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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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二千百七十七話 血と業火の夜会、魔毒の女神が嗤う刻、狩魔の王は天を仰ぐ

 □■□■


 血と業火が渦巻く狂氣の大戦場、大平原コバトトアルの【魔皇の蹄跡】――。

 狩魔の王ボーフーンの領域と隣接しており、彼の支配力が強い地域だが、神々の勢力が入り乱れ、悲鳴と咆哮が交錯する最前線と後方の勢力図が一夜にして逆転を繰り返す地でもあった。


 そんな中を淫魔の王女ディペリルと彼女の眷族たちは、まるで夜会の広間を歩くかのように悠然と進んでいた。背後より、数百の骸が重なり合い、粘りつく眼球と剥き出しの歯列が不協和音を奏でる――悪神デサロビアの呪詛と魔力が形を成した追撃の群れ――。

 漆黒の腐肉と黄色の魔力で、巨大な骸骨と無数の眼球を強引に縫い合わせたような異形獣の群れが、顎を外して咆哮を上げる。死の概念を焼き付けた魔印を刻み、黄土色の腐食魔力を吐き散らしながら、彼女たちの優雅な歩みを阻むべく殺到した。


「――王女の背に、穢れた骨の塵を届かせるわけにはいきませんね」


 最後尾を歩んでいた魔界騎士ヴェルモットが消えたように体がブレた。

 一瞬で、眼球を纏う骸骨獣との間合いを詰めるや否や、吸血鬼の貴婦人が扇を開くかのような所作で、魔剣を解き放った。

 白き閃きが、骸骨獣の骨の眼窩に蠢いていた巨大な眼球を貫いていた。


 眼球は破裂――。

 返り血を浴びず駆け抜けるヴェルモットは、己の氣が疾風という概念そのものへと昇華したように、更に加速し、両腕が前方に伸びるようにブレる。

 魔剣の閃きが、宙空に幾重にも広がるような特異な魔剣術、<蒼脈ノ魔太刀>を繰り出した。


 一瞬で、相対した巨大な眼球を擁した骸骨獣はバラバラに切断され四散した。


「ウヌラ、我ノ戦場ヲ、無断デ横断トハ――」

 

 そのヴェルモットへと猛追していた悪神デサロビアの眷族、猛眼ヴェモロア――。

 すると、ヴェルモットは「悪神の眷族風情が、私に追いついたつもりか――」と、冷徹な一瞥と共に白刃を閃かせた。刹那、空間そのものが悲鳴を上げ、猛眼ヴェモロアの巨大な眼球体が物理法則を無視して内へと順繰りに陥没、視覚情報が崩壊し、認識が追いつく前にその存在は無へと押し潰された。

 

 ヴェルモットは背後の爆炎を顧みることなく前進し、重力を嘲笑うような身のこなしで魔弾の雨をすり抜ける。骸骨獣の包囲網を突破する一弾指の間――彼女の魔剣と魔槍が交差した瞬間、戦場に蒼い断層が走った。コンマ数秒の遅滞。一度に両断された数十体の骸骨獣は、慣性に引かれて宙を舞う上半身から内包する呪力を暴走させ、連鎖的な魔力爆発を起こして塵へと帰した。


「――美しい剣舞ね、ヴェルモット。後方の掃除は任せるわ」


 ディペリルは、周囲の阿鼻叫喚を極上の音楽でも聴くかのように、妖艶な微笑を口元に湛えて前を見据えた。

 と、前方からもまた十層地獄の王トトグディウスの血脈が解き放つ、地獄の業火――漆黒の雷鳴を帯びた血の嵐が、空間を焼き焦がしながら飛来した。

 厖婦闇眼ドミエルの眷族より放たれた、万物を腐らす酸の雨と底なしの闇沼。大氣を腐食させる雨の中を、闇沼より這い出した不定形の魔獣たちが、粘液を撒き散らしながら執拗にディペリルへと肉薄した。


 それら災厄に近い攻撃が彼女たちに迫る中、ディペリルは余裕の笑みを浮かべていた。

 ――ディペリルの傍らを歩むリサマベルが「お任せを――」と前に出た。


 そして、冷徹な視線のまま静かに<重破滅の金檻>――魔槍杖の石突きで虚空を叩く。

 途端にリサマベルの足下から極寒の波紋が四方に走り、精緻なヘキサゴン・パターンを刻みながら連鎖する。それは瞬時に巨大な五重の結晶構造を成す魔法陣へと膨れ上がり、ディペリルたちを絶対領域に隔離する、半透明の金剛光塔を顕現させた。


