二千二百十六話 縫合の理と埋伏の毒
霊脳魔花ボベルファの壇の間を、光魔ルシヴァルの血が引いた後の静寂が満たしていた。
ミトリ・ミトンは二の腕に嵌めていた処女刃の腕輪を外して返してきた。
己の細い左上腕の手の甲を、美しい銀緑色の瞳で見つめてから、かすか肩を震わせて、
「シュウヤ様、これを」
「おう」
ミトリ・ミトンは笑顔を見せてから、皆を見て、
「皆様……これより、初めての血文字を送ります。シュウヤ様が、わたくしに教えてくださった、新しい『繋がり』を――」
ミトンが三つの細い腕を厳かに胸の前で交差させる。
左下腕の壊れた人形のような腕をわずかに傾けた。
細い手の甲から滲み出た血の雫。
それは通常の光魔ルシヴァルが放つ赤黒い血魔力とは明らかに異なっていた。
縫境ノ織神アハシュムロンの母性を正しく継承している神秘的な銀翠の光糸を帯びている。
それが夜の闇を優美に縫い合わせるように宙空へと編み上げられていく。
銀翠の光糸が俺の魂を起点として張り巡らされたルシヴァルの紋章樹の広大な眷属ネットワークの地脈へと滑らかに接続されたと理解した。ミトンだからこその進化が皆にも伝搬していく。
『皆様、お試しです。このたび、新しく三十番目の<筆頭従者長>。シュウヤ様の「神眷の徒」の末席に加えていただきました。名はミトリ・ミトンです。シュウヤ様より、安らぎの鞘をいただきました。これからも、よろしくお願いいたします――』
ミトンの紡いだ血文字がネットワークを駆け抜ける。
途端に、俺の魂の奥と経絡のすべてが、じわりと温かい高分子の光輝で満たされていくのを感じた。
『ミトン。宜しく。私は源左サシィ。皆からサシィと呼ばれている。そこから北、ケーゼンベルスの魔樹海を越えた【源左サシィの槍斧ヶ丘】にいるが、そちらにも回る用意はあるからすぐに会えるだろう』
『ミトリ・ミトン様、よろしくお願いいたします。私はバーヴァイ城にいる【魔鳥獣&幻獣・霊薬総合研所】のソフィです。バーソロン様の<筆頭従者>の一人、何かあれば相談にいつでも乗りますし、個別に魔鳥獣&幻獣の契約をしたかったらいってください。ミトリ・ミトン様に合う魔霊獣&幻獣探しも協力できます』
皆と血文字が彼女の前で出現し消えていく。
精神の通信でありながら、受け取った者たちの血魔力を一瞬で優しく整え、引き裂かれた魂の繋ぎ目を慈悲深く縫合するような半神ミトン独自の圧倒的な慈愛の力。
――隣にいたヴィーネの白い肩がびくりと揺れた。
彼女の美しい鎖骨の近く、夜の魔素に揺らぐ、ほとんど無色だったはずの『中庸の徴』の銀の輪郭が、俺の魂の天秤の黄金比――光魔の光と始原の闇の調和と共鳴するように一瞬だけ強く美しく明滅した。
「……ご主人様。ミトンの<血魔力>は、私たちの血を……ルシヴァルの絆を、とても心地よく、深く縫い止めてくれます」
〝星見の眼帯〟の奥の瞳を潤ませながら、ヴィーネが愛おしそうに呟く。
魔導車椅子に座るエヴァも、ミディアムな黒髪を小さく靡かせながら、
「ん、ミトンちゃん、とっても綺麗な文字……。魂の経絡が、ひんやりとして、でも、とっても温かい味……」
ユイは双眸を細め、
「歓迎する、ミトン。家族がまた増えて、本当に嬉しい。今度、美味しい魔魚の干物でも一緒に食べましょう」
「にゃお」
「にゃァ~」
「にゃォ~」
黒猫と、傍らに佇む銀灰猫、そして白黒猫が、新たな家族の誕生を祝福するように、喉の奥からゴロゴロと心地よい音を響かせた。
キサラ、レベッカ、キュベラス、ラムー、エトア、ユイ、フー、ママニたちも次々と血文字や言葉で祝福の声をかけていく。蜘蛛娘アキたちは血文字が使えないから、「主様、眷属化希望~」と叫び始める。部下のアチュードとベベルガが進化している人造蜘蛛兵士たちを叱っていく。
皆の温かい言葉に、ミトンは四つの腕を胸の前で重ね直し、頬を伝う一筋の銀翠の雫を拭うこともせず、深く、深く頭を垂れていた。
