37 騎士とメイド
レオン・フレイザーは今しかないと思った。
恐らくライバルらしい、執事は五日間の休養を取っている。さらに、明日はミラも休みらしい。今まで休みを積極的に取らないレオンなら、騎士団長は明日の急な休みを許してくれるだろう。
ベルナール邸での海の話で悔しい思いをしたレオンは、チャンスを決して逃したいはいけないと思っていた。
廊下を歩くミラの背中が見えた。金色の髪は低い位置で団子のように結び、背筋は伸びてエレイン家のメイド服もよく似合っていてる。
レオンはその背中に近づきながら、そのチャンスを掴むための口実を考えた。そして。
「ミラ、明日山に行かない?」
海の反対は山だろうという安直な考えしかレオンには思い浮かばなかった。ただ、突拍子も無さすぎたと自分でも思った。
ミラは振り返り、首を傾げた。
「……山? 突然どうしたの?」
「デートがしたい」
レオンは騎士らしく、直球に気持ちを伝えた。
ミラの目が一瞬泳いだのを見ないふりして、レオンは彼女の手を掴んだ。
「ごめんな。かなり焦ってて、俺の我儘に付き合ってほしい」
「……いいよ。でもどうして山なの?」
「う、海より山派なんだ」
苦し紛れの言い訳をミラは否定することなく、笑った。
「じゃあ、ピクニックでもする?」
「わ、そういう提案とかしてくれんの……好き……」
その瞬間、レオンは自分の口を手で塞いで顔を真っ赤に染めた。アピールでもない、ただ口から漏れ出てしまったのだ。
レオンの顔が赤くなるから、ミラの顔にも熱が集まった。
「ちが、いや違くない……今のは出ちゃったというか……告白じゃないからな!」
レオンはそう言いながらミラに背を向けて一歩踏み出す。恥ずかしくて逃げ出したかった、けれど。くるりとレオンはもう一度ミラの方を見る。真っ赤な顔で、
「明日の正午、噴水の前で!」
レオンは急いで踵を返し、ミラから遠ざかっていく。
あれだけアピールと言って、ミラとの距離を詰めてきたのに『好き』という言葉はレオンにとって重いものだった。だって告白すれば、断られるのは分かっているから。
それでもつい言ってしまうほど、ミラのことが好きらしい。
レオンは真っ赤な顔のまま、団長の元へ向かい明日の休みを申請した。もちろん、騎士団員たちには赤い顔を指摘された。
***
レオン・フレイザーは眠れなかった。
好きな人と出かけるのだから当たり前だろと、誰かに言い訳をしながら噴水の前に立つ。眠れないまま早朝にトレーニングを行い、早すぎるくらいの時間に待ち合わせ場所についた。
行き交う人の中、姿を見せたミラは一際輝いていた。こんな大勢の人の中で、一瞬で姿を捉えられる自分に驚いたが、ミラが可愛すぎるのだから仕方ない。
いつものメイド服ではなく、淡い水色のワンピース。淡い、水色の、ワンピースだ。金色の綺麗な髪も、今日は結んでいない。風になびいて、太陽の光を反射していた。自分の金色の髪とは比べ物にならないくらい、輝いて見える。
「ミラ、こっち!」
噴水に向かって歩いてたミラに向かって、手を上げて振った。ミラはレオンに気付き、近づいてくる。
「早いね、レオン」
「ミラ可愛い。その服も髪も、ぜんぶ」
「ありがとう」
ミラの頬はほんのりと桃色に染まり、目をそらした。最近はミラの表情も豊かになってきており、可愛さが増しているとレオンは心の中で思った。
「じゃあ何か買いに行って、山に行こう」
「……作ってきちゃった」
「え、ええ!?」
ミラが手に持っていた籠の鞄を少し上にあげる。
「ピクニックって言ってたから、勝手に……」
「さいっっこうに嬉しい!! ミラ、ありがとう!」
レオンは満面の笑みを浮かべる。その笑顔を見て、ミラも嬉しくなった。
二人は山の中に入った。大きな木の下で、レオンは持ってきた布を草の上に広げる。
そこに腰掛けたミラは早速籠の中からサンドイッチと焼き菓子を取り出した。
「これ、全部ミラが作ったのか?」
「うん。焼き菓子は昨日厨房の人と一緒に作ったの」
エレイン邸のコックと共に作った焼き菓子は、味に間違いはないだろう。
「俺、今日のこと一生忘れないかもしれない」
「大袈裟だよ」
「大袈裟じゃない! 好きな子が自分のために弁当を作ってくれるなんて、夢みたいだろ!」
あまりにも堂々と言われて、ミラは返事に困ったように目を逸らした。
レオンはそんな彼女の様子にも気づかず、籠からサンドイッチを取り出す。ひと口食べた途端、目を輝かせた。
