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01 怪盗とメイド



 この世界には『宝石』という自然物は存在しない。

 代わりに、人の想いから生まれる結晶が存在する。


 強く願ったとき、

 深い痛みを知ったとき、

 誰かを愛したとき。


 そんな記憶や感情が、かけらのように地に落ち、小さな光となって、結晶化する。


 稀にしか生じず、艶やかで、高値で売買されている。


 それを、人々は『想晶そうしょう』と呼ぶ。





 ***






「───本当に素敵な輝きです」


 豪華な箱に入れられた、紫色のアメシストの結晶を、見つめながらメイドが呟いた。それは窓から差し込む朝日を反射し、淡く輝いている。この部屋には数々の想晶があしらわれたアクセサリーがあるが、一際その『アメシスト』が輝いているように見えた。


 メイドがこのアメシストを見るのは、初めてではない。けれど毎回初めて見るかのように、その美しさに感嘆の声を漏らす。


「ミラの、そのダイヤのリングも素敵よ」


 ミラと呼ばれたメイドの、右手の中指で光る『ブラックダイヤモンド』の輝きに、主人は目を留めた。メイドの身分には不釣り合いなそのリングのことを、メイド───ミラ・リーヴから語った事はない。


 ミラは素朴なメイド服に身を包み、胸まである柔らかな金色の髪を低い位置で団子にして、動きやすいようにしている。灰色がかった瞳は優しい光を宿しているが、感情は見えにくい。背丈は女性としては平均的で、160センチほど。華奢すぎず、かといって威圧感もない。


「ありがとうございます。本日、想晶加工の職人とやっとお会いできますね」


 ミラは灰色の瞳を細め、主人に優しく微笑んだ。


 想晶は頑丈で加工が難しく、専門の技術者がいる。

 アメシストが屋敷に現れたのは、ちょうど一ヶ月ほど前。すぐに加工職人──ロデリック・ヴァルモンへ依頼は出したが、主人の体調がすぐれず延期が続き、ようやく今日、ロデリックがこの屋敷へ来訪することになった。


「そうね、やっと会えるわ。私もミラみたいにリングにしようか、でもネックレスもいいわね。」


「お嬢様は、どんなアクセサリーでもお似合いになりますよ」


 お嬢様と呼ばれたヴィオラ・エレインは、青い色の想晶があしらわれたアクセサリーを好んで購入していた。

 薄水色の瞳は透きとおり、光を受けるたびに淡い輝きを放つ。腰まで届くまっすぐな銀髪で、深い青のドレスに身を包み、まるで一輪の青薔薇のようだ。背丈は150センチほどと小柄で華奢な体つきが、今にも消えてしまいそうな印象を与えるのだった。


「でも、このアメシストは特別。今まで想晶屋で購入してきたものとは、思い入れの深さがまるで違うの」


 それがヴィオラ自身の想いから生まれた想晶だと、ミラは聞いた。

 紫色は本来ヴィオラの好みではない。だから最初、なぜ彼女がこれを大切にしているのか、ミラには疑問だった。けれど、その疑問は腑に落ちた。


 他人の想いが宿った想晶より、自分の想いが結晶になったもののほうが特別なのは当然だ。ミラは無意識に、右手にはめている指輪をそっと撫でた。


 そこで扉のノック音が聞こえ、ヴィオラとミラが視線を向けた。毎朝必ず決まった時間に訪れる男の名を、ヴィオラは呼ぶ。


「ルーイ、おはよう」


 ルーイ・フィント───先月、新たにエレイン家へ仕えることになった男。


「おはようございます。お嬢様、本日のお身体の具合はいかがですか。」


 朝食を運んできた執事は、主人の顔色を見る。


 執事ルーイ・フィントは長身で、背丈は185センチほど。端正な執事服を身にまとっている。漆黒の髪はわずかに癖があるものの、きちんとワックスで整えられており、洗練された印象を与えていた。何よりも人々の目を惹くのは、整った顔立ちと、金色に輝く瞳だった。ただ見つめるだけで相手の心を射抜くような強さを持つ。


 ミラとルーイはヴィオラ専属であるが、必要最低限の会話しかしてこなかった。けれど、有能であることだけは、ミラも理解していた。


「今日は調子がすごくいいの。」


「それは安心しました。では、体温を測りますね」


 ルーイは淡々と日課をこなしていく。そのあいだ、ミラは寝着を畳んでいた。


「ヴァルモン様は正午にお越しになる予定です。ミラ、応接室へご案内を頼む」


「はい、かしこまりました」


 前任の執事であれば、こういった細かい業務もすべて一人で抱え込み、常にヴィオラの側から離れようともしなかった。メイドに頼むなど、まずあり得なかっただろう。

 ただ。その過剰さ故に、前任は解任されたのだが。


 ルーイはそうした偏りもなく、必要な仕事を淡々と分担する。互いを深く知ることはない。ただの同僚として、距離を保ったまま事務的にやり取りを続ける日々だった。


「では、失礼いたします」


 ミラは寝着を抱え、軽く会釈して部屋を後にした。


 ヴィオラの体調に問題はなく、朝食を少しずつ食べ進めていく。だが、いつも通り完食することはできない。やがて手を止めると、ルーイはその食べ残した皿を下げ、紅茶を淹れた。口元を拭いながら、ヴィオラはルーイと視線を合わせる。