孤独な現象だった彼女だが、安らぎの鞘を得ている。それは確かだ。
◇◇◇◇
儀式の甘い余韻を抱いたまま、俺たちは吹き抜けの美しいモスク構造を潜り抜け、大厖魔街異獣ボベルファの巨大な頭部から、その背の上に広がる鬼魔人と仙妖魔の街並みへと移動した。
魔界特有の濁った鉄と血の臭いを孕んだ大氣が押し寄せてきたが、すかさずミトンが銀白色の杖を軽く傾け、星屑の粒子を周囲に散らすと純白の『聖なる膜』が分子レベルで自己と非自己を識別する免疫ネットワークを自動的に展開し、魔界の不浄な氣配をすべて優しく弾き返していった。
「ボォォォ、ブペペッ~」
ボベルファが鳴き声で呼応した。
巨大な背の上では、外に出ていなかった鬼魔人や仙妖魔の住民たちが、俺たちの姿を畏怖と敬意を交えて見上げている。
すると、広場の隅で、先ほどの悪神デサロビアや十層地獄の王トトグディウス勢力との激戦の余波により、聖膜が激しく裂け、額の双角が煤けて傷ついた一人の鬼魔人の子供が、痛みに耐えるように蹲っているのが視界に入った。
《水癒》を考えたが、
ミトンが、「シュウヤ様、私がやります」と愛らしい声を響かせ、四つの腕を持つ細い肢体をふわりと浮遊させ、子供の前に静かに着地した。
「……痛かったですね。でも、もう大丈夫です。わたくしが、母様の理を紡ぎますから」
ミトンが細い指先を優しく躍らせると体から溢れ出た光魔ルシヴァルの<血魔力>を帯びた銀翠の光糸が、子供の皮膚と聖膜の引き裂かれた境界線へと吸い込まれるように絡みついていく。
まさに絹針を通すような繊細さで一瞬で裂け目がシームレスに縫合されていった。
「あ……痛くない! 聖膜が、元に戻っていく!」
子供の双角が瑞々しい銀緑色の光を取り戻し、周囲の鬼魔人たちから
「おおおっ!」
「凄い、前よりも速いよ!」
「光魔ルシヴァルの導きし者の力を得たんだね!」
「アハシュムロン様の縫合の奇跡だ!」
歓声と地鳴りのようなどよめきが沸き起こる。
同時に新しく得た称号【双角強症ノ庇護者】としての理が重みを持って脈動した。
この背に乗るすべての一族の命を繋ぐという愛おしい責任だ。
血脈に深く刻み込まれていく。
ミトリ・ミトンは、もう消えゆく名なき現象ではない。
この魔界の過酷な運命に抗う立派な庇護者だ。
すると、女魔族イルメラが、自ら進んで俺たちの前へと進み出た。
大厖魔街異獣ボベルファの石畳の上に両膝を突き、恭しく跪く。
かつて深紅の大魔公爵ヴェデルアモボロフの過酷な被虐隷属下に置かれ、美しい肌に紅い魔性紋様を深く浸透させられていた彼女の指先は、未だに恐怖の残響で小さく震えていた。
だが、俺を見上げるその切れ上がった双眸にあるのは、決して絶望ではない。
「光魔の宗主……すでに、エヴァ様は知っていますが、改めて話があります」
「おう、そうだな。深紅の大魔公爵ヴェデルアモボロフの腹心だったという認識だ、知っていることだが、エヴァは皆には伝えたのかな」
エヴァは、
「ん、キサラとレベッカにユイとレンには話をした。血文字でサシィとバーソロンにも伝えてある」
「了解した。では、イルメラ、改めて、皆にも情報を教えてくれ」
「はい、闇神リヴォグラフ陣営の真の狙いをお伝えいたします」
イルメラは深く頭を垂れ、その乾いた唇から最優先の機密を告白し始めた。
