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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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2221/2225

二千二百二十話 神魔山の縫い手と、まだ知らぬ<従者長>

□■□■


 神魔山シャドクシャリーの闇渦の麓。


 天蓋の裂け目から欲望の王ザンスインの黄金の鎖が無数の大蛇となって降り注ぐ。

 それを四つ、六つの腕で手綱のごとく捌き、闇神リヴォグラフの防衛陣地へと雪崩れ込むのは六つの眼を持つ魔族の大軍――【六眼のトゥヴァン族】。


 その先陣を切る二人の大眷属がいた。

 一人は古参の六眼のヴァスガ。

 六本の腕に握った魔棍で、漆黒の魔線を放つリヴォグラフ側の異形をまとめて肉塊へと叩き潰す。「退け、闇神の異形共――」魔棍が迅速に振るわれ、一人、二人の頭と腹を叩き吹き飛ばし、倒しながら、神魔山シャドクシャリーの高台に着地。かすかな衝撃波を浴びた、闇神の魔族兵だったが、すぐに魔槍を突き出す。しかし、ヴァスガは、「生温いな――」と避け、「【幻瞑暗黒回廊】上がりの【異形のヴォッファン】共か?」と三腕が握る魔棍の打撃が魔族兵の脇を捉え、「ぐぇぁ」と吹き飛ばしていた。


 もう一人は――六眼イフド

 倒れた祖讐六眼衆の遺志を一身に背負う。


 六眼イフドも、闇神側の、複眼二腕の魔族と相対した。

 零コンマ数秒の間に、魔剣の連続的な袈裟斬り、逆袈裟斬りを、魔槍の柄で、払いのけ、素早く相手の胴を抜くように魔槍を振るい抜く。


 複眼二腕の魔族を真っ二つ。

 続いて、突兀の岩場居た二眼二腕の魔剣師の一閃を身を捻り避け、斜め上から<風穿>系のスキルを突き出す。二眼二腕の魔剣師の頭部を穿ち、仕留め、その魔剣師の体を左回し蹴りで吹き飛ばしながら、岩場に着地。


 六眼イフドは、岩場を駆けて相対した闇神リヴォグラフ側の魔族兵を屠るヴァスガの背を見てから岩の端に移動し、下の景色を見据えた。


 光魔の匂いがある。しかも、四眼四腕の光魔……。

 この戦場に来ているのか……正直、祖デザについては知らん。

 だが、祖讐六眼衆は違う、皆、特に我を助けてくれたのはキズラァたちだ……。

 

 光魔の氣配を感じた六本の腕に握られた六振りの魔剣が飢えたように鳴る。


 黄金の鎖が一帯を薙ぎ払い、戦線がわずかに凪いだ。

 その小休止の間、若い六眼兵のドゥルが肩で息をしながら、こわごわとヴァスガへ問うた。


「ヴァスガ殿……なぜ、我らはこうまでして、この呪われた土地を欲しがるのです。ザンスイン様の御為とはいえ……ここはただの闇渦の瓦礫ではありませんか」

「……瓦礫、か」


 ヴァスガは、ねじれた山影を見上げた。

 闇渦の奥から、風鈴に似た音が、途切れ途切れに届いてくる。


「ここはな、ドゥル。我ら六眼の故郷だ。神界セウロスと魔界セブドラの、ちょうど境目、神と魔の理が混じり合う、世にも稀な聖なる山だった」

「聖なる、山……」

「お前は若い。知らんのも無理はない。――この山には、我ら〝戦の眷属〟だけが住んでいたわけではない。山の上と、その麓には、もう一つの一族がいた。縫い手(ぬいて)……運命神アシュラーに仕え、神咒の糸と針で、この神魔の境の〝結界〟を、幾千年も縫い続けてきた、鸞仙ランセンの民だ」


 ドゥルが、六つの眼を瞬かせる。


「運命を編む一族、と聞いたことが……。では、その縫い手たちは、今は」

「いない。一人残らず、な」


 ヴァスガの声が低く沈んだ。


「我ら六眼が、狩った。――ある時から、囁きが流れ始めたのだ。『山の縫い手どもは、神界に通じる異端だ。やつらの糸はいずれ我ら魔界を、神界へ売り渡す』。そう、まことしやかにな」

