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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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2207/2215

二千二百六話 光闇の奔流と黄金比

 戦場南東の上空に薄く漂っていた神界の氣配がゆっくりと薄れていく。

 〝魔神殺しの蒼き連柱〟と〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟は屹立したまま戦場の余熱を吸い続けていた。

 

 神槍ガンジスの角度を下げながら周囲を見回した。

 ミセア様とディペリルは毒薔薇特務大隊と淫魔の部隊を再編しながら一部の大隊をコバトトアル東、東南側の自陣営へと戻すように指示を飛ばしていく。


 キュルレンスが俺たちに一礼を寄越す。

 深緑の鞭で薔薇の蔓を一括で回収し、ミセア様の影に滑り込むようにして消えた。

 錦の瞳を輝かせたミセア様は俺の真上に転移し、降下。

 足下に黄緑と深緑と紫の薔薇畑が一瞬に生まれ、蛇と茨が道を作る。

 そのミセア様は周囲をもう一度見てから、


「……槍使い、暗剣の風スラウテルだけど、復活したのよね?」

「はい」

「では、まさかだけど、自ら神格を落とし、傷場を越えたってことなの?」

「そうですね」


 と、言いながら振り返る。

 隆起した土地と魔導要塞陣地に、砂城タータイムがその横を浮遊して待機中。

 元々の荒涼とした地は、もうかなり変化している。


「……そ、そうなのね」


 ミセア様は、その錦色の魔眼の瞳孔をわずかに揺らし、隠しきれない動揺を示した。

 魔界セブドラの絶対的な神々にとって、自らの神格を魔皇碑石へ封じるなどということは、己の存在理由アイデンティティそのものを手放すに等しい暴挙だからな。


 再誕した暗剣の風スラウテルと『魔風鍛冶師』たちは、既にこの地にはいない。彼女たちは傷場を越え、同胞たちが反旗を翻しているという故郷の惑星スラウテルへと帰還している。


 その魔毒の女神たるミセア様は、スラウテルのその苛烈な決断が未だに信じられないようで、蒼白い結界光を放つ魔皇碑石と、俺が血魔力で構築した魔導要塞陣地を唖然とした表情で見つめた。


「……魔皇碑石をこうして楔にしているけれど、本当に、槍使い――貴方は豪毅ごうきを通り越して底が知れないわね……」


 彼女はぽつりと呟き、俺の魂の深淵を覗き込もうとするかのように熱い視線で凝視してきた。

 実際に魔神の熱い眼差しだから熱くなってくる。しばし、沈黙が続いた。

 すると、ダークエルフ風の女性とヴェモガと呼ばれていた男性将校がキュルレンスに報告している。


 ミセア様はキュルレンスと目配せをしてから、己の髪蛇の一部を切り離し、宙空に展開させて、どこかに転移させたように消えた。そして、大薙刀を軽く回した隣に並び立つ。


 ふわりと甘い薔薇の毒香を漂わせて薄く笑った。


「槍使い――我たちは戦場に戻るわ。次はコバトトアル中央の手前、あの魔皇碑石の最深核を巡る戦区が主戦場になりそうね」


 と、錦の双眸で方向を指す。釣られて、南のほうを見た。


「ふふ、私の【毒薔薇特務大隊】、ちゃんと貴方に貸し出せるように陣形を整えておくから。それと――」


 彼女は、ヴィーネが背負う『翡翠の蛇弓バジュラ』に一瞬だけ愛おしげな、そして複雑な視線を走らせた後、俺の耳元に囁くように言葉を寄せた。


「ヴィーネちゃんの肩、まだ完全には抜けていないわ。私が直接引き抜いてあげられたのは、表層に絡みついていた毒の残滓だけ。深部に根を張る『徴』は、闇神リヴォグラフ本人が縫い込んだ強固な支配の仕掛け。私の領分の外よ。あれは――光と闇を統べる、貴方の領分(ルシヴァルのちから)で処理してね」

「了解した」

「ふふ。良いお返事」


 ミセア様の翡翠の指先が頬を撫でて離れた。

 艶やかな淑女の姿に戻ったミセア様は大薙刀を担ぎ、ダークエルフ風の魔界騎士たちに囲まれると、


「キュルレンス、パシシン、ガモササ、ヴェモガ。闇神リヴォグラフは神界(あちら)に集中するようだから、十層地獄の王トトグディウスの裏取りしつつ悪神デサロビアの動きに注意よ、では、進軍を!」


