件を課したのは、2号の全回収の為かもしれない。
「ここのドロップ品や宝箱を回収したら、皆んなで2号の顔を見に行こっか。リーナ達も王宮にいるし」
拝領貴族をはじめ、可能な限り国内の貴族は新年に王へ挨拶に向かうのがリーン王国の慣わし。
夏の第一王女とダーモットの婚約式の様子を聞き、エステラは今日ドロシー王女に渡すよう、ダーモットにスススで育てた薔薇を持たせた。
100本の真紅の薔薇で作った花束を!!
花を束にするという文化がなかったらしく、貴族も平民も、告白に使う花は1輪。
ダーモットは優しげでのんびりとしているが、身体は元騎士として遜色ない仕上がりだ。あの大輪の薔薇を抱えても見劣りしないだろう。エステラは想像してニヨニヨした。きっとリーナの秘書マゴーが撮影してくれるはずだ。
「いくぅ! ヒラはぁ、ニゴと仲良しになったのぉ」
「そういえば、工房に行く度に2号はお花くれるのよね」
「エステラはダメだよ」
ニレルはやんわり嗜めた。
「なんで? 2号は3号で魔力の制御覚えてるのよ。もう安全よ」
「僕に内緒でエステラに花を贈ってるなんて、油断も隙もないからね」
「そんなことで?」
エステラはくすくす笑った。
ドロップ品の回収が終わって、エステラ達は隣の拠点に移動した。
「重要な事だよ。せっかくこの日の為に、僕とヒラでエステラの大好きな薔薇を造ったんだ」
「ニレルとヒラで?!」
「受け取ってくれるかい」
「そんなの、もちろん!!!」
ニレルは魔法収納から植木鉢を出した。
前世で薔薇といえば誰もが思い浮かべる、中心が高く尖った形の剣弁高芯咲き、凛々しく清廉な大輪の純白の薔薇が咲いている。白い花弁は陽に当たると、微かに虹のような光を弾いた。
「13歳の誕生日おめでとう、エステラ」
「良い香り……形も良くって、キリッとしてる。他の薔薇達を引き立ててくれる善い薔薇だわ! それでいて、1輪だけでも安定した存在感がある! この薔薇の名前は?」
「ロサ・シャルガル。君を守る“天の輝き”となるように……」
エステラはとろける笑みを浮かべた。
「嬉しい! ありがとうニレル、ヒラ。スススで大切に育てるわ」
エデンとハラからは、今日の歌舞の為の新しい衣装を貰っていた。
生まれた当初はディオンヌの星読みで、12までしか生きられないと言われていたが、無事13の歳を迎えられたエステラを、ニレルはそっと抱きしめた。
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