第五章時を埋める 第三節「アナスタシアの世界」
二十八年の歳月が、彼女の優しさを静かに育てていました。
僕は少しずつ、アナスタシアが大切に守ってきた世界へ足を踏み入れていきます。
「そうだよ。ユーサクさん、家のお風呂が気持ち良すぎて、絶対、寝てたでしょ? だって、遅かったもん」
アンナが、いたずらっぽい顔でにこにこと笑っている。
アンナは、いつも笑顔を絶やさない。
周りを明るくする娘だ。
「ごめん。待った?」
「いいえ。大丈夫よ。平気。お母さん、あたし、お風呂にさっと入ってくるわね」
「急がなくてもいいわよ。ゆっくり入って」
アンナが軽やかに浴室へ消えると、アナスタシアが僕の手を取り、やわらかく囁いた。
「ゆうちゃん、こっち来て」
甘い声に導かれ、寝室へと足を踏み入れる。
「ここが、あたしの部屋よ」
十畳くらいだろうか。
ここも白い壁紙に、白い天井。
家具はすべて、カントリー調のナチュラルな色合いで統一されていた。
クイーンサイズのベッドには、たっぷりのレースのフリルがついた、真っ白なベッドカバーが掛けられ、白い枕がたくさん並べられている。
あとは、クローゼットに、大きな鏡の乗せられた小さめの机に、椅子。
それと、二人掛けの小ぶりの生成りのソファーに、小さなテーブル。
床は、ナチュラルな色味のフローリングで、赤い色合いのトルコ絨毯が敷かれていた。
「座って」
アナスタシアに促され、僕は、ソファーに座る。
アナスタシアが、僕の左隣に座る。
「エリナのこと、寝かせて、そのまま、お風呂に入ってくるから、ここで待ってて」
「うん」
「ここのベッドは、あたし、しか使ってないから心配しないでね」
「……うん」
「でも、絶対、まだ寝ないでね。話したいことがたくさんあるから」
「分かってるよ」
「でも、どうしても無理だったら、寝ていてもいいわよ」
「頑張って起きているよ」
「じゃあ、待っててね」
アナスタシアが部屋を出ていく。
扉が静かに閉まると、残された香りだけが、空気の中に淡く漂った。
アナスタシアって、こんなに色気のある女だっただろうか。
歳月が、アナスタシアをこんなにも艶やかに、優しくしたのかもしれない。
僕は、天井を見上げた。
小ぶりのシャンデリアの光がゆらめき、壁に影を踊らせている。
二つの窓には、白いレースのカーテンの上から、生成りのベルベットのカーテンが掛けられていた。
この部屋もまた、彼女の手で磨き上げられた世界。
すべてが清らかで、柔らかく、そして、愛に満ちていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次節はいよいよ、第五章のクライマックスです。どうぞ最後までお付き合いください。