 と発言すると、


「「「「ハッ」」」」


 と声が響き、紫の毒霧の彼方へと消えていった。

 その背を見送ってから、傍らのヴィーネに視線を向ける。


「歩けるか」

「はい、ご主人様。問題ありません」


 ヴィーネはそう応じたが、肩に手を当てる仕草がほんのわずかに不自然だった。

 ミセア様が『私の領分の外』と告げた一言が、頭の奥に小さく沈んでいた。

 ボベルファの近くを浮遊していたミトンが、シルを抱いて降下してきた。

 こちらを案じるような視線だ。ザンクワが鬼魔人の戦友たちも自然と俺たちの周囲に集まってくる。


 相棒は大きい黒豹に戻り、大厖魔街異獣ボベルファはその巨躯を揺らしながら重厚な地響きと共に足を止めていた。相棒のように太い足だが、香箱スタイルに移行していく、その挙動の音は豪快でありながら、巨大な亀や象が器用に太ましい足を内に畳ませていくようで、非常に可愛らしい。


 エトアたちが興奮していた。

 ザンクワたちには日常の風景のようで、静かだ。


 すると、魔皇獣咆ケーゼンベルスも、


「ウォォン、勝利だな。ここを我の縄張りにするぞ!! 黒きケーゼンベルスの同胞たちの一部をここに大量に番わせよう!!!」


 と吼えていく。


 骨鰐魔神ベマドーラーも、


「ボォォォォン」


 と轟音を轟かせながら、周囲の旋回を始めていく。


 砂城タータイムは、高度を少し下げると、外壁の一部が変化。元の美しい白亜の外壁と尖塔に変化し、大きい幅広い正門ができると、そこから白銀の太い道がこちらに伸びてくる。


 その横幅が異常に広い白銀の道の上には、ザガとボン、ズィル、インミミ、ゾウバチ、イズチと魔犀花流の門下の兵士と人造蜘蛛兵士たちの姿があった。


 アウロンゾ一族の血を引くザガは、その<真贋神眼>で大地の魔皇碑石の質を見極めるように目を細め、弟のボンは「エンチャント! エンチャ!」と唇を尖らせながら、嬉しそうに俺に向かってサムズアップを繰り返している。

 彼らが光魔の血を触媒にした<血盟鍛造>と<共感の付与>によって新しい装備を身に着けている一部の人造蜘蛛兵士たちは、要塞の防壁の影のような場所で、静かに、次の命令を待っていてくれている。蜘蛛娘アキの部下アチュードとベベルガがその前方にて指示を飛ばしていた。


 戦場の余熱が、夜の魔素に置き換わっていく。

 近くで屹立する魔導要塞陣地の蒼白い結界光が砂城タータイムを照らす。

 ナギサを頭部に乗せた闇烙竜ベントラーが宙空を行き交う。雷竜ラガル・ジンと闇烙竜ベントラーが砂城タータイムの尖塔に体を引っ掛けて休んでいた。

 

 そんな姿を、ゆっくりと見られるってのも……勝利感が強い。


 レンが、


「シュウヤ様、一先ずの勝利、おめでとうございます」

「はい、散発的な戦闘は今もありますが、これで、閣下はこの傷場を死守したことを内外に示した。更に、西のメイジナ海を見据えた領域を含む大平原コバトトアルの北西部を得たことになる! 光魔ルシヴァル神聖帝国はより広大な領地を得たことになります!」


 常闇の水精霊ヘルメの言葉に、


「まさに黎明ノ王!!」

「「「「はい!」」」」

「「「「おぉ」」」」

「おめでとう、祝福します――」


 魔裁縫の女神アメンディ様が皆へ向けて放った、半透明でキラキラと光る絹生地が、プレゼントのようにそれぞれの体に付着していく。すると、体の周囲に点々とした可愛らしい模様の浮かぶ光粒が、幾つも現れた。

 魔法防御力が高そうな何かをプレゼントしたか。スキルは得られていないから、永久的な効果ではない加護類だろうな。


「ん、勝利。シュウヤ、お疲れ様」


 肢を精緻に変形させ、魔導車椅子に深く腰掛けたエヴァが、片手を可愛く上げて紫の瞳を細め、嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。


