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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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二千二百十二話 無音に響く魂のビート

 ナイアが、「シュウヤ様、そいつは――」


 刹那、斜め上空から<風の想刃キリヴァ>から放たれた極光の風刃が、翡翠の尾を引きながら竜頭のキル・ドッポへと殺到した。大氣を切り刻む凄まじい風切り音が戦場に炸裂する。


「風の精霊を従えるか。だが、生ぬるい――」


 キル・ドッポは巨躯をわずかに半身にずらし、二腕の魔剣と大斧を流れるような太極の軌道で上下に交差させた。キリヴァの風刃は、その絶対的な刃の鉄壁に衝突した瞬間、火花すら散らさずに両断され、ただの無害なそよ風となって霧散する。


 それだけではない。死角から襲いかかったカルードとユイの、空間をねじ切るような<バーヴァイの魔刃>の不可視の斬撃すら、奴は残る二腕の魔剣の切っ先をミリ単位で合わせ、完璧な角度で弾き落としてみせた。すかさず仕掛けられたバフハールの大太刀の袈裟掛けや、ハンカイの振り下ろしすら――対処された。ハンカイは更に踏み込み<戦浮・大巻斧斬>を繰り出す。


 それも魔剣で往なされ、バフハールの幻魔百鬼刀による一刀唐竹割りのような一撃も大斧を回転させて横に弾かれる。続いて、ユイの<バーヴァイの魔刃>に合わせたハンカイの金剛樹の斧が、地鳴りを伴って脳天へと振り下ろされたが、キル・ドッポは背に第三の眼があるかの如く、大斧を背後で逆手に旋回させ、浮遊しながらそのすべてを受け流した。奴の四つの竜眼は、常に俺の動きを正面から見据えたまま、寸分のブレもなく四方からの猛攻を捌ききっている。


 その異常な戦闘密度を肌で察した二人の豪傑が、瞬時に視線を交わした。


「シュウヤ、右から新手の軍勢が回り込んできやがった! ここは俺たちが食い止める、こいつの首は任せたぞ!」

「む、この竜頭、ただ硬いだけでなく多人数を相手にするほどに刃の軸が研ぎ澄まされる。これ以上の混戦は愚策。素直に、我が主たるシュウヤ殿に一対一の決着を委ねよう」


 バフハールとハンカイは息の合った連携で身を翻すと、右翼から雪崩れ込んできた二眼六腕の魔族兵士の密集地帯へと、嵐のような勢いで突撃していった。


 傍らで槍を構えていたキサラが、「あっ……」と小さく息を呑んだ。

 額を飾る、ルシヴァルの魁石を嵌め込んだ蓬莱飾り風のサークレットが冷徹で神聖な輝きを放ち始める。その輝きは、戦場の濁った大氣を裂くように思えたが、髑髏と魔刀の精緻な意匠から真夜中の闇を編み上げたような漆黒の魔線がゆらりと天蓋へ伸びていく。

 

「……この、魂を震わせる闇の格は……間違いない。我らの、メファーラ様……っ」

 

 キサラの祈りに呼応するように――。

 丹田の奥から熱い砂と風、そして大地の魔力が自然と噴き上がった。


 魂に刻まれた<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>と<煉土皇ゴルディクス・ララァの縁>が、神座の理と共鳴して自動発動した。

 黄金の砂粒と暗赤色の粘土の粒子が宙空で渦を巻き、半透明の巨大な魔猫の輪郭を二つ、俺の左右に編み上げていく。


 すると、風の女精霊ナイアが、その風圧を和らげるように「シュウヤ様!」と背後へと着地した。


 身に纏う闇と光の運び手(ダモアヌンブリンガー)の胸甲が、深紅の<血魔力>を奔流となって散らし、キサラの持つダモアヌンの魔槍から発生している<血魔力>が歓喜するように輝きを放つ。

 螻蛄首辺りから伸びた神々しいフィラメント状の光条が、魔猫の輪郭、そしてキサラの祈りの魔線と絡み合っていく。


 四つの異なる魔力の奔流が、因果の収束点として束ねられた刹那――。

 コバトトアルの戦場の上空に、巨大な闇遊の姫魔鬼メファーラ様の幻影が、ぬらりと、しかし圧倒的な質量を伴って立ち上がった。体を包む漆黒の薄絹。それは闇そのものでありながら、同時に神々しい光をも内包する、完璧な「黄金比」の魔力そのものだった。


