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03 怪盗と執事

 

 アメシストに触れたきっかけは、ヴィオラがミラに手渡したからだった。


「綺麗でしょ、これ」


「わ……とても綺麗です」


 最初ヴィオラはそのアメシストが、自分の想いの結晶だと、ミラに言わなかった。だから、何の疑問もなく、ミラはそれを受け取った。


 ミラ・リーヴは想晶に触れるだけで、込められた『想い』が視える。想晶が生まれた瞬間の記憶が、結晶の中には込められており、まるで自分が体験したかのように脳裏に流れ込む。

 

 その特殊な能力は、霊が視える人やオーラが視える人のように、稀にいる。能力で事件が解決したり、歴史が覆されたり、情報が漏洩したり、貴重な情報源でもあるが、信じる者も少ない。


 いつもなら、知らない人の記憶が頭に流れてくるはずだった。アメシストに触れた瞬間、頭に流れ込んできたのは切ない想い。


 ヴィオラの苦しそうな顔が視えた───




 ▼▼▼



「シリル、ごめんなさい。私が、シリルを──」


「お嬢様、それ以上は、言ってはいけません。」


 シリルが静かにヴィオラの言葉を遮った。


 シリル・グレイはヴィオラに仕える執事だった。

 灰色の髪はやや長めに伸ばされ、前髪が斜めに流れている。光を受けると銀色めいて柔らかく揺れる。桃色の瞳は、穏やかでありながらどこか憂いを帯び、真っ直ぐにヴィオラを映していた。185センチほどの体は引き締まっていて、執事服を着れば背筋の伸びた姿が際立ち、立っているだけで絵になる存在感を放つ。


 今は、その執事服を脱ぎ、平凡なシャツを着て、少ない荷物を入れた鞄を持っていた。


「……私が、悪いのです」


 シリルは涙が溢れぬよう、ぐっと唇を強く噛んだ。ヴィオラは大きく首を横に振って否定する。


「違うよ! シリル、シリル!!っ、」


 大粒の涙が、美しい薄水色の瞳から流れ落ちた。


「泣かないでください。もう、拭って差しあげることも出来ないのですから。」


 その涙も、その瞳も美しい。


 ヴィオラの瞳を見る度に、想晶のように美しいと思っていた、伝えたかった。でも、言える身分ではなくて、その瞳に自分が映る度に目をそらしていた。


「………行かないでっ」


 絞り出したような小さな声は、しっかりとシリルの耳に届いた。ヴィオラがシリルのシャツの袖を掴む。その腕をシリルは、ゆっくりと引き剥がした。

 

 行きたくない。このまま手を伸ばして、抱きしめてしまいたくなった。貴女への愛おしさが溢れ出しそうになる。


 朝食を少し残してしまうところも、病弱でも強がってしまうところも、使用人に分け隔てなく接するところも、小説を読みだしたら時間を忘れてしまうところも、青色が好きなところも、ぶどうが好きなところも、鳥が苦手なところも、泣き虫なところも、本当は海が好きで行きたい思いを隠しているところも、なかなか寝付けないところも、たまについている寝癖も、俺を呼ぶ声も、俺に向けてくれる視線も、笑っている顔も、その声も、その想晶のような瞳も、全部全部全部全部全部全部。


 大切で、大好きで、愛おしい。


 ずっとお側に仕えたかった。彼女の幸せを見届けたかった、否、幸せにしたかった。抱きしめたかった。想いを伝えたかった。連れ去りたかった。逃げてしまいたかった。


 お嬢様を、私は、俺は、愛してる───



「───今まで、ありがとうございました」


 シリルが深々と頭を下げる。口にしたかった言葉が、涙となって溢れ出て止まらない。ヴィオラの顔を見ないように、背を向けた。


「シリルっ、」


 ヴィオラが叫んでも、シリルは振り返らなかった。背中から泣き声が聞こえてくるようだった。

 肩が震えるのを必死に抑えながら、涙が地面に落ちないよう少し上を向いた。このまま一緒に、逃げ出せたら良かったのに。

 二人の想いは声にならず、涙となって瞳から溢れ出した。



 あなたに、追いかけられたい。



 ▼▼▼




「──ミラ?どうしたの?ぼーっとして」


「ぁ、」


 ミラの目が見開かれ、静かな息を漏らした。

 視えてしまったのだ。お嬢様の、ヴィオラの秘められた記憶ではなく、執事シリル・グレイの恋焦がれる想いが。

 

 胸の奥がきつく締めつけられるような痛みに襲われた。これがシリルのものであるとは、ミラの口からは伝えられない。シリルが伝えることを選ばなかったからだ。


 ヴィオラが、彼の背中を最後まで見つめていたことを、ミラは知らなかった。

 あの日の朝、ミラがいつも通りヴィオラを起こしに行った。彼女は特に変わった様子もなく、眠っていた。一日中笑顔を浮かべており、泣いた痕跡など見当たらなかった。シリルの想晶からでも伝わってくる、恋心を見事隠してみせたのだ。