 <戦鋼血紫師>としての冷徹な戦闘モードから、俺の前だけで見せるいつもの女性の表情への切り替えが、たまらなく愛おしい。


 ヘルメの神聖帝国の下りは、毎回だが、もう冗談でもなんでもないからな……。

 だが、それは名だけ、内実は地域を知る者たちが、その地域で暮らす者の安寧のために動いているだけに過ぎない。


 レンが魔斧槍サキナガを地に置き、煙管に紫煙を灯し、戦場と砂城の中間――敵の伏兵が出る可能性のある最後の領域を凝視し、サシィやバーソロンに血文字を送っていた。


「……了解した。小休止と行こう。皆、円陣で」


 全員が、一部結晶化した大地の上で、自然と円陣を組む形になった。

 俺と黒豹(ロロ)を中心に、背に抱きついて融合している常闇の水精霊ヘルメ。


 そして、左右にヴィーネ、エヴァ、降伏したイルメラ、レベッカ、グィヴァ、アドゥムブラリ、ユイ、カルード、ルビア、レン、キサラ、ルリゼゼ、キュベラス、ザンクワ、古の水霊ミラシャン、射手のアラ、ディエ、魔界騎士ド・ラグネス、魔将オオクワ、ヘイバト、ビーサ、片腕の魔族部隊、蜘蛛娘アキ、仙妖魔たち、ザガ、ボン、イモリザ、ナギサ、ミレイヴァル、アチュード、ベベルガ、風の女精霊ナイア、後方にボベルファ、魔犀花流のズィル、インミミ、ゾウバチ、イズチ、波群瓢箪のリサナ、シュレゴス・ロード、ミトン、光精霊フォティーナと遊ぶシル。


 相棒は、「ンンン――」と喉声を響かせながら皆を見るように円陣の外周をのっそりと一周していく。戦場の風が止む。コバトトアルの夜の魔素が徐々に濃度を増し、大氣が蒼黒く澱み始めたその時、「――……っ」と、俺のすぐ隣にいたヴィーネが短く息を呑んだ。


 彼女の美しい銀髪が、まるで見えない重力に引かれるように自重を超えて肩へと垂れ下がる。


「あ、ぐ……」


 絹のような白い膝がガクリと崩れ、隆起し斜面になっていた地へと倒れ込みそうになった。


「ヴィーネ!」


 咄嗟に体を滑らせ、彼女のしなやかな体を両腕でしっかりと抱き止めた。

 彼女の肩に当てた俺の手のひらの下――ミセア様の解毒をすり抜けて深部に潜伏していた『徴』が、夜の魔素の活性化に呼応し、ドクン、ドクンと不氣味に、そして冷酷に脈動を始めていた。

 もはや、リヴォグラフが置いた赤黒い鱗模様でもない。

 脈動しているのは、深淵の縁から這い上がってくるような、無音の冷たさを伴った『黒』だった。ヴィーネの瞳孔が、一瞬、リヴォグラフの紋様と同じ赤黒い鱗模様に染まりかける。


「……っ、ご主人様、私の内に……冷たい闇が、入ってこようと、しております……」


 ヴィーネは唇を噛みながら、それでも俺の腕の中で意識を保とうとしていた。

 その健氣さに、胸の奥が引き絞られる。

 

「ん、ヴィーネ、動かないで。わたしの紫の魔線で、その嫌な流れを縛るから――」


 エヴァが魔導車椅子の上で華奢な両手を差し出し、紫色に銀色が混じる美しくも神々しい魔線をヴィーネの肩へと滑らせた。<戦鋼血紫師>の戦闘職業。

 <紫心魔功>と、神座の理を吸い上げて進化した<霊血導超念力>を組み合わせた、彼女にしかできない超感覚の魔力操作か。

 

 だが、エヴァの放った紫の魔線は、ヴィーネの肌を這う『徴』の輪郭を滑るように撫でただけで、その深部へと干渉することができないようだ。


 エヴァは小さく眉をひそめて、


「ん、シュウヤ、これ……ただの嫌な呪いじゃない。闇神リヴォグラフがヴィーネの魂の内に、太い『道』を無理やり縫い込んでる。わたしの紫の念導力が、入る側じゃなくて、中から押し出される側として、物理的にはじかれてしまう」


 エヴァの言葉に傍らのキサラが頷いた。

 白銀の翼を緩やかに広げながら、<真眼・白闇凝照>をヴィーネの肩へと向ける。


「シュウヤ様、これは恐ろしい仕掛けですね」

 

