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04 怪盗と鍵

「おはようございます、ヴィオラお嬢様」


 少し開いた窓から差し込む光にヴィオラは目を細める。その薄い光が好きで、冬以外は窓を少しだけ開けてもらうようにしていた。


 ベッドの隣に置いているアメシストが入った箱に目をやる。その視線をミラも追っていた。

 ヴィオラがその箱を開けると、アメシストは昨日と同じように入っていた。


 いつもより早い起床時間で、昨日もなかなか寝付けなかったはずなのに、ヴィオラは不思議と眠気を感じられなかった。気持ちは高まり、朝食もペロリと平らげてしまいそうだ。


「紫色のドレスってあった?」


「二着ほどあった気がしますが…紫にされますか?」


「うん!アメシストに合わせる、私も探そうか?」


「いえ、お持ちしますので、お待ちください」


 隣にある衣装室は、室内の扉で繋がっている。いつも華やかなドレスと想晶のアクセサリーが整然と並び、空間全体がまるで想晶箱のように煌びやかだ。


 ただ、その煌びやかさは今日は消えていた。想晶はどこにも並んでおらず、アクセサリーがすべて入った袋を見て、ミラは胸を撫で下ろした。アメシストは元の場所に戻したが、他のアクセサリーを戻している時間はなかったのだ。幸い、この部屋にヴィオラが入ることは阻止できた。

 薄い紫と濃い紫のドレスを抱えて、ミラは部屋へ戻る。


「どちらになさいますか?」


「薄い方にする!」


 薄い紫色のドレスへと装わせ、ヴィオラの真っ直ぐな銀髪を丁寧にとかす。

 そろそろ、ルーイがいつも通り扉をノックし、訪れるはずだ。


「今日はルーイ遅いわね」


「……え、ええ。様子を見に行きましょうか?」


 やはり逃げ出したのだろうか。正体がバレたうえ、ミラが暴露しないとも限らない。むしろ逃げ出してくれた方が、ヴィオラを巻き込まずに済むし、アメシストが盗まれる心配もなくなるが───


 ───コンコン


 ノック音が聞こえ、ヴィオラとミラは視線を向けた。


「ルーイ、おはよう」


「おはようございます。お嬢様、本日のお身体の具合はいかがですか。」


 金色の目をした黒い執事が、嘘めいた笑みを貼り付けて入ってきた。


「今日も調子がいいわ。ちょうど、ルーイの話をしていたの」


「へぇ、私の話ですか」


 貼り付けたような笑みを崩さぬまま、ルーイはミラに視線を向けた。獲物を狙うような目に射抜かれ、ミラは思わず口を開いていた。


「今日は朝食が遅いですね、と話していたのです。ルーイさんはいつも完璧ですから」


「それは失礼いたしました。スープを温めておりまして」


 銀のトレイに並んだ軽食からは、ちょうど湯気の立つスープの香りが漂っていた。


「お嬢様、昨夜はよく眠れましたか?」


 ───白々しい。

 ミラは睨みそうになるが、鏡越しにヴィオラに見られるかもしれないため、表情を引き締めた。


「んー眠りは浅かったような気がする……なんだか昨日は寒かったわ」


 昨夜は怪盗の侵入口である窓が開ききり、強い風が部屋へ吹き込んでいた。怪盗に動揺し、窓を閉める考えに及ばなかった自分の不甲斐なさを、ミラは責めた。結局、窓を元に戻したのはアメシストを枕元に戻した時だ。


「また風邪を引かれませんよう、本日は身体を温めるメニュー中心にいたしました」


 この執事──否、怪盗に。完璧さでねじ伏せられた気がして、ミラは唇を強く噛んだ。窓を閉めることを失念したのは自分で、主人を危険にさらしたのも自分だと言うのに。


 ルーイは就任した初日から優秀であった。風邪を引いたヴィオラのため、従者達に聞き取りを行いヴィオラに『いつも通り』の看病を行った。頻回に熱を出す彼女にとって、看病される時間にも、いつの間にか決まったルールや手順ができあがっていた。ルーイは、それを全て完璧にこなしてみせたのだ。