 紅蓮に染まる魔界の真夜世界に額に刻まれた十字架の紋様が絶対的な支配の光を灯している。


「……ふむ。妾がかつて残した理の閾値が、これほど美しくこじ開けられるとはな。愛い奴め」


 戦場を震わせるハスキーで、しかしどこか艶めいた渋い声が天蓋から降り注ぐ。

 闇遊の姫魔鬼メファーラ様は、その巨大な双眸を俺へと向け、満足げに微笑んだ。


「シュウヤよ。妾の宿敵であり、この南域を汚し続けていた狩魔の王ボーフーンを喰らい、その神座を奪い取ったこと、しかと見届けておる。実に見事な戦いぶりであった。我が眷属、我が友として誇らしく思うぞ」

「はっ。勿体なきお言葉、感謝いたします」

「ふふ、褒美は何が良いか、後でゆっくりと語り合いたいものだが……まずは、この大平原コバトトアルの羽虫を片付けるのが先か。……ん? そこに這いずり回る、その不細工な竜頭は……」


 メファーラ様の冷徹な視線が、地上のキル・ドッポへと注がれる。それだけで、奴の周囲の重力が数倍に跳ね上がったかのように、地面がみしりと沈んだ。


 闇遊の姫魔鬼メファーラ様は、


「……あぁ、思い出した。裏切りの戦神キヴェレイの薄汚い狗か。懐かしいな」

「ぬかせ……闇遊の姫が、鬼武装も、満足に扱えぬ部下ばかり。こいつらも毎回負け続ける、あの十二神将と同じ眷属なのか? アホ姫神よ」

「……ハハッ、言うのぅ……して、お前の主だが、一振りで千の運命を書き換えるなどと傲慢な戯れ言を嘯きながら……己が神界を追われるという惨めな運命ひとつ書き換えることができず、この魔界の泥濘に逃げ延び、幻影の鎧を丁寧に磨き上げていたはず。そして、魔神以上に卑怯な戦と変態な主の命令で、この戦場の何磐か不明な魔皇碑石や、ウアンの星脈石、闇ノ闘神の血鉱などを奪いに参加したのかの?」

「……そんなことを答えるわけがないだろうが」

「ハッ、雑魚が、無能な戦神が、魔戦神に変質した変態神を主と慕うだけはあるようだ」


 そのメファーラ様の言葉に、竜頭のキル・ドッポは、大斧と魔剣を握りしめる四本の剛腕に青筋が蛇のように浮き上がる。大斧の柄がミシミシと軋み砕けるような重低音が響いてきた。


「……我が主キヴェレイ様への……侮辱は許せぬ、撤回せよ。さもなくば、その幻影ごと魂を細切れにしてくれる」

「侮辱だと? フ、滑稽な。ただの事実を口にして何が悪い。……それに、思い出したぞ」


 メファーラ様の幻影の眼差しが、戦場の遥か奥、かつての荒神大戦の記憶の残響へと滑るように向けられた。その双眸に宿る嘲弄の色が、一瞬だけ、昏く、鋭い冷徹なものへと変質する。


「あの戦場には、もう一人、美しき存在がいたな。妾の隣で、白銀の光を放ちながら戦っていた、あの戦乙女の娘が……。お前の主キヴェレイは、神界の戦神の身でありながら、あの清らかな娘を、いかにして闇の泥へと引きずり落としたのだったか――」

『「黙れェッ、ガァアヅッロアガァァァァァァ」』


 キル・ドッポが獣の如く咆哮した。

 サジハリたち、高・古代竜ハイ・エンシェントドラゴニアが使う<竜言語魔法>か。

 衝撃波が闇遊の姫魔鬼メファーラ様の幻影に向かう。

 闇遊の姫魔鬼メファーラ様の幻影は、淡く輝いて、飛来した衝撃波を消し飛ばしていた。


 キル・ドッポは四眼を見開く。


 「<竜言語魔法>が効かぬ……」と呟きながら、俺たちと見てから「……複数の魔界と神界の神と縁を持つゆえか……」と呟くと、絶対の防御を誇っていた死の旋風の構えを自ら解くように体を弛緩させていた。