「ヴァルモンさんには初めて会うの。はやくアクセサリーを決めなきゃ……」


 紅茶を飲みながら、ヴィオラは悩む。リングにするべきか、他のアクセサリーにするべきか。常に身につけるものだからこそ、納得のいく形が良い。


「近頃はリング、ネックレス、イヤリングが特に人気ですね。紫の想晶は初めてでいらっしゃいますし、今お持ちでない形を選ばれても、良いかと思います」


 ルーイは堂々と提案する。

 ヴィオラの首元にはブルー・ジルコンのネックレスが揺れ、耳元ではアクアマリンのイヤリングが青く煌めいていた。青色を好む彼女が、紫の想晶を身につける姿をルーイは就任以来、一度も見たことがない。


「そうね。リングはあまり持っていないわ。私の想晶だし、ずっと身につけられるものがいいわね」


「お嬢様の、想晶だったのですか?」


 ルーイの金色の瞳がかすかに揺れ、ほんの一瞬だけ大きく開かれた。紫色は珍しいと思ってはいたが、彼女自身が生んだものだとは。

 ヴィオラはその反応に気づき、肩をすくめて笑う。


「ルーイには言っていなかったかしら。実は私の想晶なの。いつ生まれたかは……誰にも言っていないから、言えないけれど」


 言えない理由があるのだろうと、ルーイはその一言だけで察した。深く踏み込むこともなく、柔らかく微笑む。


「なるほど……リングであれば、はめる指によって意味が変わりますし、目にも入りやすいですね」


「指によって意味があるの?」


 ヴィオラの瞳がきらきらと輝き、まるで子供のように興奮してルーイを見つめる。その姿に、ルーイは穏やかに頷いた。


「まずは右手から。親指はリーダーシップ・指導力、人差し指は集中力・行動力、中指は魔除け・直観力、薬指は安心感・愛の願いを叶える、小指は魅力・困難を乗り越えると言われています。」


 ルーイは右手の指をひとつずつ立てながら、ヴィオラに向けて静かに説明していく。その優雅な仕草に、ヴィオラは釘付けになっていた。ルーイはゆっくりと左手をあげる。


「そして、左手。親指は信念を貫く・目標実現、人差し指は積極性・行動力、そして中指は協調性・判断力、薬指は愛の絆・永遠の愛、小指はチャンス・恋を引き寄せると言われています。」


 彼女の目には、どこか心が奪われたような表情が浮かぶ。


「指に込められた意味、素敵ね……」


 ヴィオラはしばらくその言葉を噛みしめるように呟いた。その意味が心に響く一方で、どの指に着けるかを考え始める。彼女はその選択をルーイには語らなかった。言葉にすると、アメシストの気持ちに気づかれそうで。

 ルーイは、ただ静かにヴィオラの反応を待っているだけだった。さり気なく、話題を変えようと口を開く。


「それより、お嬢様。もう少し朝食は召し上がって頂かないと。」


「……知ってるでしょ?朝はお腹が空かないって…」


 軽食にも関わらず、二口程度しか進んでいなかった。

 ヴィオラは虚弱体質で、体が細く、壊れ物のように繊細だ。主治医からは残さず食べるようにと指導があったが、改善されていない。外に出ることも少なく、用事があれば屋敷に出向いてもらうことが多い。

 唇を尖らせてヴィオラは可愛く拗ねてみるが、ルーイには通用しないようだ。


「駄目です。お嬢様の為を想って言っているのですよ」


「………シリルみたいなことを言うのね」


 ヴィオラは俯いた。

 シリルとは前任のヴィオラの執事だが、ルーイは顔を見たことがなかった。明らかにしゅんと項垂れるヴィオラを前に、ルーイはまた話題を逸らそうと頭をひねる。


「……お嬢様が風邪を引かれては、ミラの仕事量が増えますよ」


「ミラは喜んでくれるわ」


「確かに……お嬢様には、甘いですから」


「さっきから主人に向かって棘があるわよ!ルーイ!」


 ヴィオラは軽く睨むがルーイのそっぽ向く様子に、ぷっと吹き出した。

 ヴィオラは良い意味でお嬢様らしくない。気取らないし体は病弱でも常に愛らしい笑顔を浮かべる。ルーイは自然体で接することができた。


 その時、扉をノックする音が響いた。ヴィオラとルーイが揃って視線を向ける。入室してきたのは、噂をすれば何とやら、食器を下げにきたミラである。二人の視線を受け、ミラはきょとんと首を傾げた。


