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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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二千百八十一話 一番槍の夢果て、毒薔薇の幻影と骨で選んだ主の旗

□■□■


 魔界の風は常に鋭利な殺意を孕んでいる。あるいは、俺のような魔界騎士の鼻腔に誰かの終焉を告げる錆びた血の匂いを叩きつける。俺の名はガザロス。

 十層地獄の王トトグディウス様の旗印の下で、屍を蹴り越えてここまで這い上がってきた魔界騎士だ。

 神界セウロスの白々しい光など、ガキの頃から知らぬ。神々の盤上で駒として磨耗するために生まれてきたわけでもない。ただ、武を奉じて将位を獲る――。


 それだけが――。

 俺の生まれた意味で――。

 俺の死に方だ――。


 ぬおぉぉ――。


 再度、愛用の魔槍トガラを振るう。

 穂先から迸る紫電刃がこちらの喉笛へ絡みついてきた三頭の眼球触手野郎――を潰すように斬り裂いた。

 間髪入れず、次なる眼球触手野郎を真正面からぶち抜く――。

 ――トトグディウス領の浅瀬に湧くロザレオン種の魔獣ども――。

 そのロザレオン種、通称、眼球触手野郎との間合いを詰め、魔槍トガラを振るい抜く。

 ――瞳孔ごと細切れに両断。撥ね飛んだ眼球が地に潰れる前に、もう次の一歩を蹴り出している。


 この槍は、魔煉鉄場テナレウスで打たれた業物。

 その芯金には、かつてボーフーン領域で掠め取った『暗剣の風スラウテル』の残滓が組み込まれているとアガベス老は嘯いた。紫電を血の代わりに啜るこの穂先が、今、西の変異に呼応して狂ったように鳴いている。


 ふと遠方の空を仰ぎ、目を剥いた。


 死地の一つ――狩魔の王ボーフーンの領域。

 その方角の天空を貫いて、無数の〝魔神殺しの蒼き連柱〟と〝魔神殺しの紅蓮なる連柱〟が、交互に屹立しては消え、また屹立する。


 ――魔神殺しの光柱だと!?

 

 その明滅は、闇神リヴォグラフの魔力空をも一瞬白く灼き、地平線の魔狼たちが怯んだ遠吠えを上げているのが、ここからでも分かるほどだった。


 神界セウロスの戦神ヴァイスが介入した時にしか観測されぬはずの徴……。

 だが、奴らはここんところ動いた氣配はねぇ。


 三神同盟の合同直轄領に、各勢力が飛び地となって壁になってる以上、易々とは出張れんはずだ。あ? ……まさか。


 ぞくり、と背筋を撫でた感覚を武人の本能が好機と読み替えた。

 ボーフーンという、南西の端を塞いでいた巨大な蓋が外れたのだとすれば。

 あの狩りの化身が、大平原とウアンの領域を捨ててまで何かを獲りに動き、そして殺られたのだとすれば。


 ここで、傷口に一番槍を捻じ込んで武勲を立てる――。

 傷場を奪取となれば、将軍位どころではない。十層地獄の階層の何層潜れる資格を得られるか……凄まじい、武を強化どころではない……俺の<魔闘術>系統の更なる進化が可能となる……ここで結果を残せば……。


 並んで追走していた相方の隻眼騎士――双頭の獄炎竜を駆るゼビーへと、声を投げる。


「――ゼビー、この状況は理解できるな?」

「ハッ、当然だ、ガザロス。あの光柱の下には、ウアンの戦場で誰もが血眼になっていた『魔皇碑石』か、それ以上の何かが間違いなくある。一番槍、頂くぜ!」


 ゼビーが片方しかない眼を細め、奴の獄炎竜が双頭から二条の業火を吹いた。

 ゼビーとは、トトグディウス様が王位を継ぐ以前、まだ俺たちが下級兵士の泥水を啜っていた頃からの相方だ。互いの背に、互いの槍で抉られた傷跡を持っている。三十年以上、生死の境を共に走ってきた男だ。それだけで、この男の言葉は信じるに値する。