「そんな、馬鹿な……同じ山に生きた、隣人ではありませんか」

「だからこそ、効いたのだ。隣人だからこそ裏切られる恐怖は深い。先祖たちは信じた。そして牙を剥いた。神咒の糸を操る縫い手を一族まるごと、神界の手先として焼いたのだ」


 ヴァスガは、己の六本の腕を、汚物でも見るように見下ろした。


「だが、考えてもみろ、ドゥル。神と魔の境の〝結界〟を縫っていたのは、その縫い手たちだ。守り手を、我ら自身の手で殺したのだぞ。――縫い目は解けた。結界の綻んだ境を、よりにもよって、破壊の王ラシーンズ・レビオダと、憤怒の神ゼアの戦が、容赦なく引き裂いた。境が裂け、次元が捻れ……山は、渦に呑まれた。聖地ごと、何もかも、二度と還らぬ虚無へと」

「……っ」

「氣付いた時には、何もかも遅かった。我らは、踊らされていたのだ。――あの囁きを流したのは、リヴォグラフ側の、最も奥深くに巣食う、腐った謀略の手。我ら六眼に同胞を殺させ、結界を内から壊させ、聖地を神界への〝侵略口〟に変えるための……壮大な、入れ知恵にな」


 ドゥルは言葉を失っていた。


「皆が皆、従ったわけではない。麓の者の中には、縫い手をかばい、囁きを拒んだ者もいた。だが、そういう者は『裏切り者』と烙印を押され、追われ、散った。……この戦の眷属の列に、今、その血を引く者は、もういないだろうがな」


 ――山の麓で、縫い手と共に在ることを選んだ、別の六眼たち。

 ヴァスガは知らない。その散った血脈の最後の一人が、今、この闇渦を挟んだ向こう側――光魔ルシヴァルの宗主の傍らに、立っていることを。


「だから、我らはザンスイン様に就いた。せめてこの地の利権だけでも奪い返す。それが、自らの手で滅ぼした故郷への……たった一つの、手向けだと思ったのだ」


 ――その時だった。


「ハァーハッハッハ! 死ねぃ、昨日までの同輩どもよ!」


 戦線の只中で、ひと際醜悪な巨躯が暴れていた。

 黄色の魔紋をどろりと脈打たせ、簒奪した火脈の劫火を撒き散らし、リヴォグラフ側の魔術師を嬉々として焼き払う――リヴォグラフを裏切り、ザンスインに寝返ったという、深紅の大魔公爵。


 その姿を視界に捉えた刹那、ヴァスガの六つの眼が、かっと見開かれた。


「……あの、匂い」


 あの男の血肉から立ち昇る、<闇の血魔力>の底。

 そこに染みついた、ある匂い。数千年前、聖地を覆い尽くした深紅の触手と、同じ匂い。リヴォグラフの、最も奥深い謀略の――あの〝入れ知恵〟と、同じ匂いだ。


「まさか……いや、まさか……だ。あの〝囁き〟の主の一人が……リヴォグラフの最高参謀格の、あの男が……」


 ――心の奥で固く閉じてきた古い扉が軋みを上げて開きかけていた。

 我らに隣人を狩らせ、聖地を闇渦へ沈めた黒幕……。

 その一人が、今、よりにもよって我らと同じ戦列で、嗤いながら闇と黄の魔槍を振るっている。


 ヴァスガは、<闇の血魔力>が闇の槍に変化していく様を見て、確信した。

 敵だったヴェデルアモボロフが仲間になり、闇神リヴォグラフ側の戦力を削っていることに頼もしさを覚えるが、納得はしていない。


 君主の判断に異を唱えるつもりはないが……。

 と、思考し、あわよくば背を狙うか……。


 すると、右の崖下……闇神側ではない存在を感知した。


「ふっ……」


 ヴァスガは嗤うと、付いてくる味方を見て、「者ども、俺の合図と共に少し後退する準備をしておけ」


「「はい!」」


 そのヴァスガたちの部隊が、前に移動していくを見ている六眼イフド。

 六つの眼は、右の崖下に向いている。爛々と燃え上がった。


「――やはり、いるが、遠いか……」


 闇渦を挟んだ、はるか戦場の縁。

 岩陰のあたりから、四つの剣が織りなす、忘れもしない四眼の魔力。

 鳴神シクルゼの銀緑の氣配――だが、闇神リヴォグラフ側は、そんなイフドの氣持ちなんてものは知らない。そのイフドを見つけた【闇神異形軍】大前衛部隊【闇酔桜】に所属するバースル。奇しくもシクルゼ族と似た四眼四腕魔族兵。そのバースルが、


