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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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二千百九十四話 アバドンの残響、銀翠の雨が洗う最古の記憶

 相棒の触手に捕まるまま、広大な頭部へと降り立った。

 ヴィーネとキサラと上からハイタッチ。

 続けて、下から掌をパパッと打ち合わせ、次のレベッカとも掌を衝突させる。「ちょっ、力強すぎ!」とツッコまれたが、ご愛敬――。

 皆と交わした熱は、言葉以上の信頼となって掌に残った。

 レベッカの空いた手を取り恋人繋ぎにすると、彼女は「もぅ!」と口を尖らせた。だが、ブルースカイの瞳に満更でもない蒼炎が揺らめくのを見て、自然と口元が緩む。

 そのレベッカが持っていた城隍神レムランの竜杖の先端に付いていた小型のナイトオブソブリンとペルマドンが、俺の肩に跳び乗ってきた。


「あぅっ」


 と変な声をあげたように耳元を舐められてしまった。

 ミニドラゴンたちの感触が、首筋と後頭部に集中、黒猫(ロロ)の時に慣れているが、これはこれで面白く、というかくすぐったい……が、我慢しつつ、顎を引くように右肩にいる真ん丸い黄緑の瞳が可愛いナイトオブソブリンの頭部を撫でると、ゴロゴロとは異なるドラゴン特有の銅鑼的な鳴き声が響いて、少し電気ショックを喰らう。

 そのかすかな痺れが、気持ち良かった。


「ふふ、ナイトとペルちゃんは、しゅうやんが好きだって」


 そう告げたレベッカは少し浮遊、宙空で城隍神レムランの竜杖をバトンのように操作してから、「風槍流『片折り棒』!」と言いながら、可愛いくステップを踏み、間合いを詰めてくる。そのまま俺の頬に、頭部をぶつけるように唇を当て、キスをしてから、


「やった一本取った~」


 と、頬を赤くしながら発言し、離れた。

 その後、エヴァとユイともハグ――。


 そのまま彼女たちから離れ、金属甲を素足へと解き、相棒の短くも剛健な毛並みの感触を直接、足裏で受け止めていく。


 こそばゆさのある感触――。

 絨毯の上や、電車の座椅子のソファーのような毛の感触に近いんだろうか。

 そして、足裏から魂の深淵へと奔流となって流れ込むのは神座の理を分かち合った相棒の猛々しくも清冽な鼓動――<神獣止水・翔>の感覚もいつもとは異なる。

 単なる生物の鼓動ではない。

 魔界の混沌を秩序立てる新たな「法」の律動のようにさえ感じられた。


 風を切るようなかすかな音もいい――。

 

「ご主人様、何か、やはり神格を得てからのご主人様は、素敵です」


 ヴィーネが蠱惑的な銀色の瞳を熱くさせて語る。

 同時に、右腕を包み込む豊潤なおっぱいの弾力と、彼女特有の甘い体温が伝わり、俺の内に昂ぶる情動が熱を帯びる――。

 ヴィーネは「ふふ」と微笑み、豊満な谷間へ俺の肩と二の腕を押し付けてくる。肩のハルホンクへ思念を送り、装甲の硬度をわずかに緩めた。彼女の献身を受け入れ表情を崩す俺を、竜頭の知性がどこか可笑しそうに見守っている氣がする。

 皆の目もあるので、少し照れながら視線を横に向ければ、山のような巨躯を誇る大厖魔街異獣ボベルファが、「ボォォォン」と、空間の密度そのものを変質させるような重低音の咆哮を轟かせ、地響きを起こす。ミトリ・ミトンの『聖なる膜』を戦場に定着させるための「楔」のように響いていった。


 その背に築かれた城壁には、ザンクワを筆頭にド・ラグネスや魔将オオクワといった猛者たちが、俺の往く道を見守るように居並んでいる。

 石壁の縁に立つザンクワの双角強症が夕闇の陽炎の中で淡く光っていた。

 その横で杖を抱えたミトリ・ミトンが銀緑色の瞳を南東の地平に固定したまま、震える手で前髪を払った。そしてボベルファの背の都市民――鬼魔人と仙妖魔の住民たち――が一斉に拳を天へと突き上げ、


「シュウヤ・カガリ陛下に栄光あれぇぇっ!」

「ボベルファ閣下、いざ南東へ!」

「導きし者ぉぉぉっ!」


 歓声が空氣を震わせた。

 数千の歓喜の叫びが霊的なうねりとなって大氣を焦がす。

 ボベルファの四肢が魔界の地を穿つたび、同心円状の衝撃波が地平を駆け抜け、移動要塞としての威容を誇示しながら直進していった。

 魔街異獣らしい豪快な音を響かせ直進していく。

 

 そのボベルファの背から、ザンクワとディエが飛来し、相棒の頭部に着地。


「シュウヤ様――」

「背後からの敵の襲来があれば、私たちが対応します」

「おう、ま、臨機応変だ、二人とも、今はここで休めばいい」

「あ、はい」

「分かりました」


 ザンクワとディエは、相棒が用意した黒毛のソファに腰掛ける。

 