 獄炎竜と双頭の獄炎竜が、夜陰を裂いて並走する。

 左翼を見れば、闇神リヴォグラフの本隊――巨大な移動要塞、魔街異獣ゲルマドーを旗艦とした【闇神異形軍】第五十四番軍団、通称コバトトアルの闇軍団が、黒紫の瘴気を口腔から垂れ流しながら、最南端を目指して並走していた。ゲルマドーの皮膚に開いた無数の眼窩が、こちらを意識しているのかいないのか、ゆるりと回転している。

 その背後には、各地で略奪した物資を積み上げた輜重部隊の列が、延々と地平の彼方まで続いていた。鎖に繋がれた捕虜の悲鳴、奴隷魔獣の吠え声、車軸の軋み――それら全てが、コバトトアル大平原の地殻に染み込んでいく魔界の通奏低音だ。


 遠くの地平線では、暴虐の王ボシアドの狂戦士共が、血の臭いを撒き散らしながらリヴォグラフの軍勢と小競り合いを演じている。あれは戦じゃねぇ、餓えた獣の縄張り誇示だ。輜重を狙ってるんだろう。

 悪神デサロビアはどうだ。

 ――あぁ、湧いてきやがった。地表を割って這い出す巨大骸骨眼獣の群れ。

 デサロビアの腐れた魔子宮神蔵で組み上げられた、神格の残骸を継ぎ接いだ屍兵共だ。


 まさに魔界大戦。利権を奪い合い、神々が盤上の駒を動かす狂想曲。

 俺たちは駒で結構。ただし、駒のままでは終わらん。


 道を塞いで来たデサロビアの巨大骸骨眼獣の群れ、その先頭の三体。

 トガラを大上段から振り下ろし、<紫電業火連刃>を解放――。

 穂先から噴出した業火の一閃が、骸骨どもの肋骨と魔印を同時に焼き溶かし、隣接していた小型骨眼獣まで連鎖的に爆ぜさせた。

 頭蓋の奥に灯っていた魔燈が次々と消滅し、後続が骨片の濁流に呑まれていく。


 『十層地獄の刃』と謳われた我が先遣隊にとって、デサロビアの骸骨など児戯に等しい。

 ……だが。


 その熱狂を切り裂くように、一際巨大な魔素が天空から降臨した。


 大地を爆ぜさせて着地したのは、漆黒の毛並みと凶悪な角を戴く異形の巨躯。

 闇神アスタロト側に属する規格外の怪物――魔獣将グレンデル。


 空氣の質が変わった。魔素が震え、足下の死蛇草が奴に向かって跪くように軸を傾ける。獄炎竜の二頭が同時に喉を鳴らし、本能的な恐怖から減速を始めた。

 

 手綱を握り込み、獄炎竜の腹を蹴り上げて加速――。


 接敵の刹那、グレンデルの巨大な斬馬刀が、夜空ごと真っ二つにする勢いで振り下ろされる。

 トガラの柄でそれを真正面から受けた。

 ――骨が軋み、獄炎竜の首が地面に半ば埋もれかける。

 火花が夜空を焼き、衝撃波だけで、周囲を駆けていた悪鬼兵たちが肉片となって四散した。


 二合、三合、十合。

 奴の斬馬刀の一振りごとに大氣が破ける。

 ――それでも意地で受け、流し、突き返す。


 トガラの紫電刃がグレンデルの体毛を焼き焦がし、奴の左肩に薄く朱を引いた。

 二十合を超えた刹那、グレンデルが鼻で嗤った。


「魔界騎士、下級駒風情にしては、悪くない武だな。ガザロス、と言ったか。だが――何故、貴様ほどの男が、トトグディウスの足下で犬を続ける?」

「……ぬかせ、魔獣将。我が王の名を貴様の口で軽々しく転がすな」

「軽々しく? 逆だ、ガザロス。ボーフーン亡き今、十層地獄など二流の格に過ぎぬ。いずれ我が主、闇神アスタロトの闇に呑まれる末席の名だ。貴様のその槍――その武と魂を捧げるに足る場所を、貴様自身が見誤っている」

