アドニス・オランドールは、クリスによる翻訳とロマンス小説の布教を受ける
「昨日はベロニカに1時間殿下への愚痴を聞かされ散々だった。しかも最後あいつ何て言ったと思う? あんな駄犬以下も躾けられないなんて、お守役が聞いて呆れるわと。思わず壁に飾られている剣に手が伸びそうになったのを我慢できた俺は、褒賞をもらってもいいと思う」
貴族の子女を対象にした茶会にて、久しぶりにルドルフと顔を合わせたアドニスは、一息でそう吐き出した。お互い領地に戻っており、こうして会うのは3か月ぶりだ。溜まっているだろうなと予想していたルドルフだが、これは相当だと侍女に紅茶を頼む。長くなりそうなので、手近なティーテーブルに場所を移すことにした。
「なんであいつはああも捻くれて育ったんだ。やっぱり無理やりでも剣を持たせて、腐った性根を叩き直すべきだったんじゃねぇか?」
「無理を言うな。この前、ベロニカ嬢に護身のための縄抜けを教えるのでさえ苦労したと言ってただろう」
「あぁ、あれな。いいよなー妹ってのは。女の子ってだけで、いろんなものを買い与えられてご機嫌とってもらえるんだから」
「そう拗ねるな。お前とベロニカ嬢では役割が違う」
不貞腐れるアドニスは、ルドルフの前でなら年相応の顔をする。領地では護衛隊と共に実地訓練さながらの厳しい鍛錬に明け暮れた。半袖から除く生傷が残る腕と、隊員たちの影響か崩れた言葉遣いに、その努力が表れている。だからこそ、蝶よ花よと甘やかされるベロニカと反りが合わないのだ。
「あいつに皇太子妃なんか務まると思うか? 側室作られるか、浮気されておわりだろ」
「それをさせないために俺たちがいるんだ。それにここには子女しかいないとはいえ、公の場だぞ、口は慎め」
人の輪から離れた場にはいるが、人の口に戸は立てられない。公爵家の跡取りとして、言葉遣いと話す内容には細心の注意をするようにと、常々言い含められていた。
「心配ないって。ローゼンディアナ家の養子がいるし、俺たちを気にするやつはいねぇよ」
そう言って、果実水を一気に飲み干したアドニスは、「あー」と低い声を出してグラスをテーブルに置いた。ルドルフがわいわいと盛り上がっているほうに視線を向ければ、そこには鈍色の髪をしたクリスがいる。何やらお菓子を持参したらしく、令嬢たちに味を聞いているようだ。
クリスに関して悪い話は聞かない。ディバルトに師事し、養子としての勉強に励んでいると父親が貴族と話していた。ルドルフは、いつもの癖で目に入れた人物の情報を頭に思い浮かべていたが、すぐにアドニスの声で遮られる。
「まじ妹いらねぇ。兄妹ってこんな感じなのか? 他の家はなんでうまくやれてるんだ」
アドニスの視線の先には、兄妹で参加している貴族の子たちがいる。3,4つは離れているのだろう。兄たちはまだ茶会に不慣れな妹たちにお菓子を選んだり、お茶を頼んだりと世話を焼いている。だが、アドニスが同じように世話をしようとも、ベロニカは極めて重要な茶会以外は出席せず、出ても母親の隣でお高く澄ましているだけだった。お近づきになりたい令嬢たちに声をかけられても、冷笑を返すだけなのだ。
「アドニス……」
口調に粗野さが混ざり、そろそろ直さないと両親の前でもボロがでるぞとルドルフが窘めようと口を開いたその時、ふと思いついた。
「なら、聞けばいいんじゃないか?」
「え、誰に?」
「妹を溺愛している人にだよ」
年齢と地位に見合わない行動力を持つルドルフは、さっそくと腰を浮かせると人が集まる方へと向かう。
「え、おい」
置いて行かれ戸惑うアドニスの前にルドルフが戻ってきたのは、ほどなくしてからで、その隣には今話題のその人が立っていた。キラキラした笑顔を向けられる。
「お声がけくださり光栄です。お初にお目にかかります。クリス・ローゼンディアナです」
「あ、アドニス・オランドールだ」
オランドールと聞いた瞬間、クリスの目が少し細められた気がしたが、すぐに笑顔の下に消える。
「どうぞおかけください」
そう言って自分も席に着くルドルフに、アドニスはどういうことだと目で訴えるが、涼やかな笑顔を返された。
「こういうのは、妹とうまくいっている人に聞くのが早いだろ? ということで、クリス殿に妹との接し方を教えてもらえればと思いまして」