 皆を乗せている黒虎ロロディーヌも駆け出した。

 瞬発的な加速で大平原コバトトアルの地表を蹴り、低空を飛翔する。足跡の代わりに紅と橙の煙を後方へと棚引かせ、そのまま一氣に上空へと駆け上がっていった。

 周囲を見ながら魔煙草を吸い終えた。

 ヴィーネが、俺の思考を先読みしたかのような絶妙な間で魔煙草を差し出す。

 唇を湿らせる巻紙の感触。ヴィーネが捧げる小さな火が紫煙と共に俺の肺を満たしていく。


 紫煙を燻らせながら視線を交わす。言葉を介さずとも『感謝』の氣が通い合う。

 彼女の瞳に吸い込まれるまま、那由多の言葉を費やすよりも濃密な、魂の『共鳴』が宿る。

 ヴィーネの「ふふ」という微笑みは、戦場の殺伐とした空氣を一瞬で浄化する、ルシヴァルの安らぎそのものだった。


 然りげないが、大切にしたい瞬間だ。


 そこでヴィーネやキサラたちの視線に釣られるように、遠くに見えるライムランの結晶雲を凝視した。紫掛かった結晶雲は魔夜世界に近い色合いだが、ここからはまだ結構な距離があるらしい。


 鬼魔人と仙妖魔の鬨の声を背に、眼下で繰り広げられている戦を見ながら、南東の地平――血と鉄錆色の混じり合うアバドンの丘の彼方を、目指して翔けた。

 

 毒薔薇特務大隊の魔族たちは、上空に魔法陣を浮かべながら追随している。

 

 戦場の余熱はまだ消えていない。

 大平原コバトトアルは、つい先刻まで【闇神母衣衆】の闇軍と魔毒の女神ミセア+淫魔の王女ディペリル連合の前線がぶつかり合っていた地獄絵図だ。

 地面のあちこちで、闇属性魔力を放った穴が口を開けている。割れた魔導甲冑、欠けた刀槍、首だけ残された魔族騎兵、まだ燻ぶる毒霧の名残。

 地割れの奥底から、脈動する魔皇碑石が新たな「角」のように突き出している。

 神を喰らった余波であり、狩魔の王ボーフーンが溜め込んだ余波、解放でもある。

 

 同時に大地そのものを光魔ルシヴァルの領土へと作り変え、ボーフーンの残滓を「器」へと強制的に再構築した証拠。


 神座の理が、かつての王の墓標を俺の足場へと変えていく。だが、俺は俺、神座:神律の適格者も便利は便利だが、いずれは魔皇碑石に納めるのには変わらない。

 

 皆を頭部に乗せている巨大な黒虎(ロロ)は、そこまで速度を上昇させていない。

 すると、左後方から付いてくる大厖魔街異獣ボベルファから「ボォォォン」と音が響いた。


 神獣(ロロ)が、


「ンンン」


 と返事を出すと、「にゃご――」と紅蓮の炎を口から吐いた。

 斜め前方にいた巨大な蝙蝠型のモンスターを炭化させて墜落させる。


 大平原コバトトアルは大戦場。戦いは空の上にまで及ぶ。

 雷竜ラガル・ジンや、ナイトオブソブリンのような稲妻を放つドラゴンの群れが、毛むくじゃらで二眼二腕の巨人魔族たちと戦っている。巨人魔族たちは十層地獄の王トトグディウスの眷族なんだろうか。

 

 空は空で弱肉強食か。

 右手に無名無礼の魔槍を召喚。


 戦いになったら突っ込む。

「ん」

「ご主人様、空飛ぶ巨人たちは古バーヴァイ族でしょうか」

「あぁ、氣付かなかったが、その線もあるのか」

「あ、いえ、そういうわけではないです。巨人系も様々だと思いますからね」

「おう」


 そんな飛行中にも、相棒は、「ンン」「ンン、にゃおぉ」、「ンン、にゃ」、「にゃごぉ」と鳴きながら、複数回、こちらに触手を寄越していた。

 

 今も俺やヴィーネ、ユイ、レベッカ、エヴァ、キサラ、キュベラスの前に無数の触手がしなやかにせり上がっては、血文字を描くようにジェスチャーを交え、その先端の奥からニョロッと骨剣を伸ばしてみせる。


 エヴァとレベッカとユイは興奮気味に、「ロロちゃん、爪が進化!」と何回も叫んでは、


 進化した骨剣の鋭利さよりも、その根元に咲いた柔らかな肉球に心を奪われていた。

 ユイは掴んでいる触手を少し伸ばし、裏側の肉球の匂いを嗅いで、「うふふ、いい匂い~」と発言し、キサラも「日向の匂いに微かな獣の香り……それに肉球の柔らかさと、このふかふかの毛並みがとても魅力的で、あぁ~~」と肉球にキスをしていた。


