30 怪盗とシトリン
「リュシアン様がお見えになりました」
ルーイの声を聞き、ヴィオラは読んでいた本を閉じた。
訪問すると聞いていた時刻ぴったり。リュシアンらしいと、ヴィオラは静かに笑った。
ミラとルーイを連れて応接室へ向かう。扉を開けると、そこにはすでにリュシアンが座っていた。
「お久しぶりです、ヴィオラ」
「お久しぶり、リュシアン。冬の間、手紙を返せなくてごめんなさい」
立ち上がったリュシアンが、穏やかに微笑む。
「無事に帰って来てくれるだけで良いのです。南の領地では、ゆっくり過ごせましたか?」
「ええ。おかげさまで、体調もすっかり良くなったわ」
「それはよかった。手紙だけでは、やはり心配でしたから」
そう言って、リュシアンはヴィオラの顔を覗き込むように見る。丸眼鏡をくいっと持ち上げ、頷いた。
「以前より顔色も良さそうですね」
「叔母様がとてもよくしてくださったの」
「それなら安心しました」
リュシアンは微笑んだ。
「今日は、研究の話を聞かせてくださるのでしょう?」
「はい。以前お話ししていた研究ですが、かなり進展したんです」
リュシアンの表情が、少しだけ明るくなる。
「ぜひ、ヴィオラにも見ていただきたいと思って」
リュシアンは持ってきた鞄へ手を伸ばした。
「実は、今日はそのために一つ持ってきました」
ミラの視線が、鞄へ向く。胸の奥に、あの青いサファイアを見たときと同じ嫌な感覚が蘇った。
「こちらの、想晶です」
リュシアンが取り出したのは、淡い黄色の想晶だった。
「……綺麗」
ヴィオラが呟く。
ミラは、以前とは違う輝きに不気味さを感じた。サファイアには、インクルージョンが多く存在していた。けれど、この想晶はそれがかなり減っている。自然に生まれた想晶との違いが、ほとんどなくなっていた。
「でしょう?こちらはシトリンです」
「美しいわね」
リュシアンは嬉しそうに笑った。
「これが、今の研究の成果です」
「……失礼します。紅茶をお持ちしました」
応接室の入口から、小さな声がした。三人が振り返る。そこには、飲み物を運んできたカロラが立っていた。
視線が集まりカロラは慌てて頭を下げる。けれど、その目はリュシアンの手元にある想晶へ向いていた。
「……どういう想いで生まれたのかしら」
ヴィオラが、シトリンを見つめながら呟く。
「これだけ美しいのですから、いいじゃないですか。この輝きが量産できるなんて、素晴らしいでしょう?」
リュシアンの声が、少し大きくなる。
想いの方に重きを置くヴィオラには、リュシアンの言葉が理解できなかった。
「私が、確認しましょうか?」
カロラが小さく手を挙げる。
「……ヴィオラ、このメイドはいったい……」
リュシアンの薄紫の瞳が、突然鋭くなった。その視線を向けられたカロラは、冷たいものを感じて一歩後ろへ下がる。けれど、リュシアンはすぐに表情を戻した。
「新しいメイドよ。彼女は想晶に込められた記憶が視えるみたい」
「……まさか、本当にそんなことを?」
リュシアンは驚いたように眉を寄せる。
「?、ええ。」
「メイドが貴女に気に入られるために、そんな嘘をついているのではありませんか?」
それは、ヴィオラを心配しているからこその言葉だった。だが、カロラの心を傷つけるには十分だった。
目に涙を浮かべるカロラの前に、ヴィオラが立つ。ルーイも前へ出ようとしたが、ヴィオラが目で静止した。口を出さないで、ということだろう。
「私が証明するわ。カロラは、私のアメシストの記憶を当てたのよ」
「そ、そうでしたか。疑ってすみません」
リュシアンはすぐに頭を下げた。
「では、そのメイドに視てもらいましょう」
態度の変化に戸惑いながらも、カロラはリュシアンへ近づいた。そして、恐る恐るシトリンを受け取る。
「……っ」
触れた瞬間、カロラの顔から血の気が引いた。
「どうした?」
ルーイが声をかける。けれど、カロラは答えなかった。ただ、想晶を握ったまま震えているだけだ。
「カロラ?」
ヴィオラも心配そうに声をかける。
「……やはり、嘘か」
リュシアンは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……嫌」
カロラが震える声で呟く。
「嫌……これ……」
次の瞬間。
「いやああああっ!」
カロラの悲鳴が、エレイン邸に響き渡った。
「カロラ!」
ミラが駆け寄る。
カロラは想晶を取り落としそうになり、震える手でそれを握りしめていた。顔からはすっかり血の気が引いている。
「どうしたの?何を視たの?」
「……怖い……」
カロラの唇が震えている。ミラは強くカロラを抱きしめた。ヴィオラとルーイも駆け寄ってくる。
「人が……人がいっぱい……」
「人?」
ルーイが眉を寄せる。
カロラは何度も息を吸おうとする。けれど、うまく呼吸ができない。
「今は無理して話さなくていい」