 そのキル・ドッポは、<魔闘術>系統を強める。

 と、四腕のすべてを天蓋のメファーラ様へと向けた。


「邪魔なメファーラが! 消えろ――」


 魔戦神の加護があるだろう紫黒の斬撃が巨大な十字を描いて撃ち放たれた。

 空間を物理的に裂くような重圧な魔刃が、メファーラ様の巨大な幻影を縦横に貫く。

 メファーラ様は、その刃を避けることすら退屈であるかのように、妖艶な笑みを残したまま静かに霧となって散っていった。


『……フン。図星か。これだから、裏切り者の眷属は扱いやすい』


 散り際の、愉悦に満ちたハスキーな思念が脳裏に冷たく刻まれる。


「にゃごぉ……」


 足下で毛を逆立てた黒虎(ロロ)が「にゃごぉ……」と低く身を沈め喉を鳴らす。

その傍らで、<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>が具現化した二体の魔猫の幻影が、風と砂の唸りを上げながら、消えては現れる明滅を繰り返していた。


 背後から、ナイアが、


「シュウヤ様。こいつは主君と同じく、都合の悪い真実から目を背ける卑怯者です。これ以上の対話は無用!」

 

 冷徹な声が届く。

 頷いた。天へ晒していた四腕を戻したキル・ドッポがこちらを見やる。

 奴の周囲を覆う絶対の死の旋風が、一拍、完全に停止した。


 無名無礼の魔槍から、ナナシの墨色の炎が飢えた獣の如く立ち昇る。


『主。守りの殻が剥がれたぜ。喰い口は開いた、突っ込みな!』

 

 左足を石畳へと踏み込んだ――だが、キル・ドッポの四つの竜眼がこれまで以上に血走り、深く沈み込む。怒りを無理やり押し殺した眼だ。


「――喧しい。我が戦場に、雑音は不要だ。「『<無音縛闘争神域(サイレント・ドメイン)>』」」


 低くスキルを発動した刹那――。

 上から重圧的なプレッシャーが掛かった。

 更に、世界から音が消えた? 鼓膜が内へと急激に吸い込まれるような、凄まじい大氣の圧迫感。

 叫ぼうとしたが、声が出ない――。

 喉を震わせようとしても、声帯を震わせるための空氣の振動そのものが、粘りつくような見えない力によって完全に拒絶されている。大氣が、言葉という概念そのものを拒んでいる?

 戦場を満たしていた轟音――魔法の炸裂、断末魔、鋼の咆哮、ボベルファや骨鰐魔神ベマドーラーの遠い唸り、そのすべてが分厚い水の底に沈められたように消えていた。


 ――四腕が奇妙な静けさを纏って下りていく。

 大斧と魔剣が戦の構えのまま音もなく止まった。


 血文字を送ろうとしたが、血文字が出ない。

 無音――足が石畳を蹴る音すらない。墨炎の爆ぜる音も、ナナシの唸りも奪われた。


 音と言語による意思疎通を戦場から根こそぎ剥奪する静寂の理か。

 キル・ドッポは、メファーラの声を断ちたかったのか。

 嘲笑と白銀の娘の名を、もう一度たりとも己の戦場に響かせないために。

 怒りに任せて幻影を斬り、その動揺ごと世界の音を黙らせた。


 声に出ぬ言葉が胸の内で形にならぬまま溶ける。

 無音はドッポの心理的な退路だ。

 同時に退路を選んだということは、揺らいでいるということだ。

 

 エヴァと目が合う。神秘的な紫の瞳が力強い。

 だが、エヴァの指先から紫色の<血魔力>を有した<霊血導超念力>の極細の魔線が、音のない戦場の石畳を這うようにして伸び、俺の胸元へと優しく触れた。


 トクンと、俺の鼓動とエヴァの鼓動が寸分の狂いもなく重なり合う。氣の脈動。


『ん、シュウヤ、聴こえる? 言葉は入らない、わたしの鼓動を感じて』――。

 

 口と目線の動きに、脳裏にエヴァの囁きが「味」を伴って染み込んできた。

 それは甘酸っぱくも、この上なく澄み渡った絶対の信頼の味だ。

 

 皆と視線を巡らせ、血と魂の拍動でリズム、コミュニケーションを取り始めていく。

 俺の<魔闘血蛍>の薄紅色の血蛍が、エヴァの鼓動の周期に合わせて美しく明滅する。


 それと完全に同期するように、エヴァの小さな掌の上で、白皇鋼(ホワイトタングーン)のインゴットが、同じリズムで淡い紫の光を放った。


 ――一拍。二拍。三拍目で、互いの戦術意図が完全に重なり合う。


 ――『ん、右、上空。単眼球のアービター部隊、三体。シュウヤの死角を狙ってる』

 ――『わたしが、潰す』

 ――言葉ではなく、心臓の鼓動(ビート)の波形として、正確な座標データが俺の脳海に直接流れ込んでくる。――エヴァの思考と俺の思考が融合した感覚のまま、エヴァの白皇鋼が、無音の空間で流動的に組み上がり、幾何学的な螺旋を描く巨大な槍へと瞬時に変形し、直進。