「ンン」


 足下が少し揺れると、壮大なゴロゴロとした喉音が響いて地響きが起きる。

 巨大な黒虎(ロロ)も相当に嬉しいんだな。


「ん、ロロちゃん、爪、すごい……でも、ここ、ぷにぷに」


 と呟き、夢見心地で肉球の弾力を指先で確かめている。神獣の威厳を纏いながらも、その肉球だけは眷属たちの心を癒やす、至高の聖域として存在していた。

 

 合流したばかりのキスマリ、ルリゼゼ、アドゥムブラリの三人は、大きい触手の鞍に身を委ねながら、相棒が自慢してきた触手の骨剣を触っていた。

 

 触手の先端からニョロッと突き出る骨剣は、前足の爪の構造に近い。

 エヴァたちが肉球をモミモミと押すたび、その骨剣が猫の爪のように甘えるように出し入れされる。

 その様は猛々しくも、どこか愛らしい。

 

 だが、感心している間に骨剣の質感が変転した。

 象牙色から、神座の理を吸い上げたような白銀、そして橙色の魔力が透ける半透明の刃へと変化した。

 先程の戦闘でも、たびたび、確認できていたが、相棒の進化は、俺の想像を遥かに超える速度で加速している。


 今も、俺の前に浮かぶ、触手の裏側の肉球を押す――と、爪が出るように骨剣が伸びた。

 面白い~。

 

 骨剣の素材が再び変化し、元の乳白色や象牙色に戻った。

 どうやら自在に切り換えられるらしい。銀と金で効果に違いがあるのだろうか。

 思考を巡らせていると、今度は切っ先から神座の理を宿した橙の神炎が溢れ、触手全体を神々しい光輝で包み込んだ。金銀の粒子が舞うその武装は、もはや既存の概念を超えた「神獣の法具」と呼ぶべき美しさを放っていた。

 

 ま、呼ぶ時は普通に骨剣かなと、考えを纏めると、背の横から伸びていた黒翼が小さく揺れ、孔雀の羽根のような形の橙色の魔力の翼が上下に展開された。

 

 美しい。


「にゃごぉぉ~」


 誇らしげな鳴き声と共に橙色の炎が一筋、夜空へと吐き出された。

 神座の理が共鳴して以来、相棒が灯す炎の魔力は一段階強まっていると分かる。

 深淵の理の片鱗が炙り出されているような、不思議な質感が宿るようになっていた。

 

 だが、今は、あまり派手には噴出させていない。

 近くに魔毒の女神ミセアの眷族兵たちがいるからだ。

 

 女神ミセアの尖兵、毒薔薇特務大隊五番隊隊長ベーバティが、蛇の如くうねるマントを翻し、相棒の広大な頭部へと音もなく舞い降りた。

 彼女の率いる数百の魔族たちは、整然と宙空に陣形を組んだまま左右に展開中。

 一糸乱れぬ稼動が、女神ミセア様直属の精鋭らしい仕上がりを物語っている。


「シュウヤ様、私たちは陣列の側翼を担います。先陣はご相棒様にお任せを」

「おう、頼んだ」


 ベーバティは目尻にかすかな魔力を揺らめかせて頷くと、両手剣の魔大剣をすっと召喚した。柄頭から黄緑の毒霧が一筋、蛇の舌のように戦闘空間を舐めていく。

 側翼を固めるベーバティの勇姿を、ヴィーネが銀髪を整えながら静かに見据える。

 その口元にはかすかな余裕の笑みが浮かんでいる。しかし、その内に揺らぐ感情は、はっきりと伝わっている。同盟相手の強者に対する鋭い観察眼もあるか。

 同時に筆頭従者長としての誇りもあると分かる。

 そのヴィーネと目が合うと、ニコッと笑顔を見せてから、


「……ご主人様、ベーバティ殿は……勇ましい方ですね」

「あぁ、頼もしい」

「はい」


 短く返す。

 含みのある言い方をしないのは、ヴィーネを安心させたいから、というよりは――事実、敵が肉薄してくれば、彼女の指揮能力と毒霧の連携で命を救われる場面もあるだろう。

 そう、無下に扱う必要はない。

 ヴィーネは、ぴくりと耳を動かしてから、頬の銀蝶を小さく羽ばたかせる。


 エヴァが傍らで、紫水晶の魔力を揺らめかせ浮遊し、


「ん、空にも悪神デサロビアや十層地獄の王トトグディウスの軍隊がいる」

「うん、モンスターも多いから戦争って感じではないわね」

「はい、その分、ミトリ・ミトンの故郷にも速く到着できるかもですね」

「モンスターと敵軍の襲撃準備はしておく」


 ユイも刀の柄に手を添えながら微笑む。

 エヴァが「ん、準備……みんな、繋げる」と囁く。直後、彼女の細い指先から溢れ出した紫水晶と似た綺麗な<血魔力>が、目に見えぬ繊細な網となって俺たちの意識を包摂した。 それは情報の伝達を超え、五感そのものを共有する、濃密な精神の結合だった。


