表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/7

05 怪盗と月夜

「今宵はあなたの想晶を頂きに参りました───なーんて」


 黒いシルクハットを優雅に一礼して脱ぎ、再びかぶり直すその仕草は、まさに『怪盗』そのもの。黒いマントが風に揺れ、闇夜に紛れて現れた。

 月光に照らされ、黒のはずの髪が淡く透ける。その姿は、噂に聞く『華麗なる怪盗』を確かに思わせた。


「──怪盗リアム。」


「待たせて、ごめんね」


「待ってない。」


 夜に来るとだけ告げ、時間は言わなかった怪盗が現れたのは、ちょうど時計の針が真上を指していた。幸い、着替えの最中でなかったことにミラは安堵した。


 執事服を脱ぎ捨てたリアムは、怪盗の装いに身を包み、昼間はワックスで押さえつけられていた髪も、今は手入れをせず本来の癖が顔を出していた。


 リアムは窓のふちから軽やかに降り立つと、マントを翻した拍子に部屋の空気が揺れ、薄いカーテンがふわりと舞い上がった。月明かりに照らされたその姿は、まるで舞台の上の役者のように芝居がかっている。


「普通に扉から入ったらいいのでは?」


「あー……これはポリシー?」


 リアムの部屋はミラの部屋と同じ階にあり、執事服であれば堂々と扉から入って来られるはずだった。わざわざ窓を選ぶ必要などどこにもないのに、彼は指先でシルクハットをくいっと上げ、その顔にはどこか自慢げな色が浮かんでいた。


「窓からなんて、怪しまれるのに」


「怪盗が堂々と玄関から入る方が怪しまれるだろ?」


 軽口を叩くリアムの声音は愉快そうで、ミラは小さく頷いてみせたが、納得したわけではない。玄関からでも窓からでも、侵入された恐怖心に変わりはないのだから。


 ただ、怪盗リアムに対して抱いていた恐怖心は、もはや薄れている。『人を殺さない』という噂を完全に信じているわけではない。けれど、少なくともヴィオラや自分に殺意はないと感じられた。想晶を狙っているのではなく、ただ記憶を探しているのだと知ったからだろうか。あるいは、彼のひょうきんな振る舞いを目の当たりにしてしまったからか。


「俺が『怪盗リアム』だっていうのは、この振る舞い込みで完成するんだよ。」


「……理解できない。」


「理解されるような生き方、してないからね。」


 にやりと笑うリアムの金の瞳が、するりとミラをなぞる。足元からゆっくりと上へ、隅々まで見定めるように。あまりに露骨な視線に、ミラは眉間に深く皺を寄せた。


「……なに。」


「いやぁ、メイド服以外は初めて見るからさ。」


「目線がいやらしい。」


 鋭い視線を返したが、リアムは動じず口元に愉快そうな笑みを浮かべた。


「もっと可愛い部屋着だったら、いやらしい目で見たのにー」


「最低。」


 安い生地の白いワンピース。ただそれだけ。飾り気はなく、何度も洗われて少しくたびれている。

 リアムは「ごめんごめん」と軽く笑いながら、丸椅子に腰を下ろした。


「ヴィオラお嬢様の想晶、元の場所に全部戻したんだ?よく覚えてたな。」


 昨夜、ヴィオラの衣装室で、リアムがすべて袋に入れ盗み出した想晶を、ミラは全て元の配置に戻した。リアムの目的は想晶の『記憶』であり、売ることではない。ミラが視てくれるなら、ヴィオラの手元にあっても構わなかった。


「毎日見てるもの……というか、なんで戻したこと知ってるの?」


「さっき一つ盗ってきた時に気づいた。」


 そう言ってリアムは、青いブルートパーズのネックレスを取り出した。

 怪盗服に着替えていたのは、このためだ。ヴィオラの部屋の前には既に警備兵を配置してある。万が一姿を見られれば、執事服では即座に捕らえられるだろう。それに、盗みに挑むときは必ず怪盗の装いで、それがリアムの譲れぬポリシーの一つでもあった。