「……奴らは、神界戦神ヴァイス一派の秘宝と、このコバトトアルの地脈、魔脈、火脈の十六磐から十九磐に眠る『ウアンの星脈石』の魔力を利用しております。更に狩魔の王ボーフーンとドミエルが倒れた大混乱に乗じ、奪い取った『闇ノ闘神の血鉱』をも触媒とし、引き裂かれた闇渦の土地を結合させ、次元が狂い、危うい環境を利用し、神界セウロスへと至る逆侵攻の道をこじ開けることに成功しているのです。それは奴らの神界への侵略口の一つ。過去、闇渦によって破壊された土地の一つ、神魔山シャドクシャリーの残響も侵略口の一つだった。今も、その名残、その結合の楔として利用されています。そして、地脈の傍に設置された『魔皇碑石の最深核』には、ヴェデルアモボロフの肉の玉座の中心にある〝闇の血泉〟が、既に魔力線で連結されている。ついこの前まで、地表にて、粘り強く前線で戦っていたヴェデルアモボロフの主な理由です。<闇の血魔力>をも利用し、大戦争の血肉と魂、負の感情を、己たちの糧にしつつ、神界侵略の儀式のための、動力源の一つなのです……またそれも大眷属としての権益に繋がります」
なるほど……。
「……俺たちと戦った時は、すでに儀式は完了していたのか」
「はい、儀式の最終段階を過ぎて、<闇業ノ伝令>を飛ばし、撤退を完璧にするための『闇賢老ヴェテルノの灰燼の書架』の主へと頭を下げていた」
イルメラの情報が、心の戦術盤へとカチリと噛み合う。
リヴォグラフの神界逆侵攻計画の核心――。ヴィーネがかつて看破した〝魔神殺しの蒼き連柱〟の意味が、イルメラの言葉によって完全に符号していく。
すると揺れる。
「ボボッブブッブブブォ~」
と大厖魔街異獣ボベルファが鳴き声を発した。ミトリ・ミトンの足下から伸びた<血魔力>と血文字がボベルファの地面に繋がっていた。ボベルファの霊脳の回路にも通じているように正門の奥から淡い翡翠色の輝きが溢れていた。
淡い翡翠色の波紋が街路全体に拡がっているように、建物の表面に煌びやかなネオン光が走る。
その波紋を浴びた鬼魔人と仙妖魔の住民たちが、いっせいに同じ方向、ミトンへと顔を向けた。
彼らの双角強症が、銀緑と紫銀の二色で柔らかく明滅した。
「新しい姉君だ」
「街の母さま」
誰かが言ったわけでもないのに、皆の唇から同じ言葉が漏れた。
ボベルファが、街全体に「家族が増えた」と語りかけたのだろう。
子供の聖膜が縫合されていく光景を見つめるザンクワの眦に、銀緑色の光の粒が一筋滲んだ。
祖の祭祀長グルザンの頭蓋骨を抱きしめた時と同じ光――。
「ミトン様……我ら一族の祖と今を、両方とも縫い止めてくださるとは……」
「ん、大厖魔街異獣ボベルファと、この大地の奥深くの地脈にも干渉しているのかも」
そのエヴァに鬼魔人と仙妖魔の子供たちが群がっていく。
「黒髪のお姉ちゃん、ここにきて~」
「お姉ちゃん、このボベちゃんの孔からね、黄色の魔蜜蟲たちが出るの! その魔蜜蟲はね、巣作りをして、外に旅をして、どこからか魔蜜を集めて、魔蜜を蓄えてくれるんだぁ~。魔蜜は美味しいんだよ!」
「ん、教えて!」
と、エヴァは子供たちと蟻塚のような物が地面に生えている場所に移動していく。
その様子を皆で微笑ましく見ていると、
「ふふ、ここに来て良かった……これからは、皆さんと――」
最後まで言葉が出ない。イルメラの瞳孔がふと、針のように細く収縮した。
彼女が何かに氣付いた顔。視線の焦点を失ったまま不自然にふらふらと後退した。彼女の切れ上がった両目からどろりとした生温かい血の涙が一条、頬を伝って流れ落ちる。その細い指先が無意識に喉元へと走り、自身の肌の下で蠢く異物を掴もうとするが間に合わない。
「あぁ……まさか……そんな、リヴォグラフ様……アモボロフ様……」
絶望の呻きを呟いた瞬間、イルメラの体が内からあり得ない歪さで急速に膨張した。
凄まじい肉の裂ける音と共に四肢の関節と全身の毛穴から高圧の血飛沫が迸り、体が大爆発を起こす――。
大量の血飛沫と、脈打つ巨大な内臓の残骸が虚空で恐ろしい魔術的結合を起こし、瞬時にして不氣味に脈動する巨大な血肉の門へと変質していった。
肉の扉と化したその門の暗黒の奥底から涎を撒き散らす漆黒の猛獣型魔族兵たちが、咆哮を上げて次々と這い出てくる。闇神リヴォグラフの神格断片を縫い付けられた漆黒の猛獣の黒い爪が伸びて石畳を削っていく。
