第四章新しい家族 第七節「二十八年越しの乾杯」
大切な人を信じ続けることは、ときに奇跡を生む。
二十八年間待ち続けた想いが、一組のワイングラスに宿っていた。
「忘れていたわ。ワインを買ってあるから、乾杯しましょう」
アナスタシアが急に思い出したように立ち上がり、棚の奥から一本のワインを取り出した。
「ゆうちゃん、開けて」
アナスタシアが、赤ワインのボトルと栓抜きを渡してくる。
僕は栓抜きについている、小さなナイフでワインの封を切り、そして栓抜きのスクリューをコルクに刺し、ゆっくりとその栓抜きを回しながらスクリューをコルクに沈めていく。
それから、徐にコルクの栓を濃い緑色のワインボトルから引き抜く。
小気味いい音とともに、コルクの栓がワインボトルから抜ける。
その瞬間、とろけるような豊かな果実の、甘く、芳醇な香りが広がる。
アナスタシアが、バカラのロゴが入っている赤い箱を持ってくる。
その丁寧なつくりの箱を開けると、その中には、美しい蔓草模様が、エッチングで全面に施された、華奢な細長い持ち手のある、二客のワイングラスがあった。
「わあ、綺麗」
エリナが、その美しいワイングラスをうっとりと眺める。
「ゆうちゃんが、必ずいつか、あたしの元に戻って来てくれると信じて、だいぶ前に買って取っておいたのよ。でも、もし、あのDMに返事をくれなかったら、もう捨てようかとも思っていたわ」
アナスタシアの言葉に、胸の奥が熱くなった。
「ごめん。遅くなったけど、許してくれる?」
「いいわよ。特別に許してあげるわ。でもその代わり、もう二度とあたしを一人にしないでよね」
「誓うよ。もう二度とアナスタシアを一人にしない」
「信じていいのね」
「いいよ」
僕は、柔らかく、光沢感のある布が敷き詰められている、その箱の中から、二客のワイングラスをそっと取り出し、食卓の上に置く。
その、華奢なワイングラスの中に、先ほど開けた赤ワインをゆっくりと注ぐと、繊細なエッチングの蔓草模様がぼんやりと浮かび上がり、食卓の上で柔らかい光を放っている蠟燭の炎に照らされ、幻想的な美しさを醸し出す。
「乾杯しましょう」
アナスタシアが言う。
「ガーマルジョス。僕たちの未来に」
僕は、二十八年ぶりに、アナスタシアに教えてもらった、その、「乾杯」という意味のジョージア語を発した。
アナスタシアが、悲しげに笑う。
「よく、あたしが教えてあげた、ジョージア語を覚えていたわね」
「忘れるわけないよ」
僕は、そう言うと、ワイングラス傾け、その、ジョージア産の赤ワインをゆっくりと口に含む。
体中にとろけるような豊かな果実の、甘く、芳醇な香りが広がる。
体が、熱くなる。
「おいしい。お酒なんて久しぶりに飲んだよ。前に、いつ飲んだのか覚えてないくらい久しぶり」
「あたしもよ。本当においしいわね」
妖しく光る、エッチングの、蔓草模様のワイングラスの向こうには、とろけるように美しいアナスタシアが、僕のことをじっと見つめている。
「ねえ、パパ。知ってる?」
エリナが僕を、甘美な世界から強引に引きずり戻す。
「何?」
「ジョージアってワイン発祥の地なのよ」
「えっ、そうなん?」
「そうよ。この前、学校で教えてもらったの。確か、紀元前六千年頃に、ジョージアのコーカサス山脈から黒海にかけての地域でワイン作りが始まったのよ」
無邪気に語るエリナの顔が、まるで光を受けた宝石のようにきらめいている。
「そうだったんだ! 知らなかった。それでこんなにおいしいんだね」
「でしょ」
エリナが嬉しそうに言う。
二十八年越しの乾杯は、過去を祝うためではなく、未来を歩き始めるための乾杯でした。
次回、四人は未来という名の新しい一歩を踏み出します。