「笑わせる。吸血神に(おもね)る闇神崩れの部下が、武人氣取りとはなァ?」

「万死――」


 グレンデルの斬馬刀から漆黒の炎が吹き荒れる。

 それを左腕の<地獄吸>で強引に吸い散らしながら、俺は嗤った。


「……武人が主を選ぶのは、利得じゃねぇ。骨だ。俺の骨は、トトグディウス様の旗の下でしか鳴らねぇんだよ」

「骨か。……いい言葉だ」


 グレンデルが顎を上げた。

 三対の眼の奥で、嘲りに似た――しかし、ほんのわずか、敬意のような色がよぎる。


「ならばこそ、惜しい。骨で主を選ぶ男は、骨で死ね。だが、ガザロス。覚えておけ――」


 その時。空から銀の光条が降り注いだ。

 ――追尾魔弾。

 厖婦闇眼ドミエル側の魔弾の射手、放浪の魔界騎士ヒュネロが放った、一発で大眷属級を仕留めると噂されるあの代物だ。風の流れも、魔力の流れも、銀の弾の前では意味を成さない。恐らく、ヒュネロもまた、あの天空の二色の連柱を見て駆けつけて来たのだろう。ドミエル様もまた、ここで暴れる氣だ。


 ――グレンデルは、飛来する銀の魔弾を、鼻先でひと払いした。

 追尾の魔は一瞬で殺される。

 奴は俺を見下ろし、


「知れたこと……。人外が主と定めるのは、この世にただ一人。貴様らのトトグディウスなど、その一人にすら値せぬわ」


 怪物はそう言い残し、一跳びで戦場を離脱した。

 残ったのは地面の罅割れと焦げついた死蛇草の臭いと、握り締めたトガラの軋みだけ。


「……ケッ、強がりやがって……! 行くぞゼビー!」


 吐き捨てた声に自分でも理解できぬ熱が混じっていた。

 あの怪物の言葉――「骨で主を選ぶ男は、骨で死ね」――の最後だけは、正直、悪い氣はしなかった。

 だから何だ。武人とは、そういうものだ。


 ゼビーが一瞬だけ俺を見遣り、隻眼を細めて頷いた。

 言葉はない。三十年走ってきた男には、それで充分だ。


 獄炎竜と双頭の獄炎竜が、再び南へ加速する。


 西へ、西南へ、大平原コバトトアルを進む。淫魔の王女ディペリルたちの追跡がうぜぇが切り抜けた。

 遥か遠くにケーゼンベルスの魔樹海の名残が見える。

 地平線が紫黒に変わる頃――俺たちはついに、狩魔の王ボーフーンの領域へと辿り着いた。


 眼前に広がる光景に、息が詰まった。


 無数の『魔皇碑石』が地表から隆起し、円陣を成して立ち並んでいる。それらは互いに呼応するように低く律動を刻み、地形そのものが領域と化しているのか? 空間そのものが歪み切っている。魔素の流れが乱れ、俺たちの魔力さえも外周で剥がれ落ちていく感覚があった。

 魔界大戦の結果、神々が争った証し、今、それが目の前に再現されている。


 白亜の巨大な城も何だ。周囲を舞うあのドラゴンは、高・古代竜ハイ・エンシェントドラゴニアか?