「「「光魔ノ連中!! グェアァッァァアァァ――」」」
イルメラの変貌に吐き氣がするが、<隻眼修羅>すら欺くほどに精巧な、ヴェデルアモボロフによる仕掛けか。
「「イルメラ!?」」
「え!」
「うそっ」
「皆、子供たちを頼む!」
「ん!」
同時に『盟主、急な闇神リヴォグラフの勢力による奇襲さね――対処しているが、そこにも何かあったのかい?』
と、クレインからの血文字が浮かんだ。
応えず、<血道第三・開門>を起動。
<血液加速>を発動し、世界が引き伸ばされた感覚となるまま右手に魔槍杖バルドークを召喚した。柄に刻まれた『呵々闇喰』の魔力文字が深紅に猛り狂う。
凄まじい踏み込みと共に前進し、飛びかかってきた漆黒の猛獣型魔族兵の強固な腹を<魔皇・無閃>の紅斧刃が捉え、豪快に振り抜いて、左右に両断した。
同時に左手首の<鎖の因子>から、梵字を煌めかせる強靭な<鎖>を射出し――。
左側から奇襲を仕掛けてきた別の猛獣型魔族兵の脳天を正確に穿ち、串刺しにしていく。
右手首の<鎖の因子>から<鎖>をも射出し、右に跳んだ漆黒の猛獣型魔族兵の腹を貫く。
「シュウヤ様、外にも敵が!」
「――闇神リヴォグラフめが!」
ヴィーネの言葉に応えず、血文字を送る。
『こちらも敵というか降伏したイルメラが爆発し、敵の肉ゲートが出来てしまった。クレインはゼメタスたちと連動し、こちらを攻撃している連中を各個撃破、西に出ているハンカイたちに血文字を送り連動を頼む』
『了解したさ』
イルメラの成れの果て、あの歪な肉の門から、休むことなく呪詛を孕んだ漆黒の猛獣魔族兵たちが現れ続けていく。皆で対処していくが――。
魔槍杖バルドークで<豪閃>――。
左手の神槍ガンジスで<妙神・飛閃>――。
襲い来る猛獣魔族兵の四肢を両断し、吹き飛ばす。
鮮血が火花のように散る。
即座に両手首の<鎖の因子>から<鎖>を射出し、猛獣の頭部をヘッドショット。
幸い、回復力は低く、頭部を潰せば復活はしないタイプの魔族兵だった。
次の猛獣型魔族兵へと<鎖>が重なり合うように射出した。
左から迫った二頭をまとめて串刺しにし、血の霧に変える。
広場の隅で、エヴァが魔導車椅子を回転させ、迫りくる猛獣の牙を最小限の動きで避けていた。 彼女の指先から放たれた紫水晶色の<血魔力>が、空間に散らばる鉄の粒をかき集める。
――白皇鋼の金属群が幾何学的な螺旋を描きながら瞬時に子供たちの周囲を覆う強固な防壁を構築し、無数の猛獣の爪撃をバチバチと火花を散らし防ぎ、無数の猛獣の爪撃を弾き飛ばす。
「ん、皆こっちに! ダメ、離れないで!」
魔導車椅子の上で凛と佇むエヴァの美しい顔には、一切の迷いがない。
誰一人として死なせないという、冷徹なまでの守護の覚悟がそこに宿っていた。
「ん、敵の数が多い――」
エヴァが、ふっと魔導車椅子の肘掛けを掴んだ。
白皇鋼の金属粒子が脛から渦巻き、彼女の骨足に巻き付いて義足を形成する。
<霊血魔導装具>も展開すると――<血液加速>を使い、猛獣型魔族兵へと肉薄、宝魔異槌ソム・ゴラとヌベファ金剛トンファーを交互に振るって頭部を潰し倒しては、白皇鋼の群れの一部を地面に展開させた。
急激に隆起した幅広い白皇鋼の鋼の塊が消えると、その上を走っていた多数の猛獣型魔族兵が足場を失い、急降下。エヴァは跳躍し、<血襲回転蹴刀>の華麗な蹴り技から、ヌベファ金剛トンファーから血刃が生えたような一閃技を見せ、落下してきた猛獣型魔族兵をズタズタに斬り裂いた。
華麗に着地し、ターンしながらヌベファ金剛トンファーを振るい、猛獣型魔族兵を斬り払い、
「ん、子供たちには、指一本触れさせない……!」
「ボォォォォォォ――ッ!!」
ボベルファが咆哮する。
霊脳が感知した敵の気配、外周からの増援を知らせる警報音だ。
<隻眼修羅>の視界に、ボベルファの背から飛び出す鬼魔人たちの姿が映る。トモンが獄猿双剣を叩きつけ、ジェンナが香華魔槍で飛び込み、群がる猛獣たちと泥臭く、しかし力強く戦っている。
