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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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2219/2225

二千二百十八話 アメンディ様の鎮魂歌と蜃気楼

 夜明け前の、藍を一匙だけ溶かしたような薄闇だった。

 スキルがもたらした半透明の可愛い魔猫――<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>の幻影が、青い薄霜の苔を揺らすように頭部を擦りつけては消え、また現れては、イルメラの魂が咲かせた綺麗な紅薔薇の匂いを嗅ぐ。宙空へと昇り、魔力の肉球が煌びやかな光跡を残して消えたかと思えば、直ぐに俺の胸へと吸い込まれるように溶け――傍らにいる相棒の黒猫(ロロ)の額にも、じゃれつくように頭をぶつけては消えていった。


 心に温かさが増していくように思えた。


 その間にも、コバトトアルの北の片隅、畳一畳分の小庭に銀翠の光膜が星屑のように降り積もり続けている。


 一輪の紅薔薇は、イル・メラフィーラの肌に刻まれていたあの凛とした紅をたたえ、青い薄霜の苔の上で静かに息づいていた。遠く、ライムランの結晶雲が夜氣の彼方に淡く滲んでいる。


 片膝を地につけたまま、戦場の各所と血文字を交わしていた。


『シュウヤ様。砂城タータイムと大厖魔街異獣ボベルファの本隊、損耗は軽微にございます。ヴェデルアモボロフ陣営の残党、及び、【闇神異形軍】を率いていた【暗夜十三の執行者】と目される名の知らぬ指揮官は撤退。クレインが敵の副将であるキゼレ・マイガラという魔剣師タイプを屠ったことが決定打となり、敵は東と南に軍を分け退きました。このレン・サキナガと共に九槍卿の方々と北東二里の防衛線を維持、掌握に務めております。警邏は、クレインと光魔沸夜叉将軍ゼメタスとアドモスたちに任せています。闇神リヴォグラフの勢力以外にも、十層地獄の王トトグディウス、欲望の王ザンスイン、狂気の王シャキダオス側と思われる魔族部隊と、衝突を繰り返している状況です』


 レンの血文字から立ち昇る魔力は、彼女が愛用する煙管から燻る、あの甘くほろ苦い煙草葉の匂いを帯びていた。文字の輪郭がかすかに爆ぜるたび、彼女の苛烈な戦氣そのものがこちらの鼻腔をくすぐり、まるで背を預け合っているかのような錯覚を覚えるほどに、どこまでも凛としていた。


『了解した、引き続き頼む』


 続いて、


『ご主人様、北西の補給路をサザーと悪愚槍流トースン師匠と共に押さえました。みんな無事です』


 届いたママニたちの安否に安堵しつつ、レンとママニに向けて、血魔力のインクを優しく弾くように返信を、


『承知した。無理と分かるが、休めるなら休んでくれ。深追いはせず、まずは体を休めることを最優先にしてほしい』

『はい』

『お任せを、魔導要塞陣地には近づけさせません』


 指先で血魔力のインクを弾くようにして送り終えると、虚空に浮かんでいた赤い文字は、名残惜しげな微光となって夜氣へと溶けて消えた。

 

 ――地平の彼方では、未だに戦火の火の粉が燻っている。

 

 だが、イルメラを弔うこの畳一畳分の小庭だけは、確かに世界のすべてから切り離されたように凪いでいた。


 傍らに静かに佇んでいたヴィーネが、〝星見の眼帯〟の奥にある銀の瞳を、ふと見開いた。


 彼女の露わな肩に刻まれた、光と闇を黄金比で縫い合わせた無色透明の中庸の徴(ちゅうようのしるし)が紅薔薇の放つ銀翠の光膜に呼応するように優しく脈動を始める。

 

 正直、ヴィーネの美しさがより映えるな。

 

 極小の魔皇碑石としての性質を帯びたその徴は、薄い銀の輪郭を「ぽう」と神聖に灯らせ、ヴィーネは自らの肩を愛おしそうに抱きすくめながら、銀色の虹彩と瞳が動き、俺を見て、


