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02 怪盗とアメシスト


「では、明日の午前中に想晶を引き取りに参りますのでなぁ。当日中に加工し屋敷にお持ちいたします。」


 採寸を終えたロデリックは軽く頭を下げ、静かに屋敷を後にした。アメシストを預かるか聞かれたが、ヴィオラは首を横に振った。もしも『怪盗』に盗まれたら、想像するだけでゾッとする。出来るだけ手元に置いておきたい。

 今日は採寸と、カタログからリングの種類を選んだだけだ。


「今日でこの形とはお別れかぁ」


 人差し指と親指で、アメシストの結晶を挟みながら、ヴィオラはそれを太陽に向けた。眩しいほどに輝いて、自分からこの美しさが生まれたという実感が、湧かない。

 でもあの日、確かにヴィオラの元に突然現れたのだ。


「──想晶って、一生にひとつも生まれない人もいれば、何個も生まれる人がいるのよね?」


「そうですね……感じ方なのでしょうか。感情豊かな方もいらっしゃいますから」


 同じ出来事が起きたとしても、誰かにとっては悲しいと感じ、別の誰かには怒りと感じる。それぞれの内面から湧き上がるものに、正解や間違いはない。


「……じゃあ、これが私の最初で最後の想いかもしれないわね」


 ヴィオラの目頭が熱くなり、薄水色の瞳から今にも涙が溢れ出しそうだった。上を向き、涙が流れないようにしている。ミラは驚いて慌ててハンカチを差し出すが、ヴィオラは受け取らなかった。


「この想晶が、私の手に突然現れた日のことを思い出しちゃった……今は一人にしてもらっていい?」


「………では、退室いたしますね。」


 ヴィオラが綺麗に笑えば笑うほど、その『想い』を知るミラの胸は締め付けられた。ヴィオラはミラの前でも、誰の前でも決して泣かない。


 いっそ泣いてくれたら。いっそ話してくれたら。力になりたいのになれないもどかしさがミラを支配する。


 ミラが初めて仕えた主人がヴィオラであり、今後とも彼女からの拒否がない限り仕えていきたいと思っている。同じ年齢だが、幼いミラを屋敷に迎え、メイドの業務が何も分からず何度も不手際を起こしたが、一度もヴィオラは怒ったことがない。心優しい主人に一生恩返しするつもりだ。


 ヴィオラの部屋の前でその『想い』のことを考えながら、立ち止まっていると、外で待っていた執事ルーイが黙ってミラを見ていた。

 一呼吸を置いていた姿を見られてしまい、ミラの灰色の瞳が珍しく泳いで、ビクリと肩が大きく跳ねた。


「………いらっしゃったのですか」


「職人が来てから扉の前で待機してた。声をかけようか迷ったが……驚かせたな」


 胸を抑えながら苦しそうにするミラにルーイは声をかけられなかった。謝らなくて良いのに律儀だとミラは感じる。


「いえ。明日またヴァルモン様が来られて想晶を一度持ち帰り、加工後に持参して頂く予定です」


「それはわかったが…ミラ、体調が悪いのか?」


 淡々と、冷静に、業務をこなしているのがミラへの印象だった。感情を顔に浮かばせるなど、今までルーイは見たことがなく、体調を危惧するのは当然の流れであった。


「お気遣いなく、問題ありません」


「……ではお嬢様の体調が優れないのか?」


「お嬢様も問題ないのですが、今は入室しないよう、お願いします」


「………わかった」


 ルーイはやはり気遣いのできる執事のようで、言葉足らずだったが、何となくヴィオラの心情を察してくれたようだった。紅茶を乗せたカートは静かに下げられ、彼の動きには無駄がない。


 ミラとルーイは互いに一言も交わさず、ただ静かに廊下を逆方向に歩き出した。




***



 泣き疲れて昼食は喉を通らず、一度は眠ったヴィオラだったが、夕食の時間を迎えることになった。エレイン家では、夕食だけが家族全員揃って食事をする時間だ。朝と昼、ティータイムはほとんど自室で済ませることが多いため、ヴィオラもこの時間だけはきちんと完食することにしている。


「ロデリックが屋敷に来ていたようだな」


「初めてお会いしたけど、素敵な方だったわ」


 ヴィオラの父、ヴァレンティンは、執事長からその話を聞いていたのだろう。優しげな笑みを浮かべながら、一人娘のヴィオラに語りかける。


 ヴァレンティン・エレインは伯爵の爵位を持つ人物だ。赤茶色の髪はゆるやかに後ろへ流れ、光に透けると柔らかな栗色を帯びる。深い青の瞳は、その穏やかな人柄を映していた。目元のやわらかさは、ヴィオラにも受け継がれているようだった。