ルーイがカロラからシトリンを取り上げる。想晶に触れている間は、ずっと記憶が視えてしまう。それを、これまでミラと過ごした時間の中で理解していた。
「暗くて……何人もいて……」
その言葉に、ミラの胸がざわついた。
嬉しい記憶、怒っていた記憶、悲しい記憶、楽しい記憶。それらとは違う、恐ろしい記憶も存在する。それを視てしまったとき、ミラはいつも取り乱していた。
映像しか見えないカロラでさえ、これほど怯えている。もし自分が触れていたらと思うと、ミラにも震えが伝染してしまいそうだった。
「わ、分からない……」
カロラが目を伏せる。その瞳から、涙が溢れ出した。
「演技ではなさそうですね……。話さなくても大丈夫ですよ」
リュシアンも、今度は優しい言葉をかけた。
「な、なっ……な……」
「いいのよ! カロラ、無理しなくて」
カロラの身体が大きく震え出す。ヴィオラは涙目で声をかけた。
ミラは思った。カロラは今まで、恐ろしい記憶を視たことがなかったのだろう。だから、躊躇することなく、記憶が視えることを公にし、戸惑うことなく想晶に触れていた。恐ろしい記憶を追体験する、その恐怖をミラは知っている。だからこそ、一日に一個しかリアムに協力できなかった。
「カロラ、まずは息を吸って!」
浅くなった呼吸を整えるように、ミラはカロラの背中をさする。ゆっくりと呼吸が安定し、震えが収まっていく。
けれど、カロラは早く吐き出したかった。ひとりでは、抱えきれない恐怖だった。
「──な、なっ、な、なぐられてなぐられてなぐられて、なぐられて、なぐられて、なぐられてなぐられてなぐられて」
目はどこか遠くを見つめている。まるで、今もその記憶の中にいるようだった。
ルーイが、強くカロラを抱き抱える。そして、取り上げたシトリンをリュシアンに手渡した。
「お嬢様、失礼します」
ルーイがカロラを部屋から連れ出していく。
室内が静まり返った。リュシアンだけが、じっとシトリンを見つめている。
「……なるほど」
小さな呟きだった。ミラが振り返る。
「何が、なるほどなんですか?」
「いえ。やはり、視えるのですね」
リュシアンは眼鏡を押し上げる。もう、カロラが演技をしているとは微塵も思っていない。このシトリンの中には、恐ろしい記憶が眠っている。
でも、じゃあ、ああ、それなら──。
「それなら、この研究は間違っていない」
「間違ってない……?」
ミラの声が低くなる。リュシアンは、手元のシトリンを見ながら続けた。
「より強い想いだったからこそ、このシトリンが生まれたのです。恐怖でも愛でも、美しさは変わらない」
「……どんな研究をしているのですか!」
ミラは声を荒げる。何度も殴られた記憶がこもった想晶。それが、研究だと言うのだろうか。
「知りません。ただ、感情や記憶は重要ではない。美しさが、全てです。誰も彼女のように記憶なんてものは視えない。輝きしか評価されないのです」
あまりにも淡々とした返答だった。ミラの眉が寄る。
リュシアンの言うことは事実だった。誰が生んだのかによって価値が上がることもあるが、それはごく僅か。多くの想晶は、3Cでその価値を決められる。
「私は、重要だと思っているわ。あの状態のカロラを見て、このシトリンが美しいとは、もう思えない」
ヴィオラは胸を張った。リュシアンがヴィオラを見る。
「……そこは、理解し合えないですね」
少しだけ寂しそうに笑った。
「でも、当たり前です。感情の数ほど、想晶はあるのですから。理解し合えなくて、当然です」
リュシアンの言葉に、ヴィオラは息を飲んだ。
リュシアンは、もうヴィオラの意見を聞く気はないように見えた。
「リュシアン様。この想晶は、誰から生まれたのかご存知ないのでしょうか?」
ミラの問いに、リュシアンの笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「僕は研究に資金を提供しているだけ」
その言葉に、ミラが目を細める。
「何も知らずに提供を?」
「研究者たちが何をしているのか、すべてを把握しているわけではありません」
リュシアンは穏やかに答える。ミラは黙ってリュシアンを見る。
以前、晩餐会で聞いた話と同じだった。リュシアンは研究そのものに興味を持ち、金を出している。
だが、この想晶は。いったい、誰のどんな想いから作られたのか。でもミラは、もう何も言えなかった。
リュシアンは、とても良い婚約者だ。ヴィオラはそう思っている。ただ、想晶の話になると目が変わる。そのことが、ヴィオラには少し怖かった。
「雰囲気を変えましょう。この前、狩りに行った話はどうでしょうか?」
なんとか明るくしようと、リュシアンは話題を変える。そういう気遣いができるところは、人としてヴィオラは好きだった。
だからこそ。なるべく、想晶の話は持ち出さないようにしよう。ヴィオラは、そう思うのだった。