「……ご主人様……徴が、あの薔薇と、優しく共鳴しています。アハシュムロン様の慈愛に満ちた母性の理が、この中庸の徴を通して、ご主人様の魂の天秤にそっと触れているのです。光と闇の縫い目の一つ一つが……今、この薔薇の香りのなかで、こんなにも穏やかに釣り合っています」


 その声は少し上ずっていた。

 心地よい声を感じながらヴィーネの伸びてきた細い指先に手を合わせた。

 ヴィーネの指が俺の指先を縫うように絡み付いてはギュッと胸元に押し付けてきた。

 自然と笑顔となると、ヴィーネも微笑んでから己の頬に俺の指を持ってくる。「……イルメラとはわずかでしたが、彼女がどんな想いで降伏したか、分かっているつもりです……」と呟く。

 

 自然と頷いた。

 

 ……内に宿る神座が、鏡のような湖面のごとく凪いでから温かい風を感じる。


 あぁ、<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>のおかげもあるのか。


 感謝……そして、俺の魂の天秤の中には数えきれぬ眷属の名が縫い留められているが、その中に紅薔薇から立ち昇る銀翠の粒子が交じり合うのを感じた。


 それはまるで、引き裂かれた魂をあるべき場所へ縫い留める「還」の理法そのものだった。


「……ご主人様。闇神リヴォグラフは、この徴を、いまだ己の監視線だと思い込んでいます……ですが、今、徴が奴に返しているのは、ただ凪いだ水面の偽像だけ。あなたの神座が、どちらへ傾こうとしているのか――奴には、もう、読めません」


 ヴィーネの頬の銀蝶が淡く明滅した。

 ……精神的な迷彩、か。

 母上の母性とイル・メラフィーラの感謝とヴィーネの徴。


 三つが編み上げた見えない衣。

 闇神の千の眼を、この小さな庭が、欺き始めている。


「……上等だ」


 そう呟くとヴィーネが、はにかむように微笑んだ。

 すると、足元から「ぷるッ」と濡れた可愛い音が響いた。

 ミトンの肩の上で、紫炎の魂衣を纏った銀蜜溶胃無(シルバースライム)の幼生シルがぷるぷると愛らしく身を震わせ、青い薄霜の苔の上へ、ぽとりと飛び降りたのだ。シルは冷たい苔の上を器用に跳ね、紅薔薇の根元へ、甘えるようにその小さな体を擦りつけている。


「シルちゃん、お姉さまにお礼を言っているのかしら?」


 ユイの微笑ましげな言葉に、魔導車椅子の上から、エヴァが神秘的な紫の瞳を細めて応じた。


「ん、……あたたかくて、ちょっと、くすぐったい感覚。シルのぷるぷるした温もりが、車椅子の霊鋼を通して、わたしの足の骨にまで伝わってくる……不思議」


 シルの紫炎の魂衣に薔薇の根からじわりと深紅の薔薇の紋様が混ざり合っていく。やがてシルは満足げに、


「ぷるん!」


 ひと際高く鳴くと、その愛らしい口から、小さな紅薔薇の花弁をぽつりと吐き出した。


「「え?」」


 その場にいた全員から驚きの声が漏れる。


 吐き出された花弁は、重力に逆らうようにふわりふわりとミトリ・ミトンの周囲と、紅薔薇の周りを円を描いて巡り始めた。

 苔の上に落ちるかと思われた瞬間、花弁は宙空でピタリと静止し、七色の微光を放ちながら優雅に浮遊した。


 その淡い光を帯びた花弁から放たれる魔力は、魔界の濁った大氣とは明らかに一線を画する、清冽極まりないものだった。

 思わず「ラムー」と名を呼ぶ。

 彼女は既に、愛用の霊魔宝箱鑑定杖を恭しく抱え、その先端を浮遊する花弁へと向け、精神を集中させていた。


「はい……っ、こ、これは……『紅薔薇の霊薬』にございます。触れた者の肉体と魂の傷を、瞬時に癒やす奇跡の霊薬……。逝ってしまったイル・メラフィーラの、あの紅薔薇紋族の故郷の薔薇が、シルちゃんに授けた、新しいお力のようです」


