33 怪盗と蜘蛛
それから三日間。リアムは研究所について調べていた。
そして二日目の夜。いつもより焦った様子のリアムは、また窓から現れた。
「……やっぱり、変だ」
「何が?」
「まず、これだ」
リアムが一枚の紙を指差す。ミラが目を通すと、いくつかの薬品名と効能が記されていた。
「研究所が購入している薬品の量が、かなり多い」
「薬品って、どんな?」
「感情を乱したり、精神状態に影響を与えたりするものが多い」
ミラの表情が曇る。
「……シトリンのことを考えると、使用されていそう。感情をわざと引き出してるのかも」
「ああ。ただ、薬は特に違法なものでもないし、効果が強すぎることもない。これだけじゃ証拠にはならない」
「……そうね」
入眠剤や安定剤。中毒性や害があるものはないと記されている。
「あと、研究所の近くに住んでる人間から聞いた話だけど」
「話も聞きに行ったの?」
「エリオに調査してもらった。夜になると、たまに悲鳴が聞こえるらしい」
「……悲鳴?」
「一度じゃない。何人かが同じことを言ってる。あとは、貴族の馬車が多いとか、川が汚れてきてるとか」
ミラの胸がざわついた。カロラが視たシトリンの記憶が蘇る。何度も殴られていた誰か。あの記憶と、研究所から聞こえるという悲鳴。偶然だと片付けるには、不気味すぎた。
「かなり怪しい」
「俺もそう思う」
リアムは腕を組む。
「薬品。悲鳴の噂。偶然には思えないか」
「明日、わかるのね」
「ああ。ただ、向こうも何か隠してる可能性がある。何を見ても、口は出さずに。まずは出資者として振る舞って」
「分かった」
ミラは頷いた。取り乱して、逃げられでもしたら証拠を掴めなくなる。
研究所の中に、本当に何かあるのか。それとも、すべてただの偶然なのか。
次の日。ミラはまた、リナとして用意されたメイド服を着用し、馬車に乗り込んだ。ルーイ・ベルクはすでに馬車に乗っており、ミラに向けて微笑んだ。
「心配?」
表情には出していないはずなのに、リアムにはすぐに考えていることを見抜かれてしまう。最近は、以前よりも自分の感情がリアムに伝わっている気がする。けれど、その理由をミラ自身はまだ分かっていなかった。
すると、リアムは馬車の中で立ち上がり、ミラの隣に座った。ミラは驚きつつも、リアムの行動を見守る。そして、ずいっとリアムは顔を寄せた。思わず、ミラは目を閉じる。なぜ閉じてしまったのかは、自分でも分からない。
リアムの手が、ミラの髪に触れた。
「埃ついてた」
ミラは目を開け、数回瞬きする。顔が熱いのは、まさかリアムにキスされると思ってしまっていたからだろうか。
「なんで目、閉じたの?」
「それは……」
「……キスされると思った?」
「えっ、ええ?」
頭の中で考えていたことを、リアムに言い当てられた。ミラの顔は真っ赤に染まってしまう。
「そんな顔しちゃ駄目でしょ」
ぽんぽんと頭を撫でられて、リアムは向かいに座り直し、窓の外を向く。ミラは熱くなった顔で、ただリアムの横顔を見ることしかできない。
どんな顔をしていたのだろう。
ミラが首を傾げたのと同時に、馬車はゆっくりとホールデン領にある研究所へ向かって走り始めた。
***
馬車は研究所の前についた。そこには見知らぬ馬車がもう一台あり、家紋もどこにも見えなかった。
「誰だろう……」
「来てもらった。金貨を持ってきてもらうためにね」
怪盗リアムの協力者、なのだろう。
リアム達の馬車が到着したのを確認し、もう一方の馬車の扉がゆっくりと開く。ミラは視線を向けた。
出てきたのは、灰色の髪の男性。ただ、顔には仮面をつけており、素顔は分からなかった。簡素な召使服を着て、両手には重そうな箱が抱えられていた。
リアムは彼に何も言わず、屋敷の玄関へと歩いていく。仮面の奥とミラは目が合った気がしたが、すぐにそらされた。
「お待ちしておりました、ルーイ様」
三人を出迎えたのは、先日会ったオーウェン・ハースだった。玄関まで出迎えに来るあたり、前回とは対応が違う。
「本日は、出資金のお支払いと研究所の見学ということでよろしいですね」
「はい」
リアムは頷いた。その時、オーウェンの目が召使の男に向けられる。
「なぜ仮面を……?」
「申し訳ございません。幼い頃、火事にあいまして。見るも無残な痕があり、素顔をお見せするわけにはいきませんので……」
召使の男は、オーウェンの耳に顔を寄せ、囁いた。
「……わ、わかりました」
オーウェン一歩引きながら頷き、先日も訪れた応接室へ案内した。リアムが座るのを見て、ミラと男は後ろに控えた。
「早速ですが、こちらを」
リアムが召使を見る。彼はその重そうな箱を机の上に置いた。
「拝見しても?」
「はい。出資金、金貨五百枚。間違いありません」
男が箱を開けると、金色に輝く金貨の山。
「ありがとうございます」
ミラはその後ろで黙って見ていた。金貨五百枚。それだけの金額を、リアムは本当に用意していた。当然のような顔をしているが、ミラにはそれが信じられなかった。
オーウェンは満足そうに頷いた。
「これで正式に、当研究所の支援者として登録させていただきます」
「ありがとうございます」
リアムは穏やかに微笑む。
「それでは、約束通り見学を?」