「なにこれ、うま!」
「よかった」
「これ、何が入ってるんだ? 鶏肉と……香草?」
「そう。お肉が好きそうだと思って」
「俺の好みまで考えてくれた!?」
「騎士団の食堂でも、よくお肉を食べているでしょう?」
「見てくれてたんだな……」
レオンはサンドイッチを手にしたまま、感慨深そうに呟いた。
「ミラって、そういうとこあるよなー」
「どういうところ?」
「ちゃんと人のことを見てるところ。自分では気づいてないかもしれないけど」
不意に真面目な声になったレオンに、ミラは瞬きをした。けれど、彼はすぐにいつもの笑顔に戻る。
「ちなみに、俺の好きな食べ物は肉料理全般! あと、甘いものも好きかな。だから今日のメニューは最高」
「甘いものも好きなの? 意外ね」
「実は結構甘党」
レオンは笑いながら、籠から焼き菓子をひとつ取り出した。
嬉しそうに菓子を頬張る姿は、普段騎士団で見かける頼もしい副団長とは少し違っていた。ミラは思わず笑みをこぼす。
「……レオンって、思っていたより子どもっぽいのね」
「えっ!?」
「ふふ、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいけど! 子供っぽいって褒めてる? 男として見てほしいのにな」
抗議するレオンに、ミラはまた笑った。その笑顔を見て、レオンは一瞬言葉を失う。
「……やっぱ、笑った顔可愛い」
「またそういうことを言う」
「だって本当だし」
恥ずかしさを隠すようにミラは顔を背ける。レオンは軽く謝りながら、彼女の髪の毛から香る甘い匂いにどきりと胸が高鳴った。
食事を終えた二人は、少し歩くことにした。
なだらかな斜面を上がっていくと、木々の隙間から街並みが見えた。春の風が吹き抜け、草花を揺らしている。
「わあ……綺麗」
ミラが足を止めた、そのときだった。靴の裏が斜面の土を滑った。
「ミラ!」
身体が傾くより早く、レオンが腕を伸ばした。ミラの手を掴み、もう片方の腕でその身体を支える。
気づけば、ミラはレオンの胸元に寄りかかるような格好になっていた。固い胸板に触れ、ミラの胸がどきりと高鳴った。
「……っ」
顔を上げると、すぐ目の前にレオンの顔があった。
「大丈夫か?」
先ほどまでの明るい声とは違う、真剣な声だった。
「う、うん。ありがとう」
「よかった……」
レオンはほっと息を吐いた。
けれど、ミラが体勢を立て直しても、彼はすぐには手を離さなかった。
「レオン?」
「……繋いだままでいい?」
ぎゅっと強く手を握られ、ミラはただ頷くことしかできなかった。手から伝わってくる熱と緊張感。そして、好意。
「……照れるなー、これ」
そう言いながら、レオンの顔はどこか嬉しそうだった。ミラは何も言えず、ただ彼の隣を歩き始めた。
布を敷いていた木陰に戻った二人は、並んで腰を下ろした。そこで手が離れ、レオンは名残惜しさを感じた。
「そういえば、レオンには兄弟はいるの?」
ふとした思いつきで尋ねると、レオンは少し驚いた顔をした。
「いるよ。弟が一人」
「やっぱり。お兄さんっぽいなって思った」
滑らないように気を配ってくれたり、草の上に敷く布を持ってきてくれたり、虫がいたら払いのけてくれたり。そんな仕草に、兄と似ているところがあった。
「俺って兄っぽい? 弟とは結構歳が離れてるんだ。昔から、あいつのことは放っておけなくてさ」
「レオンは面倒見がいいものね」
レオンの顔がぱっと明るくなる。
「ミラに言われたら嬉しい」
「騎士団でも、後輩の面倒をよく見ているでしょ?」
「それは仕事だけどな。弟のことは、また別」
そう言って、レオンは少しだけ遠くを見るような顔をした。
「あいつには、失望されたくない。かっこいい、俺も兄ちゃんみたいに騎士になりたいって言ってくれるんだ」
「可愛い、いいお兄さんなのね」
「俺に憧れて、あいつは剣を振ってるから。あいつのためにも、強くて誇れる兄になろうって思うかな」
笑うレオンの顔には、弟への愛情が滲んでいた。
「仲がいいんだね」
「俺が騎士になったときも、すごく喜んでくれたんだ」
レオンは照れたように鼻の頭を掻いた。
ミラの胸がわずかに締めつけられた。兄がいた頃のことを思い出す。いつも自分を気にかけてくれた、大切な人。もう、声を聞くことも、顔を見ることもできない。けれど、その記憶は今もミラの中に残っている。
「……ミラ?」
黙り込んだミラを気遣うように、レオンが顔を覗き込んだ。