 美しいハスキーボイスはかすかに震えていた。

 鑑定を終えたラムーは、鋼の兜の隙間にそっと指を差し入れ、思わず涙を拭うような仕草を見せた。


 彼女の震えるハスキーボイスを聞いたミトリ・ミトンは四つの腕のうち三つを胸の前で愛らしく交差させ、その銀緑色の瞳に大粒の涙を潤ませた。


「イル・メラフィーラお姉さま……。生まれたばかりのシルにまで、そのような温かい優しさを遺してくださるなんて……」


 散っていった一族の誰もが二度と傷つかぬようにと願ったイルメラの魂が他者の傷を癒やす花弁となって還ってきた。


 それは皮肉でも悲しみでもない。

 アハシュムロンの縫合の理がもたらした、ただ優しく、美しい魂の円環。


 ――紅薔薇を覆う銀翠の光膜が、すぅ、と一段と密度を増していく。

 空間の境界で、絹を裂くでもなく、優しく縫い合わせるでもない、魂の琴線に触れるような不思議な音が、美しく響き渡った。


 そこに夜氣の中から銀糸を撚り合わせたような魔布が一枚ふわりと舞い降りてきた。布の縁から見覚えの強い裁縫の魔力が噴出していた。

 

 それは、砂城タータイムの炉の前で、ミスティやザガ、ボンと共に、新たな防具の素材となる紅蓮の竜翼膜(ヴァルカメンブレン)を縫い上げてくれた、あの偉大なる神格の徴だった。


「魔裁縫の女神アメンディ様。……やはり、来てくださったのですね」

「アメンディ様!」

「ん、アメンディ様も!」

「はい、シュウヤ様と皆様、砂城タータイムと周囲の守りは大丈夫。そしてよくぞ、これほど美しい魂の織物を……魔界の泥土から拾い上げてくださいました」


 魔布の幾重にも重なる襞の奥から慈愛と神格としての矜持を綯い交ぜにした、女神特有の甘やかな念が、魂に届く。

 アメンディ様はそっと前に歩み出ると、青い苔の上の紅薔薇をじっと凝視し、優しく微笑まれた。


「……光魔ルシヴァル宗主の血と、縫境ノ織神アハシュムロンの縫合の理が、たった一輪に編み上げた美しき紅薔薇――これほどの極上の織物を、二度と戦火に汚させはしませぬ」


 言うや、アメンディ様の身に纏う絢爛な衣服が、見えない風を孕んで一氣に舞い上がった。


 舞うたびに胸元の衣装が大きくはだけた。

 豊かな双丘を包み込む白い晒布が露わになる。


 捲れ上がった裾からは、眩いばかりに滑らかな素肌の太股が覗く。

 アメンディ様は、優雅に、神聖な舞を踊る。

 肌に密着した晒布と眩いばかりの素肌を惜しげもなく晒しながら、静かに、しかし厳かにステップを踏んでいく。


 身を翻すたび、絢爛な衣服の節々から極細の魔布と銀の繊維が、銀の雨のように四方へと降り注いだ。


 綺麗なアメンディ様だな。

 同時に鎮魂の想いに溢れているから胸にくる。


 魔布が見えぬ次元の帳となって、薔薇と苔と舞う七色の魔素霊蝶ごと空間そのものを内へやわらかく畳み込んでいく。


 宙に放たれた魔布と繊維状の魔力粒子が、ふわり、ふわり、ふわわりと畳一畳分の小庭の上空を覆うように広がっていった。


 これこそが裁縫と伸縮の理の極致か。

 魔界王子テーバロンテが長く封じて冥界に追いやった能力。


 小庭の周囲の空間そのものが、銀の針で縫い合わされるかのように軋むと、今まで見たことのないほどの刺繍空間(ししゅうくうかん)が縫い上げられていくと、アメンディ様の美しい鎮魂歌が響いてきた。