「――欲望の眷属ども!」


 と、イフドに上空から斬り掛かっていく。

 六振りの魔剣の構えを取らないイフドは、バースルたちを見ていない。

 ヴァスガたちは、イフドを残し、はるか左の岩場の戦場だ。


 刹那、イフドは<魔闘術>系統<欲王・巴魔復(バアスマ)>を発動。

 足下の岩場が爆ぜた。

 黄金の鎖の奔流すら追い越す勢いで、バースル目掛け突き進んで、間合いを潰すと、<欲王神剣・三斗>を繰り出した。バースルは反応したが、「ガッ!?」と息を吐きながら己の体が三つに分かれるの見るだけとなった。


 イフドはバースルたち【闇酔桜】の小部隊を一人で斬り捨て、岩場から降りた。

 

 目指すは、隠れている光魔の連中――。




◇◆◇◆



 我が主たちは、何度も神魔山シャドクシャリーを見ている。

 しかし、<無影歩>を使わずに、ここまで来ている以上は、いつ何時に本格的な戦闘となるか……少し油断があるように見えてしまうが……ま、それが、我が主の強みか。

 

 ん? ――誰かに、見られているような氣がするが……闇神リヴォグラフ側か、欲望の王ザンスイン側か、或いは……優秀な魔傭兵か? だが、氣配はすぐに闇の霧に消えた。


 戦いの余波か……。

 闇渦を挟んだ岩陰にいる中で、ルリゼゼが、そう思考する。

 

 ルリゼゼは、更に四つの眼を細め、翡翠の四魔剣の一振りにそっと指先を滑らせた。

 その刃が主の<魔闘術>系統に応じるようにかすかに鳴動する。


 ……我の古い血を知る者の眼。

 妙だな。覚えのない、しかし酷くねっとりとした執念……。

 この身の匂いを嗅ぎ回っているような……。

 シクルゼ族の生き残りとしての、血の直感か。


 そうルリゼゼは思考し、六眼キスマリに、もう一度、トゥヴァン族と六眼キズラァや祖の、彼女が過去に倒した六眼デザについて話をしようとした時、そのキスマリは違う方向を凝視した。

 

 キスマリが見たのは、崩れ落ちていく六眼の魔族たち。

 その六つの瞳には、同胞の死を悼むような、そして己の無力さを噛み締めるような痛切な光が宿っている。痛みを己で体感するように唇の端を己の歯で噛んで、血を流しては、癒えていく。

 

 あの同胞たちが、どのような呪縛を抱え、この渇いた大地に牙を剥いているのか。

 ――この闇渦を挟んだ向こう側で語られた真実をキスマリは、まだ知らない。

 六眼と四眼の彼女たちの様子を見ていた宗主シュウヤ・カガリは、心配そうに目を細める。

 

 六眼キスマリの細い肩にそっと視線を落とし、その胸中を思って、神槍を握る手に力を込めてから、頷き、四眼ルリゼゼの力強く見つめている視線をちらりと見てから、



◇◆◇◆




「ルリゼゼ、あの崖上の争いに、何かがいる?」

「ふむ、欲望の王ザンスイン側か闇神リヴォグラフか……どこにも所属していない、魔傭兵か。分からぬが、殺氣のような氣配を一度感じた」

「ほぉ……」


 <隻眼修羅>の焦点を、ルリゼゼが睨む崖上の奥へと合わせた。

 だが、いたるところで戦いが起きている。

 視界のすべてを埋め尽くすのは数万の軍勢が放つ狂乱の殺氣――。

 魔弾と巨大な闇の繭? げ、繭から無数の魔線が迸り、六眼魔族たちを貫いている。

 大小様々な岩場が地面から突出し、魔皇碑石のような物も出来て、巨大な滝が崩壊し、傾斜している山の斜面の地形が変化し、森が崩れて、多数の軍勢が巻きこまれている。

 だが、そんなのは序の口、巻きこまれながら、その土砂崩れを飲み込む魔獣魔兵も居れば、土砂崩れの上でサーフィンを行うように、その上で戦っている強者たちがごまんといる。

