19 怪盗と特別
「ルーイさん、最近カロラとよく話してますね」
後ろを歩くメイドたちの会話が耳に入る。同じ方向へ向かっている以上、聞かないふりもできない。
「確かにそうね。ルーイさん、最近人気だから」
「なんだかお似合いですよね」
ルーイが笑うことが増えたという噂は、ミラも知っていた。ただ、今引っかかるのは『お似合い』という言葉だった。胸の奥に、ひっかき傷のような感覚が走る。
合理的に考えれば当然だ。カロラは想晶を視られる。しかも、感情に引っ張られない。怪盗リアム・ノワールにとって、自分より適任なのだから。
ルーイとしてカロラに声をかける姿を、屋敷で見かけることが増えた。探している記憶があるから、とだけ説明し、怪盗だという真実は伏せたままだ。休憩時間や空いた時間にカロラの元を訪れることが増え、周囲の噂は絶えなかった。
それでも、リアムはミラの元へ通うのをやめなかった。必ず、夜になれば窓から怪盗の姿で現れる。想晶は手に持っておらず、それが不思議でたまらない。
来ない夜を想像すると、胸の奥が落ち着かなくなる自分がいる。そして同時に、怪盗リアムの姿を見て安堵していることにも、ミラは気づいていた。
「今日も来るんだ」
無意識に零れた言葉に、リアムは片眉を上げる。安堵から漏れた言葉だったが、リアムには違う意味で届いてしまったらしい。
「来ちゃだめだった?」
リアムがミラの元へ通う理由は、もう一つしかない。だが、それを彼女に伝えるつもりはない。
「そういう意味じゃない」
「俺が来て、安心した?」
いつものように軽い調子で。リアムにとっては冗談のつもりだったが、図星だった。ミラは一瞬、言葉に詰まる。
「……合理的に考えて、私も必要だからでしょ?」
「へぇ」
素直になれない自分に嫌気が差す。ミラの低い声に、リアムはくつくつと笑った。
「そういうことに、してあげる」
リアムもまた、不安を抱えていた。カロラに協力を仰ぐべきだとミラが言ったときはぐらかしたが、リアムにとっても不安はあった。カロラが現れ、彼女に協力を仰ごうと告げられた時。ミラは協力したくないと言うのかと思っていた。それでも、ミラは怪盗リアムを受け入れた。口角が上がってしまうのは自然のことだろう。
今宵もリアムは、怪盗であることを口実に、ミラとのひとときを楽しんでいた。
***
集合場所は書庫だと伝えられて以来、カロラは何度かここを訪れていた。彼女は小さな想晶を、両手でそっと包み込み、目を閉じた。
想晶を視る時の感覚は、絵画を鑑賞するのに近い。音や匂いが分からないが、生まれた時の想い手の気持ちや背景が、なんとなく伝わってくる。
「……男の子がいます」
「どんな?」
カロラは説明が苦手だ。それを補うように、ルーイは問いを重ねる。その声は穏やかで、聞いているだけで不思議と安心した。
「黒髪で……」
その瞬間、ルーイの瞳がわずかに細められ気づけば、身を乗り出していた。目を閉じるカロラは気づいていない。
「黒髪?」
今まで聞いたことのない声音だった。カロラは思わず目を開きかけ、また閉じる。
「はい、黒髪です。勉強を教わっている……ように見えます」
「目の色は?」
即座に問いが重なった。いつものような、言葉に詰まるカロラを待つ余裕はない。
「本人の目は視えません。窓に映った髪の毛が視えて……」
「状況は?他に誰がいる?」
「家庭教師のような人だけです」
「見た目は?」
畳みかけるような質問に、カロラはわずかに目を開いた。目の前にいる人物が、本当にルーイ・フィントなのか分からなくなる。
(誰……?)