 ――音を置き去りにした白皇鋼の螺旋槍が、虚空を縦貫し、俺の背後を狙っていた三体の単眼球魔族を、声なき爆発と共に肉片へと粉砕する。


 ――血飛沫すら、音を立てない。


 キル・ドッポは、エヴァの無音の狙撃を目撃し「……」驚愕に四つの竜眼を細めるのが見えた。

 言葉を奪えば連携を失って烏合の衆と化す。そう確信していた奴の傲慢な計算が俺たちの血脈の繋がりによって瓦解した証拠。


 足下の黒虎(ロロ)と視線を交わした。

 瞬きを一つで意図のすべてを汲み取った黒虎(ロロ)の背に神座の理と共鳴したもう一つの理の核――神聖な幾何学模様が相転移を繰り返す、巨大な橙色の曼荼羅紋様が無音の空間に咲き誇るように展開された。背の横から伸びた橙色の魔力翼が、孔雀の羽根のように上下に美しく広がり、先端の触手骨剣が、半透明の橙色の神炎を纏いながら、放射状に戦場へと展開していく。


 その神々しくも圧倒的な神獣の威容に、無音の神域の中で戦っていた敵の魔族兵たちが、誰一人として声を上げられぬまま、本能的な恐怖から一斉に後ずさった。


 神獣が放つ巨大な質量、威圧が、音のない世界だからこそ皆の脊髄を直接凍らせていく。

 声を奪われた静寂の中で神獣の相棒は己の理の核を展開している。

 

 キサラが声を出せぬまま、その美しい唇を『シュウヤ様――』と動かした。

 ダモアヌンの魔槍から放たれた白銀の<血魔力>が無音の石畳の上を滑るように走り、俺の足下からキル・ドッポの足下へと一条の赤い血線(道標)を薄く引き直す。


 それはキル・ドッポの四腕が描く絶対防御の旋風の無音下で生じた極小の死角をキサラの真眼が正確に指し示しているものだった。


 キル・ドッポの周囲で魔戦神キヴェレイの鎧が宿す過去の戦いの記憶が不氣味な残響となって揺らめき始める。無音の空間の中で、かつての戦場で死んでいった、数多の声なき亡霊たちの幻影が、虚ろな瞳でこちらを凝視していた。


 ナナシの墨炎が声なき飢餓を発する。


『…………』


 無名無礼の魔槍の奥でナナシの墨色の炎が声なき飢餓感を露わにするように、一段と濃い漆黒の渦を巻く。喰らう氣だけは無音でも伝わる。

 キサラが引いてくれた血の道標の上を摺り足の<暗行ノ歩法>と<仙魔・桂馬歩法>を重ね、音もなく滑るように駆け出した。

 足音が大氣に吸い込まれ、摩擦音すら存在しない、完全な死角への滑走だが、重さは消えないので動きは鈍い。


 右翼と上空、左翼にも、新たな魔素の塊が湧き上がるのが<隻眼修羅>で見えた。

 闇神リヴォグラフ、ヴェデルアモボロフ陣営の残党か。

 あるいはアスタロト系の伏兵か。

 悪神デサロビアの眼球魔族か。

 三眼や四眼の厳つい頭部に、真っ赤な皮膚を持つ者が多い十層地獄の王トトグディウス連中か。

 今も、巨大な火球が飛来して火柱が上がり、そこから十層地獄の王トトグディウス側の二眼六腕の魔族部隊が神域の境界線に沿って湧き出す。


 無音神域のプレッシャーで体が重く声が出ない俺たちの代わりに、レン、ユイ、カルード、レベッカ、ルリゼゼ、キュベラス、ヘルメ、フー、ハープネス、ド・ラグネス、ママニ、キスマリがその新手の応対へと回った。皆も、こちらに踏み込めば声を失い、体にプレッシャーがかかる。外縁の新手を皆に任せるしかない。無音の聖域の中央に残ったのは――。

 