 

 思わず、血が騒ぐ。

 

 否、今はこの立ち位置が重要。

 <無影歩>を使わないのは、あえてだ。

 戦場でこその<無影歩>も重要な面はある。

 

 だが、その<無影歩>を超える&索敵看破のスキルがある以上は……。

 戦場の自然な迷彩も時には、重要になる。俺たちのように<魔闘術>系統を深く学んでいる者たちは、基本の魔力操作が得意。丹田の魔力塊も自然の大樹のように、静かに運用することも可能。

 更に、俺は<経脈自在>がある……外に放出される細かな魔力操作も操作次第で変化できる。

 <隻眼修羅>や<闇透纏視>が得意な偵察スキル持ちが多数いても、すべてを細かくスキャンするのは不可能。

 

 また、鋭ければ鋭いほどに、逆説的な制限が増えてくる。

 〝魔神殺しの蒼き連柱〟の影響、魔界と神界の境目、あちこちの地脈か火脈か、分からんが、噴き出す魔力の濁流も激しいからな。

 

 だからこそ、ルリゼゼの指摘した殺氣……を見つけるのは至難の技。

 これほどの混沌のただ中……。

 特定の個人が放つ微細な執念の糸を完全に手繰り寄せるのは、いかに神座の適格者となった俺であっても容易ではない。

 

 殺氣だらけの状況で個人的なモノの感情の際までは読み取れない。いくら神座があろうとも、神であろうと無理なもんは無理だな。

 

 神といえど、万能ではない。

 かつて惑星セラで触れた、大地の神ガイア様や植物の女神サデュラ様の、どこか達観したような言葉だったと思うが、今ならよく分かる。その通りで、達観でもなんでもない。


 感覚が鋭くなるからこそ、奥行きの凄さが分かる程度でしかない。


 世界の理を司る神々ですら、すべての運命を掌握できるわけではない。

 それほどまでに緻密、大氣、魔力の深奥、真理は深すぎる。

 

 ましてや、未だ発展途上にある俺の神威。

 ……と、焦る必要はない。今は目の前の戦局に集中するべきだ。


 キスマリも周囲を警戒してはいるが、その意識の数割は、背後で交わされている眷属たちの議論に向けられているようだった。

 

 レベッカ、エヴァ、キサラ、ヴィーネ、そしてユイ。彼女たちは、あの深紅の大魔公爵ヴェデルアモボロフの体表からのぞく、悍ましい「黄色の魔力」について分析を交わしていた。


「あの黄色い輝き、ただの魔力じゃないわ。強欲の王ザンスインの神威が混ざり合っている。熱量が異常に歪んでいるもの」

 

 レベッカが魔法の視点からそう指摘すればエヴァが肘掛けを指先で叩きながら、

 

 「ん、……あれは、魂を削って引き出す、強制的な過負荷。長くは持たないはず。でも、欲望の王ザンスインの魔力を得ているなら、大切な何かを欲望の王ザンスインに差し出したから得られたのだとしたら、一時的ではなく、今は序の口の可能性もある」

「そうね、あの肉々しい肉の座布団も無数の鮫牙的な闇のランス、槍に変化させているし、他にも強力な武器はありそう」


 キサラやヴィーネもそれぞれの知見を述べ、キスマリも時折、神魔山の伝承を交えて彼女たちの会話に応じている。ルリゼゼほどの張り詰めた警戒ではないが、彼女たちなりのやり方で、戦況を冷静に見極めている。

 

 そんな皆の会話とルリゼゼの様子を見てから、改めて、戦場を凝視。

 

 歪んだ視界の向こうで、魔界の二大巨頭とも呼べる魔神の欲望の王ザンスインと闇神リヴォグラフの狂暴極まる二つの軍勢が、地脈そのものを牙で噛み砕くような凄まじい勢いで激突していた。

 

 轟音が鼓膜を震わせ、大氣が引き裂かれる。

 

 血と暴力の嵐の合間を縫って神魔山シャドクシャリーの険しい山道からチリンと冷たく澄んだ風鈴の音が響いてきた――。

 

  戦火の轟音に掻き消されそうな魂に直に届くような冴えた響き――。

 

 だが、ザンスイン側の【六眼のトゥヴァン族】も無傷ではない。漆黒の魔線に貫かれた魔族たちが、千切れた羽虫のように次々と崖下へと墜落していく。

 

