20 怪盗と宣言
「お、ミラ」
聞き慣れた声が横から飛んでくる。振り向くと、廊下を歩いてくるレオンだった。騎士の服のまま、いつものように気軽な笑みを浮かべている。
「難しい顔してるな」
ルーイと廊下で別れ、窓を拭いていたミラが考えることは一つ。ようやく認めてしまった想いのことだ。
レオンは軽く笑いながら歩み寄ってくる。その笑みと距離の近さに、ミラはふとあることを思い出した。
この人は、まっすぐで、隠さなくて、遠慮もしない。自分に向けられる視線が、どういう意味なのかも、ミラはちゃんと知っている。
今までは、深く考えないようにしていた。でも。
今は、もう。誤魔化したままにしてはいけない気がした。
「レオン」
「ん?」
「少し、いい?」
ミラの声が、いつもより少しだけ真面目だった。レオンの眉がわずかに動く。
「……どうした?」
「今まで」
ミラは視線を落とした。言葉を選びながら、ゆっくり口を開く。
「あなたが私に向けてくれていた気持ちは、ずっと分かってた。それなのに、気づかないふりをしてたの」
まっすぐに届けてくれた言葉を、ひとつひとつ思い出しながら。レオンが、静かに赤い瞳を瞬きする。
「だから」
ミラは顔を上げる。その瞬間だった。
ミラの真剣な声色だけで、レオンには悟れてしまった。これは返事ではなく断るための話だ、と。
「待て待て待て待て」
レオンが両手を上げた。あまりにも突然の反応に、ミラは言葉を止める。
「ちょっと待って」
レオンが短い髪の毛をかきあげて、大きく息を吐いた。いつになく真剣な表情に見える。
「……どうしたの?」
「早いだろ」
「早い?」
レオンはまた、深くため息をついた。
ミラの言いたいことはなんとなく伝わった。そして、これから自分は振られることも。
「俺、まだ何もしてないんだけど」
レオンの声は焦りに満ちていた。ミラは一瞬、言葉に詰まる。
「いや、してくれたよ」
レオンは沢山、好意を示してくれていたはずだ。そこで気づかないふりをして逃げていたのはミラだ。
「まだ何も言ってないし、何も始まってないのに、いきなり振られるのきついんだけど」
レオンにとって、今までのやり取りはせいぜい様子見だ。本気で口説いたつもりなど、一度もない。
ミラは完全に言葉を失ってしまった。レオンは困ったように頭をかく。
「気持ちがバレてるのは分かってる。まぁ、伝えてたし。けど、本気じゃないっていうか…まだ攻めきれてないっていうか…」
まだ気持ちの半分以上も出し切っていない。その状況で止めを刺される気分だ。
「当て馬にも、もう少し猶予あるだろ普通」
レオンは大きく肩を落とす。振られることは分かっている。だが、諦めの悪さだけは昔から誰にも負けない。ここでも、往生際悪く泥臭くあがかせてもらう。
「───」
ミラは言葉に迷って、何も見つからなかった。何を言っても、レオンを傷つけてしまいそうで。それでも、レオンはミラをまっすぐ見つめた。
「だからさ」
レオンはほんの少しだけ笑った。
「振るのは、俺がちゃんと告白してからにしてくれ」
まぁ、告白は当分するつもりはないけど。レオンは言葉を飲み込む。
告白してしまえば、返事など分かり切っている。ミラが断る準備をしたということは、彼女に『特別』な存在ができたということだ。残されたわずかな可能性に賭けて、自分の本気をミラにぶつける。騎士として、悔いのないように。
「だから、耐えてくれよ?ミラ」
俺の好きな彼女なら、きっと受け止めようとするはずだ。だからこそ、その優しさに甘える。ずるいと分かっていても、彼女が好きだから。
「…なにを?」
「俺の猛アタック」
赤い瞳を片方閉じて、レオンは渾身のかっこつけで、ミラにそう言い放った。
***
朝の廊下は、すでに慌ただしい。
メイド達が行き交う中、ヴィオラの部屋の前に立っていたミラは、今日の仕事の段取りを頭の中で整理していた。扉を開いて、ヴィオラと目が合ったその時だった。
「ミラ!」
やけに元気な声が廊下に響く。振り向くまでもなく、誰か分かった。猛アタックすると宣言した、レオン・フレイザーだ。扉の前に立つヴィオラへ敬礼する。
「どうしたの、レオン」
ヴィオラが楽しそうに首を傾げる。
「お伝えしたいことがあります」
そう言ったレオンの顔は真剣で、ミラはまずいと思った。でもそれを口に出す前に、レオンが先に口を開いていて。