 俺、キサラ、エヴァ、ヴィーネ、相棒、無名無礼の魔槍のナナシ。

 そして、キル・ドッポ。


 ヴィーネも声が出ないが、翡翠の蛇弓の弦を親指で一度だけ撫でた。

 光線の弦がぴくりと震える。

 風の女精霊が普段いる指輪が、かすかに揺れると、近くにいる風の精霊ナイアから出た魔力の一部が『八葉風妖』という漢字の渋い文字を浮かばせてきた。同時に<砂漠風皇ゴルディクス・イーフォスの縁>の魔猫がはっきりと模られ、風が噴出し、無音の中で共鳴していく。

 八葉風妖と砂漠風皇。古き荒神大戦の頃、共に風を司った同根の系譜、更に荒神猫キアソードを永き眠りから目覚めさせた、メファーラ様の古き盟友たちの理か。


 ヴィーネの銀の瞳が、かすかに動く。意味は『――援護します』だろう。

 視線だけで氣持ちが伝わった。

 右肩で、ハルホンクが何かを唸ろうとしガチンと顎を噛み締めたが、音はしない。

 成長している覇王の口蓋ですら、ここでは声を持たぬ。蒼眼は無音の中でもしっかりと点滅していた。

 覇王属性が、音という己の領分を奪われたことに純粋に怒っているんだろう。

 点滅のリズムが俺の鼓動と重なる――『喰イタイ、ガ、声、出セヌ、ゾォイ』と感情が伝わってきた。


 刹那、キサラが両膝をついた。額のサークレットが強い熱を帯びる。

 ルシヴァルの魁石が彼女の信仰経路を伝って先ほど開いた回線の余熱を再起動させた。

 キサラは、


『――メファーラ様……どうか、もう一度』


 声にならぬ、ただの祈り。信仰の経路は声を必要としない。

 キサラの額の魁石から紫黒の魔線が発生し、無音の戦場の天蓋へとゆらりと立ち昇った。

 一筋の魔線が無音神域の表面に、ひとつの亀裂が走る。


「『……妾を、まだ呼ぶかキサラよ』」


 幻影は顕現していないが、声の残響のような魔力が亀裂の隙間からハスキーな波形となって滲み出た。

 記憶の振動にも思えるが、神意力を有した一撃。だが、それは確かに、無音神域の理を、内側から押し返した。


 キル・ドッポの竜頭の四眼が、見開かれた。

 その四眼の一つが、俺ではなくキサラへと、強く流れた。


 その直後、無音の中にメファーラの声の残響が、


『あの娘の名を、忘れたか、キヴェレイの眷属。妾は、忘れぬ。お前の主が白銀の戦乙女に注いだ、最初の一滴の闇を』


 糸のようにふっと走った。

 神域の理が一拍揺らぐ。声を奪う支配が信仰の記憶によって内からひと筋、解けた。


 刹那、取り戻したばかりの丹田の奥に眠る「神座:神律の適格者」が世界の沈黙に呼応するように熱く、激しく拍動した。


 更に<神律の還顕(しんりつのげんけん)>を発動――神を、理として本来の場所へ還す。

 神格を落とされた古き神々や、奪われ、縛り付けられた無数の魂を――眷属の信仰と主従の絆を媒介にして、あるべき場所へと還す絶対の法――。


 この理は言葉という低次の媒体を一切必要としない。


 神律とは声ではなく、魂そのものが発する純粋な意志の振動。

 ゆえにキル・ドッポが展開した<無音縛闘争神域>の音を奪う理の網など何の意味もなさず、光の速度ですり抜けていく。

 