 役目を終えた蒼き大宝石を冠する魔槍杖は、役目を果たした充足を示すように淡い粒子へと還元され、大氣に溶けて消えた。


 殺到する豪炎も、腐食の酸も、脈動する結晶結界の表面に触れた瞬間、無害な幾何学的エネルギーへと再定義され、美しく霧散していった。


「――ふふ、無駄です。この<重破滅の金檻>の応用結界を、知性の欠片もない暴力で突破できるはずがありません」

「リサマベル、前に出るつもりですか?」

「無論です、インサークも付いてきて」


 リサマベルは仲間の眷族にそう言うと、<重破滅の金檻>の結界を透過するように踏み出した。

 否、その絶大な魔圧の一部を鎧として身に纏い、蒼い燐光を撒き散らしながらドミエルの眷族衆へと直進――。


 傍にいたインサークもリサマベルを追うようにディペリルの傍から離れた。


 リサマベルの斜め後方へ寄り添うインサークは、両手の指先に魔力を集積させる。

 そして、ドミエルの眷族衆が放つ酸の雨を、基礎の魔法防御<ディングラム>だけで的確に防いでいく。


 リサマベルは悠々自適のまま、厖婦闇眼ドミエルの眷族に肉薄した。

 そして、手元に新たに出現させた魔法槍をサッと突き出した。

 ――ハッ。

 鋭い呼氣と共に突き出された魔法槍の穂先から、幾千もの漆黒の魔線が爆ぜた。

 それは戦場に咲き誇る死の黒蓮を象り、散り急ぐ花弁の一枚一枚が空間を切り裂く魔刃の嵐となって異形の厖婦闇眼ドミエルの眷族衆を捉え、蹂躙――。

 

 巨大な肉塊が細切れの肉片や、魔素に変換されていった。

 それら魔素を吸収していく、淫魔の王女ディペリルと、その眷族たち――。

 恍惚の表情を浮かべた、ディペリルは、


「ふふ、見事ね、リサマベルとインサーク、でも、少し道が塞がっているわ」


 ディペリルは宙空にふわりと浮遊する。

 行く手を遮る肉の壁として立ち塞がったのは、狩魔の王ボーフーンの狂氣を宿した、四腕の巨躯を誇る断罪の鹿筋魔獣ギショ・ボボップであった。大胸筋の異常に膨れて、そこから鹿骨が刃状に延びている。


 ディペリルは、


「邪魔よ」


 と、宙空で身を翻す。

 魔靴|フォービドゥンハイ=ヒール《禁忌の尖踵》が妖しく脈動し、靴底から次元を断ち切るほどの鋭利な魔刃が、死の爪爪のように展開される。

 魔獣は咆哮を上げ、そのディペリルを追いながら腕を振り下ろす。

 ディペリルは舞うような軌道で、魔獣の攻撃を悠々に避けていくと、消える。否、斜めに急降下し靴底の魔刃を魔獣の太い首筋へと突き立てていた。


 ドッと鈍い音を響かせながら魔刃が首に深々と食い込んだ。


「あァ……ッ!?」


 魔刃に仕込まれた神格すら侵す猛毒『デオセギハス』が、断罪の鹿筋魔獣ギショ・ボボップの循環系へと容赦なく流し込まれた。悲鳴を上げる暇すら与えられない。巨大な断罪の鹿筋魔獣ギショ・ボボップは傷口から噴き出した紫色の中和不能な泡に包まれ、その巨躯を構成する存在理由ごと、泥濘へと融解していった。


 邪魔者を片付けたディペリルは、ふと視線を上げ、戦場中央の『巨大なクレーター』を指し示した。


「大馬鹿な男神たちが、あの拠点を抑えて魔導陣地の加護を得ようと、醜い争いに興じているわね」

「『ゴルキの魔宝杖』などが眠る地下大斜塔の群れに、『魔皇碑石』のクレーターの利権は大きいですし、〝ウアンの星脈石〟なども、まだこの地方には残っているという噂もありますからね」

「そうねぇ。穿山ウアンが穿ったあの戦場は、ここより少し遠いけれど。……この地もまた、啜るべき甘い蜜に満ちていて、溜息が出てしまうわ」

「御心は察しますが、作戦を完遂することを優先いたしましょう」


 魔界騎士ヴェルモットの言葉にディペリルは、


「ふふ、そうね。……参りましょうか」


 ――地脈が巨大な蹄の如く波打つその戦場の一角に、周囲の喧騒を拒絶する静謐なる死の領域が展開されていた。大氣は致死の紫煙に染まり、触れるもの全てを即座に腐食させる魔毒の女神ミセアの支配領域。だが、ディペリル一行がその境界へ足を踏み入れた瞬間、変化が起きた。


 立ち込めていた濃密な毒の霧が、生き物のように震えて左右へと割れていく。

 霧は霧散するのではなく、瞬時に無数の暗緑色の薔薇の花弁へと姿を変え、ディペリルが歩むための道に静かに降り積もっていった。


 道の両脇には、ミセアの眷族たるダークエルフと似た魔族兵士たちが一糸乱れぬ動作で槍を立て、整然と並び立っている。彼らの肉体には生きた蛇が蔦のように絡みつき、装甲の隙間からは鋭利な茨が意思を持つかのように突き出していた。

 