 と語ると、ラムーとエトアに視線を向け、頷いていた。

 ラムーは霊魔宝箱鑑定杖でヴィーネの徴を鑑定し、エトアも罠の質を理解したようだ。

 精神感応繊維魔装甲が似合うエトアに、「<罠鍵解除・極>で理解できたところを教えてくれ」


「はい、徴は監視のための『眼』ではありません。リヴォグラフ陣営からシュウヤ様の魂の深奥――『上位の闇』へと、信仰魔力を逆接続するための『道』……言い方を変えると『ポート』や『ポータル』です。リヴォグラフは、シュウヤ様の闇を自陣営に引き込むために、ヴィーネを経由路として残したのです」

 

 周囲に響めきが走る。

 キサラが、


「皆さん静かに、魔毒の女神ミセア様と、シルが居て、そして、光魔ルシヴァルの最初の大眷属、<筆頭従者長(選ばれし眷属)>のヴィーネだからこその突破口があるはずなんですから」


 と語ると、円陣の眷属たちが静まり返った。

 ヴィーネが、俺の腕の中で苦痛に呻く。あの闇神、想定以上に深い手を打っていた。

 単なる人質でも、毒の呪いでもない。

 俺の魂そのものを、ヴィーネを介してハッキングしようとしている。

 

 常闇の水精霊ヘルメが


「閣下、ご用心を。お優しい閣下の魂の天秤が、ヴィーネへの深い愛着を起点にして、左の深淵――『上位の闇』の側へと、現在二十度ほど傾きつつあります。リヴォグラフが仕組んだのは、まさにこの傾きをトリガーにした逆流です。閣下がヴィーネを救いたいと願い、その『上位の闇』を限界突破(解放)した瞬間、その高純度な闇のエネルギーが、リヴォグラフの構築した『道』へと自動的に逆流し、奴の神格を強化する設計となっています」

「あぁ」


 ヘルメの冷静な報告が、頭の中で輪郭を結ばせた。

 そのヘルメは両手を広げ、指先から水飛沫を発生させていく。


 リヴォグラフは俺を試している。眷属を救うために闇を振るえば、その闇は奴の元へ流れる。

 眷属を救わないという選択肢など、俺にはない――それを、奴は読んでいる。

 

「閣下、いかがなされます?」

「道なら道として、今だからこそ可能な治療方法がある」


 神槍ガンジスを消し、左手の無名無礼の魔槍を、ゆっくりと地に並べる。

 ナナシの梵字『バイ・ベイ』が、薄く煌めき始めていた。

 

 ヴィーネを抱き直し、彼女の銀の髪を一度撫でる。


「ヴィーネ、お前の中に入る冷たいものを、俺の闇で塗り潰す。だが、ただ闇を流すんじゃない。闇を流しながら、同時に、それを呑む別の流れを起こす。少し、しんどい時間になる。耐えてくれるか」

「……はい、<光闇の奔流>ですね……ふふ、ご主人様。喜んで、お願いいたします」


 ヴィーネが、苦痛の中で微笑んだ。

 その笑みに応えるように、彼女を抱き寄せ、首筋に唇を寄せる。

 光魔の牙を、そっと立てた。血脈共鳴。

 俺の<血魔力>の闇側――『上位の闇』が、ヴィーネの体内へと直接流れ込み始めた。

 

 刹那、地に並べた無名無礼の魔槍が、激しく振動を始めた。


「主様――」

 ナナシの渋い声が、墨炎と共に穂先から立ち昇る。

 水墨画風の炎が、円陣の中央に薄く広がり、その中央に鬼の仮面が浮かんだ。


「来やがった。あいつの残響だ」

「ウロボルアスか」

「おうよ! 主様がヴィーネを救うために純粋な『上位の闇』を体外へ放ったから、この槍の奥底に眠っていたあいつの魂魄断片が、呼応して引きずり出されてきやがった。あの迷宮で、あいつが最期に遺した未完の言葉――その欠けた最後のピースが、今、主様の闇の格に引き寄せられて形を成す!」