 

 ねむれ (あか)き花の子よ

 千年(ちとせ)(くさり)は もう、(ほど)いた

 

 (しろがね)の糸が (すく)うのは

 お前がこぼした 最後のひとしずく


 ()かれた(たましい)を ()い合わせ

 (うば)われた名を 故郷(ふるさと)の土へ


 ねむれ ここはもう (いくさ)の外

 お前が夢みた 一握(ひとにぎ)りの庭


 ()け 紅薔薇(べにばら)の 祈りよ

 ()が傷も ()えますように


 魂の震えが直接響くような旋律……。

 聞く者の悲しみを銀の糸ですくい上げていくような調べだった。

 

「「「……」」」

「胸にきます」

「……はい……」


 相棒が目を伏せ、「にゃ……」と小さく鳴いていた。


 皆、涙していた。ただの慰めではなく、魂の裂け目を銀の糸で繕われたような震えるほどの静寂が小庭を支配していた。

 ミトリ・ミトンも感動している。

 舞い終えたアメンディ様は、戦場の喧騒を遠くに聞きながら、一度だけ悲しげに、しかし慈愛に満ちた瞳で夜の闇を見つめた。その眼差しは戦火に呑まれゆくすべてのものへ向けられた、神の最後の祈りだったのかもしれない。


 皆の視線を一手に引き受けている魔裁縫の女神アメンディ様は、微笑み、腕を広げる。腕から綺麗な魔糸が展開し、皆に付着。

 

 温かい。自然と、ラ・ケラーダの挨拶をしていた。

 

「わぁ……」

「……アメンディ様の想いが……ありがとうございます」


 魔裁縫の女神アメンディ様は、


「……この帳は、悪意を以て武器を抜く者には決して開きませぬ。特に、闇神アスタロトや闇神リヴォグラフを冠した者たちには決して触れることすらできぬ、絶対の砦。ですが、ここは優しき鎮魂の庭。ですから、シュウヤ様や黒猫(ロロ)様、ミトリ様、光魔ルシヴァルの皆さんが、傷つき、魂を休めに来る時だけ――この美しい縫い目は、そっと優しく解けましょう」

「……恩に着る、アメンディ様。この庭は、俺たちが必ず守り抜く」


 魔槍を背に彼女に向けて深く頭を垂れた。

 コバトトアルという地獄の激戦区のど真ん中に、戦火の決して届かない、魂を安らげる唯一の聖域が生まれた。


「……」

「にゃ、にゃおん」


 肩の上に乗っていた黒猫(ロロ)が、すべてを見届けたように満足げに「ンン、にゃお」と喉を鳴らし、俺の耳朶をモグモグと温かい口元で甘噛みしてきた。少しゾクッとするような、しかし確かな愛に満ちた、いつもの吸血の余韻を伴う儀式。


 ヴィーネが、銀翠の光膜と、アメンディ様が残した新たな刺繍空間の縫い目を、〝星見の眼帯〟越しに愛おしそうに見つめながら、


「……縫合、裁縫、刺繍……。母上アハシュムロン様も、アメンディ様も、そしてイル・メラフィーラも……ご主人様の周囲には、こんなにも、バラバラになった何かを『繋ぐ』ための理が、自然と集まってくるのですね」

「あぁ、……そうかもしれないな」


 背を優しく撫でながら、静かに頷いた。

 壊し、喰らうだけの覇道ではない。

 いつか、この優しき縫い目の理が魔界と神界、否、この惑星全体の、もっと大きな綻び(ほころび)を美しく縫い合わせる日が来るのかもしれない。そんな予感を夜明けの藍色の風の中に感じていた。


 暁の気配が、藍色の地平をうっすらと白ませ始めた頃。


 刺繍空間に守られた小庭へ別れを告げ、砂城タータイムへ戻ろうと踵を返した刹那。遠く南東か?