鋭い金色の目つき。その瞳から逃れるように、固くまた閉じた。
「大丈夫か?」
「あ、いえ……家庭教師は女性で……白髪に見えます」
「場所は?」
「古い造りの、書庫のような場所です。天井は低くて……怒られているような……あ、見えました!瞳の色は緑です、鏡がありました」
その瞬間、ふっと空気が緩む感覚がして、カロラの肩の力が抜けていく。無意識のうちに初めて見るルーイに驚いていたのだろう。
「なーんだ、俺じゃないのか」
ルーイの素の声が、ぽろりと零れた。カロラの橙色の瞳が、わずかに見開く。
「……ルーイさん」
「どうした?」
「今のが、本当のルーイさんですか?」
「あ……いや、たまたまだ」
完璧にシグヴァルトのような執事を演じていたはずなのに、怪盗リアムのときだけ、ミラの前だけで見せる軽い口調。それが、思わぬ形で漏れてしまった。
「さっきの方がいいです!いつものルーイさんは硬い感じがして、少し接しにくいです」
橙色の瞳が、まるで想晶のように輝いてルーイは身を引いて、呆れたように笑った。
「素直に言い過ぎてない?」
「それです!その口調のほうがいいです!」
満面の笑みを向けられ、ルーイは思わずため息をつく。まさか、新入りのメイドに見抜かれるとは思ってもみなかった。
素の部分は見られてしまったが、まさか怪盗だとは思わないだろう。ルーイはもうカロラの前で取り繕わないように決めた。
「そういえば……探しているんですよね?自分の記憶」
ルーイの目が、ゆっくり細くなる。
「そう見えた?」
「黒髪って言った瞬間、すごく必死でしたので」
数秒の沈黙のあと、ルーイは観念してくつりと笑う。
ここまで言ってしまった方が、探しやすい気がした。カロラが率先してルーイが想晶を渡す前に視てくれるかもしれない。
「誰にも言うなよ?」
口元に人差し指を立てる仕草が、妙に絵になって、カロラの頬がじわりと赤く染まった。
「ルーイさんが最近モテてる理由が、今分かりましたー」
「モテてるの、俺」
「はい!私が来た時から噂されてましたよ!それに……ルーイさんって、優しいですよね」
「優しい?」
目的のためにカロラを利用している、どこが。
「だって、ちゃんと最後まで話を聞いてくれるし、否定しないし」
この書庫で数回、想晶を視たが、一度も拙い説明を笑われたことはない。曖昧な言葉にうんざりされることは、これまで何度もあったのに。
「私、説明とか苦手で、話してるとこう…ぐちゃぐちゃになっちゃって」
「カロラが素直だから、俺も素直になるけど。それは、否定したらもう視てくれなくなるだろ?貴重な戦力は、大事に扱う主義だからさ」
ルーイはにやり、と笑う。今までの優しさが偽物だったのだと、正直すぎるルーイにカロラはくすっと笑った。
「戦力、ですか!」
「不満?」
「いえ。頼られているってことですよね?」
「ははっ、好きに解釈して」
前向きなカロラが面白くてルーイは思わず素で笑ってしまった。書庫の静けさの中で、二人の声だけがやわらかく響いていた。
書庫の扉が、静かに開く。先に廊下へ姿を現したのはカロラだった。想晶を両手で抱えたまま振り返る。
「次はもう少し、うまく話せる気がします!」
「うまくなくても、否定しないって言ったでしょ」
そのすぐ後ろから、ルーイが続いて出てきた。その瞬間、廊下の角を曲がってきたミラと視線がぶつかる。三人の間に、ほんのわずかな静寂が落ちた。
「あ! ミラさん!」
カロラがぱっと明るく笑う。
「今、ルーイさんと想晶を視てたんです!」
「そう」
ミラの声は平坦だったが、どうしても胸がきゅうっと苦しい。
「ルーイさんの素顔が見れた気がします!」
「よかったわね」
軽く返すミラに、カロラは表情を変えない。ルーイは壁にもたれたまま、こちらを見ていた。
「あと、すごかったんですよ!」
「すごい?」
「はい! 私が言葉に詰まっても、すぐに状況を整理してくださるんです。視えたところをちゃんと意味にしてくれるというか…なんて言っていいか分からないですけど……こんな人、今までいませんでした! 私にとって、特別です」
「そうなの……」
橙色の、きらきらとした瞳がミラを見つめる。彼女がどんな答えを求めているのか分からない。ただ、素直に今起きた出来事を伝えたいだけなのだろう。
その瞳が眩しくて、ミラは目を細める。
「頼りになるなぁって! こういう人が上司だと、安心しますよね」