 ブルートパーズは部屋の灯りを受け、淡く揺らめくように煌めいている。


「盗ってきたって…警備も厳重になったし、もし捕まったらどうするの?」


「へぇ、心配してくれるんだ?」


 リアムは唇の端をゆるめ、わざと挑発するような笑みを浮かべる。その余裕に、ミラの頬がかすかに熱を帯びた。


「……ち、違う」


 ミラは慌てて顔を背ける。心配ではなく、捕まってしまったらどうするのだろうという疑問の、はずだ。

 気まずさを振り払うように、ミラは一歩踏み出した。視線をネックレスに戻し、真っ直ぐに手を差し出す。


「いいから貸して、視るから」


 強い声音に、リアムの金色の瞳がわずかに見開かれる。すぐに愉快そうに細められ、挑発的な笑みが返ってきた。


「準備はいい?」


 心の準備のことを言っているのだろう。それは、リアムが昨夜のことを気にしているのか。

 ミラは小さく頷き、ネックレスを受け取った瞬間、想いの記憶が流れ込んできた。




 ▼▼▼



 もう二度と、彼には会えないのだと、そこが彼女にとって一番辛いことだった。


 彼の隣に立つ女性。いじめた記憶は一切なかったが、主犯という濡れ衣を着せられ、婚約破棄には至っていないものの、完全に疑いを向けられてしまった。


「もう、君を信じることができなくなっている」


 そう彼に言わせてしまった。

 身に覚えがないからこそ、彼女はすぐに気づいた。こんなことを仕掛ける理由がある人物は、一人しかいない。隣に立ち、微笑みを浮かべる女性が仕掛けたことだとすぐに理解できた。彼に想いを寄せていることも知っていたが、婚約者と決められた自分には関係のないことだと慢心していた。政略結婚の相手が元々好きな人だと浮かれて、周りが見えていなかったのは事実だ。


 きっと婚約も破棄される。あの女性なら、それくらい造作もない。それがどうしても許せなかった。


 黙って、このまま好きな彼を逃すわけにはいかない。


 彼女は、全て正直に彼と話し合うことに決めた。誰かが自分を助けてくれる、そんな甘い考えは捨てる。話し合ったうえで、彼が女性を選んだのなら、彼への愛も冷める気がしたのだ。


 社交界の最中、彼女は彼をバルコニーへ呼び出した。彼女が見たことが無い瞳で見つめてきた。疑いを含んだ瞳は、冷たく感じられた。


「話を、聞いて頂けませんか?」


「話は聞こう。ただ、君を疑ったままだ」


「はい、それでも構いません。私は、貴方に私を信じてもらいたいのです。」


 彼は話し合いから逃げたことはない。どんな人の話だって最後まで聞いてから判断する。だから、彼女は彼を好きになった。


 女性は、彼女から数々の嫌がらせを受けたと訴えた。自分だけ冷めた料理を出され、話し始めれば会話を遮られ、彼とのダンスも勝手に断られ、さらには「相手がいない」「身分にふさわしくない」といった噂まで流されたのだという。


「では、一つずつお話しします」


 彼は小さく頷いた。


「自分だけ冷めた料理を出された、というのは私の指示ではありません。公爵家である貴方はご存じの通り、席順から提供するまで給仕長が決めています。」


「その件は分かっている。君が料理に手を回せるとは思っていない。彼女から聞いた時も、そのようなことはできないだろうと伝えた。問題はその先だ。」


 冷めた料理の件だけは、彼も最初から彼女を疑っていなかった。給仕長が処罰されかねない状況で、一人の令嬢の料理だけを故意に冷ますなど現実的ではない。

 彼は次の弁明を促した。


「会話を遮ったのは、姫様が茶会にいらしたからですわ。ダンスの件は断ったのではなくて、婚約者である私が一曲目をご一緒することは、社交界の慣例です。私は、その決まりをお伝えしただけです。」


「それは社交界では当然のことだ。……話が違うな、一曲目だという話は聞いていない」


「『相手がいない』『身分にふさわしくない』という噂を私が流したというのであれば、その噂を誰から聞いたのか、証人はいるのか、お確かめください。私は、そのようなことを申した覚えはございません。」


「……分かった。証言だけでは事実とは言えない。誰が、いつ、どこで聞いたのかも含めて調べよう。」


 弁明が終わり、彼の言葉を聞いた瞬間、彼女の視界がぼやけた。涙が勝手に溢れ出て、思わず顔をそらす。


「君を疑って、すまなかった。まずは君に話を聞くべきだった。婚約者である、君に。……あの女性が、常に私のそばにいた。君に近づく機会すら作れなかった。だが、それは言い訳にしかならないな。」