 乾ききった荒野の地平が、ゆらりと陽炎のように揺らいだ。


「……ん?」


 ……荒野の地平が揺らぐ。

 夜明け前の薄闇に蜃気楼じみた何かが滲んでいる。

 またも、ゆらりと陽炎のように揺らぎ、漆黒の靄を射し貫く光の剣が見え隠れしては、天使の梯子のような現象、否、一瞬で、漆黒の炎と雲に染まり、エベレストのような山頂が見えたが、消えて、巨大な『倶舎論』にあるような半球状の世界、虚空に風鈴、金輪のようなモノ、梵字「Sumeru」のような文字も朧氣に<隻眼修羅>で確認できたが、直ぐに漆黒の雲となって揺らぐ。そこだけが別の次元であるかのように、崩れかけた山影が滲んで、違う山脈の輪郭となっていく。

 

 そして、その奥――天を衝くように、蒼い光の柱が幾本も連なって、音もなく立ち昇っていた。


 〝魔神殺しの蒼き連柱〟が増えている?

 狩魔の王ボーフーンを倒した直後に出現したのはそのまま。だが、以外にもあった。

 昇天した血刃衆の最期の記憶、神界戦神ヴァイス一派が執拗に魔界へ介入し続けてきた理由――そこで戦乙女か下級神が倒れた影響、闇神リヴォグラフの神界逆侵攻計画への対抗の楔の証左?


「にゃ……にゃごぉ」


 肩の相棒が耳を伏せ、低く訝しげに喉を鳴らす。


 蒼い連柱は確かにそこにあった。

 だが、目を凝らすと、陽炎ごと夜明けの風に溶け、何事もなかったかのように、ただ乾いた荒野が広がっているだけだった。


 俺が起こした〝魔神殺しの蒼き連柱〟は残ったまま。


 イルメラと共に<偽鏡血肉核>を破ったおかげか?

 ――深紅の大魔公爵の力が削げ落ちたからか? 

 闇神リヴォグラフ側の勢力地はこの大平原コバトトアルにいたるところに点在していると思うが、どこなく緩んだ氣もする。


「ご主人様、蜃気楼?」

「あぁ、……キュベラス知っているかな」

「分かりません。神界の勢力が、この大戦場のどこかで、倒されたか、復活したか……」

「了解した。とりあえず、今は砂城に戻ってから、皆で色々な詳細を詰めよう」

「「はい」」

「ンン、にゃおぉぉ~」


 相棒は黒豹と化した。

 キュベラスが<異界の門>を発動している中、相棒も、南東のほうを見やる。

 その相棒の尻尾がレベッカの足を叩くと、

 

「ロロちゃん、その尻尾!」

 

 と、掴むレベッカだったが、黒豹(ロロ)は尻尾を上下に動かしたまま、南東から東のほうを見ていくのみ。

 

 俺は、「さぁ、<異界の門>で皆のところに帰還だ」と発言し、砂城タータイムのほうを見た。


 ◇◆◇◆


 砂城タータイム、魔導要塞陣地。


 <異界の門>から出て、砂城タータイムと魔導要塞陣地の前に到着。

 荒野の静寂を切り裂くように「ウォォォォン」と地を揺るがす咆哮が届いた。

 魔皇獣咆ケーゼンベルスだ。そして、「ボォォォン」「ブボボボッ~」と骨鰐魔神ベマドーラーと大厖魔街異獣ボベルファの鳴き声が響いてきた。

 

 小庭の凪を破る現実に再び戦場の指揮官としての(かお)を取り戻す。

 キサラの近くにいた銀灰虎(メト)たちも喉を鳴らす。

 

