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21 怪盗とローズクォーツ

「ミラさん!」


 弾んだ声が後ろから飛んできた。振り返ると、ポニーテールを揺らしたカロラがこちらへ駆けてくる。橙色の瞳が、どこか興奮したように輝いていた。


「どうしたの?」


 息を整える暇もなく、カロラは両手を差し出した。その手のひらの上に、小さなアクセサリーが乗っている。

 剣の柄に取り付ける飾りだ。淡いピンク色の想晶が、小さく光を反射している。インクルージョンによる半透明の乳白色の濁りがあるものの、その淡い色合いから女性に人気の想晶だ。


「ローズクォーツ……?」


 ミラは一瞬だけ目を細めた。見覚えがあったからだ。訓練場で、レオンの剣に付いているのを見たことがある。先日、決闘を見たときは木剣だったが、実剣のほうには付いていたはずだ。


「訓練場の近くで拾って、視えちゃいました! レオン副団長の記憶!」


 カロラは想晶を大事そうに包み込んだまま言った。ミラは、しばらく何も言わなかった。


「……あれ、気になりませんか?」


「言わなくて大丈夫」


「あ……そうですよね。記憶の中にミラさんが出てきたので、つい興奮して話してしまいました……」


 押し込めた想い、知られたくない想い、手放したい想い。たくさん視てきたからこそ、ミラは慎重だった。勝手に覗かれている時点で、気持ち悪いと思われたこともある。

 ミラも幼い頃は、視えたものをそのまま話していた。それで、よく兄に叱られたのだ。


「一つお願いがありまして。これはミラさんからレオン副団長に渡してもらえますか?」


「どうして私が?」


「視てしまったお詫びというか、ごめんなさいというか……私なりの、レオン副団長への気持ちです」


 目の前のローズクォーツに、ミラは触れたくなかった。

 けれど、視えることを知らないカロラは、ミラの手を取り、その手のひらに想晶を包み込ませた。


 ───記憶が流れ込んでくる。




 ▼▼▼


 薄暗い廊下を巡回して歩く。灯りのついている部屋を念のためノックしてから、入室した。


「あ、レオンさん」


「ミラさん、こんばんは。まだ業務を?」


「はい」


「そうですか。早く寝てくださいね」


「ありがとうございます」


 何か縫い物をしているらしい彼女が、何をしていたのか。それを知ることになるのは、翌日のことだった。

 ヴィオラが大切にしていたぬいぐるみの足が、蝋燭の火で少し燃えてしまったのだ。悲しむヴィオラのために、ミラは夜な夜な修復していたらしい。


 次の瞬間、場面が変わる。


 雨の街。小さな子供が泣いている。

 次は、街の巡回中にミラを見かけたときの記憶だった。仕事熱心な人だという印象は、この日も変わらない。


「大丈夫?」


 濡れた小さな手を握り、辺りを見回している。レオンの姿を捉えると、ミラは彼の名を呼んだ。


「ミラさん、どうされました?」


「迷子のようで、一緒にお母さんを探してほしいのです」


「それは騎士団の仕事です。お任せあれ」