 左手に構えた神槍ガンジスの双月刃に、吸い込まれるようにして五色の光輝が音もなく灯った。

 緋色は神律の暴理――。

 蒼白は深淵を穿つ霊穿の光――。

 金緑はアハシュムロンから受け継いだ『還』と『縫合』の温かき法――。

 紅蓮は鳴神ハヴォスの炎雷――。

 そして銀緑は、ルリゼゼの魂を通じて降臨した鳴神シクルゼの神威――。

 五色の光が螺旋を描いて絡み合う神槍の穂先を、キル・ドッポの鎧の表面へと、まっすぐに向けた。

 奴の鎧は、無数の戦場の記憶から紡がれているとされていた。

 だが、その鎧の表面で苦悶に歪む幻影の真実を<隻眼修羅>が冷徹に看破する。


 ――あれは記憶などではない。

 何千年も囚われ、使い潰され続けてきた戦死者たちの「魂」そのものか。


 ハーヴェスト神話の古き大乱戦、魔界の血塗られた局地戦。

 数千年に及ぶキヴェレイの闘争の歴史において散っていった名もなき戦士たちの魂が、キヴェレイの防具の「素材」として、永劫の時を縛り付けられ、嘆き続けていた。


 鎧の表面で揺らめいている幻影は戦場の記憶ではない。逃げ場のない亡霊たちの嘆きだ。

 神槍ガンジスから神律の還顕の光輝の糸状の魔力が無音の空間に展開されていく。

 その糸がキル・ドッポの鎧の表面に触れた刹那――。


『……還りたい……』

『……じいちゃん、父さんの待つ、あのシクルゼの森へ……』

 ――シクルゼの森。あの願いは、ルリゼゼの祖たちか。コーイルの遺骸からアガルゼを還した時と同じ、数千年以上の戦いのおいて囚われの魂たち。

『……母さんの子守唄を、もう一度だけ、聴かせてくれ……』

『……戦いの鎖から、わたしを、解いて……』


 無音神域の中に声を持たぬはずの願いが確かに響いた。

 神律は、声を必要としない。亡霊たちの願いも、声を、必要としなかった。

 魂たちの声を持たぬはずの「本物の願い」。


 キル・ドッポの鎧が内からほろりと剥がれ始め、絶対の死の旋風を支えていた戦死者たちの魂が、鎧から内から完全に解放されていった刹那――。

 ヴィーネの翡翠の蛇弓から無音の光線の矢がすでに射出されていた。

 俺の鼓動と同期した声を必要としない援護射撃――。

 剥き出しになった奴の左下腕の関節を光線の矢が音もなく貫いた。


 そして繋・脱・還の三角形の頂点たる還の理が、キヴェレイの鎧を構成していた魂たちを本来あるべき安らぎの鞘へと還し始めると囚われていた幻影たちが、ひとつ、またひとつと温かい白銀と金緑の光の輪郭となって離脱――天蓋に開いたメファーラ様の亀裂を抜けて安らかに昇天していった。

 ――白銀の光。あの光は……何か別の救済を呼ぶ色のような氣がする。

 その白銀の光の一筋が、メファーラ様の亀裂の縁を撫でるように流れたのを<隻眼修羅>が捉えた。


 キル・ドッポの竜頭が初めて戸惑いの色を見せた。

 冷徹だった四つの竜眼が声を出せぬまま、咄嗟に喉を鳴らし漆黒の魔息を一筋吐いて、ヴィーネの光線の矢を宙空で溶かし消した。反射的な防御の本能――しかし、その魔息ですら無音神域の中で音もなく揺らめいた。そのまま四腕を見るように己の体を見やり、声に出せぬ恐怖の思念がその四つの竜眼から隠しようもなく漏れ出ていた。

 世界の音を奪う無音縛闘争神域は未だ空間を覆っているが、言葉を必要としない<神律の還顕>の慈悲深き光の前では、静寂の檻など一枚の防壁にもなりはしなかった。



【書籍&コミック情報】

・HJノベルス様より『槍使いと、黒猫。』1巻〜20巻 絶賛発売中!

・コミック版 1巻〜3巻 絶賛発売中!【お知らせ】設定資料・外伝等の公式保管庫(note)を開設しました! https://note.com/kenkou_novel/n/n745c32bdb4ba

最初の投稿として、書き下ろし限定SS『迷宮都市イゾルガンデの裏側で』(ロロとフォティーナの活躍劇)を公開しています。今後は、シュウヤ視点の小話や、本編では書ききれなかった設定をまとめた「槍猫」の総合アーカイブとして無料・有料を織り交ぜながら更新していく予定です。


※保管庫内には「魔界の最新地図」も掲載しております。


また、今回は「槍猫」とは関係のない完全新作のSF短編――


『たとえ世界が消しゴムで消されたとしても、僕が引いた黒煙の線だけは、君たちの明日に残る』


(※実際のタイトルは『黒鉛の祈り』ですが、この紹介文のフレーズのままで完璧にフックになります)

も同時に掲載しております。


皆様に楽しんでいただけたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
メファーラ様も久しぶりの登場ですね。メファーラ様と邂逅したのは、まだ風の精霊ナイアと契約する前でしたし、ナイアにも興味を示しそう。 オークションで落札した〝闇遊の姫魔鬼メファーラの人差し指と中指〟もあ…
やっぱりエヴァの働きが唯一無二なんだよなぁ。同じエクストラスキル持ちなのにヴィーネより活躍してるイメージ。ヴィーネは万能というか器用貧乏気味で、メインは弓使い。活躍はしてるけど、どうしても感情爆発で血…
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