「ヴィオラの誕生日に贈るアクセサリーは、彼の手がけたものだよ。」


 その言葉にヴィオラは目を輝かせながら、少し嬉しそうに答える。


「じゃあ、明日の完成品も間違いないわね」


 その自信に満ちた言葉には、ロデリックへの信頼がしっかりと表れていた。



 自室に戻り、寝着に着替えたヴィオラは、いつもならすぐに眠りにつく時間が過ぎても、どうしても眠れなかった。昼寝のせいで体がすっかりリズムを狂わせてしまったのだ。静かな部屋で、無理に目を閉じようとしても、眠気も湧いてこなかった。


「どうしよう……」


「お昼寝なさいましたものね……もう少しお話し相手になりましょうか」


 時計の針は十一を指していて、これでもいつもより話をした後である。ヴィオラは首を横に張った。


「んー…話してたらもっと寝れなくなるかも。目を閉じたまま、いつの間にか寝てることを祈るわ」


「かしこまりました、いつでもお呼びくださいね」


 ミラのメイド室へ繋がる呼び鈴を念の為、ミラは指差す。この紐を引くと、ミラの部屋の壁のベルが揺れる仕組みだ。

 ヴィオラは頷いて了承するが、ミラを夜に呼び出したことは一度もない。


「明日は、私がアメシストをヴァルモン様に渡しておきましょうか?」


「ううん、起きて私が、直接渡したい」


「かしこまりました。では、おやすみなさいませ。お嬢様」


 部屋の明かりを消し、窓を少しだけ開けるのがヴィオラのこだわりだった。ミラはいつも通り、手順を踏んで部屋を後にする。


 専属メイドとして、深夜にヴィオラが寝ているか確認するのは当然の務めだ。ヴィオラから直接頼まれてはいないが、主人が眠れないのなら、その支えとなるのがメイドの仕事だ。

 ヴィオラ専属であるミラには個室が与えられている。深夜に目を覚ます準備として、時計のゼンマイを回した。




 ───深夜三時。


 時計のベルの音で目を覚ましたミラは、手にオイルランプを持って廊下を歩く。見回りの警備兵とすれ違い、一礼した。ヴィオラが起きていたらホットミルクを淹れ、彼女の好きな小説を読み聞かせるつもりだ。


 ヴィオラの部屋を開ける。カーテンが大きく揺れていて、肌寒い風が部屋に入り込んでいた。


 「────」


 少し開けたはずの窓から入り込む風だけで、こんなにも大きくカーテンは、揺れるだろうか。


 ミラがそう疑問に思った、瞬間。


「あ、」


 ミラの手からランプが滑り落ちた───否、落ちる直前。暗闇の中の『何か』が、すばやくそれを拾い上げた。


 暗い部屋の中に溶け込んだ、暗い色のマントが翻る。ミラの口が黒い手袋をはめた手で塞がれた。その人の、反対の手には青い想晶が煌めいている。

 黒い髪に黒い服、黒いシルクハットは闇に溶け込んでいてよく見えない。けれどその想晶のような、金色の瞳だけは闇の中で、月光を反射していた。


「こんな夜中に、何しに来た?」


 ヴィオラが起きないように、耳元で囁かれた声は戸惑いの色が混じっていた。ミラの背筋がざわざわと痒くなった。聞き慣れた声だがまるで別人のように感じる。


「────っ、」


 声を出そうとしても出せない。塞がれているからではなく、驚愕のせいだった。

 暗闇にやっと目が慣れてきて、男の全身を把握することができた。背格好と、掌の中にある想晶から、想晶狙いの怪盗だと分かる。

 ロデリックに警備の話をされた日の夜に、怪盗が侵入するなんて思ってもみなかった。こんなことなら、今夜から警備兵をヴィオラの部屋の前に配置するべきだった。後悔の念がミラの中に渦巻く。


 それに、なぜ、でも、まさか、彼が。


 ミラはちらりとドアに視線を向けた。とにかく逃げなければ。瞬間、男がその意図に気づいた。


「逃げようとしてない?」


 その言葉と同時にミラの体が、閉じられた扉に正面から、なるべく音を立てないように叩きつけられた。


「───っ!」


 男の片手が、ミラの肩を壁に押し付ける。もう一方の手は、銃口をそのすぐ横に突きつけた。


「逃げられるわけないだろ」


 驚いて振り返れば、金色の瞳が至近距離でミラを射抜くように見つめていた。冷たい視線。ミラは必死で呼吸を整える。心臓が喉元まで跳ね上がる。けれど、彼の表情から目をそらせなかった。


「……とりあえず、出よっか。」


 本来なら怪盗は、窓から立ち去るつもりだった。怪盗をするにあたって、男はいくつかのこだわりがある。それに反するが、やむを得ない。


 ヴィオラの想晶が入った袋を肩にかけた男は、ミラを抑えていた肩から手を離す。ミラは身動きが取れるようになった。叫ぼうと思えば叫べるが、ヴィオラを危険に晒してしまう危険性がある。