「いえ。私も一緒に探します」


 優しい。

 そこから、レオンはミラに興味を示すようになった。彼女の姿を見かけると、自然と目で追うようになる。


 場面が、また変わる。


 ヴィオラが体調を崩した。交代でメイドたちがヴィオラの看病をする中、ミラは執事のシリル・グレイと同じように、彼女の側を離れなかった。


 廊下でふらついている姿を見かけた。それでも踏ん張り、ヴィオラが食べられるものを届けていた。彼女の体を拭くのも、いつもミラだった。


 場面が、また変わる。


 ミラの声はいつも一定で、感情が表れにくい。表情も、他の人より読みにくいことが分かった。

 廊下ですれ違えば話しかける。いつの間にか敬語もなくなっていた。


 それでも、二人の距離が近づくことはなかった。


 また、ミラを目で追う。庭園から花を数本選び、ヴィオラの部屋に飾るつもりなのだろう。しゃがみ込んでいるミラに声をかけようとした、その時だった。


「きゃっ!!」


 ミラが勢いよく立ち上がり、小さな悲鳴を上げた。こんなに驚いた顔は、初めて見た。


「どうした!?」


「あ、レオン……。蜘蛛がいて……苦手なの」


 いつも冷静な彼女にも、苦手なものがある。それが、蜘蛛だとは。


「可愛い」


「え? どこが? こんなに足が生えてるのに」


 ミラの勘違いに、レオンは声を上げて笑った。


 可愛いのは、ミラだ。


 きっと、屋敷中の誰も知らない。彼女が苦手なもの。どんなに頑張っていても、音を上げることのない彼女が。たった一匹の蜘蛛に、あんな顔をする。


 可愛い。


 今すぐ、抱きしめてやりたい。


 ああ、好きだ。




 ▼▼▼




 そこで、記憶が途切れた。


 ミラはゆっくりと目を開ける。カロラが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「ミラさん!? どうしたんですか!?」


「え?」


「熱でもあるんですか!? 真っ赤ですよ!」


 想晶を握ったまま、ミラは顔が熱くなるのを感じていた。


 この記憶は、愛の告白のようなものだった。レオンが、なぜミラを好きになったのか。どれほどの想いを抱いているのか。本来なら、告白するときに本人の口から伝えられるはずだった言葉を、ミラは覗いてしまったのだ。

 ミラは視線を落とした。胸の奥が、静かに揺れる。


 こんなふうに思われていたなんて、知らなかった。だからこそ、早く。彼の気持ちには応えられないと、伝えなければならない。


「大丈夫。私が返しておくね」


「すみません、ありがとうございます!」


 こんなにも想ってくれているのなら、逃げるわけにはいかない。

 ちゃんと。真摯に向き合わなければいけない。





 書庫から書類を持ち出し、廊下を歩く。


 窓の外では、冬の空が白く霞んでいた。強い風が吹き、木々を揺らしている。


 頭の中では、まだ残っている仕事の順番を整理していた。薬の記録に、医師への報告、ヴィオラの夕食を運ぶ。そして、ポケットの中にあるレオンのローズクォーツを返さなければ。