「ミラを俺に惚れさせます。」
一瞬で廊下の空気が凍った。廊下を歩いていたメイド達は思わず足を止める。やっぱり、という顔でミラは小さく息をついた。
「……え?」
ヴィオラの薄水色の目が丸くなる。廊下にいた従者達のざわめきが広がった。ミラは固まるしかなかった。
「だから、これから頑張ります」
「……レオン、何言ってるの」
平然と言うレオンに、ミラの声が低く重なる。
「宣言してる、逃げられないように」
にっと歯を出して笑うレオンは悪いと思っていないようだ。ヴィオラがくすっと笑う。
「ふふ……本当に人気者ね、ミラ。」
ヴィオラは楽しそうにミラとレオンを見る。そのとき。レオンがひょいとミラの横に立った。
「ミラ、今日も可愛いな!」
大きな声は廊下に響き渡った。
廊下の若いメイドたちが思わず顔を見合わせる。レオンがミラに好意を寄せていることは皆が知っていた。それでも、こんなふうに堂々と口にしたのは初めてだった。
「……っ」
ミラの顔が反射的に赤くなると、レオンは満足そうに笑った。
その言葉は、はっきりと廊下に響き、近くの執事室まで届いていた。ルーイの手の中にあったペン先が、帳簿の端で止まる。
その瞬間。ペン先が、ぱきりと折れた。折れた金属の先端が、帳簿の上に転がった。ルーイは数秒、それを見つめ、そして静かに息を吐いた。
——くそ。
自分でも驚くほど、感情が表に出かけていた。『執事』でいなければならない、目立つわけにはいかない。それでも、ペンを机の端に置きルーイは立ち上がる。廊下へ出ると、ちょうどミラとレオンが並んで立っていた。
「ミラ」
声をかけると、ミラが振り向く。ルーイの表情は、いつもと何も変わらないように見えたが、歩幅は大きく見えた。
「今日は帳簿整理の日だ、忙しいから早く動きなさい」
「え……?」
「それから客室の点検もある、恋愛に腑抜けている暇はないよ」
レオンなど見向きもせず淡々と続けるその声は低く、周囲の空気が少しだけ張り詰めた。ミラが眉を寄せる。
それだけを言い残し、ルーイはすぐに背を向ける。廊下の奥へ歩きながら、背後の会話はもう聞こえないふりをした。
「なんだ、あの態度…」
「レオン、業務に戻って」
「また会いに来るからな」
ミラではなく、ヴィオラの頬が興奮で赤く色づいた。ミラはすでにメイドの顔に戻っていた。
ミラの部屋の窓が、静かに開いた。黒い影が音もなく室内へ滑り込む。怪盗リアムはいつものように、軽やかに窓枠に腰をかけた。
「こんばんは、人気者の名探偵……随分賑やかな一日だったな?」
机の上に小さな青い想晶を置く。その声は、いつもと同じ調子のはずだった。ミラはちらりと彼を見る。
「今日は早いのね」
ミラはふと笑った。日中は話す隙を与えないほど、帳簿整理と客室の点検以外にも業務を指示してきたのに、その顔とはまるで別人に見える。
「何?あの騎士と約束でもあった?」
ミラの手が止まる。リアムは足を組み、楽しそうに首を傾けた。
「約束なんてない」
「屋敷中で噂だろ?今日も可愛いな!ってやつ」
屋敷中では、その話でもちきりだった。「やっぱり本気だったんだ」と。
レオンの声を思い出しただけで、頬が熱くなる。それを見て、リアムの眉が少し上がった。
「満更でもない顔しちゃって」
「してない」
ミラは机の前に立ったまま、腕を組んで彼を見上げる。
「て言うか、何?あいつ急に」
レオンは今までだって好意は隠していなかった。でも、こんな堂々と口にする人ではなかった。
「猛アタックするみたい」
ミラは少しだけ視線を逸らした。
「それは見れば分かる。それより、ずいぶん他人事じゃね?」
「頭が追いついてないだけ」
ミラは明らかに困惑した表情を浮かべている。レオンの言葉を受け止めきれず、まだ現実味がなかった。
「で、なんでそうなった?」
ミラは一瞬だけ言葉を止める。
リアムのことを好きになったから、レオンの気持ちを断ろうとした。でもレオンは、まだ告白していないし、ミラも動けない状況。簡潔にまとめるとそうだが、そのことはリアムには話せない。
「……なんでだろう」
小さな呟きに、リアムは大きくため息をついた。
「はぁ。人気者は辛いね?」
ミラがじろりと睨むのは、目の前の男に言われたくなかったからだ。
