↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/40

30 怪盗とシトリン

「リュシアン様がお見えになりました」


 ルーイの声を聞き、ヴィオラは読んでいた本を閉じた。

 訪問すると聞いていた時刻ぴったり。リュシアンらしいと、ヴィオラは静かに笑った。

 ミラとルーイを連れて応接室へ向かう。扉を開けると、そこにはすでにリュシアンが座っていた。


「お久しぶりです、ヴィオラ」


「お久しぶり、リュシアン。冬の間、手紙を返せなくてごめんなさい」


 立ち上がったリュシアンが、穏やかに微笑む。


「無事に帰って来てくれるだけで良いのです。南の領地では、ゆっくり過ごせましたか?」


「ええ。おかげさまで、体調もすっかり良くなったわ」


「それはよかった。手紙だけでは、やはり心配でしたから」


 そう言って、リュシアンはヴィオラの顔を覗き込むように見る。丸眼鏡をくいっと持ち上げ、頷いた。


「以前より顔色も良さそうですね」


「叔母様がとてもよくしてくださったの」


「それなら安心しました」


 リュシアンは微笑んだ。


「今日は、研究の話を聞かせてくださるのでしょう?」


「はい。以前お話ししていた研究ですが、かなり進展したんです」


 リュシアンの表情が、少しだけ明るくなる。


「ぜひ、ヴィオラにも見ていただきたいと思って」


 リュシアンは持ってきた鞄へ手を伸ばした。


「実は、今日はそのために一つ持ってきました」


 ミラの視線が、鞄へ向く。胸の奥に、あの青いサファイアを見たときと同じ嫌な感覚が蘇った。


「こちらの、想晶です」


 リュシアンが取り出したのは、淡い黄色の想晶だった。


「……綺麗」


 ヴィオラが呟く。

 ミラは、以前とは違う輝きに不気味さを感じた。サファイアには、インクルージョンが多く存在していた。けれど、この想晶はそれがかなり減っている。自然に生まれた想晶との違いが、ほとんどなくなっていた。