 またも風鈴の音が響いたが、戦場の音で掻き消えた。

 だが、キスマリは、風鈴の音が響くたび、神魔山シャドクシャリーを見やる。

 

 風鈴の音は六眼の魔族のトゥヴァン族に伝わる、何かか。

 

「――グガァァァァァッ!」

「リヴォグラフ様の防衛線を死守せよ! 強欲な王の羽虫どもを叩き落とせ!」


 今度は完全に風鈴が戦の鬨の音で掻き消える――。


 闇神リヴォグラフ陣営の異形の大眷属たちが、体中から漆黒の魔線を放って黄金の鎖に応戦するが、欲望の王ザンスインが誇る【六眼のトゥヴァン族】の圧倒的な物量と猛攻の前に、その防衛陣地は徐々に削り取られていた。

 激しい衝撃波が岩陰にまで届き、周囲に漂う漆黒の炎と雲が不氣味に爆ぜる。


 その混沌の戦場の中央で、ひと際醜悪な巨躯が暴れ回っていた。

 深紅の大魔公爵ヴェデルアモボロフだ。

 だが、その体表にはリヴォグラフ由来の闇の血魔力だけでなく、ザンスインの眷属となった証しだろうか、悍ましい黄色の魔紋がどろりと脈打っていた。


「ハァーハッハッハ! 死ね、死ねぃ! 昨日までの同僚どもよ! 我が新たな主、ザンスイン様への手土産として、その首を根こそぎ刈り取ってくれるわ!」


 ヴェデルアモボロフは簒奪した火脈の力を叩きつけ、マグマ混じりの爆炎でリヴォグラフ側の魔術師たちを焼き尽くしていく。

 かつての大魔公としての矜持を完全にドブに捨て、生き残るためだけに強欲な王の猟犬へと成り下がったその姿は、同じ戦士として吐き気がするほどの醜態だった。


「……本当に、欲望の王の側に寝返ったのね、あの男。己の命惜しさに、かつての主であるリヴォグラフを裏切り、神界への侵略経路という極秘情報を売り渡すなんて」


 ユイが腰の双剣の柄をミシミシと鳴るほどの力で握り締める。

 <ベイカラの瞳>が怒りと嫌悪の白光を放ち、その視線はヴェデルアモボロフの巨躯を射抜いていた。

 

 隣に立つヴィーネも、右目を覆う〝星見の眼帯〟の隙間から、もう一つの銀の瞳を鋭く細める。頬の銀蝶の紋様が、彼女の深い思考に呼応するように静かに明滅していた。


「しかし、解せませんね……」


 ヴィーネが静かに、だが確かな知性を感じさせる声で呟いた。


「闇神リヴォグラフほどの存在が、なぜヴェデルアモボロフの裏切りをこうも容易く許し、野放しにしているのでしょう。あのように味方の犠牲が多大になっているのは、わざわざ優秀な敵将を自ら育て上げたようなものです」


 俺は、神槍の石突を岩肌に預け、彼女の言葉を引き継ぎ、


「闇神リヴォグラフにとって、この神魔山シャドクシャリーや、大平原コバトトアルの一角の利権そのものは、さして価値のないものなのかもしれない。イルメラが遺した報告にもあった通り、奴が握る神界セウロスへの侵略経路は、ここだけではなく無数に存在するはずだ」

「ん、そう。イルメラの報告には、闇神リヴォグラフが持つ神界セウロス側への侵略道は多数あるような言い方だった」

 

 エヴァも同意している。

 ヴィーネは、深く頷き、皆を見て、


「えぇ、はい――闇神リヴォグラフにとっては、己の部下たちや、今ここで血を流して争っている兵士たちの命など、いくら塵のように消え失せても痛くも痒くもないのでしょう。それは同時に、無数の蟻が、一つの砂山を巡って貪り合うの高みから退屈そうに眺めているに過ぎない……向こう側の心理としては、そのように予想できます」