 ナナシの墨炎が螺旋を描いて渦巻き、その中心に、灰と霧で構成された半透明の甲冑姿が浮かび上がった。

 かつて俺の<火焔光背>を帯びた<水穿>によって心臓を貫かれ、無名無礼の魔槍にその魔力を吸い取られた【闇神母衣衆】副長、魔界騎士ウロボルアス。

 崩壊しかけたパズルのピースのように、全身から灰の粒子を零しながら、彼は虚ろな眼孔をまっすぐに俺へと向け、


 その震える唇が時を超えて、あの迷宮の底で途絶えた言葉の続きを紡ぎ出す。


「闇神リヴォグラフ、さ、ま、槍使いは、闇の……始原にして、その喰らい手」


 ウロボルアスが視た、俺の魂の輪郭か。


「ん、闇の始原――<光闇の至帝>?」

「闇神リヴォグラフは、恐怖と語っていたからね。そのことでしょう」

「はい、それと、大真祖の系譜を孕む、根源的な深淵でしょう」

「その喰らい手――は、神座と覇王属性で、自らの深淵すら呑み込む顎……」


 キサラの呟きに皆が頷く。

 ウロボルアスが絶望したのは、自分たちが信奉していた闇神の闇よりも、目の前にいる男の闇の方がより古く深く、更にそれを「喰える」という事実に対してか。

 

 灰塵のウロボルアスは、視線を、俺の腕の中のヴィーネへと、ゆっくりと移した。

 その虚ろな眼孔に、ほんのわずかな、何かの色が宿ったように見えた。


「……闇神リヴォグラフ様……やはり、あの槍使いは、闇の……『始原にして、すべてを呑み干す喰らい手』……。我ら母衣衆の理をすら、容易く自らの血肉に変える、絶対の深淵なり……っ」


 その一言を残し、ウロボルアスの灰塵は、ナナシの墨炎の中に再び溶けて消えていった。

 無名無礼の魔槍の梵字が、彼の残響を最後の一片まで吸い戻し、静かに煌めきを収めた。

 

 ナナシが墨炎を縮めながら、低く笑い、


「……あいつ、最後に視たかったみたいだぜ。主様の光の側を。だが、闇神の眷属だったあいつには、その資格がなかった」

「あぁ」


 ナナシの言葉を聞きながら――自分の内で、別の事象が同時に起きているのを感じ取っていた。

 ヴィーネの体内に流し込んでいる『上位の闇』――。

 その闇が彼女の血脈と接触した瞬間、彼女の中で何かが応答している。

 彼女の魂が、俺の闇を呑む側ではなく俺の闇を観測する側として立ち上がっている。

 その観測の中で、俺自身の魂の天秤がヘルメの言ったとおり、左の闇側へと、確かに傾いていた。

 