 魔神の威光を背負ったその精鋭たちは、ディペリルが通り過ぎるのに合わせ、重厚な鎧の音を響かせて一斉に深く頭を垂れた。


「――ようこそ、淫魔の王女。ミセア様がお待ちです」


 蛇を首に巻いた千人長カシュラルが地を這うような重低音で告げ、キュルレンスが、


「淫魔の王女……よろしくです」

「ふふ、はい」


 ディペリルは満足げに妖艶な微笑を浮かべ、毒花と茨で編み込まれた巨大な天蓋――ミセアの野戦陣地の中心へと優雅に歩みを進めた。


 そこには、翡翠色と黄緑色の蛇で構成された髪を激しく蠢かせる、魔毒の女神ミセアが鎮座していた。かつてその細い腕で螺旋を描いていた|ヘグポリネ・パパスフィッシャー《翡翠の蛇弓》の姿は、今の彼女の傍らにはない。しかし、額の菱形魔宝石から溢れ出す圧倒的な魔圧<蛇薔薇波動>と、周囲に漂う甘くも残酷な死の香りは、神としての格を雄弁に物語っていた。


「うふっ♪ 淫らな小娘が、わざわざ我が毒のカーテンを潜りに来るとはね。我の蛇たちが、あなたの香りに酔いしれているわよ?」


 ミセアは漆黒と錦色が織りなす魔眼を細め、茨の玉座からディペリルをジロリと睨み下ろした。


「そんな怖い顔をしないで、ミセア。……あの大馬鹿な男神たちが、血眼になって奪い合っている『甘い蜜』の話をしに来たのよ」


 ディペリルは周囲に立ち込める毒の粒子を、魅了の魔力で優雅に払いながら一歩前へ出た。

 指し示す先は、北東――穿山ウアンの戦場中央で異様な光を放つ巨大なクレーター。


「トトグディウスもボシアドも、あの拠点を抑えて軍勢全体を永続強化する魔導陣地の加護に夢中ね。地底に眠る『魔皇碑石』の一磐~五十磐、それに『ウアンの星脈石』や『闇ノ闘神の血鉱』……。あれらを独占すれば、魔界の均衡は私たちの手の中に落ちる。だけど、懸念の、南側で粘る狩魔の王ボーフーンね、鹿魔獣たちは多い」

「……そうねぇ……」

「連中が拠点の奪い合いで限界まで疲弊しきった時、あなたの『絶死毒』と、私の『淫夢の支配』で戦場を丸ごと呑み込むの。残った資源と碑石の権益は、私たち二人で美味しく頂きましょうよ。どうせなら、大平原コバトトアルごと頂く算段。どう? 悪くない提案でしょう?」


 ミセアの蛇の髪が、期待に震えるように「シャー」と一斉に音を立て、共食いを始めた。


「ふふ、いいわね。力押しの屑共を囮にするのは痛快だわ。……決まりね、ディペリル。我らの密約、この大平原コバトトアル、穿山ウアンの血肉で美味しく祝うとしましょうか♪」


 女神たちが狡猾な笑みを交わし、魔界の理を裏から塗り替えようとした――その刹那であった。


「――ォォォオオオオオオッ!」


 【魔皇の蹄跡】の大地を激しく揺るがすほどの、破滅的な咆哮が響き渡った。

 狩魔の王ボーフーン。

 強欲の化身とも言えるその魔神が、天を仰いで狂氣的な絶叫を上げている。

 ボーフーンは、目の前にある『魔皇碑石』の膨大な利権も、軍勢を無敵化させるクレーターの陣地バフも、すべてをかなぐり捨てた。


「全軍、転移! 生けるもの全てを狩り、あの光魔の首を我が祭壇に捧げよ!」


 空間が悲鳴を上げ、万を超えるボーフーンの大軍団が、一瞬にして戦場から掻き消えた。


「……は? ボーフーンが、ウアンの権益を捨てて撤退した?」


 ディペリルが驚愕に目を剥く。

 ミセアもまた、錦色の魔眼を大きく見開いていた。


「ありえないわ。あの強欲なボーフーンが、利を捨ててまで動くなんて……!? 一体、何が起きたの? あ……」


 何かに勘付いたミセアが、傍らのキュルレンスを見やる。

 キュルレンスは静かに頷き、胸元に手を当て、


「はい、あの光魔……シュウヤ・カガリの可能性が高い。そして……」

「そうね、私の支配を離脱した愛しいダークエルフちゃん、名は……」

「……はい、次世代のダークエルフ……ヴィーネ・ダオ・アズマイル。【第十二位魔導貴族アズマイル家】の次女……」


 言葉を紡ぐキュルレンスの顔に、シュウヤの前では決して見せることのなかった、どす黒い怒りの色が浮かび上がった。一方、それを愉悦の表情で見やるミセアは、面白がるように唇を綻ばせた。


「うふ、キュルレンス、槍使いに会ったんでしょう?」

「……はい。しかし、それはそれ、これはこれです。彼女は重要な蠱毒でしたのに……」

「いいのよ、それを言ったら、あれはアレ、それはソレよ♪」

「……はい」


 ミセアの口元が、驚愕を通り越し、狂氣的な好奇心で歪む。

 穿山ウアンや大平原コバトトアルの均衡が崩れ、魔界の理が、一人の男の行動によって根底から覆されようとしていた。


□■□■


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