「ミトン、援護!」
「はい!」
ミトンが銀翠の光を纏った杖を頭上に掲げる。
彼女の『聖なる膜』が広がり、星屑のような粒子が戦場に降り注ぐと、スライムのブッティたちが跳ね、猛獣たちの足元に絡みついて動きを封じていく。
それに乗じて、ユイが白銀の残像を引いて突っ込み、二刀の刃で猛獣を切り裂く。カルードが影の中から現れ、無音の闇の刃で首を落とし、ヴィーネが放った光魔銀蝶が敵の魔力を穿つ。
皆が戦っている。門の守りは堅い。
一氣に門の中心へと距離を詰めながら漆黒の猛獣魔族兵を屠り続けた。
大規模な範囲攻撃は使えない――。
あの肉の門を先に潰すべきか。魔槍杖バルドークを霊槍ハヴィスに変化させ、その穂先に緋色と蒼白の神座の輝きを灯して突進しようとした。
「ん、待って、シュウヤ!」
エヴァの、悲鳴に近い制止の声が響く。
同時にミトンからも「シュウヤ様、だめです! 門を壊してはなりません!」と強い叫びが飛んだ。
――ハヴィスの穂先を止める。左目の<隻眼修羅>の焦点を極限まで絞り込み、不気味に脈動する肉の門の奥底を透視した。
粘膜と呪詛の糸が複雑に絡み合うその中心核――そこには、今にも消え入りそうに震える、イルメラの純粋な魂魄の残滓が囚われていた。
この門を力任せに破壊すれば、彼女の魂は解放されることなく、ヴェデルアモボロフの呪詛ごと引き裂かれ、虚無の塵となって霧散してしまう。
即座にハヴィスの穂先から放とうとしていた破壊の魔力を、逆方向へと収束させる。
「……そういうことか。埋伏の毒以上のことを、あの肉野郎は、己の部下が裏切ることを想定していたのか――」
と、言いながら右前に出て、猛獣型魔族兵を霊槍ハヴィスで<闇雷・飛閃>――。
「にゃご――」
近くの猛獣型魔族兵は相棒に任せ、振り返り――。
魔素の反応通り、左手に持つ無名無礼の魔槍の角度を変えるまま、左から来た猛獣型魔族兵の頭部を<風穿>でピンポイントで捉え、穿つ――大笹穂槍にぶら下がった胴を蹴り上げ吹き飛ばす。
身を捻りながら周囲を見て、両手の石突で石畳を突く――。
『――主、すまねぇ、氣付かんかった。これは二段重ねの埋伏だ。降伏した時点で爆発の引き金は仕込まれていた。主が縫合の理を得たことすら、奴は計算済みかもしれぬ』
「……あの肉野郎、神座の俺をすら玩具に使う氣か。だが、救える者がいるなら全力で救うのみだ――」
そこで血肉の門に近づき、胸元の<光の授印>を強く意識しアハシュムロンの核を得ての<縫合の理>を駆動させた。
胸元の<光の授印>から光溢れ、天道虫となって血肉の門を覆っていく。
左手から放たれた、神々しい金緑色の<血魔力>の光糸が、漆黒の<闇の血魔力>だけを蒸発させ、肉の門の粘膜を傷つけることなく、その奥深くへと滑り込んでいく。
解け、そして繋がれ――。
「繋ぐ」と「解く」を同時に行うアハシュムロン本来の縫合の法。
イルメラの魂の幻影が現れた。彼女を縛り付けていたヴェデルアモボロフの<闇の血魔力>の外法的な<血魔術>の呪詛を一本ずつ正確に解き――彼女の純粋な魂の残滓だけを、俺の<神律の還顕>の理によって、光魔ルシヴァルの温かい血の揺り籠へと優しく縫い止めて救い出していくが、内部に潜る必要性があるようで、光の糸が、血肉の門の深くに侵入していく。
「皆、俺は今からこの血肉の門の内部に直接侵入し、イルメラの魂の核を救出する。外の敵の対処を頼めるか」
「ん、シュウヤ、私も行く。あなたの背中、守るから」
「はい、私も――」
「――シュウヤ、私も行くわよ、闇神リヴォグラフの罠、ヴェデルアモボロフの罠は確実だし」
「ご主人様、行きましょう――」
「私も行きたい――」
「マイロード!」
「にゃご!」
「にゃォォ」
「にゃァ~」
「「「シュウヤ様!」」」