 ウロボルアスが言った「闇の始原にして、その喰らい手」――。

 その輪郭が、自分の内側で、確かに脈打っていることを否定しない。

 ウロボルアスが視た俺の輪郭は、決して嘘偽りではない。俺の魂の深淵には、確かにすべてを呑み干す『始原の闇』が横たわっている。


 だが、それは闇の側から俺の片面を覗き込んだだけの、不完全な真実に過ぎない。

 俺の魂の天秤の右側には、それと同等か、それ以上の重さを持った眩い『光』が、確かに重なっている。


 ヴィーネに与え、共に育んできた光魔の温もり。

 レベッカが灯す不滅の蒼炎。

 エヴァの白皇鋼が放つ高貴な紫光。

 キサラの眩い白銀と暗光の調和。

 ユイの閃く白銀の残像。

 ミスティが鍛え上げる鋼の意志。

 ヘルメが囁く清冽な水の理。

 レザライサの誇り高き光魔の矜持。

 クナの知識欲の底には大きい愛と欲望の理がある。

 ラティファが捧げる熱き光魔の忠誠。

 ペレランドラの平和と希望を光魔に重ねているすべてへの愛。

 メルの知性と俺への愛と敬虔な想い。

 キッシュが示す揺るぎない愛。

 クレインの高貴さとマグマの熱の翼の魂。

 ヴェロニカの滾る血の熱量。

 アドゥムブラリの幼馴染みを想う優しい強さ。

 エトアの謎を解明したいという秘めた想いと光魔への深い知己。

 サラの想いと赤い腕輪。

 キッカが闇の中に受け入れた光、強い責任感と正義と力と優しさを光魔に抱いている想い。

 ルビアがもたらす魔命の大癒。

 ブッチの隠れた斧武術と格闘技術の融合と高みを目指す深い思い。

 バーソロンが滾らせる紅蓮の闘氣。

 ルシェルの光と魔法への愛。

 サザーの血獣隊と俺に向けての愛や剣の高みへの想い。

 サシィが胸に宿す割り九曜紋の炎。

 ビュシエが血魔力の先に見出した光魔の未来。

 ファーミリアが女帝として紡ぐ血の理。

 レンが太股の刻印から爆発させる深紅の血脈共鳴。

 ベリーズの血と弓の情熱と爆乳。

 ルマルディがアルルカンの把神書と共に翔ける空。

 ビアの子を想う親心と長い舌。

 レガランターラの師と己の想い。

 キュベラスが異界の門から導く熱き光の幻。

 アフラが闇と光を見定める冷徹な理。

 ナロミヴァスが絶望の果てに見出した光魔の誇り。

 ビーサが星々の源から受け継いだジャスティス。

 相棒がその触手骨剣から放つ橙の神炎。

 ハンカイが金剛樹の斧に込めた友としての熱い心根。

 そして、ミセア様が戦場に咲かせる翡翠の毒霧すらもこの戦場で交わったすべての色が、俺の魂の天秤の右側に、確かに重なっている。


 この世界で、この戦場で出会い血を交わし、魂を縫い合わせてきたすべての眷属たちの色が、俺の魂の天秤を右側から力強く支えている。

 俺は、二千年の執着を喰らったことで獲得した『縫合の理法』を以て、自らの魂の内側で光と闇の境界線を力強く縫い合わせる。

 闇に傾くならば、その闇すら愛おしく抱いて次の光へ繋ぐ。光に傾くならば、その光を抱いて次の闇に備える。俺は光でもなく、闇でもない。

 

 光であり、同時に闇でもある。

 それこそが、光魔ルシヴァルの宗主たる、俺の<光闇の奔流>がもたらす黄金比(バランス)。『中庸』だ。ヘルメが濡れた瞳で、俺の魂の傾きを静かに見守っていた。


「閣下、左の傾きは、現在二十度のまま、固定されました。これぞ<光闇の奔流>の黄金比(バランス)。これより悪化する兆候はありません。閣下が、自らの内で、傾きを抱いておられるからです」

「あぁ」


 ヴィーネの肩の徴が、ゆっくりと変質を始めた。

 深淵の縁から這い上がってきていた無音の冷たい『黒』が、俺の血脈共鳴の中で、ゆっくりと、色を失っていく。

 

 黒でもなく、翡翠でもなく、銀でもなく、赤でもない。

 徴は形を保ったまま、色だけが、ゆっくりと抜けていった。

 最後には、ヴィーネの白い肌の上に、ほとんど視認できない、ごく薄い銀のような、無色のような、何かの輪郭だけが残った。

 

 陽光を浴びれば薄く銀色に揺らぐかもしれない。

 夜の魔素を浴びれば、薄く闇色に揺らぐかもしれない。

 だが、それ自体は、どちらでもない。どちらでもある。

 中庸の徴――か。俺の魂の天秤が、ヴィーネの肩の上に、そのまま転写されていた。

 

 ヴィーネが、腕の中で、ゆっくりと目を開いた。

 彼女の銀色の瞳が、これまでとは違う、不思議な深さを湛えて、俺を見上げていた。


「……ご主人様」

「ヴィーネ。痛みは」

「ありません。それどころか――」


 ヴィーネは、自らの肩を、ゆっくりと撫でた。

 そして、俺の目をまっすぐに視た。

 

 その瞳に、俺の魂の輪郭が、これまで誰にも視られなかった全体像が――映っていた。


□■□■



 わたしの肩に、言葉にできないほどに温かいものが満ちていく。

 ご主人様の鋭い牙が肌を穿つ確かな感触――。

 首筋に触れる唇の狂おしいほどの温度。

 ご主人様の純粋な<血魔力>が、わたしのダークエルフとしての、そして光魔ルシヴァルとしての血脈をいちばん深いところから優しく、清らかに洗い流してくださっている。

 

 ですが、その恍惚の波紋の中で、わたしは、別のものを視ていました。

 闇神リヴォグラフが逆接続を試みた、あの冷たい『道』を通じて、わたしはご主人様の魂の『全体像』を、その深淵の底まで視ていたのです。


 ご主人様の魂の、全体像を。

 

 わたしは、これまで、ご主人様のことを誰よりも近くで視てきたつもりでした。

 初めて見たときは奴隷市場。ダウメザランで復讐も果たされ、迷宮都市ペルネーテで眷属にしていただいた瞬間から、銀蝶の翼を授かった夜から、神座を獲得なさったあの戦場まで――。

