第四章 重ねたウソ
第四章!
楽しんで!
「私は……ここはどこですか? お父さんとお母さんは……?」
混乱し、怯えるひまりの声が、静まり返った病室に虚しく響いていた。
ベッドの上の彼女は、自分の頭に巻かれた包帯を細い指先で恐る恐る触りながら、激しく身体を震わせている。その瞳に宿る光は、高校生活どころか、中学生、あるいはそれ以前の段階まで完全に記憶が巻き戻ってしまっていることを物語っていた。自分の置かれた状況が理解できず、世界に一人きり取り残されたような絶望の表情。
ここで、すべてを諦めて「ただの幼馴染だった人だよ」と本当の過去を伝えるべきだったのかもしれない。そうすれば、これ以上ひまりを騙さずに済んだし、俺自身も嘘を吐き続ける地獄から解放されたはずだった。
だけど、俺の心の奥底にどす黒く巣食う、狂おしいほどの執着心がそれを絶対に許さなかった。
この一年間、本物の恋人のように俺を愛してくれたひまりの温もり、あの水色の浴衣姿、俺の首に回された腕の柔らかさ……そのすべてが、俺の脳を甘く狂わせていたのだ。他の男に、彼女の新しい一年を渡すなんて、死んでも嫌だった。
「ひまり、落ち着いて。怖がらなくていいんだ。俺だよ。れんだよ」
「れん……さん? ごめんなさい、私、あなたのことを本当に知らないわ。私に気安く触らないで!」
落ち着かせようと差し伸べた俺の手を、ひまりは激しい拒絶の目で見つめ、全力で振り払った。
パチン、と乾いた音が病室に響く。
その手の拒絶が、俺の心臓を物理的に引き裂くかのように痛んだ。幼馴染だった頃でも、あの一年間の恋人時代でも、ひまりが俺をこんなに冷たい目ではねのけたことなんて一度もなかった。
だが、その拒絶の痛みが、かえって俺の歪んだ決意をより一層強固なものにした。もう一度、あの笑顔を俺だけのものにするためなら、俺は何度でも悪魔に魂を売ってやる。
「ひまり、パニックにならないで聞いてほしい。君は大きな事故に遭って、一時的に記憶の大部分を失っているだけなんだ。君のご両親は今、先生とこれからの手続きについての話し合いをしていて、すぐにここへ戻ってくるよ」
「本当に……? 嘘じゃないの……? じゃあ、あなたと私は、どういう関係なの?」
ひまりの張り詰めた、涙の溜まった瞳が、真っ直ぐに俺の言葉を待っている。
ここで真実を言う道は完全に閉ざされた。俺はゴクリと渇いた喉を鳴らし、一年前に吐いたものよりもさらに深く、重く、最低な『二度目のウソ』を吐き出した。
「俺たちは、付き合ってるんだ。高校に入ってからずっと、お互いだけを特別に想い合ってきた。……ただの恋人じゃない、将来を約束した、婚約者みたいなものだよ。君がもし俺の存在を忘れるようなことがあっても、俺は絶対に君を忘れないって、ずっと前から約束していたんだ」
ひまりは俺の言葉を聞いた瞬間、呆然とした表情を浮かべた。
記憶がリセットされ、精神的に幼くなっている彼女にとって、目の前の見知らぬ男からいきなり「婚約者だ」と告げられたのだから無理もない。だが、俺の必死な、狂気すら孕んだ視線の圧力に押されたのか、彼女の瞳の奥にあった強い警戒心が、ほんの少しだけ和らいでいくのが分かった。
「婚約者……。私が、あなたの……? でも、どうしてそんな大切なことを、私は何も覚えていないの……?」
「それは頭を強く打ったせいだよ。だから、何も心配いらない。君が忘れてしまった思い出のすべてを、俺がもう一度、最初から全部支えてあげるから。だから俺を信じて、ひまり」
俺はもう一度、今度は拒絶されないようにゆっくりと手を伸ばし、彼女の小さくて小刻みに震える手をそっと両手で包み込んだ。
ひまりは一瞬だけ身を硬くしたが、今度は振り払わなかった。
こうして、幼馴染の歴史すら完全に失ってしまったひまりと、本当の過去をすべて偽造した、ゼロからの『二度目の虚言の恋』が静かに始まってしまった。この嘘が、のちに二人をどれほど深い破滅へと導くかも知らずに、俺はただ、彼女の手の温もりを再び取り戻せたことに、酷く歪んだ安堵を感じていた。
ご覧いただきありがとうございました。
あとがきほとんど毎回書いてるけど意外と書くの難しいよね!