 ベーバティと毒薔薇特務大隊の皆には当たっていない。


 すると、移動陣形の構造が意識の表層に浮かぶ。

 エヴァの<霊血導超念力>の進化は凄い。

 彼女の念波で、隊列の位置取りと、想定される交戦時の連携手順が、共有された。


 エヴァの念波は更に精緻になっていた。その情報に従うように、相棒は降下して霧を突破し、砂丘と巨大な突兀の上に着地する。

 ボベルファの咆哮『ボォォォン』が大氣を震わせると、ロロディーヌの黒虎が低く唸って前へ駆け出した。<武行氣>と相棒の足捌きが噛み合う。


 駆ける俺たちの眼下には、先刻までの地獄絵図が焼き付いている。

 だが、今の俺にはそれらが「過去の残響」に過ぎないと感じられた。

 神座:神律の適格者としての理が、周囲の魔素を強制的に平らげ、戦場の混沌を塗り替えていく。隆起した魔皇碑石が、俺の通過に合わせて共鳴するように淡く脈動していた。


 そして戦場の上空には、〝魔神殺しの蒼き連柱〟と〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟が天を貫いたまま消えるでもなく屹立している。

 狩魔の王ボーフーンを屠った時の証明だけなら〝魔神殺しの蒼き連柱〟なはず。

 〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟が出現した理由には、狩魔の王ボーフーンごと神界の神格持ちの魂が入ったアイテム類を、壊槍グラドパルスで貫いたせいかも知れない。


 それか、魔槍杖バルドークか、神槍ガンジスの影響かな。

 単に、狩魔の王ボーフーンが封じ込めていた神界の神々の魂が解放されたからだろうか。


 ま、分からん。

 

 キサラが魔槍の石突きを指で撫でながら、


「魔神殺しの徴が二本……これほどの密度で残ったままなのは、私の長い記憶にもございません」

「ん、シュウヤの神座が、この空間に書き込まれてる感じ」

「狩魔の王ボーフーンがかつて、戦神の下級神、中級神を無数に屠って己の中に封じていたか取り込んでいたから〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟が出現した?」

「そうかもですが、シュウヤ様の武器の効果の線もあります」


 キュベラスは、


「とにかくも、蒼と紅の連柱が魔界の空を支配する様は、世界の理が更新されたことを告げることでもあるように思えます」


 ヴィーネは、


「神話の始まり、同時に既存の神々への宣戦布告とも取れる……」


 と呟くと、皆、少し間を空けた。

 

「破壊の王ラシーンズ・レビオダや憤怒のゼアを屠った時と同じく、神々と諸侯も注視し、更なる乱戦となる可能性が高いですね」


 当然だな。神を屠った余韻が場に刻まれているなら、敵側の神格持ちもそれを察するだろう。ま、来るなら来い、というところだ。


 遠望する南東の地平には、血錆色の起伏が幾重にも重なっている。


「見えました。あの先がアバドンの丘の一部。激戦区ですので、近付かないようにしてください」


 ミトリ・ミトンが警告してくれた。

 皆が警戒モードに入る。


 巨大な剣の刃を地に伏せたような尾根の集まりがアバドンの丘の前哨地帯。


 それを越えた先に銀翠の雨を静かに降らせる「ライムランの結晶雲」が淡い光膜を作って漂っていた。


 古来より、暴虐の王ボシアド、欲望の王ザンスイン、破壊の王ラシーンズ・レビオダ、狂気の王シャキダオス、宵闇の女王レブラ、そして狩魔の王ボーフーン、数多の覇王たちが、その丘で理を叫び、散っていったという。


 今は、覇王たちの叫びの残響だけが、結晶雲の銀翠の雨と共に大地に降り注いでいる。

 寄ってきたザンクワを凝視した。彼女は目を細める。

 その視線が、遙か南東――視界の端に揺らめく地平線の先――へと、ふっと逸れた。


「……ザンクワ、ミトリ・ミトンの故郷を知っている?」

「あ、ずっと先、この方角にリルドバルグの窪地があるんです」


 声に感情はない。

 ただ、その目には、家族と離散させられた日の記憶と、魔界騎士ライランの軍勢が骨塚を踏み躙った日の灰色が、混じっている。


「……なるほど」


 ミトリ・ミトンが、震える指でザンクワの肩に触れた。


「……ザンクワ……」

「ミトンの故郷にある朽ちた大魔塔には、何があるのでしょうか」

「……分かりません」


 ミトリ・ミトンの言葉に頷く。

 だが、あえて、


「故郷のことを教えてくれ」

「はい。ライムランの結晶雲が銀翠を降らせる麓、アバドンの丘が落とす深い影の窪地……。そこで私は、親も名も持たぬ無機質な『現象』として、この世界に産み落とされました。温もりという言葉の意味さえ、知らぬままに」

「……」

「ですが今は」


 ミトンは震える指先を隠すように杖を握り締め、四つの腕を交互に重ねて自らを抱きしめるような仕草を見せた。その細い肩に一匹のブッティが跳ね乗り、励ますようにその頬を擦る。