ここに来るまでにある程度話の内容を伝えたのだろう。クリスは困惑した様子もなく、朗らかに微笑んだ。
「エリーとの話が聞きたいならいくらでも話しますが、エリーを手に入れるための情報収集というなら、協力はしませんよ」
声は穏やかなのに圧のある牽制を受け、ルドルフは噂に違わぬ溺愛ぶりに乾いた笑みを浮かべる。アドニスは幽霊でも見たかのような顔をしていた。
「いえ、友人が妹の付き合い方に困っていまして、ご教授いただけたらと」
話を向けられたアドニスは、罰が悪そうな顔でクリスに顔を向ける。初対面の相手に妹のことを話すのは身内の恥を晒すようで決まりが悪いが、解決策を求めているのも事実だった。この間怒りに任せて訓練用人形に打ち込みを行ったら、人形が壊れた。
「えっと、その、俺にはベロニカという妹がいるんですけど、ちょっと我儘で気難しくて、どう接したらいいかなって」
本当はちょっとどころではないが、明け透けに話すのは憚られた。最低限の情報しか出せなかったが、クリスは顎に手を当てう~んと唸る。そして、不思議そうに目を瞬かせた。
「妹の我儘って、可愛いものじゃありません? 僕なら何をされても許しちゃうけど」
「いや、可愛いなんてもんじゃないんで」
思わず食い気味に否定してしまった。クリスは納得いかない顔で、「我儘……」と呟き、すぐに顔を綻ばせた。
「エリーの我儘は可愛いですよ。買ったドレスに可愛すぎる、もっと強そうな感じにしてって文句を言うのに、ちゃんと着てくれるんです。それに、庭の花を摘んでいったら好みじゃないって突き返されたんですけど、庭の花を全種類使って花束を作ったら受け取ってくれましたし」
花束と、手で表した大きさは抱えるほどで、それは突き返せる質量ではなかっただけではと、二人は心中突っ込むが口には出さない。
「ドレスと、花か……どっちもしたことがない」
「プレゼントをしてはどうですか? それに、多少の我儘や意地悪は甘えているだけですから、受け止めてあげましょうよ」
「クリス殿は、何か意地悪をされたことがありますか?」
ルドルフからの問いかけに、クリスは嬉しそうに口元を緩ませる。13歳、年相応のかわいらしい笑みだった。だが二人は、なぜこの質問で笑顔になるのかが分からない。
「そりゃ、愛情の裏返しを色々ね。物を隠されたり、ノートに落書きされたり、虫を投げつけられたり、紅茶に砂糖をたくさん入れられたこともありましたね」
「それ、普通に虐められていませんか?」
「しっかり悪意あるだろ」
「そんなことありませんよ。物を隠すのは見つける楽しさを僕にくれているから、ノートに落書きしたのは一緒に使いたいと思ってくれたからだし、虫を投げてくるのはお外で一緒に遊びたいというお誘い。紅茶に砂糖を入れたのは勉強で疲れた僕に、甘いもので癒されてほしいというエリーの優しさです」
流れるような返答は二人の頭を通り過ぎ、沈黙が流れる。クリスの解釈を聞いても、善意は見つけられず、やっぱり虐められているのではという結論に至る。
「それでよく受け入れられるな。俺には無理だ」
妹の言葉はアドニスの胸に突き刺さり、棘があるからなかなか抜けない。その傷口に塩まで塗り込んでくるのがベロニカだ。
「だって、本心じゃありませんから」
「というと?」
「なかには、本心とは違う言葉を言ってしまう人もいるということです。ご令妹もそうなんじゃないですか?」
「ベロニカが? 我儘放題で、口を開けば嫌味か悪口なのに?」
アドニスには信じられない。ベロニカの態度は、こちらを嫌っていて、疎ましく思っているようにしか見えなかった。
「我儘なのは、自分の意思がはっきりしている表れですから、芯の強いご令嬢になられると思います。悪口、というのは、例えばどんなものですか? 解説できるかもしれません」
解説ってなんだと思うが、半分投げやりになってきたアドニスは、家を出る時に言われた言葉を口にする。
「小うるさいお子様が集まるお茶会に行くなんて、気がしれませんわ。帰ってきたら、私の近くに寄らないでくださる? ってさ」
それを聞いたルドルフが目に浮かぶと苦笑いをする一方で、クリスは「なるほど!」と顔を輝かせる。場に出た悪口との温度差がすごい。
「それはね、子どもたちがたくさん集まって疲れるお茶会にいくなんてすごいわね。疲れるだろうから、帰ってきたら私のことは気にしなくていいからね。って意味ですよ」