 気づけば、ミラはその場で立ち尽くしていた。アメシストを握りしめ、声も出せず、ただ感情に呑み込まれていた。


「……お嬢様、無礼をお許しください。」


 ミラはヴィオラを強く抱きしめる。

 自分が抱きしめたところで何も変わらない。そんなこと、ヴィオラは求めていないかもしれない。でも、抱きしめずにはいられなかった。


「ミ、ミラ!?本当にどうしたの!?」


「寂しくて、切ないのです。」


 執事シリルは、ヴィオラお嬢様のことを心の底から愛していたのです。そのことを伝えられない、もどかしさ。


「…ミラのこんな感情的なところ初めて見たわ」


 ヴィオラは驚きながらも、笑顔で小さな腕を広げてくれる。ミラの背中に回る細い腕。その温もりに触れても、ミラの胸の苦しみは取れない。

 ヴィオラはミラよりも小さい。小さな身体であれほどの苦しみを抱えていたのに、誰にも泣き顔を見せなかったなんて。


「綺麗です、このアメシスト。感動してしまって」


「…ふふっ、……何だか全てバレちゃったみたいね」


 自分のために泣いているのではないか、ヴィオラはそう感じた。


「いえ、何も存じてません。ただ、この美しさに、心打たれたのです」


「……そう。嬉しいなぁ、このアメシストは私の宝物にする」


 ヴィオラとシリルが過ごした日々の全てを、ミラは知らない。

 この想晶の断片からわかるように、雇い主と執事、あまりにも距離が近すぎてしまったのだ。

 周りの従者たちが噂するまで、ヴィオラとシリルの関係を疑った話が膨れ上がり、それが原因で解任されてしまった。ヴィオラとシリルは身分が違いすぎた。ヴィオラに婚約者がいることは周知の事実であったのに。

 もしも想いを伝え合っていたら、二人で駆け落ち、なんてこともあったかもしれない。


 切なくて苦しい深い傷を残す代わりに、このアメシストが生まれたのだ。ヴィオラはそう、思い込んでいる。

 切ない想いが結晶化され、それが美しいなんて皮肉だとミラはいつも、感じていた。




 ──そして今。


 再び金色の鋭い視線がミラを射抜く。


「……これが、この想晶の記憶です。なのでこれだけは怪盗の手にも他の誰にも、渡すわけにはいきません」


「それは……悲劇だな」


 ミラの叫びに対して、男はあくまでも冷静で楽観的であった。

 貴族令嬢と執事の、一瞬の恋心を話されても、就任して日が浅い『ルーイ』には何も響かないし興味もない。男は静かにため息をつく。


「……わーかったよ。これは返してやる」


 気軽な手つきで男はアメシストをミラの手に置いて、また寝具に座る。その呆気ない返却にミラは疑いの目を向ける。


「本当に、これで?」


「俺は記憶を探してるだけ。売るために盗んでるんじゃない。」


 そう言いながら、男の目はどこか楽しげだった。そして次の瞬間、その表情が少しだけ鋭さを増す。


「ただ、条件がある」


「条件………?」


「俺はいつだってそのアメシストを盗める。怪盗リアムって知ってるだろ?それが、俺」


「怪盗リアム!?」


 その名は新聞の見出しで何度も目にした。想晶専門の大怪盗、リアム・ノワール──その正体が、今目の前にいる彼だったとは。


「正体をバラすなんて。私が記者に売るってことは考えないの?」


「考えないなぁ。ミラはヴィオラお嬢様が大好きで、ずっと仕えたいと思ってる。このアメシストが盗まれて、売り捌かれるわけにはいかないだろ。つまり、俺を売ればどうなるか分かる、よな?」


 その言葉で、ミラの喉が音を立てて鳴る。アメシストは盗まれ、ヴィオラの目に届かない場所で売られ、この想いが誰かの元へと渡ってしまうだろう、それはあまりにもわかりやすい脅しだった。


「卑怯ね…」


「怪盗に卑怯って!そんな当たり前のこと」


 リアムは声に出して笑う。心底楽しそうに見えた。そして、ミラに顔を寄せ右の口角を上げる。


「この想晶を守りたいなら、俺に協力しろ」


「協力?…記者には売らないから」


 アメシストを盗まないのならミラにとってはもう終わった話だ。リアムのことは心に秘め、他の想晶が盗まれたとしても、ヴィオラとアメシストの安全さえ保証されれば良い。

 リアムはまた顔を寄せると、金色の瞳でミラをじっと見つめ、指先で彼女を指した。


「そのアメシストには興味がない。興味があるのはミラ、お前だよ」


 目の前に指先が来て、ミラは思わず一歩後ずさった。


「興味って、なに」


 ミラの声が驚きで裏返った。それにリアムはニッと歯を出して笑った。

 その笑顔は普通の青年みたいでとても大怪盗には見えない。二十五歳と言っていたが、名前を詐称するくらいだ、もう少し歳は下に見える。


「ミラの、その『視る』能力に興味があるってこと」


 ニヤリと笑ったリアムの金色の瞳は想晶のようにキラキラと輝いていてミラはそらすことができなかった。

 自分の瞳は灰色でヴィオラやリアムのような輝きはない。死んでるみたいな目と言われたこともある。


 それにこの能力で得をしたことは一度もない。これで稼いでいる人は多くいるが、ミラは感情に引っ張られやすい。


「………興味と言われても、視るのは体力もかなり使うし」


「ヴィオラお嬢様のためだと思って!今まで盗った想晶は金を出して視てもらってたんだよ……それがぼったくりは多いし、本当は視えないって詐欺師も多くて、一回騙されたし。こっちも大変なんだ」