「……ですが、今は。独りでは届かなかった、温もりを知っています」


 少女の銀緑色の瞳に宿ったのは、かつての『現象』としての孤独ではなく、俺たちと共に歩む『生』の灯火だった。


「……あぁ、そうだな」


 ザンクワの双角強症が、淡く震えた。

 黙って、二人のやりとりを聞いていた。

 失われた故郷を巡る祈りは、声に出さないほうがいい時もある。

 眷族たる鬼魔人と、ボベルファの担い手という別個の理を背負う少女が、共に同じ南東を見つめている――その光景だけで、十分だ。


 ミトンから「シュウヤ様と皆様、無主の魔街異獣の群れと遭遇するかも知れません」


 そこから、宿主や野生の魔街異獣についての話題が皆の間で活発に交わされた。

 そんな中、神獣ロロディーヌが進路を緩やかに右へと振る。

 毒薔薇特務大隊の強者の数名が遠くから見張りを終えて、こちらに着地。

 数名の毒薔薇特務大隊のメンバーは、併走している大厖魔街異獣ボベルファの背にも向かう。

 

 大平原コバトトアルの東側、毒の守森城パーシントの伽藍が遠望できる地点を抜けて、更にかなり遠い南東。黒藻蜘蛛の森らしき蒼黒い天蓋が左手に流れ、その奥には、魔城ハーグリーヴズらしき物、暗紫の楼閣を聳立させている。

 

 完全に魔毒の女神ミセアの領域。

 

 それを見ながら南東のアバドンの丘を通り過ぎ、ミトンの故郷に近付いた。

 その時。


「主様」


 腰の無名無礼の魔槍の柄から、墨色の炎が小さく漏れ出した。

 鬼の仮面ナナシ、完全に顕現するのではなく、柄の意志体としての影だけを浮かべている。


「あぁ、何か感じたか」

「南東の……岩の隙間から、腐死した泥のような魔力が這い出してきやがる。【闇神異形軍】の有象無象と、狂奔するベラムフの群れだ」

「闇神リヴォグラフはきたら戦うが、ベラムフか」


 ミトンとボベルファを長く追跡してきた、担い手を持たない無主の魔街異獣の群れ。

 ミトンと――彼女に選ばれたボベルファに、激しい羨望と憎悪を向ける厄介な連中。


「その魔街異獣の数は?」

「ぱっと氣配を拾った限り、中型が八、大型が三、超大型が一。担い手なしだから理の核がそれぞれ散漫だが、群れた時の波動の重なりは厄介だぜ。それと――」


 ナナシの炎が、不規則に揺れた。


「……ベラムフどもの後ろに回った複数の闇神リヴォグラフ側の動き【闇ノ速辣隊】もいるかもだな。で、一つ雰囲気の違う『線』が紛れ込んでいる」

「線?」

「魔線、ってより、糸、だな。極細の――そう、極細の傀儡糸の匂いだ」


 傀儡、その言葉に一つの名前が浮かぶ。


 昔のナロミヴァスの言葉にもオオクワの言葉にもあった。

 オオクワはかつて胸元に手を当て、


『ハッ。魔傀儡人形(イーゾン)を背負う魔人で、見た目は人族に近いようですが、多種多様な武器を器用に扱い、個人、集団問わずの戦上手。魔界大戦、神界側との戦いで結果を出し続けているようです』

『魔傀儡ホークはかなり強そうだ』

『『はい』』

『オオクワとディエは、魔界大戦や神界側との戦いを経験済みなのかな』


 と会話していたっけか。


 ……ナナシの索敵精度が、以前とは比較にならないほど鋭敏化している。

 その仮面から漏れる墨色の炎が、空間の『糸』を正確に捉えていた。


 エトア、エヴァ、キサラ、レベッカも、その異変に氣付き、無名無礼の魔槍の柄やナナシの仮面を凝視している。


 無名無礼の魔槍の柄に刻まれている梵字の『バイ・ベイ』が煌めいていく。

 単純に、俺の神座:神律の適格者しんりつのてきかくしゃの影響か。

 キサラが、


「シュウヤ様の神座の鼓動に呼応し、闇と光の運び手(ダモアヌンブリンガー)装備と同じく、その『法』が、武具の格を強制的に引き上げているのでしょう」


 キサラの言葉に皆が頷いた。


 ボベルファの背で、ミトンの肩がぴくりと跳ねるのが、視界の隅に映った。

 ブッティちゃんが、ぴしゃりと跳ねて警戒態勢を取り、ミトンの腰回りに集まる。

 『聖なる膜』が銀色の光膜を展開し、空間の歪みを舐めるように検査していった。


「……ホーク」


 ミトンの唇から、その名が震えるように零れる。

 ザンクワの双角強症が、戦慄したように脈動した。そこから伸びたかすかな魔線が南東の方角に消えていく。


 鬼魔人、ザンクワの故郷、リルドバルグか。

 トモンやジェンナたちの故郷もその方角ということか。


 ……ザンクワの腰に右手を添える。


「そいつが、直接交戦の意志があるか分からん。だが、ベラムフの群れに紛れているとしたら、状況見極めをしている可能性が高いな」


 無名無礼の魔槍のナナシが、


「問題は、傀儡糸の匂い。近付くだけで、糸は引っ込む種類の臆病者でもあるが、内実は、極めて強い。巨大モンスターを遊びで放ってくるだけならまだマシ。お得意の魔倶魔人形イーゾンを構えてくるなら、絶対に逃さねえほうがいいぞ」

