第六章穏やかな朝 第二節「懐かしい朝ごはん」
特別な料理ではない。だからこそ、幸せを感じられる朝がある。
二十八年の時を越えて、変わらない味が二人を包み込む。
「座って」
アナスタシアが微笑む。
食卓にはすでに、朝食が用意されていた。
焼きたての鮭に、ふっくらとした卵焼き。
トマトのスライスに、お茄子の浅漬け。
そして湯気を立てるお野菜たっぷりのお味噌汁。
湯気の向こうに、アナスタシアの笑顔がかすんで見える。
まるで日本の朝のようで、ここがジョージアであることを、すっかり忘れてしまいそうだった。
「本当は、炊き立てのご飯を食べさせようと思ってたんだけど、ゆうちゃん、起きてこなかったから。温め直したので我慢してね」
アナスタシアが、お茶碗にご飯をついで、持ってきてくれた。
「いや。全然、大丈夫だよ。おいしそう。朝ごはんも、パンとか、洋食とかと思ってたから、なんか、ちょっと嬉しい」
「でしょ。やっぱり。そろそろ、和食が恋しくなってるんじゃないのかなあと、思っていたのよ」
「そうなんよ。ありがとう。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
まず、お味噌汁をすする。
お味噌の香りが鼻を抜け、お野菜の食感が心地よい。
次にご飯。
温かい湯気とともに、ふっくらと立った粒のひとつひとつが口の中でほどけていく。
「アナスタシア、このご飯、めっちゃ、おいしいんだけど、お鍋で炊いたん?」
「そうよ。だって、ゆうちゃんが、『ご飯は、お鍋で炊いた方がおいしいから、お鍋で炊け』って言ってたじゃない」
「よく、覚えてたね」
「だって、あたし、ゆうちゃんが、『お鍋で炊け』って言うから、ずっとお鍋で炊いているのよ」
アナスタシアの、その、僕に向けられた、まっすぐな目を見ていると、じんわりと体の中が温かくなっていくのが分かる。
僕は、もう二度と、この純粋な女を苦しませたりしない。
そう、誓った。
「本当? ありがとう」
そして、鮭。
ちょうどいい焼き加減で、身もふんわりとしている。
塩加減も、辛すぎず、薄すぎず、ちょうどいい。
ここで、もう一度ご飯。
やっぱり、ご飯と食べると尚、おいしい。
それから、いよいよ、卵焼き。
あっ、僕の好きな、甘い卵焼きだ。
アナスタシア、よく覚えていたな。
女ってすごい。
思わず、笑顔になる。
「サーモンと卵焼きはどう? 卵焼きは、ゆうちゃんの大好きな甘い卵焼きにしたんだけど」
アナスタシアは嬉しそうだ。
「うん。おいしい。なんか、卵焼きは、甘いのがいいよね」
「よかった。ゆうちゃん、甘い卵焼き、大好きだもんね」
「うん」
「二十八年経っても、お子ちゃま舌は、変わらないのね」
「うるさい。だいたい、日本人は、欧米人と違って、料理に砂糖を多用するから、甘い料理が好きなんよ。そもそも、白ご飯自体、砂糖を入れてないのに、たっぷりの塩とか、バターとかが入ってるパンとかと比べたら、どっちかって言ったら、甘いでしょ。甘党民族なん。多分」
「はいはい。そういうことにしときましょう」
「なんか悔しい」
アナスタシアは、声を出して笑っている。
悔しい、悔しい。
でも、全然、悔しくない。
気を取り直して、トマトのスライスと、お茄子の浅漬け。
うん。
さっぱりしていて、朝にぴったりだ。
ご飯と一緒に食べてもおいしい。
おいしすぎて、食欲が止まらない。
なんか、もう、お茶碗が空っぽになっていた。
「おかわり、食べる?」
「うーん。どうしよっかな。この感じやと、絶対、ジョージアで太るよね」
「もう、いいからいいから」
半ば強引に、アナスタシアがお茶碗を持っていき、ご飯をついでくる。
お茶碗、いっぱいのご飯が、目の前に置かれる。
アナスタシアは、何だか嬉しそうだ。
「えっ、多過ぎん? 半分でよかったのに。朝だよ。朝ごはんだよ」
「大丈夫、大丈夫。食べられる、食べられる」
笑いながら、アナスタシアが、言う。
なんか僕、餌、与えられているみたいな気がしてきた。
でも結局、食欲に負けて全部食べてしまう。
おいしい。
おいしい。
おいしい。
ただの朝ごはんなのに、こんなにも胸が満たされる。
何か特別な料理を食べたわけじゃない。
でも、この「特別ではない幸せ」こそが、僕の求めていたものだった。
僕はお茶碗を置き、アナスタシアの笑顔を見た。
ああ、やっぱりここが、「僕の居場所」なんだ。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回も、穏やかで優しい時間をお届けします。
面白いと思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると、とても励みになります。
☆☆☆☆☆ ↓評価はこちら↓ ☆☆☆☆☆