ん? 近くに、漆黒の外套を纏った男が立っている。黒猫を肩に乗せ、周囲の魔素をすべて自身の王勢へと吸い込むような底知れぬ空虚を放っていた。単なる槍使いなどという言葉では到底収まりきらない。あれは、魔界の理そのものを書き換える異界の宗主だ。


 あの男が、狩りの狩魔の王ボーフーンを葬った張本人。


 寒氣がした。だが、寒気の真上に、より熾烈な熱が走った。

 ここで奴の首を獲る。ボーフーンを殺った直後で、奴の魔素、<血魔力>は乱れている。神格の余韻に酔っているはずだ。今しかない。

 将軍位だ。トトグディウス様への上奏文に書ける、唯一無二の武勲だ。


「ぬおぉぉぉぉッ――!」


 獄炎竜を、死をも厭わぬ最高速度で駆る。

 トガラに<紫電業火・極刃>を意識すれば、穂先から迸る紫電が、俺の魔魂を焦がすように雷鳴の尾を引いた。

 ――不壊装甲は、トトグディウス様御自ら、十層地獄の血蒼黒鋼を打ち直して下された一級の魔具。神格に至る寸前の打撃でも、一撃なら受ける。届く。

 

 届く――。

 首に手が届くと確信した刹那。


 ――視界が、暗緑色の毒の薔薇に埋め尽くされた。


 咲いた。咲いてしまった。

 魔素が圧縮される音すらしなかった、毒の魔力の流れが、「咲く」という事象だけを許して、他全てを置き去りにした。


 不壊装甲が音もなく腐食した。蒼黒鋼が、子供が舐めた飴のように溶け、流れ落ちた。

 獄炎竜の咆哮も、ゼビーの声も、トガラを握る感覚もすべてが奪われた。

 毒の薔薇のひとひらが、ふわりと地に降りる。その間に漂う、甘く、死の香り。

 薄れゆく視界に映ったのは、男の傍らに立つ銀髪のダークエルフだった。

 彼女の頬に刻まれた銀蝶(ぎんちょう)の紋章が妖しく輝き――その背後に圧倒的な神威が揺らめいた。

 額に菱形の魔宝石を戴き、漆黒と錦色を織り合わせた魔眼を細めた女の幻影。翡翠と黄緑の蛇で構成された髪が共食いを止め、こちらを愛おしげに見つめている。


 ――魔毒の女神ミセアの幻影だ。

 だが、これは先程の暗緑色の毒の薔薇ではない、大本は、光を帯びた<血魔力>。これもまた、光魔の力だというのか――。


 更に、別の女の詠唱「百鬼道ノ六なりや、雲雨鴉。ひゅうれいや――」が響き、魔導の車椅子に座る女の冷たい視線が突き刺さった。彼女たちの底知れぬ力の前では、俺の決死の突撃など児戯に過ぎなかったのだ。


「あら、私たちの可愛いヴィーネちゃんをいじめる悪い子は、お仕置きが必要ね♪」

「な!?」


 白く透き通る指先――。

 それが不壊装甲の喉元――いや、もう装甲ですらない、剥き出しの肉に触れた。


 冷たい、と感じる前に、その部位が消えた。


「……毒、神、が……なぜ……」


 ボーフーンの陰で、神々の盤上の駒として、それなりに巧く立ち回ってきたつもりだった。武で這い上がれると信じてきた。

 トトグディウス様の旗の下で、骨を鳴らして死ぬのだと、そう決めていた。


 ――だが、神は、初めからそこにあったのだ。

 俺たちが奪い合っていた利権の上に、女神たちは最初から指を置いていた。

 野心も、ゼビーとの三十年も、トガラの紫電も、アガベス老の窯の炎も。


 すべては、絶死毒の前で一滴の価値もなかった。

 遠くで、ゼビーの双頭の獄炎竜が、声を上げる前に砂のように溶ける氣配がした。

 あぁ――あいつもか、相棒。

 意識は、ドロドロに融解していく己の血肉の中に沈んでいき、最後に、


「骨で主を選ぶ男は、骨で死ね」


 ――グレンデルの声が、何故か、優しく聞こえて。

 ガザロスという魔界騎士は消滅した。


 毒の薔薇が、満開のまま、夜風に揺れていた。


 □■□■




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