二千百八十二話 魔毒の女神と淫魔の王女、そして暗剣の風
視界の端で爆ぜる死の薔薇――魔毒の女神ミセアの加勢は、戦場に甘美な猛毒を振りまいている。ナギサたちが遠い空へと飛翔し、リサナが俺の背後を護るように影へと溶け込むのを感じ取った。
「ミセア様――」
ヴィーネが驚きの声を発し、<銀蝶の踊武>を取り止める。
と、魔矢が複数飛来――魔槍杖バルドークの穂先で下からすくい上げるように一閃。
魔力ごと魔矢を断ち切りながら、優雅に舞う女神へと、
「――ミセア様、助太刀に感謝しています」
と、お礼を言う。同時に、左上空に群がる異形魔族を、右手の<鎖の因子>から射出した<鎖>でぶち抜き、動きを止めた。
即座に今まで守り主体だったヘルメの《氷槍》が、その魔族の体に幾つも突き刺さっていく。無慈悲な氷の彫像となった直後、深淵のネプトゥリオンが放った無数の重圧を帯びた水玉の一部が衝突し、硬化した因果を粉砕するように魔族は散体した。
百目血鬼は鹿魔族の強者を一人仕留めては、右上空へと飛翔し、飛翔型の獅子の頭部を持った魔族と対峙する。魔剣師タイプで強者か。
魔毒の女神ミセアは、
「ふふ、そんなことより、狩魔の王ボーフーンを屠るなんて、見事すぎるわよ♪ うふふ――」
戦場に漂う甘美な死の香り――。
ミセアが空間を撫でるように腕を振るうと、虚空から猛毒を滴らせる蛇と、緑や紫の薔薇が溢れ出した。それらが鹿魔族たちの体に触れた瞬間、薔薇が食肉植物へと変化し、捕食するための口を広げて敵軍の陣形の一部を喰い破る。更に、薔薇自体が爆発を繰り返し、花々の幻影を生んでは本物の薔薇に変化し、周囲の魔族兵たちへと棘付きの茎を伸ばして天然の鉄条網と化していく。凄まじい蹂躙劇だ。
「ウフ、キュルレンス、警戒せず、南に陣取りを――」
すると毒々しい霧が発生し、一瞬にして地面へ茨が展開され、薔薇が南へと広がっていく。
毒の薔薇が敷き詰められた大地から、一際太く、悍ましい茨が天を突くようにうねり、にゅるりと上がった。空間そのものを穿つように伸びた茨がシュッと霧散した跡には、冷徹な殺氣を纏ったキュルレンスが佇んでいる。冷徹な殺氣を武器にしたように細かな氷系統の刃が彼女の回りを巡っていた。
そのキュルレンスは「はい――」と御辞儀をしてから、素早く南のほう移動し、鹿魔族の残党や闇神リヴォグラフ側の戦力などの戦いを見つつ、近付いてきた猪の頭部の魔族へと、ロープ、否、雷状の鞭を中距離からノーモーションで振るう。一瞬で、その体は斜めに両断されて崩れ落ちた。
更に東から鹿魔族がこちらに特攻してきた。
ケンタウロスっぽい姿。四眼四腕に鹿角を有したグリズベルの亜種か。
逃げずに戦いを挑んでくるか。降伏してくれたら戦力になるが、ま、統率者たる魔神が倒れた以上は、死の狂乱に駆られるのも当然か。
奴らは投げ槍を<投擲>し、火球や魔矢を次々と放ってくる。
火球や魔矢も寄越してきた。
<夜行ノ槍業・召喚・八咫角>を展開してそれらの猛攻を弾き防ぐと、直ぐに霧散させた。
深淵から汲み上げた魔力を、純白の熱量へと変換する。《氷命体鋼》を起動――絶対零度の意志を込めた《氷縛柩》が、突進してくる鹿魔族たちを、その躍動のまま、次々と永久の静寂へと幽閉していく。
そして、王級:水属性の瀑布水龍――。
瞬時に巨大な青き水龍が顕現し、直進。
鼓膜を震わせる凄まじい咆哮と共に大瀑布の如き圧倒的な質量となってグリズベルの亜種たちを呑み込む――。
ミセアは、
「へぇ、神格を得たから魔法力も威力が抜群ねぇ、あ、ここから東の敵さんは私がもらうわ――槍使いにヴィーネちゃんは休んでおきなさい――」
頭髪の蛇たちが動き出す。
数十匹が切り離され、南から近付いてきた魔族たちへと矢のように直進していく。
すると、相棒が、「ンンン――」とその魔毒の女神ミセアの背後に向かう。