皆は猛獣魔族兵を倒しながら聞いてきた。
「では、少人数で、エヴァ、相棒、キュベラス、ミトリ・ミトン、ラムー、エトア、ユイ、ヴィーネで行く。レベッカとカルードにキサラ、フーは、レンや皆と合わせて外の敵、この血肉の門から出てくる猛獣魔族兵たちを倒して皆を守ってくれ」
「了解」
「お任せください」
「「はい」」
「了解しました!」
「では、中に入るぞ」
「ンンン」
黒豹と皆で呼吸を合わせたように血肉の門の先を潜った。
神槍ガンジスの神魔石が蒼白く脈動し、心象世界の青龍が低く吠える。
ハルホンクの肩竜頭装甲がピカ、ピカと無機質に明滅。
紫と漆黒の血流を<神聖・光雷衝>で消し飛ばし、ガンジスの蒼白い結界が周囲を包んだ。
すると、イルメラの魂の幻影が現れた。
『ありがとう……シュウヤさん、皆さん、でも、この先はヴェデルアモボロフが用意した罠です。どうやら、私は……嵌められた……戻って、この門ごと破壊してください』
「だめだ。お前の魂を救う。いや、血肉を利用したヴェデルアモボロフの肉の玉座にこれ以上喰わせない」
『……分かりました……こちらです。奥へ案内します』
イルメラの幻影はそう思念を寄越す。
血肉の門の奥から、そのイルメラの幻影が手招いてから壁の中に消えてしまった。
「罠があります。この肉の壁は扉でもある――」
ラムーが霊魔宝箱鑑定杖で鑑定した。
「門の先にあるのはただの通路じゃありません……<歪み星脈の偽鏡核>、ヴェデルアモボロフが設置した、時間と空間を誤認させる『偽りの鏡面世界』。イルメラを使った……卑劣な……その扉には、罠もあります」
「罠なら、シュウヤ様、お任せを!」
エトアが前に出て右手のドラゴンの鱗が目立つ渋い甲からドラゴンの鱗を飛ばす。
そのドラゴンの鱗から四方に魔線が展開され丸い魔法陣となり、丸い魔法陣から子鬼のような存在が無数に踊りながら出現し、魔法陣が肉の壁に浸透していくと、魔法陣から子鬼が無数に現れ、それらが連鎖爆発するように白濁した液体に変化し、血肉の壁に浸透していくと一瞬で血肉の壁が点滅し溶けるように消えた。
その向こう側に幻影のイルメラがいた。足が消えかかっている。
彼女は御辞儀をしてから腕を奥に向けると、そちらへと移動を始めて行く。
「ンンン」
喉音を発した黒豹が半身で俺を見た。
その赤と白の虹彩にある中心の黒い瞳は鋭く細められている。
獣らしい双眸で氣合いが入っている。同時に神獣猫仮面を展開していない。だから、そこまでの警戒はないと分かる。
「相棒、先に行くのは良いが警戒しろ」
「にゃご」
尻尾をピンッと立てての氣合い声を発した黒豹さんだ。
頭部を先に向け直すと、幻影のイルメラを追い掛けていく。
その幻影のイルメラを追う足取りは、いつもの好奇心ではない、警戒の低い唸りを含んでいた。
相棒も何かを感じている。ピンクの菊門ちゃんが可愛い。
「ん、ロロちゃん、お尻ちゃん可愛いけど、心配!」
「はい、ロロ様、先を急がす、もう少しこちらに!」
「ンン、にゃご」
黒豹は足を止めて鳴く。
それは「私はだいじょうぶにゃよ!」とでも言うような印象だ。
長い尻尾で数回地面を叩いていた。
尻尾と四肢から放出されている橙色の<血魔力>が炎のように周囲に散っていた。
HJノベルス様より『槍使いと、黒猫。』1巻〜20巻 絶賛発売中!
コミック版 1巻〜3巻 絶賛発売中!【お知らせ】設定資料・外伝等の公式保管庫(note)を開設しました! https://note.com/kenkou_novel/n/n745c32bdb4ba 最初の投稿として書き下ろし限定SS『迷宮都市イゾルガンデの裏側で』(ロロとフォティーナの活躍劇)を公開しています。
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皆様に楽しんでいただけたら幸いです。