「あ、ごめん。兄のことを思い出してたの」
「……そっか」
ミラの兄が亡くなっていることは、レオンも知っていた。ただ、その理由をミラから聞いたことはなかった。
レオンは少しだけ表情を曇らせたけれど、それ以上は尋ねなかった。それから、何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだ! ミラは好きな食べ物とかある?」
「好きな食べ物?」
「そう。俺は肉と甘いものが好きだって話しただろ? ミラのこと、もっと知りたい」
真っ直ぐな言葉と、真っ直ぐな視線。レオンのそういうところが、ミラには羨ましかった。
「好きなもの、か……」
考えてみるけれど、すぐには思い浮かばなかった。
普段は食事を作ることが多く、自分の好みよりも、食べる人のことを考えることが多い。思い浮かぶのはヴィオラの顔だった。
「……あまり考えたことがなかったかも。お嬢様はぶどうが好きだから、私も好き」
「それはヴィオラお嬢様が好きなだけで、ミラの好みじゃない。一回考えてみて」
「いつも食べるものは決まっているけれど、何が一番好きかって聞かれると……」
使用人の食事は決められているし、自分で何かを買って食べたこともない。ミラは考えてみたが、頭の中は真っ白だった。
「じゃあ、これから一緒に探そう」
レオンは当たり前のことのように言った。
「ミラが何を好きなのか、俺も知りたいから」
自分の好きなものを知りたいと言ってくれる人がいる。そのことが、ミラには少し不思議で、少しだけ嬉しかった。
「……ありがとう、レオン」
ミラが微笑むと、レオンは一瞬、息を止めたようだった。
「……うん。どういたしまして」
そして、照れ隠しのように顔を背けた。
「どうかした?」
「やばい。今日、俺、心臓がもつか分からない」
ミラが微笑むだけで胸が苦しくて、愛おしくて。
「ふっ……どういうこと?」
「だからー、笑わないでくれ。うそ、やっぱり笑って」
言っていることがめちゃくちゃなのは、自分でも分かっていた。それでも、笑わないでほしいのに、笑った顔が見たいという矛盾が生まれていた。
ミラがまた笑うので、レオンは胸をぎゅっと押さえた。
「ちょっと歩いてくる」
レオンは突然立ち上がり、木の周りを歩き始めた。心臓を落ち着かせるには、この方法しか思いつかなかった。
ミラは小さく笑いながら、膝を抱えるようにして座り、遠くの景色を眺めた。
──楽しかった。
レオンは思っていた以上に素直で、その真っ直ぐさに嫌な気持ちはしなかった。こんなふうに誰かと過ごす休日も、悪くない。
そう思ったとき、ふと、別の人の顔が浮かんだ。黒い髪に、金色の瞳。いつも飄々としていて、時折こちらの気持ちを見透かしたように笑う人。
思い出した途端、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
彼の本当の名前を知ってしまった。リアム・エルフォード。侯爵家の一人息子。自分とは、生まれた場所も、立場も違う人だった。今まで通りに接してほしいと、彼は言った。それでも、知ってしまった以上、何も変わらないふりをすることは難しかった。
彼が何者なのか知らなかった頃は、ただ一緒にいられることが嬉しかった。怪盗であろうと、執事であろうと、彼がリアムであることに変わりはないと思っていた。
でも、侯爵家の令息である彼と、自分が隣に並ぶ姿を想像すると、急に遠い人のように感じられた。
好きでいても、いいのだろうか。この気持ちを抱き続けて、彼を困らせることにならないだろうか。考えるほど、答えは見つからなかった。
「……ミラ?」
隣から声がして、ミラははっと顔を上げた。いつの間にか隣に座っていたレオンが、心配そうにこちらを見ていた。
「どうした?」
「……ううん。何でもないよ」
何でもないわけではない。けれど、それをレオンに話すことはできなかった。
「そっか」
レオンはそれ以上、尋ねなかった。代わりに、水筒をミラのほうへ差し出した。
「まだ時間はあるからさ。ゆっくりしていこう」
「……うん。ありがとう」
ミラは水筒を受け取り、少しだけ笑った。レオンはその笑顔を見て、安心したように頷いた。
ミラはもう一度、街並みに目を向けた。レオンと過ごす時間は楽しい。彼の優しさも、真っ直ぐな好意も、ちゃんと嬉しいと思っている。
それでも。胸に浮かぶのは、別の人だった。