 ヴィーネの鋭い問いに、かすかに頷いて、


「そうだな。絶対とは言えないが、神格を持つ者の冷徹な視座としては十分に有り得る。奴らにとってここは無数にあるチェス盤の一つに過ぎないわけだ」


 すると、傍らで魔杖を静かに構えていたキサラが、銀の髪をわずかに揺らしながら、ヴィーネの言葉を引き継ぐようにして語りかけてきた。


「そそうですね。他にもヴェデルアモボロフのような哀れな道化を、いくつも飼い慣らしているのかもしれません。ザンスインが戦力を増強したと思わせつつ、ここで争わせること自体が、リヴォグラフにとって何らかの利益になっているのでは?」


 キサラの推測に魔導車椅子の上で静かに佇んでいたエヴァが細い指先を顎に添えて応じ、


「ん、……それは、きっとある」


 と言うと、神秘的な紫の瞳が、戦場を覆う濁った魔力の流れを冷徹に見据える。


「ん、……イルメラちゃんが警告していた通り、リヴォグラフの本質は『大戦争の血肉と魂、その負の感情を己の糧とする』こと。ザンスインの軍勢がここでどれほど暴れ、何万の兵が死に絶えようとも、その死のエネルギーそのものがリヴォグラフの逆侵攻儀式の動力源として吸い上げられているのだとしたら……。あの強欲な王は、自分が狼のつもりで、実はただ肥え太らされているだけの、大きな羊なのかもしれない……」


 と発言した。


「なるほど、二虎競食の計すら、奴の神界侵略の吸い出しの回路に組み込まれているってことか。または、神界側の戦神ヴァイス一派が、魔界へ介入する目的にウアンの星脈石や闇ノ闘神の血鉱が関係しているのかも知れない。惑星セラの知的生命体の祈り、信仰心を集めるためでもあるのかも知れないが……」


 俺がそう分析すると、

 

「はい、様々な思惑があるからこその、今ですからね」

「「たしかに」」

「ん、皆、頭がいいから、霧のような状態から、色々と見えてきた氣がする」

「そうだな、先程のエヴァの保留に繋がるが、皆のこうした様々な可能性の語りは大切だ。可能性の高さ、低さ、色々と予想し、ノイズとして片付けず、一つのテーブルに載せて、様々に語って共有していく。それは重要だ」

「はい、ノイズ、斬り捨てた情報の中にも真実の欠片、感情のさいのもつれがあるものですからね」


 俺は、そのキサラの鋭い言葉に「たしかに」と発言した。

 

 皆も頷く。

 するとキスマリが懐から、結晶の破片のような物を取り出した。


「キスマリ、その手に持っているものは何だ?」

「ふむ。これは、ただの煤けた結晶の欠片に見えるでしょうが、実は、我の故郷たる神魔山に古くから伝わる、星の脈動を聞くための〝星風鈴〟の欠片なのです。昔から、揺らした時にだけ、時折不思議な音が鳴っておりました。音すら鳴らぬ時もある、私の大切な思い出の品。そして、先程から戦場に響いていたあの奇妙な音は、これの響きと酷く似ているのです。だから、もしかしたら……と」


 キスマリが六つの瞳を揺らしながら、その煤けた結晶をそっと持ち上げて振った。

 チリン、と涼やかな音が、俺たちの周囲の空氣を震わせる。


「ンン」


 黒豹(ロロ)がその結晶の〝星風鈴〟に鼻を近づけ、「にゃお~」と鳴いて前足でちょいちょいと触ると、結晶の表面から魔力が放出された。「ンン」と喉声を発した黒豹(ロロ)は後退し、誇らしげに尾を揺らした。

 

 宙に放出された魔力は、大平原コバトトアルの地脈、十六磐や十九磐を精密に模した、膨らみと窪みを持つ立体的な魔力地図として結実していく。

 

 その立体的な地図と、今の神魔山シャドクシャリーを合わせるように見ていった。

 

「あの辺りは戦いが激しいな」


 キスマリが呟くと、エヴァが、

 

「ん、両方とも必死……」

「はい、キスマリ胸を押さえてますが大丈夫ですか?」


 ヴィーネがキスマリの顔を覗き込むように語る。

 キスマリは微笑み、


「……崩れ落ちていく、かつての同胞たちの姿を見てな。どうしても、胸の奥が軋むのだ……」

「無理もありません。あなたの優しさは、弱さではありませんよ」

「だが、我は光魔ルシヴァルだ……」

「ん、大丈夫。キスマリは、私たちの誇り高き<従者長>」


 エヴァが車椅子から身を乗り出すようにして、キスマリの手を握る。

 キサラも穏やかに微笑みかけ、


「はい、頼りにしてますよ」


 と言うと、ヴィーネがそっとキスマリの背に手を添え、「わたしもだ、キスマリ」と語りかける。


「……ありがとう。大切なお姉様たち」

「ん、妹たち。可愛い妹?」


 冗談的に語るエヴァの言葉に、キスマリは少し困ったように眉を下げた。

 ヴィーネは、

 