「ミラは私が風邪を引くと嬉しいわよね?」


「………え?風邪を引くと嬉しい…ですか?何をおっしゃって…」


 ミラは意味を理解できず、目をぱちくりとさせながら、ヴィオラの言葉を復唱した。ルーイは頭に手を当てて項垂れ、呆れたように口を開く。


「お嬢様……説明不足が過ぎます」


「ふふっ!ミラが困っちゃった」


 ルーイの呆れたため息とヴィオラの銀鈴のような笑い声に、ミラはとりあえず僅かに笑うしかなかった。



 ***



 想晶加工の職人の到着を知らせに来たミラは主人の後に続いて廊下を歩く。


 応接室にいたのは白髪交じりの髪と白い髭を蓄えた背の高い男性だった。顎髭は全体的に整えられているが、鼻の下から横へと大きく伸びており、印象的な口元を形づくっている。濃い橙色の瞳は温和な印象を与え、手の甲には火傷や傷跡が無数に刻まれている。


「はじめまして。ロデリック・ヴァルモンと申します。このたびはヴィオラお嬢様よりご依頼を賜りまして、まことに光栄に存じますぞ。普段よりエレイン伯爵には、何かとお世話になっておりましてなぁ」


 職人ロデリックは、エレイン領で名を馳せた熟練の技術者で、ヴィオラの父、ヴァレンティン・エレイン伯爵が惚れ込んでいる人物であった。彼の作る装飾品は、他のどの職人とも一線を画す美しさを誇る。


 ヴァレンティンは、度々ロデリックの工房に出資し、自ら足を運び、その技術にいつも感心していた。父の様子を、ヴィオラは何度も目にしていたが、会うのは初めてだった。


「わざわざお越しいただき、誠にありがとうございます。」


「体調が戻られたようで、こうしてお顔を拝見できて何よりでございます。いつもお話だけ、エレイン伯爵から伺っておりましてなぁ」


「私も、あなたの評判はお父様から聞いております。いつも完璧だと」


「それは恐れ入りますなぁ。では、ご期待以上のものを、お目にかけましょう」


 ロデリックが片目をゆるく閉じる。その満ち溢れる自信に、ヴィオラの胸は期待で膨らんだ。

 ヴィオラは胸元で大切に抱えていたアメシストの箱を、そっとロデリックへ差し出した。


「おお……!こりゃまた見事な、アメシストですなぁ!」


 ロデリックの声が僅かに高くなる。


「綺麗でしょ?」


「ええ、ええ……これは上物ですなぁ。色味はやや淡めですが、そのぶん透明感が際立っております。色の偏りもない……インクルージョンも、ほとんど見当たらん。それに、このサイズ。……して、お嬢様。どちらで手に入れられたのですかな?」


 想晶は一番美しい状態(カット)で生まれる。

 『3C』(カラー、クラリティ、カラット)を基本的な評価基準として用いられ、価値が定まる。想晶によって異なるが、カラーは色の鮮やかさや深さ、クラリティはインクルージョン(内包物)の少なさつまり透明度、カラット数はサイズである。

 あとはその希少性・生み出した『人』も評価基準とされる。


「───私の、想晶なの」


「なるほど。強い想いがあったのですなぁ」


 ロデリックの言葉にヴィオラは深く頷いた。同時にミラも思わず頷いてしまったが、その動きはあまりにも控えめで、二人はアメシストに夢中で気づかなかった。


 ───ミラはアメシストに込められた『想い』を知っている。


 どこで生まれたのか、どんな状況だったのか、どんな想いを抱えていたのか、ヴィオラの中だけに閉じ込めたはずの『想い』を。


「ここ数年、想晶を狙う連中が増えておりましてなぁ。お嬢様も、決して油断なさらぬよう。エレイン伯爵は想晶を多くお持ちですし、標的にされやすい」


 新聞の記事で『怪盗』の文字を見ない日はない。ロデリックのような想晶加工の工房や、結晶を売る想晶屋の警備は厳重にしてある。それでも盗まれる事件は後を絶たなかった。ヴィオラの部屋にも青い想晶が数え切れないほどあり、怪盗に狙われてもおかしくない。

 後で警備体制についてルーイに相談しようとヴィオラは思った。


「だからお父様の部屋の前には、いつも専属の騎士がいるの。たしかに、私の部屋の前にも警備をつけてもらわないと……」


「ええ、それが一番でしょうなぁ。私の工房も、エレイン伯爵家の騎士団に助けていただいておりますから」


 豪奢な屋敷には、その格式にふさわしい専属の騎士団が仕えている。門の外には兵が立ち、廊下では騎士が巡回し、屋敷全体が守られており、エレイン領の巡回も行っている。

 ただし、ヴィオラの部屋の前に、常に誰かが控えているわけではない。


「老人の口煩い忠告はここまでにしましょう。さぁ、どのアクセサリーになさいますかな?」


 ロデリックの目の色が変わったように見えた。想晶のことになると、ロデリックの瞳は想晶そのもののように光を宿す。

 カタログが机の上に置かれ、ヴィオラの視線が落ちる。


「決めた。リングにしてほしいわ」


「かしこまりました。では指のサイズを測らせて頂きます。リングの色や結晶の形はカタログからご覧くださいなぁ」


 ヴィオラが差し出した指を見て、ロデリックの橙色の瞳が大きく開き、その『想い』に気がついたように、穏やかな笑みを浮かべた。


 ヴィオラは右手をロデリックに差し出し、指を折り、薬指だけ曲げなかったのだ。

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