 女性が話す隙も与えないほど側に居り、二人で招待されたこの場が唯一のチャンスだった。


「貴方に、会えなくなると思うと……居ても立っても居られず」


「まさか、婚約を破棄されると思ったのか?」


 小さく頷いた彼女を見て、彼は険しい顔つきになった。


「すまない、私が不甲斐なかった。君という存在がいながら、女性と行動を共にするなど。」


「……ええ。あの方を無下にできないお立場であることも、分かっています。」


「だが、このままにはしない。彼女の証言も、噂の出どころも、すべて私が調べる。」


 彼は迷うことなく、彼女の手を取った。その言葉を聞いた瞬間、彼女は思い出した。



 やっぱり私は、この人が好きだったのだ。



 ▼▼▼




 昨夜のミラとは正反対の表情だった。


 幸せそうに微笑み、ブルートパーズのネックレスを見つめる瞳は、ヴィオラに向ける笑顔とも違えば、普段浮かべる愛想笑いとも違った。その幸福感に満ちた横顔に、リアムは思わず見入ってしまう。

 視線に気づいたミラが、ゆっくりと顔を上げた。


「どうだった?」


「……想いが通じた喜びからか、素直になれて生まれた想晶か。今回も、俺の探している記憶とは違う」


 リアムはいつもの軽い笑みを貼り付けている。


 視えたものはそのまま口にしているが、リアムに映像が見えているわけではない。これで探している『記憶』が見つかるのか、些細でも情報が得られれば探しやすくなるのだが────親身になりかけた自分に、ミラは心の中で首を振った。


「そう言えば、そのブラックダイヤの記憶を聞きたいんだけど。」


 金色の瞳が真っ直ぐに、ミラの指で輝く黒い想晶を射抜く。今日はこのリングについてやけに聞かれる日だ。

 ミラは見透かされないようにリングへ、そっと触れた。


「これは話せない。あなたが探している記憶を話せないのと同じ」


 視線が絡み、沈黙が落ちる。


「……確かに公平じゃないか。知りたきゃ、俺も話さないと。」


 リアムは深くシルクハットをかぶる。その影で表情は見えなくなった。何も言わない。言いたくないのだと、ミラは悟る。それは自分も同じだった。


「……じゃあ、その青い想晶はミラにあげる。」


「これは元々お嬢様の物よ。」


「あとはミラの好きにして。」


 片目をつむって、マントを翻して闇の中へ去ろうとする。その姿を見送ることなく、ミラは口を開いた。


「ねぇ、ルーイさん……いや、リアム」


 普段の呼び方をすればいいのか、怪盗の名を呼べばいいのか。ミラは迷った。

 リアムは立ち止まり、少しだけ振り返る。目の前に広がる静かな夜の空気の中で、彼の笑みが浮かぶ。


「ははっ、好きに呼んでいいよ」


「リアム……あなたのことについては何も聞かない。でも、ヴィオラお嬢様だけは絶対に泣かせないで。」


 その言葉に、リアムはほんの少しだけ眉をひそめたが、すぐに軽くうなずいた。


「それは保証しよう。」


 窓辺から離れたリアムが、ゆっくりとミラに近づいてくる。目の前に立った彼は、ミラの右手をそっと取ると、その甲に唇を落とす。


「ミラのことも、泣かせるつもりはないよ?」


 その言葉に、ミラの心臓が一瞬だけ早鐘のように鳴った。だが、リアムの余裕そうな表情を見てすぐに冷静さを取り戻し、少し斜に構えて尋ねた。


「あなたって……誰にでもそんなこと言うの?」


 リアムは一瞬、笑いをこらえきれずに吹き出した。その顔はどこか楽しげで、いつもの余裕を崩すことはない。


「ミラにはムードってもんがないなぁ。」


 ミラはじっと彼を見つめ、少し苛立ちながらも肩をすくめる。


「怪盗はキザって、本当なのね」


 怪盗=キザというイメージは、最近流行りのロマンス小説から広がったものだ。ミラは読んだことはないが、ヴィオラから影響を受けている。


「キザなイメージをつけたのは、俺のおかげだと思ってほしいね。」


 小説に登場する『怪盗』は、キザで、陽気で、ひょうきんで、かっこつけで、巧みだ。まるでそのまま小説から飛び出してきたような男に、ミラは小さく笑った。


「何を目指してるの?」


「……『華麗なる怪盗』かな?」


 『華麗なる怪盗』と噂される怪盗の冗談めかした声に、ミラは思わず吹き出してしまった。その笑みに、リアムはしてやったりと肩を揺らした。


「では、良い夢を──。」


 リアムは微笑みながら、窓の外へ飛び出す。闇の中にその姿を溶け込ませるようにして消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