34 怪盗とラピスラズリ
エレイン邸に戻った二人は、ヴィオラの身の回りの世話に戻った。いつも通り過ごしたあと、夜にミラの部屋で再会した。
「ミラに、ひとつお願いがあるんだよね」
口調はいつも通りだったが、リアムの瞳は真剣で、ミラは小さく頷く。
「この想晶を視てほしい」
混ざり気のない、鮮やかで深みのある青。ミラに差し出されたのは、ラピスラズリだった。金色の黄鉄鉱が星空のように散りばめられているようにも見えるが、その数は多い。もともと透明感のない想晶だが、より青が深く見える。
「……もしかして、研究の?」
「そう。今日エリオが盗ってきた」
リアムとミラが見学している間に、怪盗エリオが施設を見て回っていたことは、帰りの馬車で知らされた。その報告をしに、ミラの部屋に訪れたようだ。
「地図にはない、地下室があったみたいだ。そこで、被験者たちは牢屋に入れられ、手足は縛られていた。それだけでも告発できるけど、正当な理由があったと言い逃れされる可能性もある」
「何か理由があって縛っていると?」
「そう。いくらでも言い様はあるからね。その中に、血だらけの男の子が一人いたみたいで、エリオは牢屋の中の彼に近づいた。その手には、このラピスラズリがあった」
「証拠があるかもしれない……」
ミラは、作られた想晶は視たくないと言っていた。でも、カロラが拒否している今、ミラしか頼れる人はいなかった。そしてミラ自身も、自分がやるべきだと思っていた。
「……わかった」
ミラはすぐに手を伸ばす。すると、リアムが一瞬腕を引いた。
「ちょっと待って、大丈夫? その、心の準備とか……すっごい恐いかもよ」
想晶を視るのはミラだというのに、本人よりもリアムが慌てた様子だった。ミラは思わず吹き出した。
「ふふっ……じゃあ、私からもお願いがある」
「ん?」
「手を、握ってもらってもいい?」
「もちろん。それで、ミラが安心するなら」
ミラが手を差し出す。一瞬の間があったあと、リアムは左手の手袋を噛みながら外し、地面に落とした。そして、ミラの手首を掴んで引き寄せる。
「っ────」
気がつけば、ミラはリアムの腕の中にいた。片腕でミラを抱き寄せながら、もう片方の左手でラピスラズリを握っている。ミラもその手に触れ、二人でラピスラズリを包み込んでいた。
驚く暇もなく、ミラの頭は白い光でいっぱいになった。
▼▼▼
名前を呼ばれた気がした。
でも、気がしただけで呼ばれていないかもしれない。
すると、急に彼の腹に鈍い痛みが走る。やはり、呼ばれていたんだと彼は理解した。
「──早く立て!」
次は頬が、痛い。
「──遅い!」
次は頭が、痛い。
「──ちゃんと歩け!」
次は肩が、痛い。
「痣が出来たらどうするんだよ……」
別の男の声がした。
「当分休ませればいいだろ!」
「オーウェンさんに怒られるぞ……」
「それはおっかねぇ」
「なんで、こいつはずっと目閉じてんだ?」
「怖いんだとよ」
「そりゃこんなに殴られたら怖ぇか」
耳も塞ぎたかったが、手の自由はない。またいつもの、みんなに見られる部屋に彼は通された。
何度ここへ来たのか、もう分からない。この部屋に入ると、いつも痛いことが起こる。だから、目を閉じていた。
「──目を開けて」
優しい、女性の声。でも、声だけだ。泣いても叫んでも、この人は助けてくれない。それを彼は分かっていた。
手の甲を強くつままれる感覚。痛みが走り、反射的に目を開いた。光が眩しく、目を細める。すると目の前に、彼の嫌いな──
「いちご……」
「今日は何個食べれるかな?」
「──やだ、いやだ」
「好き嫌いはダメよ。たくさん食べないと」
彼の瞳から大粒の涙が溢れ、叫んでも女性は止めてくれない。口いっぱいにいちごが入れられ、彼は嗚咽した。吐いても口の中は、嫌いないちごの味。
「あまい、あまい、すっぱい、まずい、まずいまずいあまいすっぱい、まずい。」
こんなに嫌いだったっけ。こんなに不味かったっけ。こんなに泣く子だったっけ。彼の頭の中はもう、何も考えられなくなっていた。
「はぁ。今回もダメね」
大きなため息のあと、強く手錠を引っ張られ、彼の顔が歪む。
「戻るぞ」
背中を蹴られ、一度顔から転んだ。血の味がして安心する。