「【天凜の月】に入った順番や眷属の順番なら、姉となりますが、実年齢で言えば、キスマリのほうが歳は上です」


 と発言すると微笑む。


「ん」

「ですね」

「うん、そこは重要よ?」


 と、ユイも悪戯っぽく笑う。妹のほうが良いらしい。

 キスマリも降参したように肩をすくめた。


「ふふ、そうか。では、すまぬな。我が愛おしき、大切な『妹』たちよ」

「「「ふふ」」」

「……ふっ、はは」


 キスマリは、笑う。

 彼女たちの間に、戦場の冷氣を溶かすような温かい笑い声が零れる。

 眷属たちが紡ぐ、この家族としての絆の温もりは、俺の胸をも静かに満たしていく。

 だが、ここは血と鉄の匂いが立ち込める魔界の戦場だ。

 

「ンン」


 相棒も見上げている。

 ……闇渦の残響が弱まっているが、闇の霧や炎のような闇の魔力は、大半が<暗黒魔力>かな。

 <闇の血魔力>もあるせいで、ここからでは把握が難しいか。


 ……視線を再び神魔山シャドクシャリーの山頂へと戻した。

 

 遥かなる頂の先、空間が歪み、幾重にも曲がりくねったつづら折りの坂道が、幻影の如く宙空へと伸びている。魔界の物理法則を無視した、神界へと通じる「幻影の坂道」にも見えた。

 

 その周囲は実に様々だ。

 時折、その幻影の周囲に、かつて遭遇した神界戦士アーバーグードローブ・ブーを彷彿とさせる、光り輝く甲冑を身にまとった神界の戦士たちの姿が揺らめいては消える。

 彼らは魔界の異形や、押し寄せるモンスターの軍勢と、次元の境界線上で激しい死闘を繰り広げていた。


 神秘的な須弥山を思わせる、幾重もの光の階梯。

 神魔山シャドクシャリーの山頂に揺らめく蜃気楼は、神界セウロスの一角が、魔界の次元へと一時的に滲み出している証拠に他ならない。

 

 神秘的な須弥山を彷彿させる光景は非常に美しいから魅了された。

 風鈴と梵字の文字も時折、現れて消えていく。


 神界セウロス側の出入り口のような場所は神魔山シャドクシャリーの山頂部だけでなく、魔界セブドラの各地と複数あるということか。

 

「キスマリ、その〝星風鈴〟をもう少し上に」

「承知した」


 ――十六磐から十九磐に、ひときわ歪んだ深紅の魔脈が集中し、激戦区となっている。

 もしかして、イルメラが命を賭して遺した警告の場所か?

 だとしたら、リヴォグラフの逆侵攻儀式の心臓となる。深紅の魔脈が急所かも知れない。

 

 星風鈴を握るキスマリと頷き合う。

 そして、遠くから目立っているように戦場で結果を出しているヴェデルアモボロフへと、視線を移した――二つの故郷を奪ったヴェデルアモボロフ……機会を得次第突撃をかますか。

 

 神槍ガンジスを、静かに握り直すが、まだだな。

 神魔山シャドクシャリーは初見、もっと地形、魔力の流れ、神界セウロス側にも味方できるかもしれないしな……あの中に神界騎士団が居るかもしれない。

 

 エラリエースと姉繋がりで俺たちに付いた神界騎士団たちを呼びたくなるが、まぁ、今更か。

 惑星セラにて、エラリエースとハミヤを手伝っているし、三玉の誓約の光魔・魔命・悪夢の大同盟側の領域を手伝っている方もいる。

 