「――あら?」
半身のミセアは驚きに目を見開く。
「にゃ~」
と愛らしく鳴いた黒虎――。
ミセアは、巨大な黒虎の姿をした相棒の意図を察し、その背を受け入れるように両足をふわりと広げた。裂けた網タイツの間から覗く白い肌が、戦場には不釣り合いなほど魅惑的な光を放つ。
女神は「うふ♪」と熱い吐息を俺の感覚にまで届かせ、巨大な黒虎の背に、そのしなやかな肢体を深く沈ませた。
驚嘆を禁じ得ない光景だが、魔眼の焦点を絞り、その融合を注視――。
ジュッ、と女神の白い肌が相棒の橙火に焼かれる音が響き、ミセアが「アンッ……」と、痛みと悦楽が混濁した溜息を漏らした。
ミセアの肢体と相棒の背が触れ合う境界で、橙色の戦神の炎と濃厚な<血魔力>が火花を散らす。またも、女神の肌を焦がすようなジュッジュッと音が響く。
彼女はそれを痛みではなく悦楽として受け入れ、恍惚的な表情を浮かべて、口先から長細い舌が幾つも分かれて蛇と化していく。
「ンンン、にゃご――」
相棒は氣にせず、魔毒の女神ミセアを乗せたまま、東に直進していく。
「閣下ァ! 我も東に!」
「はい!」
「おう、頼む」
ゼメタスとアドモスも、ミセアを乗せた相棒を追い掛けていく。
その先にいる黒虎とミセアは、相対した大柄な魔界騎士らしき敵を一瞬で屠っていた。
先程の魔槍持ち、皆の攻撃に魔毒の女神ミセアの攻撃も最初は避けていた渋い魔界騎士たちは確かな強者だったようだ。まぁ相性もあるか。
それに今の相棒はボーフーンを喰らった俺の影響で神座と共鳴し膨大な魔力を得ている。 橙色の炎は、勿論だが、四肢の爪の素材が変化していた。
両前足の黄金と銀色が混じる渋い爪。形も変化可能なようだ。
と、後ろ脚の爪が引っ掛かったのか、地面を数回連続的に蹴って前へと跳ねるように移動していく。そのたびに大地が深く穿たれていた。
足運びは後脚に付いたウンチを嫌い、必死に振り払おうとする愛猫そのものの挙動だった。違和感を払おうと躍起なんだろう。神獣の威容を纏い、大地を爆砕しながらも、内面はいつもの甘えん坊な「相棒」のままだ。そのギャップが、口元をわずかに緩ませる。
相棒は戦神の橙火を幾つも周囲に発生させていた。
ミセアは黒虎に跨がったまま、荒馬を操るロデオのように乗ったまま前に移動していく。
と、ミセアは、広げた両腕の手の爪先から赤い爪を伸ばし、一度に十体の重装の魔族兵士を溶かすように屠る。反動が激しいと思うが振り落とされてはいない。
そのミセアの体が仰け反って、大きい乳房を揺らしながら、黄色の瞳を煌めかせ、ウィンク。無数の緑色の蛇髪たちが蠢き、蛇頭は大氣に溶けるように消える。そして、近くや遠くにいる魔族の頭上へ転移して巨大化し、その魔族を喰らう。そこからミセアの本体のような分身が無数に誕生し、彼女の足下と周囲には毒々しい薔薇畑が広がっていった。
黒虎に乗っているミセアは、俺を見たまま、また『うふ♪』とウィンクをし、仰け反り姿勢から元に戻すと黒虎の背を優しく片手で撫でていた。
掌は燃えたままで本当に平氣のようだが、体のあちこちで燃焼を起こしている。
再生が速いから煌めいているだけにも見えた。しかし、神獣と魔神が一緒に戦うか……俺も神格を得ているからアレだが、有名な魔毒の女神ミセアが神獣に乗るって、歴史的な光景かもしれない。
そんな相棒たちの、遠い東からまた新手の魔素が大量に出現――。
魔界騎士が率いる大部隊か、死蝶人のような魔族、どことどこが戦っているのか、旗印でもあれば楽なんだが、敵と味方の見分け方がわからんのに、よく戦える。
それにしても大平原コバトトアルは滅茶苦茶広い。
古の魔甲大亀グルガンヌは、【グルガンヌ大亀亀裂地帯】&魔命を司るメリアディの領域&悪夢の女神ヴァーミナの領域の守りがあるから動かせない。