「でしょう?こちらはシトリンです」


「美しいわね」


 リュシアンは嬉しそうに笑った。


「これが、今の研究の成果です」


「……失礼します。紅茶をお持ちしました」


 応接室の入口から、小さな声がした。三人が振り返る。そこには、飲み物を運んできたカロラが立っていた。

 視線が集まりカロラは慌てて頭を下げる。けれど、その目はリュシアンの手元にある想晶へ向いていた。


「……どういう想いで生まれたのかしら」


 ヴィオラが、シトリンを見つめながら呟く。


「これだけ美しいのですから、いいじゃないですか。この輝きが量産できるなんて、素晴らしいでしょう?」


 リュシアンの声が、少し大きくなる。

 想いの方に重きを置くヴィオラには、リュシアンの言葉が理解できなかった。


「私が、確認しましょうか?」


 カロラが小さく手を挙げる。


「……ヴィオラ、このメイドはいったい……」


 リュシアンの薄紫の瞳が、突然鋭くなった。その視線を向けられたカロラは、冷たいものを感じて一歩後ろへ下がる。けれど、リュシアンはすぐに表情を戻した。


「新しいメイドよ。彼女は想晶に込められた記憶が視えるみたい」


「……まさか、本当にそんなことを?」


 リュシアンは驚いたように眉を寄せる。


「?、ええ。」


「メイドが貴女に気に入られるために、そんな嘘をついているのではありませんか?」


 それは、ヴィオラを心配しているからこその言葉だった。だが、カロラの心を傷つけるには十分だった。

 目に涙を浮かべるカロラの前に、ヴィオラが立つ。ルーイも前へ出ようとしたが、ヴィオラが目で静止した。口を出さないで、ということだろう。


「私が証明するわ。カロラは、私のアメシストの記憶を当てたのよ」


「そ、そうでしたか。疑ってすみません」


 リュシアンはすぐに頭を下げた。


「では、そのメイドに視てもらいましょう」


 態度の変化に戸惑いながらも、カロラはリュシアンへ近づいた。そして、恐る恐るシトリンを受け取る。


「……っ」


 触れた瞬間、カロラの顔から血の気が引いた。


「どうした?」


 ルーイが声をかける。けれど、カロラは答えなかった。ただ、想晶を握ったまま震えているだけだ。


「カロラ?」


 ヴィオラも心配そうに声をかける。


「……やはり、嘘か」


 リュシアンは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「……嫌」


 カロラが震える声で呟く。


「嫌……これ……」


 次の瞬間。


「いやああああっ!」


 カロラの悲鳴が、エレイン邸に響き渡った。


「カロラ!」


 ミラが駆け寄る。

 カロラは想晶を取り落としそうになり、震える手でそれを握りしめていた。顔からはすっかり血の気が引いている。


「どうしたの?何を視たの?」


「……怖い……」


 カロラの唇が震えている。ミラは強くカロラを抱きしめた。ヴィオラとルーイも駆け寄ってくる。


「人が……人がいっぱい……」


「人?」


 ルーイが眉を寄せる。

 カロラは何度も息を吸おうとする。けれど、うまく呼吸ができない。


「今は無理して話さなくていい」


 ルーイがカロラからシトリンを取り上げる。想晶に触れている間は、ずっと記憶が視えてしまう。それを、これまでミラと過ごした時間の中で理解していた。


「暗くて……何人もいて……」


 その言葉に、ミラの胸がざわついた。

 嬉しい記憶、怒っていた記憶、悲しい記憶、楽しい記憶。それらとは違う、恐ろしい記憶も存在する。それを視てしまったとき、ミラはいつも取り乱していた。

 映像しか見えないカロラでさえ、これほど怯えている。もし自分が触れていたらと思うと、ミラにも震えが伝染してしまいそうだった。


「わ、分からない……」


 カロラが目を伏せる。その瞳から、涙が溢れ出した。


「演技ではなさそうですね……。話さなくても大丈夫ですよ」


 リュシアンも、今度は優しい言葉をかけた。


「な、なっ……な……」


「いいのよ! カロラ、無理しなくて」


 カロラの身体が大きく震え出す。ヴィオラは涙目で声をかけた。

 ミラは思った。カロラは今まで、恐ろしい記憶を視たことがなかったのだろう。だから、躊躇することなく、記憶が視えることを公にし、戸惑うことなく想晶に触れていた。恐ろしい記憶を追体験する、その恐怖をミラは知っている。だからこそ、一日に一個しかリアムに協力できなかった。


「カロラ、まずは息を吸って!」


 浅くなった呼吸を整えるように、ミラはカロラの背中をさする。ゆっくりと呼吸が安定し、震えが収まっていく。

 けれど、カロラは早く吐き出したかった。ひとりでは、抱えきれない恐怖だった。


「──な、なっ、な、なぐられてなぐられてなぐられて、なぐられて、なぐられて、なぐられてなぐられてなぐられて」


 目はどこか遠くを見つめている。まるで、今もその記憶の中にいるようだった。

 ルーイが、強くカロラを抱き抱える。そして、取り上げたシトリンをリュシアンに手渡した。


「お嬢様、失礼します」


 ルーイがカロラを部屋から連れ出していく。

 室内が静まり返った。リュシアンだけが、じっとシトリンを見つめている。


「……なるほど」


 小さな呟きだった。ミラが振り返る。


「何が、なるほどなんですか?」


「いえ。やはり、視えるのですね」


 リュシアンは眼鏡を押し上げる。もう、カロラが演技をしているとは微塵も思っていない。このシトリンの中には、恐ろしい記憶が眠っている。

 でも、じゃあ、ああ、それなら──。


「それなら、この研究は間違っていない」


「間違ってない……?」


 ミラの声が低くなる。リュシアンは、手元のシトリンを見ながら続けた。


「より強い想いだったからこそ、このシトリンが生まれたのです。恐怖でも愛でも、美しさは変わらない」


「……どんな研究をしているのですか!」


 ミラは声を荒げる。何度も殴られた記憶がこもった想晶。それが、研究だと言うのだろうか。


「知りません。ただ、感情や記憶は重要ではない。美しさが、全てです。誰も彼女のように記憶なんてものは視えない。輝きしか評価されないのです」


 あまりにも淡々とした返答だった。ミラの眉が寄る。

 リュシアンの言うことは事実だった。誰が生んだのかによって価値が上がることもあるが、それはごく僅か。多くの想晶は、3Cでその価値を決められる。


「私は、重要だと思っているわ。あの状態のカロラを見て、このシトリンが美しいとは、もう思えない」


 ヴィオラは胸を張った。リュシアンがヴィオラを見る。


「……そこは、理解し合えないですね」


 少しだけ寂しそうに笑った。


「でも、当たり前です。感情の数ほど、想晶はあるのですから。理解し合えなくて、当然です」


 リュシアンの言葉に、ヴィオラは息を飲んだ。

 リュシアンは、もうヴィオラの意見を聞く気はないように見えた。


「リュシアン様。この想晶は、誰から生まれたのかご存知ないのでしょうか?」


 ミラの問いに、リュシアンの笑顔が、ほんの少しだけ止まった。


「僕は研究に資金を提供しているだけ」


 その言葉に、ミラが目を細める。


「何も知らずに提供を?」


「研究者たちが何をしているのか、すべてを把握しているわけではありません」


 リュシアンは穏やかに答える。ミラは黙ってリュシアンを見る。

 以前、晩餐会で聞いた話と同じだった。リュシアンは研究そのものに興味を持ち、金を出している。

 だが、この想晶は。いったい、誰のどんな想いから作られたのか。でもミラは、もう何も言えなかった。


 リュシアンは、とても良い婚約者だ。ヴィオラはそう思っている。ただ、想晶の話になると目が変わる。そのことが、ヴィオラには少し怖かった。


「雰囲気を変えましょう。この前、狩りに行った話はどうでしょうか?」


 なんとか明るくしようと、リュシアンは話題を変える。そういう気遣いができるところは、人としてヴィオラは好きだった。

 だからこそ。なるべく、想晶の話は持ち出さないようにしよう。ヴィオラは、そう思うのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。