「もちろんです」
オーウェンはそう言って、研究所の奥へと続く廊下へ視線を向けた。
「本日は、普段は公開していない区域もご案内いたしましょう。ルーイ様だけの特別です」
オーウェンがこうして『特別』と言うのも、きっと自分だけではないのだろう。リアムには、そんなことはすぐに分かった。それでもリアムは、騙されたふりをするように満足げに頷いてみせた。
「行こうか、リナ。君は馬車に戻っていなさい」
「……はい、ルーイ様」
召使の男は指示通り部屋を出ていく。ルーイとリナはオーウェンの後に続いて歩き出した。
廊下の奥に重厚そうな扉があった。オーウェンが鍵を開くと、大きな部屋になっていた。ガラス張りの小部屋がたくさんあり、研究員たちが行き交い、様々な想晶が視界に入った。
「こちらの施設では、想晶の生成に関する研究を行っています」
オーウェンが説明する。
「人工的に想晶を生み出すためには、強い感情が必要になります。その感情をどのように引き出し、どのように結晶へ定着させるか。それが現在の主な研究内容です」
「別の施設もあるということでしょうか?」
「はい、様々な環境で実験を行うためです」
オーウェンは何でもないことのように答えた。
「喜び、悲しみ、怒り、不安、恐怖、嫌悪、驚き、愛、嫉妬、羨望、失望、孤独……どの感情が最も美しい想晶を生み出すのか。まだ研究の途中です」
ミラの足が、ほんの少しだけ止まった。人が自然に抱いた感情から生まれるからこそ、想晶は美しい。ミラはそう思っていた。
「では、実際に想晶を作るために……誰かに強い感情を抱かせることも?」
リアムが尋ねた。オーウェンは一瞬だけリアムを見る。
「もちろん、研究には被験者の協力が必要です」
「被験者……」
「ええ。本人の同意を得た上で、さまざまな刺激を与えます」
あのシトリンを思い出す。カロラが見た、何度も殴られていた記憶。刺激というのは、虐待も有り得るのだろうか。
「刺激?」
「音、光、薬物、会話などです。もちろん、身体に危険が及ぶようなことはしておりません」
オーウェンは穏やかに微笑んだ。
「当研究所では、法に触れるような実験は行っておりませんので、ご安心ください」
オーウェンはそう言い切った。ミラとリアムは黙っていた。
「こちらをご覧ください」
オーウェンが、一つの部屋を指差す。
ガラスの向こうには、椅子に座った少女がいた。七歳くらいだろうか。少女の前には、いくつもの装置が置かれている。研究員が何かを話しかけると、少女は小さく頷いた。
「彼女も被験者です」
「……あの子は、何を?」
「恐怖に関する研究です。彼女が嫌いな、虫を見せています」
ミラの胸がざわついた。少女の目の前に、黒い虫が何匹も置かれた。ミラが目を凝らすと、それは蜘蛛だった。ミラの肩がびくりと跳ねる。
彼女は泣き叫び、椅子から立ち上がって逃げようとするが、研究員が制止する。蜘蛛は箱の中にいるため、出てくることはない。ただ、蜘蛛が苦手なミラでもこの距離で鳥肌が止まらないくらいだ。幼い彼女はきっと、もっと恐怖を感じているだろう。
「恐怖という感情が、どのような想晶を生み出すのか調べています。ただ、今回は想晶は生まれなかったようだ」
少女は俯いている。その手は、膝の上で強く握りしめられていた。ミラは思わず目を逸らした。止めに入りたいが、そんな力は自分にない。
けれど、リアムは少女をじっと見つめている。
「本人は、研究の内容を理解しているんですか?」
「もちろんです」
オーウェンは即答した。
「高額な報酬も支払っています。彼女は自らの意思でここに来ている」
「そうですか」
リアムは笑った。けれど、その目は笑っていなかった。
「それなら、問題はないわけですね」
「法には触れていません」
何度もオーウェンは頷く。二度言ったその言葉だけが、妙に耳に残った。ミラは隣にいるリアムを見る。リアムも、ミラを見た。
昨日の夜、リアムが調べた内容とは一致している。薬品の使用を認め、悲鳴の正体も、こうして恐怖の感情を引き出している声なのだろう。だが、シトリンの記憶とは一致しない。
「身体的暴力はありませんか?」
「ありませんよ。それは法を侵しているでしょう」
シトリンの記憶と辻褄が合っていない。リアムは、何かを隠していると確信した。
だからこそ、今この瞬間に怪盗エリオを調査へ向かわせている。仮面をかぶった彼は馬車に戻っていない。オーウェンの気を引いている間に、研究所の中を調べてもらうのだ。
地図はあらかじめ手に入れてあった。地図上にない部屋がありそうな場所を、エリオには探してもらっていた。
「そうですね。商人ですので疑り深くて。でも、オーウェン様がきっぱりと明言してくれてよかったです。安心して、投資することができます」
「ご安心いただけて、何よりです。では、見学もここまでにしましょうか」
「見学のご対応ありがとうございました。今後とも、ベルク商会をご贔屓に。では、またお会いしましょう」
リアムは優雅に頭を下げる。その姿は、商人というより月夜に現れる怪盗のようだった。
「ええ」
「必ず、また」
にやりと笑ったリアムに、オーウェンは不思議に思いながらも、ただ見送るしかなかった。




