32 怪盗と商人
リアムは、ミラとともに馬車に乗っていた。
いつもの執事服ではなく、仕立ての良い黒と白の、商売人らしい服を身につけている。ミラもまた、エレイン邸のメイド服ではなく、リアムから渡された別の簡素なメイド服を着ていた。
今日は二人とも、別人としてここへ来ている。
「……本当に、大丈夫?」
「大丈夫でしょ」
ミラが尋ねるとリアムは平然と答えた。それでもミラは浮かない表情だった。リアムはもう一度、確認するように口を開く。
「俺はルーイ・ベルク。君はリナ。俺の専属メイド」
「……リアムが商人で、私はそのメイドね」
その設定を、ミラは頭の中で数回繰り返した。
「そういうこと」
「……なんだか変な感じ」
「俺も」
リアムは小さく笑った。リアムはそう言うが、ミラには様になっているように見えた。
今、馬車に乗っているのには理由があった。
研究所へ投資したい。そう申し出たところ、研究所の責任者と面会することになったのだ。研究所があるホールデン領へ向かう道は、次第に人通りが少なくなり、木々が増えていった。
「でも、商人っていう設定でよかったの?」
「貴族だと、いろいろ調べられる可能性があるからな。商人なら、研究に興味を持って金を出す人間がいても不自然じゃない」
「なるほど……」
リアムは怪盗として、これまでにも数々の潜入をしてきた。今回も、それと変わらない。いつもこうやって、違和感のないように細工して潜入しているのだろう。ミラは苦笑した。
やがて、馬車が森の中で止まる。
「着いたみたい」
リアムが先に降り、ミラも続く。
知らない馬車に、知らない御者。エレイン邸とは関係のないメイド服。リアムは、どうやってこれらを準備しているのだろう。
二人の目の前には、大きな建物があった。研究所というより、どこかの貴族邸にも見える立派な建物だった。
「こちらへどうぞ」
出迎えた研究員に案内され、二人は中へ入る。廊下は一通りが少なく、いくつもの扉が並んでいる。やがて、一番奥にある応接室へ通された。
「お待たせいたしました」
扉が開くと、一人の男が出迎えた。
眼鏡をかけた男だった。ミラと同じような灰色の瞳をしており、年齢を感じさせない顔立ちをしているが、黒髪には白髪が多く混じっている。少し猫背で、研究に没頭するあまり、身なりに気を遣っていないような雰囲気があった。
「研究所の責任者を務めております、オーウェン・ハースと申します」
オーウェンの声は小さく、聞き取りづらかった。
「ルーイ・ベルクです。こちらは専属メイドのリナ」
リアムの自己紹介に、ミラは驚いた。話し方がいつものリアムとは違う。商人らしい気さくさがあり、どこか人当たりの良い印象を与えていた。
「本日は、投資のお話だと伺っております」
「はい。こちらの研究に興味がありまして」
「それはありがたいことです」
オーウェンは穏やかに微笑んだ。
すんなりと責任者に会えてしまったことで、ミラはいらぬ心配だったのだと思った。
「失礼ですが、ルーイ様はどのようなお仕事を?」
「商人です。小さい商会ですが」
「商人でいらっしゃるのですね。どのようなものを?」
「家具です。主に高級家具や室内装飾品を扱っています。エレイン領に商会を置いていて、エレイン伯爵家の家具はほとんど私の商会のものです。あと、いくつかの貴族家にも商品を納めています」
リアムは言葉に詰まることなく、すらすらと答えた。
「エレイン領に?」
「ええ。ベルク商会という小さな商会ですが」
ベルク商会は、エレイン領に実際に存在する商会だ。エレイン邸の家具のほとんどがベルク商会のものだというのも事実。ただし、ルーイとはまったく関係のない商会だった。
事実を織り交ぜなければ、嘘をつき通すのは難しい。そのことをリアムはよく分かっていた。だからこそ、何の迷いもなく答えられる。
「ベルク商会、聞いたことがあります。」
「それは嬉しいです。最近は商売だけでなく、いろいろな事業への投資にも興味がありまして」
「なるほど……」
オーウェンが興味深そうに頷く。疑っている様子はない。リアムはそこで、ほんの少しだけ笑った。
「今回の研究については、リュシアン・ルクレール様からお話を伺いました」
「……リュシアン様から?」
その瞬間だった。オーウェンの目の色が、明らかに変わった。先ほどまで小さかった声が、突然大きくなる。今まで期待などしていなかったことが、ミラにも分かった。
「ええ。以前、食事をご一緒する機会がありまして。その際に、こちらの研究について教えていただいたんですよ」
「リュシアン様とお知り合いで?」
「そうですね。以前から少しお付き合いがあります」
オーウェンの表情から、先ほどまでの警戒が薄れていく。
「それでしたら……話が早い」