「ミラ」


 低い声に振り返る間もなく、腕を引かれた。ぐい、と廊下の脇へ引き寄せられ、背中が壁に触れた。


「……っ」


 顔を上げると、目の前にレオンがいた。思っていたよりずっと近く、ミラの灰色の瞳が大きく見開かれる。


「びっくりした……」


 レオンは壁に腕をついたまま、少し顔を傾けた。


「ごめん。ちょっと驚かせようと思ったら、驚かせすぎたな」


「何してるの?」


「この前は走って逃げたから、捕まえてみた」


「あれは、仕事中だったから」


 ミラは、背の高いレオンを見上げるようにして睨みつける。たくましい腕に挟まれ、壁とレオンの間から抜け出せそうにない。その顔を見て、ローズクォーツの記憶が蘇った。


 真剣な想い。そして、『好きだ』という言葉。顔にみるみる熱が集まっていくのが分かる。そんなミラを見て、レオンは少し笑った。


「顔、赤いな?」


「だって、近いし……」


 レオンが顔を寄せてくる。ミラは反射的に顔を逸らした。


「それだけで、こんなに赤くなるか?」


「離れて。誰か来たらどうするの」


 ミラが眉を寄せると、レオンはくつくつと笑った。


「怒った顔も可愛い」


「もう、やめて。仕事中なのよ。お嬢様に知られたくない」


 仕事を怠けていると、誰かに報告されることだけは避けたかった。


 レオンは、ミラの顔をじっと見つめていた。


 これ以上ミラを怒らせて、嫌われるのだけは避けたい。少しやり過ぎたと反省しながら、ぽん、とミラの頭に手を置いて、軽く撫でる。ミラの身体が、分かりやすく硬直した。


「……な、何してるの!?」


「可愛いなぁって。それに、耐えろよって言ったからな?」


 レオンがさらりと言うので、ミラは一瞬、言葉を失った。自分を見る赤い瞳が、愛おしそうに細められている。ミラは顔を伏せた。身体が熱くて、仕方がない。


「レオン、本当にやめて」


「告白して振られるまでは、耐えてくれ」


 ミラは何も言わず、レオンの腕を押した。そのとき、手の熱さまで伝わってしまっただろう。


「離れて」


「はいはい」


 レオンは素直に腕を下ろす。そして、壁際にミラを残したまま歩き出した。


「嫌われる前に、今日は止めておく」


「……」


 ミラが顔を上げると、赤い顔をしたレオンが軽く手を振っていた。

 呆然と立ち尽くしている間に、彼はそのまま廊下の角へ消えていく。しばらく、ミラはその場から動けなかった。

 胸の奥が妙に騒がしい。少しだけ、呼吸を整える。

 レオンも、赤い顔を見られたくなかったらしい。壁に追い込んでおいて、自分も照れているなんて。

 ミラはようやく落ち着きを取り戻し、壁から離れた。そして、数歩進んだところで、ふと思い出す。


「……あ。返すの忘れてた」




 ***




 ミラは小さく息を吐き、ポケットからそれを取り出した。

 淡いピンク色の想晶が、月光を受けて柔らかく輝く。指先でそっと転がしながら、思い浮かべるのはレオンの顔だった。

 そのとき、窓がカタンとかすかに鳴った。ミラが顔を上げると、窓が静かに開く。今宵も訪れた、怪盗リアムだった。


「……待ってた?」


「待ってない」


「ひどいな」


 窓から軽やかに降り、部屋の中へ入ってくる。見慣れた黒の衣装でさえ、かっこよく見えてしまうのだから重症だ。

 金色の視線が、ふとミラの手元へ動いた。


「……それ、誰の?」


 ミラは少し迷ったが、『視える』ことを知っているリアムに嘘は通用しないだろう。


「レオンの」


 短く答えると、リアムは少しだけ眉を上げた。


「なるほど。それで、あんな顔して見つめてたわけね」


「あんな顔って?」


「顔が赤かったから」


「気のせいよ」


 窓から入る前、リアムはミラの表情に驚き、数秒ほど見つめてしまっていた。顔を赤くして想晶を見つめていれば、不思議に思うのも当然だ。

 リアムは机に手をつき、身体を少し前に倒した。


「で、返さずに持ち歩いてるんだ?貰ったの?」


 ミラは視線を逸らした。


「カロラが拾って、返すつもりだったの。でも、今日忘れてて」


「じゃあ、あいつも視たってことか」


 あいつというのは、カロラのことだ。リアムが小さく笑うので、ミラは眉を寄せる。


「カロラに聞かないでね」


「言いたくない記憶ってこと?」


「ちが……。人の記憶を勝手に……」


「俺たちが毎晩してることと、何が違う?」


 そう言われると、ミラはもう何も言い返せない。

 けれど、なぜこんなにリアムが怒っているように見えるのか、分からなかった。


「まぁ、今の会話でだいたい分かったからいいや」


 この想晶は、おそらくレオンが生み出したもの。そこには、ミラへの想いが込められているのだろう。ミラのあの顔を見れば、誰でも推察できそうなことだった。


 次の瞬間、リアムが手を伸ばし、ミラの手首を軽く掴んだ。驚いて顔を上げる。距離が近い。金色の瞳が、目の前にあった。


「でも、それ持ってる顔を俺の前でされると、かなり気分悪い」


 リアムは笑って言った。ミラは目を見開く。

 それを見て、リアムはすぐに手を離した。そして、何事もなかったかのように、いつもの表情に戻る。


「冗談だって」


 冗談の声とは思えなかった。けれど、ミラは小さく頷いた。

 リアムはそのまま、レオンの想晶へ手を伸ばす。ミラの手元から少し遠ざけるようにして、その空いた手のひらへ、盗んできたばかりの想晶を乗せた。


 言いたいことはあった。けれど、流れ込んでくる記憶に邪魔をされ、ミラは言葉を失った。以前も、こうやって誤魔化されたような気がする。

 それでもミラは、その記憶に飲み込まれるしかなかった。

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