と、言うことで、【レン・サキナガの峰閣砦】の近くにいるだろう骨鰐魔神ベマドーラーを呼ぶかな。その前にレンとバーソロンに血文字を、
『レン、バーソロン』と送り、
『王魔デンレガ、魔蛾王ゼバル、厖婦闇眼ドミエル、街の様子はどうだろう――』
と血文字を送りながら《連氷蛇矢》と左手の<鎖の因子>から<鎖>を射出。
複数の魔法と<鎖>で鳥と魔族が融合したような敵たちを連続的に倒し、墜落させていく。仕留め損ねた鳥魔族は、近くにいたカルードたちが躍動するように駆け抜け、猪のような頭部を持つ六腕の魔族ごと正確に各個撃破してくれていた。
多種多様、キスマリやルリゼゼに師匠たちも居れば――。
まぁ仕方ない――。
『御意、何事もありません。ルグナド様の類縁地での勝利以降、光魔ルシヴァル、マゼグド大平原と隣接している王魔デンレガと魔蛾王ゼバルの所領は、ノクター様とルグナド様、そして私たちで分け合う形となり、安全地帯は増え続けています。それよりも、勝利したのですね! ここからでもかすかに反応が見えますよ。おめでとうございます!』
『おう、勝利したが、状況はカオス、骨鰐魔神ベマドーラーを借りるが大丈夫かな』
『あ、はい。では、私か、バーソロンが乗り込み、そちらに向かいます』
『ありがたい、では、こちらは戦いながらだ。ベマドーラーに乗ったら血文字を頼む』
『はい!』
魔槍杖バルドークを短く持ち直し<握吸>を発動。
隆起した『魔皇碑石』の森の先を見据えると、北の空から虹色の魔布がオーロラのように棚引き――。
「『ウォォォォォンッ――』」
巨大な咆哮が轟く。
魔皇獣咆ケーゼンベルスだ。
「『我が主よ! ついに神座に手をかけたか! ボーフーンという絶対的な狩りの理を粉砕せしその武威……このケーゼンベルス、魂の震えが止まらぬぞ!』」
大地を揺らすように神意力を放つ。
ケーゼンベルスの背から、魔裁縫の女神アメンディ様が神々しい虹の尾を引いて舞い降りた。アメンディ様がしなやかな指先をタクトのように振るう。その軌跡を追うように、虚空へ虹色の神糸が走り、周囲を全方位から守護する精緻な魔布の城壁が瞬く間に編み上げられていった。
「シュウヤ、無事で何より……エミリアたちの祈りが、あなたを支えたようですね」
「アメンディ様、ケーゼンベルス、助かる」
「うむ!」
「防御はお任せください、精霊さんたち、砂城タータイムは大丈夫。外に本格追撃を!」
「「「はい!」」」
闇雷精霊グィヴァ、古の水霊ミラシャンたちが飛翔していく。
頼もしい増援にヴィーネたちが安堵の表情を浮かべるのも束の間――。
またも、東南と真南の地平線から、ボーフーンが遺した巨大な利権を狙うハイエナどもの軍勢が、地鳴りを立てて殺到してきた。
闇神リヴォグラフ側と推測できる漆黒の魔力が異常に多い。
だが、他の諸侯や神々も闇属性が主体だからな。
赤や<血魔力>のような魔力は十層地獄の王トトグディウス側だろう。
厖婦闇眼ドミエルに、暴虐の王ボシアド側や悪神デサロビア側もいるようだ。
神々の先遣隊が、魔皇碑石の陣地を取り囲むように包囲網を狭めていく。
一触即発の神圧が空間を軋ませたその時――。
「にゃおぉぉ」
「――ふふ、そんなに殺氣立たないでちょうだい。この殿方は、私たちの『お気に入り』なのよ?」
黒虎に乗ったミセアだ。
と、跳躍して、毒の薔薇を足下に生み出しながら、素足で地面を踏みしめる。
そこに、「間に合った!!」とどこかで見た、あぁ、
「ん、淫魔の王女ディペリル!」
「閣下、淫乱の王女です!」
「はい、危険です。<補陀落>の許可をください」
「ご主人様、あの女はわたしが」
「うん、私も蒼炎で守るから、シュウヤに触れさせない」
ディペリルたちの一団をレベッカたちが囲う。その背後から光魔魔沸骸骨騎王のゼメタスとアドモスも戻ってくるのが見えた。
ミセアは、指パッチン。
刹那、南のほう消えていたキュルレンスが目の前に再出現。