 男にしーっと人差し指を立てられれば、ミラは黙るしかない。


 月明りに照らされる廊下に二人は出たが、誰もいない。見回りは先程すれ違ったばかりで、この廊下には暫く来ないことをミラは分かっていたので、助けを求めたところで結局無駄だ。


「ついてきて」


 逃げ出せない、後ろからどうにかなどできない、ただのメイド。自分の貧弱さにミラは呆れる。先ほど肩を抑えられて力の差を見せつけられた。

 男は姿を見られたにも関わらず、特に焦る様子も見受けられない。


 ヴィオラの部屋の近くにある、執事の寝室。個人に与えられているが広くはなく、ベッドと小さな机、クローゼットがある程度。ミラのメイド室と大差はなかった。


「大人しく黙ってたね、ミラ」


 子供をあやすような言い方、昼とは違う軽い声───


「───………ルーイ・フィント」


 ベッドに座った男は、扉の近くに立ったままのミラを見上げた。

 昼の執事姿とは違う、怪盗の服に身を包んだ男は変わらず銃口を向けながら、悪戯っぽく笑う。


「ルーイ・フィントは偽名だけどね」


「まさかお嬢様の想晶を狙って…」


「最初からそのために潜入してた。今日、お嬢様に警備兵を置きたいって言われて焦ってさぁ、慌てて実行した。今まで、ちゃんと執事に成れてただろ?」


 警備兵を配置する前に、実行できたのは彼がヴィオラ専属の執事であるからだ。今夜から配置の指示を行わなかったのは、想晶を盗むためだった。

 ベッドに投げられた袋から想晶のアクセサリーが溢れ出ているのが見える。


 執事の時と性格も口調も違う、こっちが怪盗の本性なのだろう。彼は完璧に執事をこなしていたし、ヴィオラへの優しさだって感じていたのに、全てが『嘘』だったなんて。ミラは怒りに支配されそうになるが、それよりも一つ気になることがある。


「──あのアメシストも?」


「もちろん。ここにある」


 一番に思い出したのは紫色のアメシストの存在であった。

 男は片手で袋を引っ張り、中から盗んだ想晶が全てベッドの上へと落ちる。薄紫に輝くヴィオラの想晶がそこにあった。


「それだけは、お嬢様に返して」


「だーめ。全部、()()()()()()()()()。」


 男はアメシストを手に取って、拳に収める。何を確かめるのか、何のために盗むのか、そんなことはミラにはどうでもよかった。目の前のアメシスト、ヴィオラの大切な『想い』に触れてほしくない。


「やめて。お願い、それだけは!」


「なんで、そんな必死に……もしかして、この想晶の『想い』を知ってるからか?でも、いつ生まれたかは誰も知らないってお嬢様は言ってたのに?」


 ヴィオラの両親、専属メイドのミラ、前任の執事シリルにさえ、ヴィオラからは誰にも『想い』を話していない。


「───何でミラが知ってるんだ?」


「私は、その想晶の……」


 そこまで言って黙ってしまったミラに苛立ち、男は立ち上がって近づいた。


「何?」


 ミラは思わず後退り、壁に追いやられてしまう。顎に銃口を突き付けられ、殺されてしまうかもしれないと本気でそう思った。


「言えよ、知ってるなら。俺が探してる記憶と違うなら、返してやる」


 金色の瞳は真っ直ぐに、恐怖に揺れる灰色の瞳を見つめる。


「探してる記憶…?」


「想晶には記憶が宿ってる。その想いを感じた瞬間の記憶が。視える奴には視えるんだよ」


 ──それは知ってる。


 想晶に瞬間の記憶が宿っていることも、視える人がこの世にいることも。だって。


「……私が、視たから知ってる」


「は?………()()()のか?」


 男の瞳が大きく開いた。銃を握る手に力がこもる。


「視える。だからそのアメシストの想いも知ってる」


「もし……嘘だったら殺すよ?」


 顎にある銃口が、より強く押し当てられた。自分自身だけではなく、ヴィオラの命も危ないのだと思い知らされる。


 『想い』が視える者は稀にいる。ただ、視えると嘘を吐き詐欺まがいの商売をしている者もいる。男は騙された経験があり、警戒心は強かった。


「……想いを話したら、そのアメシストだけは返してくれるのよね?」


「ああ。俺の探してる記憶じゃなければ返してやる」


 男の鼻先がつきそうなくらい近い距離で、金色の瞳に睨まれるが、ミラの瞳からは恐怖の色が消えていた。そこにあるのは強い意志だ。


 ───このアメシストだけはどうしても守りたい。


 これは、誰にも言えなかった強い『恋心』から生まれた、たった一つの結晶だからだ。


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