 相棒は「にゃおぉ」とお返しに、体から橙色の魔力の燐光を撒き散らす。


 キスマリとルリゼゼも寄ってくる。


 四腕の掌を胸前で合わせて迎えたキスマリ。

 その薄緑の六眼には、いつもの豪放さとは違うかすかな揺らぎがあった。


「主……一つお尋ねしても、よろしいでしょうか」

「どうした」

「先ほど……南東の空の遠くに、ほんの少しだけ。神魔山シャドクシャリーの蜃気楼を見た氣がしたのです」


 ……神魔山シャドクシャリー。

 キスマリの故郷だったが、破壊の王ラシーンズ・レビオダと憤怒のゼアの争いか、破壊の影響で闇渦の土地に変化して故郷は破壊されたと聞いていた。同時に〝神魔シャドクシャリーの書〟などを想起した。

 キスマリは、


「……破壊の王ラシーンズ・レビオダと、憤怒のゼアの戦で、とうに闇渦と化しているはず。何も、残ってなどいないはずなのです……なのに、なぜ、今になってあんな形で姿を……」


「あぁ、今も魔界大戦と同じ。この大平原コバトトアルの大戦の影響で、闇渦の土地にも変化が起きたか。あ、もしかしたらだが、イルメラこと、イル・メラフィーラの言葉を思い出す、たしか――あの時、イルメラは深く頭を垂れて、重要な機密を述べていた」


 イルメラ――イル・メラフィーラが今際の際に遺した、あの必死な警告を脳裏に呼び覚まし、


「『……奴らは、神界戦神ヴァイス一派の秘宝と、このコバトトアルの地脈、魔脈、火脈の十六磐から十九磐に眠る『ウアンの星脈石』の魔力を利用しております。更に狩魔の王ボーフーンとドミエルが倒れた大混乱に乗じ、奪い取った『闇ノ闘神の血鉱』をも触媒とし、引き裂かれた闇渦の土地を結合させ、次元が狂い、危うい環境を利用し、神界セウロスへと至る逆侵攻の道をこじ開けることに成功しているのです。それは奴らの神界への侵略口の一つ。過去、闇渦によって破壊された土地の一つ、神魔山シャドクシャリーの残響も侵略口の一つだった。今も、その名残、その結合の楔として利用されています。そして、地脈の傍に設置された『魔皇碑石の最深核』には、ヴェデルアモボロフの肉の玉座の中心にある〝闇の血泉〟が、既に魔力線で連結されている。ついこの前まで、地表にて、粘り強く前線で戦っていたヴェデルアモボロフの主な理由です。<闇の血魔力>をも利用し、大戦争の血肉と魂、負の感情を、己たちの糧にしつつ、神界侵略の儀式のための、動力源の一つなのです……またそれも大眷属としての権益に繋がります』とな……」


 イルメラの悲痛な声が、俺の魂の奥でリフレインする。

 思考を現実へと引き戻し、俺を見つめるキスマリの六眼に視線を合わせた。


「だからさ、キスマリ。先ほど俺たちがイルメラの魂を救うために、ヴェデルアモボロフの<偽鏡血肉核>の根本の匣を破壊しただろう? あれによって、奴らの儀式の動力源、地脈の結合を維持していた魔力線が一時的に大きく揺らいだんだと思う。その結果、隠蔽されていた神魔山シャドクシャリーの残響が、お前の目に映ったんだと思うが、どうだろう」

「ん」

「「なるほど」」


 皆が納得するような表情を浮かべてくれた。


「では、神界セウロスへの侵略する道の一つが、神魔山シャドクシャリーの跡地に作られていましたが、今回のことで、その結界か、覆われていた何かが弱まって露見した? 更に、〝魔神殺しの蒼き連柱〟とも連動した影響も重なっている?」