 神界の勢力も魔界側になることがある。

 まさに、表裏一体。

 かつて手にした魔導書『王氷墓葎キングフリーズ・グレイブヤード』に刻まれていた不気味な一節が蘇ってきた。


『――霄壌の水の大眷属たち、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。水垢離(みずごり)の清浄と栄光は水の理を知る。が、大眷属の霊位たちは、白砂(はくしゃ)と白銀の極まる幽邃(ゆうすい)の地に、魔界のガ……封印された。その一端を知ることになれば、火影が震えし水の万丈としての墳墓の一端が現世(うつしよ)に現れようぞ。が、雀躍(じゃくやく)となりても、その心は浮雲と常住坐臥(じょうじゅうざが)だ。魔界セブドラも神界セウロスもある意味で表裏一体と知れ……何事も白刃踏むべし』


 魔界の「ガ」……。ガなんたらの途中だとは思うが、未だ解けぬ封印の謎。

 この神魔山シャドクシャリーの異様な歪みを見る限り、魔界と神界の境界線が極限まで薄れているのは間違いない。魔法書が警告していた通り、俺たちは今、まさに「白刃を踏む」ような危うい境界線の上に立っている。

 

 そして、レガランターラや()()(テン)たちの会話で、


『それもそっか、魔界と神界の隔たり、狭間(ヴェイル)の隔たりはないと聞いているが……結構な間かな』

『そうですね、近いようで遠い場所もありますし、滅茶苦茶近く隣り合う場所もありますよ。ですが、黄金比(バランス)を崩すような神の支配力が強くなっている地域となれば、当然に、〝神殺しの蒼き連柱〟や〝神殺しの紅蓮なる連柱〟に〝魔神殺しの蒼き連柱〟と〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟が発生する可能性も高くなる。その影響もあるので、争いが起きやすい運命にあるのは、未来永劫変わりません……』


 当時、『〝神殺しの蒼き連柱〟や〝神殺しの紅蓮なる連柱〟』のことを考えていた。


『俺は〝魔神殺しの蒼き連柱〟を【バーヴァイ地方】で起こした』

『はい、主が神界セウロス側として魔界王子テーバロンテを倒した。魔界の神格を倒した証拠、神界側の勢力への恩恵が一時的に増した現象で、神界側の神の魔法力、式識の息吹が増して、作物や採取物に影響すると言われています。また、魔界と神界の次元界に作用し、黄金比(バランス)を崩すような神の支配力が強くなっている地域ほど、主が起こしたような〝魔神殺しの蒼き連柱〟や〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟が起きやすくなるのです。そして、現在の【バーヴァイ地方】は、魔界王子テーバロンテが消えた反動で、神界セウロス側の神意力が、魔界セブドラの次元を傾けさせている現象と言えるかもです。更に再び【バーヴァイ地方】を起点とした周辺地域の支配をその宇宙次元ごと狙い環境と因果律を己の物に変えようとする神格持ちが現れない限り……〝永遠の均衡の黄金比(バランス)〟が、その地方に安寧を齎すと言われています。永い目で見れば、徐々に均衡に戻る時間の真夜ですが、それでも、神界側では吉兆と言われていました』


 と会話していた。

 俺がバーヴァイ地方で魔界王子テーバロンテを討ち果たした時に引き起こした、あの〝魔神殺しの蒼き連柱〟。あれもまた、魔界の神格が消滅したことで神界の神意力が次元の天秤を傾け、黄金比を一時的に崩した結果だった。

 

 今、このコバトトアル、そして神魔山シャドクシャリーで起きようとしているのは、まさにその次元規模の天秤の揺らぎだ。リヴォグラフとザンスイン、そして神界の戦神ヴァイスの介入。これらが激突した果てに、一体どれほどの巨大な「連柱」がこの世界を貫くことになるのか。

 

 そこに、左端に殺氣――。

 自然と左手首から<鎖>を射出した。

 岩場の一つを<鎖>の先端がぶち抜く、右に側転しながら移動したのは六眼の魔族か。


「チッ、勘がいいなんてもんじゃねぇな――」


 と六眼の魔族は右の下腕を振るって煙幕を張る。

 魔素が急激に遠ざかる。後退したか、更に、右上空から急激な勢いで近づいて来る巨大な魔素がある。

 

「――おまえたち!!!!!」


 ヴェデルアモボロフか。

 

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皆様に楽しんでいただけたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
欲望の王側に早速寝返り、すっかり調子に乗っているヴェデルアモボロフを見て、思わず笑ってしまいました。 寝返るスピードが早すぎる(笑)。 欲望の王ザンスインは、太った蛙のような姿をしているらしいですが…
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