 怪盗の苦労話を聞かされて、ミラは小さく息を吐いた。


「あれ?怪盗の話は興味なし?まぁ、ミラは信用できるからな」


 リアムは確信していると言った表情を浮かべる。


「…私が嘘を、ついてるかもしれないのに」


「嘘ついたら殺すって脅したし、ヴィオラお嬢様を人質に取られて嘘なんかつけないよな?…けど、一つくらい試してみるか」


 得意げな顔でミラを見るリアムは青い想晶のイヤリングを一つ掴むと、ミラの手に乗せた。


「はい、視て」


「視てって………何の記憶を探してるのか、情報は?」


「んー。とりあえず視たものを言ってくれたらいい」


 話したくないのかリアムは言葉を濁す。

 イヤリングが置かれた瞬間から、ミラの頭には記憶が流れ込んできていて、眉間に皺が寄った。



 やっぱり、青は悲しい記憶が多い。


「……服装的にメイドの人だと思う。主人に奴隷のように扱われて、酷い仕打ちを受けてる。傷だらけで部屋に監禁されて、パンの一つも与えてくれない。いつまでここにいればいいのか。今度こそ主人を怒らせないようにしないと。あぁ、でも、お腹が」


 ミラの口調の変化に気づいたリアムは、思わず立ち上がる。それでもミラの口の動きは止まらなかった。


「いつから食べてないっけ?お腹が空いたなんて感じてなかったのに。急に、急に。お腹がお腹が、空いて、空いて、空いて空いて空いて空いて空いて空いて───」


 そのまま───



「──おい!!ミラ!!」


 息が荒く、腹を強く抑え、瞳からは涙が滲み、冷や汗をかくミラの肩を揺らしてリアムは落ち着かせた。イヤリングを奪い、ベッドに誘導して座らせる。

 まるで記憶の中の人が乗り移ったかのように目が虚になっていた。口調も途中からミラではなくなっていた。


「…はぁっ、はぁ……追体験みたいなもの。他の人がどう視えるかわからないけど、私は場面、匂い、温度、会話がそのまま視える。感触はわからない…はぁっ、けど」


 ミラの肩が上下に揺れながら息をしている。リアムは今まで『視える』人と何人か会っているが、匂いだけ視える者、会話だけ視える者、場面だけ視える者、様々だった。

 リアムは頭をかきながら軽く下げた。


「…………悪かった。」


 黒髪の頂を見ながら、ミラは目を見開き沈黙する。数秒後、リアムは勢いよく頭を上げた。


「なに?俺だって悪いと思ったら謝る」


「悪いと思うなら……盗みなんてやめた方が……」


「それは悪いと思ってないからな」


 ニヤリと笑うリアムは嘘はついていないようだ。

 想晶が、悲しい『想い』ばかりではないことを知っているからこそ、想晶が持ち主にとってどれほど大切かを知っているからこそ、それを盗む行為がミラは許せない。


 リアムはこれ以上ミラに想晶を手渡さなかった。


「いずれ全部視てもらうけど、今は視えることが事実か確かめたかった。この状態を見れば嘘じゃないことはわかったよ。今日は朝早いし、そろそろ仕事仕事」


「もう朝……仕事って、普通に執事として働くつもり?」


 ミラは信じられないと言った顔でリアムを見る。


「今まではエレイン家の想晶狙いだったけどさ、今日からはミラがいるから………潜入は続けるつもり、かな」


 リアムは両手を握り、顎の下に置いた。かわいこぶって目をきゅるきゅるさせているが、ミラは可愛いとは微塵も思わなかった。


 手中にあるアメシストが守れたことが幸いだろう。そのアメシストが光を浴びて紫に薄い熱を足した。窓から差し込んできた光にミラは驚く。朝を迎えてしまったようだ。


「早くメイド室に戻らないとねミラ。俺の部屋から、メイドが、しかも朝に出てきたところなんて見られたら、俺たち怪しまれちゃうかもね?」


「……あなた、本当に卑怯者」


「お褒めに預かり光栄です。」


 シルクハットを持って優雅にお辞儀を見せた怪盗を背に、ミラは慌てて執事室から出た。ヴィオラが起きる前に、想晶を元あった場所に戻さなければならない。

 すると閉めたはずの背後の扉が開き、男が顔だけ出した。


「あ、ミラ。今日から想晶、少しずつ視てもらうから。よろしくー」


 リアムの服は既に執事服に変わっていて、悪戯に笑うその顔にミラは何も返せなかった。すぐに扉が閉まりミラは大きくため息をついた。


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