「どこが!?」
「本当に!?」
素で突っ込んだ二人だ。目を見開いたアドニスが身を乗り出す。
「じゃあ、鍛錬終わりに臭い、この部屋に相応しくないって言われるのは?」
「今日も鍛錬お疲れ様。水を浴びてさっぱりしたら、この部屋で果実水でも飲んで休んだらどう? です」
「部屋で素振りしてたら、うるさい羽音で目が覚めた。蜂のほうがマシって言われたのは?」
「部屋でも鍛錬するなんて熱心ね。申し訳ないけど、お昼寝していたからもう少し静かにしてくださる? では?」
これは、しっかり文句だったようだ。だが、原形をほぼ留めない意訳に、二人は開いた口が塞がらない。アドニスがどんどん今までぶつけられた嫌味と悪口を並べれば、クリスによって兄を思いやる慈悲深い言葉に翻訳される。曰く、「剣ばかり握っていては、手が荒れるから、いいクリームを塗った方がいいんじゃない?」、「ダンスが苦手なら、私が相手をしましょうか?」、「苦手な野菜があるなら、私がもらってもいいけれど」などなど。
変換された言葉をベロニカが口にするイメージが皆無で、アドニスは混乱する頭を横に振る。
「だめだ。ベロニカはそんなこと言わない」
解釈違い甚だしい。
「まぁ、すぐ読み解くのは難しいかもしれませんね。もともと気難しいご令嬢のようですし……あぁ、それなら、ロマンス小説を勧めたらどうですか?」
「ロマンス小説?」
本は教科書と教養のためと渡された本しか読まないアドニスが首を傾げる。
「たしか、ご令嬢の間で人気の恋愛をテーマにした本ですよね」
ルドルフの確認にクリスは頷き、アドニスは恋愛かと興味を無くす。
「エリーが大好きで集めているんですが、令嬢が読むものと馬鹿にできませんよ。相手を貶める権謀術数に、剣を握っての大立ち回りもあります」
クリスは二人の興味をひくポイントを心得ており、言葉巧みにロマンス小説の布教へと話を進めていく。
「たいていの話には恋愛のライバルである、悪や、あくどい女性が出てきまして、言葉使いはベロニカ様に近いので参考になると思います。心温まる話も多いので、ベロニカ様の御心も豊かになられるかと。それに、ロマンス小説が好きなご令嬢は多いので、ご友人を作るきっかけになるかもしれません」
その友人一号がエリーナとなるとは、さすがのクリスもこの時は思いもしなかったのだが……。クリスのロマンス小説の売り込みに、目を輝かせる少年二人。
「それはいい! おすすめの小説はなんだ? さっそく取り寄せてベロニカに読ませよう!」
「その、翻訳に役立つようなものがあれば、読んでみたいのですが」
二人は見事に釣られた。今のベロニカとの関係を少しでも改善したいという思いから。
クリスはこのように、すでに何人ものご令嬢、令息にロマンス小説を勧めることに成功している。もちろん、将来エリーナが社交界デビューをした時に、同じ趣味を持つ人を増やす目的の草の根活動である。
その後、笑顔でクリスたちと別れたアドニスは、さっそくベロニカにロマンス小説をプレゼントした。意外にも突き返されず、お礼もなかったが、何も言わずに手近なソファーで読み始めた。大人しくなるならいいやとアドニスは鍛錬に向かったのだが、翌日、ベロニカが素振りをするアドニスの部屋を訪ねてきた。また文句を言うのかと身構えたアドニスに本を突き返し、そっぽを向いたまま言い放つ。
「悪くなかったわ! で、続きはどこなの?」
嫌味を読書欲が上回った瞬間だった。アドニスは驚きすぎて剣を落とし、何も言えないままテーブルに置いていた2巻目を手渡す。それを奪い取ったベロニカは、お礼も言わずに出ていった。
(え、何あれ。ロマンス小説、こわっ)
アドニスはまだ読んでいない。昨日の夜、読んでみようと表紙を開いたが、数行で睡魔に襲われた。読書は向いていない。
そして、着実にベロニカはロマンス小説にはまっていき、初の「ありがとう」にアドニスが驚くまで1か月。小説の影響を受けたベロニカから、刺しゅう入りのハンカチをもらい感動するまで1年。みるみるうちに書庫のロマンス小説が増え、隣の部屋がロマン小説専用の書庫に改築されるまで3年。ロマンス小説のおかげで言葉遣いが柔らかくなり、性格が丸くなったベロニカとエリーナが邂逅するまで、あと8年である。