 

 わたしは、ご主人様のことを、誰よりも知っているつもりでした。

 ですが、違っていました。

 わたしは、ご主人様の光の側しか、視ていなかったのです。

 

 ご主人様が、わたしたちに見せてくださっている、明るくて、優しくて、強くて、愛おしい――その光の側だけを、視ていました。

 

 今、リヴォグラフが残した『徴』を経由してご主人様の闇が、わたしの内に流れ込んできています。その闇は確かに、深く、冷たく、古い。ウロボルアスが視たとおり、闇神リヴォグラフよりも、ずっと深い場所に根を張った始原の闇です。

 

 でも、それだけではないのです。

 

 わたしの内側に流れ込んでくる闇の、すぐ隣に、同じだけの強さで、光が流れ込んでいるのです。その光は、ダウメザランの天蓋しか知らなかった記憶を改めて照らし直す強烈な光、初めて視た、地上の太陽の明るさと、夜空を彩る神秘な月の明るさを合わせ持つ――。

 レベッカの蒼炎の輝き。エヴァの紫光の優しさ。ユイの白銀の鮮烈。レンの深紅の凜々しさ。ロロ様の橙の温かさ。

 

 そして、その光と闇の間――。

 ご主人様の魂の深いところに――。

 不思議な『縫い目』が、走っているのです。

 

 あの夜、ライムランの結晶雲を晴らした時に、ご主人様が獲得なさった『縫合の理法』。

 それは、神々の名を冠した立派なスキルでも戦場で発動する必殺技でもなく、ご主人様ご自身の魂の、いちばん深いところで光と闇を縫い止め続ける、ひとつの『癖』として、根を張っていました。

 

 光に傾いた時には、闇を縫い込んで、戻ってこられる。

 闇に傾いた時には、光を縫い込んで、戻ってこられる。

 

 それは、ご主人様が、これまでの長い旅路でご自身の魂の中に少しずつ縫い込んできた、無数の縫い目の集積でした。わたしの名前。レベッカの名前。エヴァの名前。ユイの名前。レンの名前。ロロ様の鳴き声。ミトンの聖なる膜。ザンクワの郷愁。ナナシの墨炎。ハルホンクの竜頭。ヘルメ様の氷の声。グィヴァ様の闇雷の輝き。

 

 そして、惑星セラに残してきた、ミスティ、エラリエース、レザライサ、サラ、ペレランドラ、クナ、ビュシエ、ラティファ、キッカ、メル、クレイン、カリィ、ヴェロニカ、ルマルディ、アフラ、ハンカイ、ファーミリア。

 

 すべての眷属の、すべての名前が、ご主人様の魂の中の、光と闇の境界に、ひとつひとつ、丁寧に、縫い止められていました。

 

 あぁ、ご主人様。

 わたしは、今初めて、ご主人様の本当の姿を、視ました。

 

 ご主人様は、闇の始原などではありません。

 ご主人様は、ただすべてを滅ぼす闇の喰らい手などでもありません。

 

 ご主人様は、わたしたちの名前を、わたしたちとの絆を、その広い胸の中に一つも零さずに縫い留め、繋ぎ止め続ける、ただひとりの、わたしたちの愛おしい『主』なのです。わたしの肩の徴は、もう、リヴォグラフのものではありません。

 わたしの肩には、ご主人様の魂の輪郭が、そのまま、転写されています。

 

 これは、わたしの新しい使命です。

 ご主人様の全体像を、視続けること。

 ご主人様が光に傾きすぎた時には、闇の方角を指し示すこと。

 ご主人様が闇に傾きすぎた時には、光の方角を指し示すこと。

 

 そして――この徴を経由して、いつかリヴォグラフと再びまみえる時、わたしを通じて、ご主人様の全体像を、あの闇神の内側へと、流し込んでさしあげること。

 

 あの闇神は、自分が置いた『徴』を、自分の監視線だと思い続けているはずです。次にお会いするまで、わたしたちは、その思い込みを、利用させていただきます。

 

 ふふ。

 

 ご主人様の牙の温度を、肩で感じながら、わたしは、心の中で、深くお辞儀をいたしました。


□■□■


 ヴィーネを、ゆっくりと地面に座らせる。

 彼女の銀色の瞳がこれまでにない深さで俺を見上げていた。

 