「了解だ」


 ナナシの炎が、墨痕を引いて再び魔槍へと吸い込まれる。


 ヴィーネとユイ、エヴァを順々に見た。

 <ベイカラの瞳>なら一度見れば、追跡は可能。

 

 黙ったまま視線で打ち合わせると、ユイが瞳の白銀をぱちりと一閃させて、頷いた。

 ヴィーネは〝星見の眼帯〟を装着。

 眼帯の縁や体から<血魔力>を放出させている。

 

「ん、魔傀儡、魔傀儡師とも呼ばれているホーク。名だけは聞いたことがある」

「傀儡軍団も操るという噂は聞いたことがあったな」

「はい、惑星セラでは、フロルセイル地方のイーゾン国崩壊の理由と聞いています」

「魔界では、昔から有名な存在だな」

「うむ。強いが、まともに戦うところはあまり見たことがない」


 アドゥムブラリ、ルリゼゼ、キサラ、キスマリの言葉に、ミトリ・ミトンはかすかに頷いたが、否定するようにかすかに頭部を左右に揺らす。彼女には深い理由があるんだろう。


 ロロディーヌが、走る速度を更に上げた。

 大型のロロディーヌの呼吸に合わせ、頭部の上の俺たちもふわりふわりと上下する。

 ボベルファの背では、ド・ラグネスが紅蓮の劫火を魔大剣の刀身に巻きつけ、戻っていた副官ディエが射手アラと共に弓弦を引き絞る。

 ガマジハルの幻腕隊が、暗緑の<黒呪導術>の魔線を準備し、ヘイバトの片腕の部隊が魔刀を抜いた。

 毒薔薇特務大隊の側翼陣形は宙空で輪を組み直し、五重の毒霧結界を周囲に展開する。


 来る。


 大地の起伏の影から、ベラムフ魔街異獣の群れが姿を現した。

 鋸歯のような背骨を持つ甲殻種、四つの首を持つ大型種、頭部から霧状の魔力を吐き出す無形種――姿形はバラバラだが、いずれも担い手を持たないがゆえに、瞳が虚ろで、暴走の魔力に支配されている。超大型の一頭はボベルファに匹敵する体躯。

 四肢に痘瘡のような魔孔が無数に開き、そこから黄黒い魔力の塊を吐き出している。

瘴氣を帯びた魔力が宙空に広がるが、こちらに着弾はしない。

 宙空から、エヴァが操作する白皇鋼(ホワイトタングーン)の塊が飛来し、超大型のベラムフの頭部を的確に突き抜けて爆発した。

 血飛沫が周囲に吹き荒れるが、群れの勢いは収まらない。

 放たれた白皇鋼(ホワイトタングーン)は瞬時に無数の細かな欠片へと分かれ、エヴァのポーチの中へと帰還していく。


 エヴァは、首を傾げ、不思議そうに見つめている。


「ん、倒しちゃった……少し、力、入れすぎた」


 己が操作がする白皇鋼(ホワイトタングーン)の塊が、超大型の魔獣の頭部を突き抜けて、威力が前とは異なることに、まだ認識が追いついていなんだろうな。

 神座の影響は、俺だけでなく、俺と深く繋がる彼女たちの「理」をも、底上げしている。


「エヴァ、氣にしない。ここは魔界!」

「ん!」

「ボォォォォン――!」


 ボベルファが咆哮で応える。

 同心円状の音圧波紋が、飛来してきた黄色の塊を次々に弾き飛ばしていく。

 更に、「ボォォォンッ」と音圧が波動となって周囲に飛び、その音波を喰らったベラムフたちの先頭を木の葉のように吹き飛ばす。

 ベラムフの群れの理の核が散漫であるがゆえに、波動の重なりは破壊しやすい――ナナシの言葉どおりだった。神槍ガンジスを左手に呼ぶ。

 螻蛄首に嵌め込まれた神魔石が、青白い波紋を一瞬広げ、ハルホンクが右肩で『カチン』と歯車のような音を立てた。

 <青龍ノ纏>――必要ない。今この場で青龍を呼ぶほどの相手ではない。

 無名無礼の魔槍を左手に神槍ガンジスでやるか。


 と、前に出ようとしたが、


「――主、ゼメタスとアドモスもだが、我が先陣を行いたい」

「我もだ」

「「……」」


 ゼメタスとアドモスは俺を見る。


「おう、では、キスマリとルリゼゼ、先陣を頼む」

「ハッ! 主、久々に、主に戦の贄を捧げられるというもの……」

「承知した……こやつらの〝無主〟の理を、根こそぎ刈り取ってやる」


 <筆頭従者長>のルリゼゼと、<従者長>のキスマリ。

 二人が、ロロディーヌの頭から優雅に身を躍らせた。

 キスマリの六眼が一斉に瞬き、<従者長>特有の重厚な威圧が空氣を圧縮する。

 ドッとした衝撃波を伴う剣閃が、斜めに入ると、巨大なベラムフの頭部を斜めに両断。

 