その単語に、胸の奥がわずかに軋むのがわかった。
「それに、優しいんです! 視えすぎて疲れてないかって、ちゃんと気にしてくださって」
ミラの喉が小さく鳴った。
自分も、言われたことがある。あの夜の声が、ふと蘇る。そして、じわりと苛立ちが生まれた。体調を気遣う言葉なんて、誰にでも言うのだと。
「私、もっと役に立てるようになりたいです。ルーイさんの力になれたら嬉しいなって!」
その言葉が、胸の奥に小さな棘のように刺さる。
自分は、どうだろう。協力したいと思った理由は、彼の記憶に興味があったから。
ただ、それだけのはずだった。
なのに。胸のざらつきが、はっきりと形を持ちはじめる。
これは。最善という効率の問題じゃない、合理性でもない。
静かに。気づいてしまった。
ルーイが、リアムが、他の誰かに『特別』と呼ばれることが、気に入らないのだと。
「はい、もう止め。ミラが困ってる」
様子を見ていたルーイが、カロラの頭に手を置く。
「え、その口調……ミラさんも知ってるんですか?」
ミラは呼ばれて、はっとする。カロラの頭に置かれた手から、視線を外せなかった。
「知ってるのは、ミラとお前だけだ。」
「そうなんですか……少し残念です。でも、どうしてミラさんが?」
「私が──」
──視える人だから。
そう言ってしまえば、カロラと立場は変わらない気がする。執事ルーイ・フィントの正体を知っているから、それは絶対に言えない。
「ミラは、俺の特別だから」
カロラの橙色の瞳が大きく開き、言葉を失ったまま固まる。ミラもまた、呆然と立ち尽くしていた。
彼は、あまりにも平然とそう言った。怪盗リアムだと知る、リアムにとっては違う意味でも『特別』な存在。
リアムにとって深い意味などないのだろう、ミラはそう思おうとした。カロラに『特別』だと言われたから、ならば自分にも特別がいると示した、それだけの軽口に過ぎないはず。
いつものように、余裕のある声音で、冗談めかして。けれど、そのたった一言で、胸の奥に張りついていた重たい霧が、すっと晴れてしまった。
晴れてしまったということは、自分はずっと、もやもやとした何かに覆われていたのだ。
カロラの言葉に刺さった小さな棘。『特別』という響きに、胸がざらついた理由。
それが、ようやく、形になる。
明らかな嫉妬心。自分の中に芽生えてしまった、独占したいという感情。リアムが、他の誰かにとって『特別』になることが、気に入らなかった。
ただ、それだけ。
ただ、それだけのことだったのだと、遅れて理解する。
そして理解した瞬間、逃げ場はなくなった。自分は、彼を『特別』だと思っている。それを、認めてしまったのだから。
その時、カロラはゆっくりとミラを見る。何かを確かめるように。そして、ふっと小さく笑った。
「じゃあ、私はもう行きますね!まだ仕事が残っているので」
カロラが去り、廊下にはミラとルーイだけが残る。さっきまでなら、軽口の一つでも返せたはずなのに。気づいてしまった今、うまく言葉が出てこない。
リアムは、いつものように壁から体を離し、ミラの方へ一歩近づく。
「なんだよ、その顔」
「……別に」
視線を合わせられない。いつもなら、睨み返せたはずなのに、下を向いた。
あの一言が、胸の奥で何度も反響している。それは、軽口で、牽制で、ただの言葉。そう理解しているのに。理解しているのに、嬉しかったし悔しい。
リアムが、さらに距離を詰める。
「あ、特別って言われて照れてる?」
「───」
ミラは大きく息を飲み込んだ。赤くなった顔を、ルーイには絶対に見せられない。
「今日、なんか変じゃない?」
「変じゃない」
「じゃあ、なんで目逸らしてんの?」
「……近いから」
「いつもこの距離でしょ」
違う。近づかれたら、隠せなくなるから。
顔を覗き込もうか迷ったが、止めたリアムは一瞬だけ真顔になる。
「……俺、なんかしたっけ?」
その言い方が、ずるいと思った。ルーイは何もしていない。勝手に嫉妬して、勝手に自覚して、勝手にぎこちなくなっているだけ。
「してない」
小さく答え、ミラは意を決して顔をあげた。赤く染まる頬は、ルーイには怒っているように見えた。そして、ふっと笑う。
「からかって悪かった」
その軽さに、救われるようで、余計に胸がざわつく。
彼を好きになってしまった自分が、もう、元には戻れない気がして。