「いちごじゃない……」
嫌だった口の中が、血でいっぱいになる。彼が笑うと、後ろに立っていた男が眉を顰める。
「──気持ち悪ぃ。笑うなよ」
転んだままの彼の背中を、また男は蹴った。仰向けになった彼の頬を叩く。
「想晶を生まなきゃ価値なんてねぇんだよ。親に売られたてめぇらには」
耳を塞ぐかわりに、彼は目を閉じる。身体を引きずられ、そのまま牢屋に放り込まれた。
「ごほっ」
体中が痛い。でも、血がおいしい。いちごよりも、ずっと。
いつの間にか、男はいなくなっていて。手には何か握られていて。
でも、その手の中の物が、誰かに取られそうになった。
「だれ」
「ごめん。借りるね」
仮面をつけた男が現れて。手の中の物を盗っていった。
誰なのか分からない。人なのかも分からない。でも、怖くなかった。幻かもしれない、幻でもいいから。
「──すけて」
掠れた声で、そう呟いた。
「待ってて。必ず助けに行く」
▼▼▼
倒れそうなミラを、リアムはずっと支えていた。ラピスラズリを握るリアムの手にも力が入っていて、ミラは何度も離してしまいそうになったが、リアムのおかげで最後まで記憶を視ることができた。
涙は止まらない。そんなはずはないのに、口の中で苺の味がした。
「ミラ、俺の目見て」
顔をあげても、涙でリアムの顔は見えない。
「ごめん。辛い思いさせて」
リアムの左手がミラの頬に触れて、涙を拭う。
「……リアムのせいじゃない」
「でも、俺が見てほしいって頼んだ」
「それでも……視ないといけないと思ったの」
ミラは、震える息を吐いた。
あの男の子は、誰にも助けてもらえなかった。痛くても、怖くても、逃げることもできなかった。最後に現れた怪盗にさえ、助けを求めることしかできなかった。
ミラの目から、また涙が溢れる。
「あの子、助けてって言ってた」
「……ああ。だから、俺はあの子を助けたい」
リアムの声が、少しだけ低くなる。ミラは涙を拭いながら、リアムを見る。
「他の被験者たちもきっと酷い目にあってる。リアム、あの子を、みんなを助けて」
「全員、俺が盗み出してやる」
怪盗らしく、リアムはそう言い放って、にやりと笑った。
***
「お疲れ様でした、お嬢様」
家庭教師の授業を終えたヴィオラは、自室で一息ついた。ミラはクッキーと紅茶を差し出す。
「ルーイが休みだと忙しいんじゃない? ミラも一息ついてね。ほら、ここ座って」
ヴィオラが向かいの席を指して、促した。ミラは申し訳なさそうな顔をしながら、席に腰を下ろした。
ルーイ──リアムは五日間の休養を取っていて、今日が二日目だった。ミラには研究所を告発すると言い残していた。新聞を確認しているが、まだ記事にはなっていない様子だった。
どうやって、一人で行くの、大丈夫なの、と。リアムのことが心配だったが、ついて行っても足手まといになることは分かっていた。
「お気遣いありがとうございます」
「話もしたくて」
「話、ですか?」
ヴィオラは紅茶を一口飲むと、カップを机に置いた。
「ええ。ベルナール邸で、怪盗エリオが私の部屋に来た時の話。ミラに話すって伝えてたでしょう?」
「はい」
「ずっと話さなきゃって思っていたの」
ヴィオラは、右手をミラの前に差し出す。右手の薬指には、アメシストのリングが淡く輝いている。
「あの時のことを、話すわ」
「嬉しいです」
すると、ヴィオラの頬がほのかに桃色に染まった。
「怪盗エリオは────シリルだったの」
ミラの灰色の瞳が、大きく開く。
シリル・グレイ。かつて、ヴィオラの専属の執事だった。そして、ヴィオラへの恋心からアメシストを生み出すほど、彼女を想っていた。
「シリルさんが……怪盗エリオ……」
リアムが仲間にしたという怪盗エリオ。ホールデン領の研究所に見学へ行ったあの日。仮面をかぶった召使の男の髪は、シリルと同じ灰色だった。そして、ラピスラズリの記憶の中で。必ず助けに行く、と言ったあの声は、確かに。
「でも、どうして怪盗に……」
「聞いたの。全部」
ヴィオラが、あまりにも嬉しそうに笑う。
なぜ、アメシストを盗んだのか。なぜ、アメシストを返したのか。なぜ、ヴィオラの元に現れたのか。
そのすべてを、ヴィオラは知っていた。