 ルリゼゼは曲剣と〝双頭の魔蛇槍〟を交互に出現させながら、宙空で軽やかに弧を描いた。

 彼女の四眼が、それぞれ別の方角を捕捉して、敵の理の核を割り出していく。


 キスマリは前に出て、体から放出した<血魔力>で体と四腕が隠れた刹那、<血魔力>が吹き飛ぶように消えると同時に体がブレた。


 中型ベラムフの胴体を両断――次のベラムフの四肢を斬る。

 次のベラムフの胸元の核を魔剣ケルと魔剣サグルー魔剣アケナドと魔剣スクルドで正確に穿っては、斜め下に飛翔し、跳び蹴りを、次のベラムフに繰り出す。

 魔獣の腹を潰すように吹き飛ばす。血肉が魔煙となって霧消する。

 ルリゼゼの曲剣が、別の中型ベラムフの首を一閃で四つ同時に斬り落とした。

 〝双頭の魔蛇槍〟は、二つの蛇頭がそれぞれ違う敵を貪り喰らう。


 手練の戦闘ぶりだ。

 右にいるアドゥムブラリも、「主、俺も出るぞ」と<魔弓魔霊・レポンヌクス>を召喚し飛翔していく。整然と毒薔薇特務大隊の側翼陣と連携する。


 奥にいる超大型を狙うとしよう。だが、左奥から様子を伺っている連中もいる。皆の状況を把握しての後の先だ。


「ご主人様、超大型の手前はわたしたちが――」

「では、最奥とその横にいるベラムフたちは、俺と相棒が倒そうか」

「ンンン――」


 黒虎ロロディーヌが体を低くしながら前に出た。

 その相棒から跳ぶと同時に<血道第三・開門>――。

 <血液加速(ブラッディアクセル)>――。

 <闘気玄装>を強め、<ルシヴァル紋章樹ノ纏>、<滔天仙正理大綱>、<滔天神働術>を発動。神槍ガンジスを構え直し、<水穿>――ではなく、<光穿>を選ぶ――。

 神槍ガンジスの穂先――双月刃が月のように白い光弧を結び、<光穿>の極光が一閃。


 超大型ベラムフの胴体を縦に貫通し、その奥の起伏もろとも、地形を一本の溝として刻みつけた。やはり、光属性は、無主のベラムフの暴走魔力に対しては相性が良い。


 絶命の咆哮を残し、超大型ベラムフが横倒しに崩れ落ちる。


 しかし――それより先に、もう一つの感覚を捕捉していた。

 空氣の縫い目を縫うように走る、極細の傀儡糸。

 たしかに、ナナシが言ったとおり、ベラムフの群れの陰に、それは紛れていた。

 闇神リヴォグラフ側の動きは遠目からこちらを窺うのみか。


 魔傀儡師ホークは、こちらの介入を察したようで、糸はそろりと――息を殺すように引いていく。


 ユイが小さく舌打ちした。


「逃げる氣ね。<ベイカラの瞳>で『縁取り』だけしておくわ」

「あぁ、頼む」


 ユイの白銀の瞳が、空氣の縫い目を辿るのが見えた。

 糸の出元へと魔力の刻印を打ち込む。

 刻印は、糸の本体に達することなく、その経路に沿って空間そのものに記録されたように見えた。たとえ糸が消えても、空間の記憶が残るのか。


 ミトンは、ボベルファの背で、震える唇を引き結んでいた。

 しかし、その目は、もう泣いていない。四つの腕のうち、上腕二本で杖を握り、下腕二本でブッティちゃんたちを慰めるように撫でている。


「シュウヤ様、ありがとうございます。今は……戦わずに済んで、ホッとしました」

「ミトンにとってあいつは、最古の傷だ。再戦の時は、お前が決めてくれ。俺はその時に、隣に立つ」

「……はい」


 ミトンの瞳に、銀緑の光が小さく宿った。

 ボベルファが、ミトンの頬を撫でるように、首を傾けた。

 ベラムフ魔街異獣の残党は、キスマリとルリゼゼの片付けで、四半刻もかからずに殲滅された。残された亡骸は、毒薔薇特務大隊の魔法陣によって、毒霧の灰へと還元されていく。

 戦場の負債を可能な限り残さない――ベーバティの隊の規律は、見事だった。


「シュウヤ様、後始末は私たちが担当しますので、進行を止めずに」

「あぁ、助かる」


 ベーバティが頭を垂れて、ヴィーネに視線をちらりと向ける。

 ヴィーネは、無言で頷いた。

 その短い視線の往来に、暗黙の役割分担がある。

 

