第四章新しい家族 第五節「思い出のヒンカリ」
一皿の料理には、その人だけの思い出が詰まっている。
ヒンカリは、僕たちにとって二十八年越しの「思い出の味」だった。
「そう言えば、お母さんがパパに初めて作ってくれた料理は、ヒンカリやったんよ。それまでに見たこともない料理で、『わあ、おいしそう』と思って、お母さんが食べ方を説明する前に、パパがフォークでヒンカリを刺したら、中のスープがお皿に全部、溢れ出て、お母さんにめちゃめちゃ怒られたんよ。泣きながら怒ってたんよ」
アナスタシアもアンナもエリナも、吹き出した。
笑い声が部屋の中を軽やかに跳ね回る。
「当たり前でしょ。せっかくゆうちゃんを喜ばそうと思って、心を込めて作ったのに。それを全部、台無しにするんだから……。しかも、あれだけ作ってあげたのに忘れてるし」
アナスタシアは、あきれてみせる。
「じゃあ、ユーサクさんは、それからどうしたの?」
アンナが好奇心いっぱいの目で聞いてくる。
「えっ? 僕? でもそれは、お母さんに、『ごめん、ごめん』って、何度も謝ったよ。で、やっとお母さんの機嫌が直って、ヒンカリの食べ方を教えてもらって、食べたら、すごく美味しかったんよ。冷えてたけど」
「それは、あなたがあたしを怒らせるからでしょ」
アナスタシアは、二十八年前を思い出して、今度は本当に怒っているようだ。
「ごめん」
僕は、なんとかアナスタシアをなだめようと必死になる。
「だけど、本当においしかったんよ。お母さんがパパに作ってくれたヒンカリは」
「あたしもゆうちゃんが、あんまりおいしそうに食べるから、すごく嬉しかったわ。この人に毎日、ご飯を作ってあげたいって思ったの」
アナスタシアは、遠い昔の楽しかった日々を懐かしんでいるようで、優しい笑顔になる。
今思えば、あの時は、本当に幸せだった。
何もなかったが……。
ただ、アナスタシアと一緒にいるだけでよかった。
それで世界で一番、幸せだった。
多分、アナスタシアも……。
そんな「幸せ」を手放すなんて……。
僕は、愚かな人間だ。
「うん、うん」
アンナが身を乗り出す。
「じゃあ、そのあと、どうしたの?」
エリナが無邪気に続けた。
アナスタシアの顔が一瞬で赤く染まる。
「やだ、お母さん。娘の前で。やめて。こっちまで恥ずかしくなるじゃない」
アンナがその意味を理解したようで、アンナも顔を赤くする。
「何? 何? お母さん、どういうこと?」
エリナには、訳が分からず、きょとんとしている。
「いいの。子供には」
アンナがエリナをたしなめる。
「何で? ずるい」
アナスタシアと、アンナとエリナは、三人だけで話しているときでも、完璧な日本語を使っている。
決して、家の中では、ジョージア語を使わない。
習慣とは、すばらしいものである。
ただ、その厳格さが、少し、怖くもある。
「でも、それからお母さんは、何度もパパにヒンカリを作ってくれて、もちろん、二度目からは、出来立てのヒンカリを食べたし、中身が牛肉だけじゃなくって、時には、エビとか、キノコとか、いろんな具のヒンカリを作ってくれたけど、やっぱり最初に食べた、あの冷めたヒンカリが、パパには一番おいしくって、思い出の味なんよ」
僕は、強引に話題を変えて、何とかエリナの関心を逸らそうとする。
「あっ、そう。じゃあ、これからゆうちゃんには、出来立てのじゃなくって、冷めたヒンカリを出してあげるわね」
アナスタシアが僕を困らせる。
人生を振り返ると、不思議と思い出すのは豪華な料理ではなく、大切な人と笑い合った食卓です。
次回、四人は未来へ向けて、静かに乾杯します。