ミセアの錦色の魔眼が、ヴィーネの持つ翡翠の蛇弓を凝視。
「……ヴィーネちゃん。こちらに戻ってきても良いのよ?」
「……ミセア様。私はもう、あなたの盤上の駒ではありません。この命も、この弓も、我が主シュウヤ様のために」
ヴィーネが静かに、だが鋼のような決意を込めて翡翠の蛇弓を構える。
「ふふ、良い氣概だわ、それでこそよ。そして槍使い。相談だけど、ここはから東南の一部は私がもらいうけることで、よろしくて?」
「あぁ、いいぞ、どうせなら同盟にしようか」
「「「ちょっ」」」
レベッカと、キュルレンスと、ディペリルが驚きの声を発した。
ディペリルは、
「シュウヤ様、私も同盟を結びたいのです。魔命を司るメリアディの領域と隣接する地域はまだまだ争いの地ですし、この大平原コバトトアルはご覧の通り、途方もなく広い。都合が合えばですが、そこの傷場の防衛戦力になるつもりもありますのよ」
「条件とかあるのか?」
「はい。私と、その……うふ♪ 極上の夜を共にしてくださること。それが唯一にして最大の条件ですわ」
「「ふざけるなッ!!」」
ヴィーネの光線の矢とレベッカの蒼炎弾がディペリルに向かう。
が、それは、ディペリルの配下たちに防がれた。
その配下の一人、美しい女性魔界騎士が、「王女に手を出すとは……覚悟はあるんだろうな……」と魔剣の切っ先をこちらに向ける。
名はたしかヴェルモットか、リサマベルだったはず。
ヴィーネたちに『まだ争うな』という意味で、左腕を上げた。
すると、ドクンッ!! え? 足下が震えた。
巨大な脈動?
「「え?」」
「足下と、いいますか、全魔界が、揺れたような……」
「はい、大地が震撼しています」
新たに得た称号と魔皇碑石の地脈吸収が、死地の深淵に眠る、『何か』を叩き起こしたようだ。
ミセアは微笑み、足下から伝わる異常な震動を確かめるような仕種を取り、
「……ふふ、どう考えても、狩魔の王ボーフーンが仕留めた魔神の一つの反応でしょうに」
と発言。
思わず、眉をひそめて皆を見ると、隆起した魔皇碑石が共鳴し、大工房の奥から――莫大な魔力が逆流してきた。傷場からの魔力か。
「この骨の峡谷全体が呼吸をしている!?」
ヴィーネの驚愕の声に呼応するかのように――。
纏うスラウテルの装甲が、龍の咆哮にも似た高周波を上げ始めた。
更に、地面に転がっていた魔槍までもが激しく震え、宙へと浮遊し始める。あれは先ほど魔界騎士が使っていた魔槍……やはりあれも、暗剣の風スラウテルの遺物だったということか。
「ん、シュウヤ……これ、生きてる。大きな、途方もなく巨大な意識が、この地の底から……私たちを呼んでる」
宙に浮遊するエヴァの体からは、紫を帯びた<血魔力>が波紋のように放出されていた。
彼女の<霊血導超念力>と<紫心魔功>が、数億年の眠りから覚めようとする魔神スラウテルの残滓を確かに捉えているようだ。
『……我ガ骨ヲ、我ガ魂ヲ継ギシ者ヨ。永劫ノ微睡ミヲ覚マセシ、新シキ黎明ノ王ヨ……』
――脳髄を直接揺さぶるような、スラウテルの重厚かつ古色蒼然とした遺志が響き渡る。
ボーフーンに滅ぼされた無念か。
大地そのものが、一つの巨大な魔導生命体として脈打っている。
周囲を取り囲んでいた神々の先遣隊すら、その本能的な恐怖にたじろぎ、ジリジリと後退を始めた。
ボーフーンという蓋が外れ、そこに『神座』を持つ俺が立ったことで、この死地は事実上の光魔ルシヴァルの領域となったということか。
「………スラウテル、お前の無念と意志、しかと受け取った」
地平を埋め尽くす神々の軍勢、そして傍らに立つ女神たちを射貫くように睨み据えた。
続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻-20巻」発売中。
コミック版発売中。