 前衛と後衛、陣の側翼――が結ばれていく。

 戦時下の女たちの間にしか生まれない、奇妙な信頼の芽だ。


 俺たちは再び南東へと駆けた。


 地表の起伏が、徐々に変質し始める。

 血錆色の土から、銀緑色の苔の絨毯へ。

 苔は、ライムランの結晶雲から降る銀翠の雨を浴びて、淡い光を内包している。

 その淡い光が、踏み締めるたびに、ふわりふわりと反応する。

 まるで、苔の一つ一つが、何かを覚えているかのようだ。

 ボベルファが歩を緩めた。ミトンは、杖を握る指から力を抜き、上腕二本を解いて両手を地平線に向ける。

 その先――銀翠の雨の帳のさらに奥に、何かが見えた。

 点。米粒のような、小さな影。

 確かにそこに、何かが存在している。

 

「あれ……あれです……」

「うん」


 ミトンの声が、震えていた。

 神槍ガンジスを納め、ロロディーヌの黒虎の毛並みを撫でた。


 点は、徐々に輪郭を結び始める。歪に崩れた魔塔の上半身。

 ねじ曲がった尖塔、巨大な魔塔が、内から崩壊したようなメルト跡もある。

 周囲には、苔と銀翠の雨に飲み込まれかけた廃墟の家屋群が、点在している。

 

 数百年は誰の手も入っていないだろう、忘れ去られた集落か。

 駆けるのを止めた。黒虎ロロディーヌが、足音を消すように歩を進める。

 ボベルファも、地響きを最小限に抑えながら、丘の手前で四肢を止めた。


 ライムランの結晶雲から、絶え間なく降り注ぐ銀翠の雨。

 それが廃墟を濡らし、苔を輝かせる様は死と再生が永遠に停滞しているかのような残酷なまでに美しい静寂を湛えていた。


 ミトンの表情には明るさがあった。

 銀翠の雨と戯れるように少し浮遊して笑顔を見せると、相棒の頭部に着地、そのまま、俺をジッと見てきた。薄緑が基調の瞳がキラキラ輝くと、俺たちの姿が反射して映る。

 

 俺たちの存在が、彼女の魔力と、この地方の雨によって溶け合っていくように思えた。

 そのミトンに、


「……ここが、ミトリ・ミトンの生まれた地」

「はい。三十八の銀翠の日に、わたしは『現象』として産み落とされました。親はおりません。けれど――」


 ミトンが、ボベルファの背から、ふわりと地に降りた。

 半透明の階段がリズミカルに鳴り、ブッティちゃんたちが彼女の足元で「ブブッブゥ」と弾む。四腕の少女は、廃墟へと一歩、また一歩、進んでいく。


 その時。


 廃墟の中心――崩れた魔塔の根元、影の最も濃い場所――から、わずかに、けれど確かに、空氣が動いた。


「主、何かいるぜ」


 無名無礼の魔槍から、ナナシの墨色の炎が、ふわりと滲み出る。

 ヴィーネの銀蝶が、即座に空中で陣形を組み直した。

 ユイが刀の柄に手を添え、レベッカが拳に蒼の炎を灯す。

 エヴァの霊血導超念力が、紫水晶の波紋を四方に展開する。


 ロロディーヌが、低く唸る。


「にゃごぉぉ……」


 神槍ガンジスの神魔石が、青白い波紋を一閃広げた。

 神座の理と<四神相応>の青龍が、内で静かに、ゆっくりと、目を覚ましかけている。


 崩落した魔塔が落とす濃密な闇。

 その深淵から、幾千の歳月を煮詰めたような視線が這い出し、こちらを射抜いた。

 右手に無名無礼の魔槍を取り、左手には神槍ガンジスを不敵に構える。銀翠の雨だけが、沈黙に支配された廃都に冷たい旋律を奏でていた。


「……聞こえているなら、返事を頼む」


 俺の問いに、答えは、まだ、ない。


 ただ、廃墟の奥から、一拍遅れて、


「……ミトリ……ミトンや……待っておったぞ……」


 銀翠の雨が奏でる静謐な音を切り裂き、時の底から響いてくるような、古びた嗄れ声が届く。それは物理的な音というより、この土地に染み付いた執念の氣そのものが、彼女の名を呼んでいるかのようだった。


 ミトンが息を呑む。

 四つの腕のうち、上腕二本が、震えて、杖を取り落とした。

 即座にミトンの横に移動、<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を前に出す。


HJノベルス様より『槍使いと、黒猫。』1巻~20巻、コミック版1巻~3巻が好評発売中!


【お知らせ】設定資料・外伝等の保管庫(note)を開設しました。

https://note.com/kenkou_novel/n/n745c32bdb4ba


最初の投稿として、書き下ろし限定SS『迷宮都市イゾルガンデの裏側で』(ロロとフォティーナの活躍劇)を公開しています。


今後はシュウヤ視点の小話や、本編では書ききれなかった設定をまとめた「槍猫」の総合アーカイブとして、無料・有料を織り交ぜながら更新していく予定です。

本編とあわせて、ぜひこちらもお楽しみください。


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>戦時下の女たちの間にしか生まれない、奇妙な信頼の芽だ この表現好きです
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