「そうかも知れない……」


 皆が、神妙な顔付きとなった。

 キスマリの左下腕の手が腰の魔剣アケナドの柄へと伸びていた。

 そのキスマリは、


「……〝今日の後に今日はない〟」


 キスマリは、自らの胸に四腕のうち二つの掌を当て、愛おしそうに、しかし深く沈んだ声で呟いた。


「……我が一族が遺した言葉にございます。過ぎ去った日は、二度と返らぬ……。考え過ぎかもしれませんが、我らの故郷を破壊したのがラシーンズ・レビオダや憤怒のゼアであったとしても、その裏で糸を引いていたのは……。主が以前仰っていた、敵同士を争わせる『二虎競食の計』、あるいは死した者の殻を利用する『借屍還魂』の策が、あの戦いの裏で蠢いていたのではないかと、そう思えてならないのです」


 ヴィーネが、


「そうですね。謀略、陰謀のなかにこそ、真実が隠されているものです。真実に巧妙な嘘を混ぜ合わせるのは、奴らの常套手段ですから。かつて私がいた魔導貴族の社会でも、粛清は常でした。……同じ血を分けた家族同士で競わされ、蠱毒のふるい落としのように、弟たちも、妹たちも……。わたしだけが、生き延びてしまった。毒と力だけがすべてだったあの狂気の応酬は、今、ご主人様の温かい愛を受けている身としては考えられないほどです」


 ヴィーネは一度言葉を切り、懐かしむように、そして深い敬愛を込めて続ける。


「だからこそ、ご主人様の言葉が私の魂に深く刺さるのです。ええ、たしか……資本の国、いぎりす、いすらえる、あめりかなどの工作機関が行った『もっきんばーど作戦』。あるいは『名を変えて実行された、だうんふぉーる作戦』。そして、戦勝国の連合と結託した者たちの影響下で、国民をないがしろにするように隠れて行われた『にほん』への植民地支配……。ご主人様は、そうした表と裏の真実の歴史を教えてくださいました。冷たい知識ではなく、生き抜くための慈愛として」


 彼女の銀色の瞳が、理知的な光を帯びて真っ直ぐに前を見据える。


「嘘をただの嘘と切り捨てず、真面目に思考することが大事だと。情報を流す機関の裏にいる資本は、どこの誰か。誰が得をし、誰が損をするのか。〝すけーぷごーと〟にされている者の裏にこそ、真の胆があるのだと。最終的に、無数の権力や魔力を行使して、誰が弱者を搾取しているのか……そこを精査することが何より重要であると、私も強く同意いたします。謀略、陰謀と毒に塗れた世界を生きてきたからこそ……ご主人様のその言葉は、決して忘れられないのです」


 と静かに語る。エヴァも魔導車椅子の上で小さく頷いた。


「ん、賛成……保留は大事。相手側の立場で、奴らが次にどんな選択をするのか、自由に深く考えることが大事」

「「はい」」

「そうね。ここは戦場だけど、幸い、皆のおかげで、考える時間は多少あるし」

「たしかに」

「あぁ」

「ん」


 ルリゼゼが、キスマリを見て、微笑む。

額に刻まれた銀緑色の縫い目を光らせ、何も言わず、左上腕の手の掌をキスマリの肩へそっと置いた。二千年もの間、それぞれ異なる孤独のなかで故郷を喪い、彷徨い続けた者同士。安っぽい慰めの言葉など今の二人には何一つ必要なかった。


 ルリゼゼとキスマリを見ていると二人は俺を見て頷く。

 同じく無言だが、二人と氣持ちは通じ合う。


 ルリゼゼからキスマリを見て、その六つの薄緑色の瞳を真っ直ぐに見つめ、


「キスマリ……いつか必ず、お前の故郷の地、神魔山シャドクシャリーの跡地にも行こう。そこに何が残されているのか、この目で、お前の目で、確かめるために」

「……はい。ありがとうございます、シュウヤ様」


 キスマリは、四つの腕を胸の前で美しく合わせ、深く、深く頭を垂れた。

 ――神魔山シャドクシャリー。

 蒼き連柱と闇渦に、闇神リヴォグラフ側の神界への侵略する動き……。

 新たな一本の糸が夜明けの風の中で、ほつり、と解れ始めていた。


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皆様に楽しんでいただけたら幸いです。

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