「人気者はあなたでしょ、執事ルーイ・フィントさん」
カロラの眩しい笑みと、メイド達の黄色い歓声を思い出しながらミラは悪態をついた。リアムは肩を揺らして笑う。
「ミラには負けるよ」
「意味が分からない」
リアムは肩をすくめて笑った。それからは、この話題から逃げるように、想晶の記憶へと話は移り変わっていった。
***
屋敷の裏手には、エレイン騎士団の訓練場がある。
踏み固められた土の広場に、木剣がぶつかる乾いた音が響いていた。掛け声と、足音と、風を切る音。屋敷の静かな廊下とはまるで違う空気だ。
ミラはその横をなるべく目立たないように、通り過ぎようとしていた。どうしてもこの横を通らなければ、倉庫に辿り着けない。だが、
「ミラ!」
聞き覚えのある声が、広場の中央から飛んできた。ミラは思わず足を止める。声の方を向くと、案の定レオンだった。休憩中に見えるが、ミラに手を振っている。
「……仕事中」
「知ってる」
レオンはにっと笑う。その途端、周囲の騎士たちの視線がミラへ集まった。
「また話しかけてる、副団長」
「ミラさんだ」
「副団長の好きな子」
ざわざわと騎士たちが騒ぎ始め、ミラが困ったように眉間に皺を寄せる。レオンはすぐに立ち上がった。
「黙って素振りしてろー」
副団長であるレオンの指示通り、騎士たちはミラから視線を外した。レオンはミラに近づいてくる。
「困らせてごめん。でも、そんなに表情豊かだった?」
「レオンのせい」
「はいはい、そうやって意識してくれ」
俺だけのことを考えて、俺だけを意識して、俺だけで困ってほしい。けれど、レオンの頭に過るのは黒い執事の姿。ミラがその執事を好きになったとは断定できないが、彼はきっと、ミラのことを。
街での、執事との言い合いを思い出してレオンは首を横に振った。
「ミラ、見てて」
「何を?」
レオンは答えず、代わりに近くにいた一人の騎士に木剣を投げた。
「一本」
「休憩中じゃないんですか?」
「いいから」
木剣を受け取った騎士とミラの目が合う。そこで彼は感づいてしまった。
「かっこつけたいんでしょ、副団長」
「そうだから、言うなよ」
レオンの堂々とした答えに、ミラの心臓が大きく跳ねた。好意を向けられるたび、胸が高鳴る。それと同じくらい、申し訳なさも募っていく。
騎士たちが面白そうにざわめく。
「やれやれー!」
「負けんなよー!」
「副団長に恥をかかせてやれー!」
土の上で二人が向き合った。ミラは固唾をのむ。
構えたあと、一瞬の静寂。
「はじめ!」
誰かの合図で、木剣が風を切った。鋭いレオンの踏み込みのあと、激しい音が鳴る。
打ち込み、受け、引いて、打ち込む。ミラは思わず目で追っていた。屋敷で見るレオンとは違う、騎士の顔だ。
数合打ち合った末、レオンの一撃が相手の木剣を押し切った。ぱしん、と乾いた音がして、相手の木剣が弾かれ地面に落ちた。
周囲から太い声が上がるが、レオンの目はミラを真っすぐ見据えていた。
「はや!!」
「レオンさんすげー!」
「流石に強いなぁ」
圧倒的に、一瞬での決着。ミラはただ茫然と、レオンの赤色の瞳を見つめ返すしかない。レオンが走ってくる、汗一つかいていないようだった。
「どう?惚れた?」
ミラは少しだけ間を置いた。
「……すごかった」
ミラの正直な感想に、レオンの顔がほのかに赤く染まり、ぱっと明るくなる。だってミラの顔を見れば分かった。声はいつも通り淡々としている。それでも、その表情だけで「かっこよかった」と伝わってきた。
「だろ?ミラの前だから、負けない」
レオンの言葉に、騎士たちが一斉に笑う。
「堂々すぎでしょ!」
「隠す気ゼロじゃないですか!」
ミラは思わず顔を押さえた。顔が、熱くてたまらない。
「やめて」
「何を?」
「そういうこと言うの」
レオンは少し首を傾げるが、目の前のミラの手を引き剝がしたくて仕方がない。照れた可愛い顔を拝みたい。
レオンは数秒ミラを見つめたまま迷ったが、手に触れるのは止めた。ミラはきっと本気で怒ってしまうだろう。無意識に、ふっと笑った。
「可愛い」
「黙って」
「無理だって、可愛いし」
「こっちが無理です」
騎士たちがまた呆れたように笑う。ミラは逃げるように廊下を走って行った。
レオンのミラへの想いは、日に日に募るばかりだった。