明らかに態度が柔らかくなった。
ミラは黙って、その様子を見ていた。リュシアンの名前を出しただけで、ここまで反応が変わる。やはり、リュシアンの出資はこの研究所にとって、かなり大きな意味を持っているのだろうか。
「想晶を人工的に生み出す。とても興味深い研究ですよね。リュシアン様にもご支援いただいていると聞いています」
リアムは穏やかに笑う。
嘘と真実を巧みに織り交ぜながら、リアムは少しずつ研究所の懐へ入り込んでいった。
「ええ。リュシアン様には大変お世話になっております」
「だからこそ、実際の研究を見てみたい」
リアムの言葉に、オーウェンが僅かに瞬きをした。
「研究を、ですか?」
「ええ。商売人は実際に商品を見て、価値を測るまでお金は出しません。リュシアン様からの紹介とはいえ、簡単には判断できません。投資を決める前に、研究所を見学させてもらえませんか?」
これで話がなくなってしまったらどうするのだろう。それくらい、リアムの態度は堂々としていて、自信に満ちていた。
「さすがは腕の良い商売人だ」
オーウェンの笑顔が、一瞬だけ止まった。けれど、リアムはそこで終わらなかった。
「──もちろん、研究には機密もあるでしょう。すべてを見せてほしいとは言いません。ただ、どんな場所で、どんな研究が行われているのか。それくらいは確認したいんです」
「……なるほど」
リアムの巧みな話術に、ミラはただただ圧倒された。
オーウェンは眼鏡の位置を直した。納得したようにも見えたが、眼鏡が光を反射し、その表情は分からなくなった。
「大変申し訳ないのですが、当研究所では見学に関して一つ条件を設けております」
「条件?」
「はい」
オーウェンは穏やかな笑顔を浮かべた。
「一定額以上の出資をしていただくことです」
ミラが目を瞬かせ、思わず口を開く。
「……見学するだけなのに、ですか?」
「研究内容には、非常に機密性の高いものが含まれておりますので」
オーウェンは淡々と説明する。
「そのため、研究に一定額以上のご理解とご支援をいただける方にのみ、内部をご案内しております」
ミラはリアムを見る。リアムは少し考えるように黙ったあと、口を開いた。
「いくらですか?」
「見学には、金貨三百枚以上の出資をお願いしております」
ミラは思わず目を見開いた。想像していたよりも、はるかに大きな額だった。
「……そんなに?」
ミラの口から声が漏れる。大きな商会でも、簡単には決められないほどの金額だろう。
「もちろん。研究所で生成した想晶をかなり安価で提供いたします。損は決してさせません」
ミラの脳裏に、先日見た資料が浮かんだ。それだけの金額を、貴族たちがこの研究に出資している。そこに並んでいた莫大な金額を思い出すと、ミラはその研究の規模に足がすくむような感覚を覚えた。
リアムが、ちらりとミラを見る。
「問題ないよ」
「え?」
ミラには一瞬、いつもの彼に戻ったように見えた。
「金貨五百枚、出資します」
リアムはオーウェンへ視線を戻した。
「それで、見学させてもらえるんですね?」
「ありがとうございます。もちろんでございます。相当、研究に興味がおありのようで、こちらも嬉しい限りです」
オーウェンの笑みが深くなる。ミラは弱々しくリアムの肩に触れた。
リアムはミラの瞳を覗き、一度だけ頷いた。大丈夫だ。そう言っているように見えた。
「それでしたら、ぜひとも研究所をご案内させていただきます」
「分かりました。投資しましょう」
あまりにも迷いのない返事だった。
「それでは、契約の準備をいたしましょう」
こうして、ルーイ・ベルクという名の商人は、研究所への投資を決めた。
「では三日後。お待ちしております」
契約書にサインしたリアムは、ミラとともに研究所をあとにし、馬車へ乗り込んだ。
見学と支払いは、三日後に同時に行われることになった。契約してしまった以上、支払いをしなければ研究施設を見ることはできない。
ミラは説明を待つように、リアムの目をじっと見つめた。
「……正気?って顔してる」
「そんな大金、どこに……」
「今は商人なの、忘れた?」
「それは設定でしょ……」
ミラが小さく呟くと、リアムは楽しそうに笑った。
「でも、なぜ五百枚に金額を上げたの?」
「金を惜しまない富裕商人ってのと、研究にかなり興味があるって思わせるため」
リアムがミラに向かって片目をつぶる。
金額を上げた理由は理解できたが、三百枚でも大金だというのに、二百枚も上乗せして大丈夫なのだろうか。
「任せて。」
またリアムは、種明かしをしなかった。
ミラの不安は消えないままだったが、リアムはこれ以上、何も言わないだろう。前回もこう言って、きちんと資料を集めてきた。だから今回も──。ミラはそう信じることにした。