 執事の姿は、かりそめでも完璧に演じ切っている。金色の目がミラを見据え、一瞬だけ悪戯っぽく笑ったように見えた。

 ミラは動揺し、握っていた櫛を落としそうになった。それに気づいたヴィオラが心配そうにミラを見上げたのにも気が付かなかった。


 完璧すぎる男にミラは何も言えない。そのまま沈黙が続いた状態で、ヴィオラは静かに朝食を続けた。



 ***



 やがて朝食を終えた頃合いにやってきたロデリックに、想晶を手渡したヴィオラの心は踊っていた。まだ正午にもなっていないのに、リングの完成を今か今かと待ち望んでいる。


「楽しみで何も集中できない……本でも読もうかな」


「何か適当にお持ちしましょうか?」


「想晶に関する本がいいわ」


「かしこまりました」


 ヴィオラの部屋を出て、ミラは書庫へ向かう。だが、廊下の途中で足を止めた。書庫には鍵がかかっており、その鍵は執事室にある。

 重たい足を執事室に向けるが、嫌な予感がミラを過る。エレイン邸には執事が三名おり、ルーイがたまたま執事室にいるとは限らない、誰もいないかもしれない。


 ただ、会いたくないと思えば思うほど、運命のように会ってしまう──この現象に名前はあるのだろうか。


「やぁ、ミラ」


 執事室の扉を開けるとルーイが手を上げ、屈託のない笑顔を向けてきた。生憎、他の執事はいないようだ。


「ミラって、意外と顔に出やすいタイプだよな。朝も笑いそうになった」


 まるで友人のように気安く、何事もなかったかのように話しかけてくる。その神経がミラには理解できない。言葉を返す余裕もなく、ミラは喉の奥が鳴るのを感じた。


「………無視?ひどいなー。執事として、業務中は私情を挟むなって怒るよ?」


「どうしてそんなに……普通なの」


 そう、あまりにも普通すぎる。昨夜のことなど無かったことのように、怪盗が日常に溶け込んでいた。ミラはこんなに動揺していると言うのに。


「ミラが動揺してるのは分かるけど、俺は別に何も感じてない。いや、むしろ記憶を視てくれる人が現れてラッキー」


 ヴィオラの集めた数々の想晶を盗むよりも、ミラには価値があった。金がかからず想晶の想いを視ることができ、且つエレイン家には想晶が集まりやすい。


 どこから出してきたのか。ルーイの白い手袋に包まれた手には、いつの間にか書庫の鍵が握られている。ぶらぶらとミラに見せつけるように揺らしていた。


「………なぜ、鍵が必要か分かったの?なぜ、正体がバレたのに、動揺しないの? 怪盗のくせに、お嬢様を想うフリまでして、普通に笑って……それに全部───」


「───完璧?」


 ミラはぐっと拳を握りしめる。認めたくはないがルーイの仕事は完璧で、その噛み締めるほどの悔しさは有能さを認める証だった。


「潜入は数こなしてるし、怪盗になって長いから。最初から何でもできたわけじゃない、俺だって大変だったんだよ?」


 そう言ったルーイの声は軽く、その苦労は伝わってこなかった。

 どうして想晶を盗むのか、探している記憶とは何なのか、聞いてもまたはぐらかされるだろう。しかし、本来なら、真っ当に生きればルーイは何でもこなせるはずで、執事しても有能だと言うのに。


「どうして、怪盗なんて…」


 声に出すつもりはなかったのに、ミラの口から小さな声量で発せられた。ルーイは目を見開いたあと、すぐに真剣な眼差しに戻る。


「…じゃあ逆に聞くけど、俺が真っ当に生きて、何を得られると思う?」


「得られるって……」


 何を得る必要があるのか、何を求めているのか。ミラには想像すらできない。


「賞賛?金?地位?……全部いらない。俺が欲しいのは記憶だから」


 怪盗など、金目当てで動くものだと決まっている、少なくとも世間はそう見ている。ミラ自身も、ずっとそう信じていた。

 だが彼には、どうしてもそうせざるを得ない理由があるのではないか。もしそれを知ってしまえば、彼を責めることができるのだろうか。その疑問が、ミラの顔色に表れていた。


「……ああ、同情してる?そんなの要らないからね。怪盗を誇りに思ってるわけでもないし。それより、書庫に行くんじゃなかったの?」


「すぐに書庫に行けなかったのは、話しかけてきたあなたのせいじゃない」


 ほんの一瞬でも、怪盗に同情した自分が馬鹿だった。甘さを見せれば、つけ入れられるだけだ。このまま嫌悪感を抱き続けていれば、少なくとも間違いはしない、ミラはそう自分に言い聞かせる。