 円陣の眷属たちが、無言のまま俺たちを見守っていた。

 

 エヴァが、車椅子の上で小さく頷いた。


「ん、シュウヤ、傾いたまま戻った。良い」

「あぁ」


 エヴァの一言で、緊張が解けた。

 レベッカが、蒼炎を一瞬だけ指先に灯し、再び消した。


「こういう時、いっつも一人で抱え込もうとするから……まぁ、今回は皆で見守れた。それで良いわ」

「すまない」

「謝らないでよ。ヴィーネが無事で、何よりだから」


 レベッカの言葉に、ユイが頷きながら、<ベイカラの瞳>をヴィーネへと向けた。


「徴の輪郭、視認できる。色が……ない」

「銀色と無色透明なところもある」

「暗さのある輝きの彩りが非常に美しいです」


 皆の言葉に頷き、


「中庸の色かな」


 その俺の言葉に、ユイが薄く笑った。


「シュウヤらしい」

「あぁ」


 レンが煙管の紫煙を吐きながら、魔斧槍サキナガを担ぎ直した。


「シュウヤ様、一度セラか、【源左サシィの槍斧ヶ丘】に戻られますか?」

「ハンカイは王都ハルフォニア、八槍卿やバフハールたちは塔烈中立都市セナアプアのはず」


 キュベラスの言葉に頷いた。


「そうだな、ここに人員を増やすべきだし、北の魔城ルグファントも、今の俺たちなら、師匠たちと共に取り返せる」

「「はい」」


 と、ヴィーネに手を差し伸べる。彼女は、その手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

 肩の徴は、夜の魔素を浴びても、もう脈動しなかった。

 ただ薄い銀のような、無色のような輪郭を白い肌の上に静かに保ち続けていた。

 

 ナナシの墨炎が、最後にもう一度、無名無礼の魔槍の穂先で爆ぜた。


「主様、あいつの魂、これで本当に逝ったぜ。礼は要らねぇ。俺様の墨炎、これで一段、深くなった」

「あぁ、頼りにしてる」

「おう」


 ナナシの墨炎が、穂先に吸い込まれて消えた。

 円陣を解く。砂城タータイムの蒼白い結界光が、徐々に大きくなっていく。

 

 ボベルファの背の上でミトンがシルを抱いたまま、こちらを案じるような視線を寄越していた。

 ミトンにヴィーネが無事であることを「ミトン、ヴィーネは今のところは大丈夫」と伝えた。

 ミトンは、「はい!」と四つの手を胸の前で重ね、深くお辞儀を返した。

 降伏したイルメラはエヴァにもう結構語ったようだ。

 闇神リヴォグラフ側の中枢についての知っている情報をエヴァは血文字と共に、皆に伝えていた。


 その様子を見ながら、ヴィーネの隣をゆっくりと歩く。キュベラスと黒豹(ロロ)も続く。


「ご主人様、この地の残党が氣になりますか?」

「あぁ、もう【デアンホザーの地】の傷場に向かう」


 と、俺を見る彼女の銀色の虹彩の瞳は少し潤んでいる。

 銀色の髪も綺麗だ、夜の魔素の中で光を帯びていた。

 肩の中庸の徴が星明かりの角度でほんのわずかに銀色に光った。


続きは明日更新予定です。


【書籍&コミック情報】

・HJノベルス様より『槍使いと、黒猫。』1巻〜20巻 絶賛発売中!

・コミック版 1巻〜3巻 絶賛発売中!


【お知らせ】

設定資料・外伝等の公式保管庫(note)を開設しました!

https://note.com/kenkou_novel/n/n745c32bdb4ba


最初の投稿として、書き下ろし限定SS『迷宮都市イゾルガンデの裏側で』(ロロとフォティーナの活躍劇)を公開しています。

今後は、シュウヤ視点の小話や、本編では書ききれなかった設定をまとめた「槍猫」の総合アーカイブとして、無料・有料を織り交ぜながら更新していく予定です。


※保管庫内には「魔界の最新地図」も掲載しております。


また、今回は「槍猫」とは関係のない完全新作のSF短編――


『たとえ世界が消しゴムで消されたとしても、僕が引いた黒煙の線だけは、君たちの明日に残る』


(※実際のタイトルは『黒鉛の祈り』ですが、この紹介文のフレーズのままで完璧にフックになります)

も同時に掲載しております。


皆様に楽しんでいただけたら幸いです。

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