「そう怒らないでよー……ほら、早く行って。お嬢様が待ってる、続きは夜に話そうか」


「……夜?」


「今夜、ミラの部屋に行くから」


 ミラの灰色の瞳が驚愕に見開らかれる。夜に、男が、女の部屋を訪れる、それはあまりにも堂々とした宣言だった。


「……あ、期待しないでね、俺は想晶の記憶を……」


「わ、分かってます」


 ミラは顔を赤くして、早歩きでルーイに近づき書庫の鍵を奪い取った。その様子に声を立てて笑う執事は、まるで面白い玩具を見つけたように目を輝かせる。

 ルーイの笑い声を振り払うように、ミラは仕事に没頭した。



***




 そうして迎えた午後。念願のアメシストのリングが届いたのは、ヴィオラが二冊目の本を閉じ、ティータイムを楽しんでいる時だった。ヴィオラとミラは早足でロデリックが待つ応接室へ向かう。


「お嬢様、リングが完成しましたぞ。こちらです」


 ロデリックが誇らしげに笑みを浮かべ、箱を開いた。淡い紫のアメシストは光を受けてきらめき、リングは細身の銀色で、その上品さを際立たせていた。


「素敵……」


「ええ、本当に素晴らしい想晶でございますなぁ。加工できて、私も光栄です」


 ロデリック・ヴァルモンは想晶に触れると、語られぬ想いが熱を帯びて伝わってくる。まるで手のひらの温度が、心へ染み込むように。

 決して何らかの映像が見えるわけでもなく、何かが聞こえるわけでもない。ただ温度として、想晶が彼に語りかけてくる。

 それは一種の『視る』力に違いなかったが、生まれつきではなく、数々の想晶を磨き抜いた職人にだけ芽生えた感覚だった。


「もう着けてもいいの?」


 ロデリックの頷きを確認して、ヴィオラはゆっくりとアメシストのリングを右手の薬指にはめた。それだけで小さな想晶が、美しい存在感を放つ。

 右手の薬指は『安心感・愛の願いを叶える』を意味する。まるでシリルが見守ってくれているようだ、とヴィオラは思った。


「お似合いです、お嬢様」


 『想い』を知っているミラは胸を打たれた。シリルの想いが、はめた指に込められた意味のように、ヴィオラに安心感を与えていた。

 その儚い恋心が、美しい形となって、離れた今でもヴィオラを見守っているような感覚だった。

 ヴィオラはその輝きを見ているだけで、涙が溢れそうになる。


「こんなに温もりを感じる想晶は久しぶりで、私も感動いたしましてなぁ。手入れも仰っていただければ参りますので」


 アメシストの加工中、常に感じていた温もりはロデリックの心にも届いていた。


「ええ、ありがとう。また必ずあなたにお願いするわ」


 ヴィオラはロデリックの傷だらけの手を見て、何度も礼を述べた。

 それからリングへと視線を落とす。目を離すことができなかった。淡い輝きに心を奪われ、脳裏に浮かんだのは、シリルの穏やかな微笑みだった。想いのこもった想晶を身につけるというのは、こう言う感覚なのだとヴィオラは実感した。


「──ミラも、そのリングを見て何か思い出す?」


 ミラの右手の中指には、ブラックダイヤモンドのリングが重々しい存在感を放っていた。漆黒に近い黒は異様に目立ち、自然と視線を奪われる。


 ヴィオラがミラのリングについて触れたのは、これが初めてだった。業務中にリングをしていても何も思わなかったし、その意味を知ろうとしなかった。

 ミラはそっとリングに触れ、静かに深く頷いた。


「はい。毎日思い出します」


 ミラの瞳はたしかにヴィオラを映しているのに、その奥では誰か別の人を見つめているようだった。その理由を知ろうとはせず、ヴィオラはただ静かに受け止めた。


 ロデリックは横目でブラックダイヤモンドを盗み見る。メイドの給金で手に入る代物ではなく、遠目からでもその価値は分かる。深く均一な黒、大粒の輝き。売ればメイドを辞めて、軽い仕事で暮らせるだろう。だが、彼女が手放さないのは『想い』の重さゆえか。ロデリックは静かに視線を外した。


「みんな大切な想いを持っているのよね」


 ヴィオラは窓に映る自分の姿を見つめる。青いイヤリングも、青いネックレスも、誰かの『想い』から生まれたものだと気づいた。

 リングにして身につけ、その想いと共に生きる。それは美しいことのように思えた。


 だが、想晶が、必ずしも大切な想いだけで生まれるとは限らない。そのことをミラは知っていたが、ヴィオラはまだ気づいていなかった。


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