18 怪盗と新顔
「見事だった、ミラ。流石だ」
シグヴァルトの言葉に、ミラの灰色の瞳が大きく開いた。
「なぜ驚く?」
「……申し訳ございません。シグヴァルトさんが褒めてくださるとは思わず……」
「ああ、珍しいことだからな」
ヴィオラの部屋を出て、二人は廊下を並んで歩く。
不意にミラは足を止めた。シグヴァルトが、ほんのわずかに笑ったからだ。
「……どうやら、エレイン家に勤める執事は、笑わないと思われているらしい」
眼鏡を押し上げながら、シグヴァルトは再び口元を緩める。ミラは驚きのあまり声が出なかった。少なくともミラの知る限り、シグヴァルトが笑みを見せたことなど一度もない。
「……ええ、本当に。私も、シグヴァルトさんの笑顔を拝見するのは初めてです」
呆れたようなシグヴァルトの声に、廊下の先に立っていたルーイが続けた。
「ルーイ。君の笑う顔も、私は初めて見たがな。ただ、執事というものは基本的に感情を表へ出さぬ職だ。必要以上に笑えば、軽く見られる」
ルーイも以前は、笑わない男だと従者たちの間で囁かれていた。最近は表情が柔らかくなったと言われるようになったが、それはミラの存在が大きい。
エレイン邸へ潜入して以来、ルーイは執事としての手本をシグヴァルトとしてきた。彼のように振る舞えば、怪しまれることなく怪盗を続けられるからだ。
「……そうですね。私も、そのように教わってきました」
ルーイが静かに頷くと、シグヴァルトは表情を変えぬまま呟く。
「それで、無愛想な執事という噂が出来上がる、と」
「それは光栄ですね」
皮肉とも取れる返答に、シグヴァルトはふっと鼻で笑った。
――似ているな、とミラは心の中だけで思う。口にすれば、二人から冷たい視線を向けられるに違いない。
「だが、今日の推理は確かに見事だった」
「……ありがとうございます」
ルーイの言葉に、ミラは少し照れたように微笑んだ。
***
執事二人と別れたミラは、ヴィオラの様子を見に部屋へ向かった。扉の前には見張りの騎士が二人立っており、そのうちの一人がレオン・フレイザーだった。
「お、噂の名探偵だ」
ミラはぴたりと足を止め、背の高い彼を少し睨むように見上げた。
「……からかわないで」
「からかってないって。でも噂になってる、髪の毛一本で犯人特定した名探偵って」
「噂は早いわね」
ミラの活躍はすでに屋敷中に広まっており、その話題は絶えなかった。
淡々と返すミラに、レオンは楽しそうに笑った。
「すごいよな、ミラは」
「……本当に、たまたまだから」
「そういうところなんだよ」
レオンはぽり、と頬をかいた。ミラは、彼の言葉の続きを待つ。
「そういうたまたまを積み重ねて、気づいたら誰かを助けてるのが、ミラだ」
ミラは一瞬、言葉に詰まる。レオンがそんなふうに自分を見ていたなんて。
「……私、別に、」
──全員を助けたいと思うほど、お人好しじゃない。
その言葉は飲み込んだ。ただ、父は違った。誰も見捨てられない人だった。
そんな父の背中を見て育ったせいか、気づけば体が動いてしまう。父のようになりたいと思ったことはない。それでも。
「……助けになってた?」
「俺も救われた一人なだけだ。別に褒められたいわけでも、評価されたいわけでもないだろ?」
図星だった。ミラはレオンの赤い瞳を見つめたまま、何も言わない。
「誰も見てなくても、誰も気づかなくても、ミラは手を差し伸べてる」
レオンは照れ隠しのように笑う。
地道な努力を重ねている彼女が、評価など求めない彼女が、眩しくて目で追って、そして、好きになった。
「……そんなに褒めても何も出ないよ」
「そっか。あわよくば好きになってもらおうかなって」
レオンの反対側に立つ騎士の肩が、驚きでびくりと跳ねた。聞いていないふりをしていたが、まさかここで、言うなんてという顔をしている。レオンはその騎士の顔を見て見ぬふりをした。
あまりにもストレートすぎる言葉に、ミラはいつも戸惑って固まってしまう。
「あー、ごめん。困らせたいわけじゃなくて……つい言っちまうんだよ」
そう言ってから、レオンはにっと歯を見せて笑った。
「ま、名探偵さん。俺のこと、もうちょっと意識してくれ」
その笑顔に、ミラの頬の熱がじわりと上がる。
昼間、ヴィオラに言われた言葉を思い出した。レオンを意識してみる、なんて。
意識をし始めてからも、以前からも、レオンの明るい笑顔が眩しくて仕方がない。こんな風に笑うことは自分に出来ないから。
「わかりました」
ミラは逃げるようにヴィオラの部屋へ入った。
その後、ニヤニヤと笑ったヴィオラがミラを出迎えた。扉のすぐそばで聞き耳を立てていたようだ。
***
メイドが一人、屋敷を去ってから間もなく、新たなメイドが就任した。
領民に募集をかけ、厳重な審査の末に選ばれた者だ。主に問われるのは、エレイン伯爵家への忠誠心と、極端に貧窮していないかどうか。先日の事件のように、金銭に困って盗みを働かれては困る。
そのメイドは、ヴィオラの部屋の扉を軽やかにノックした。
「ヴィオラお嬢様、初めまして!カロラ・グレインと申します。本日よりお仕えいたします、よろしくお願いします!」
明るい笑顔を向けながら、深く頭を下げた新しいメイドのカロラ。 茶色の髪を高い位置で束ねたポニーテール。橙色の瞳は、陽の光を閉じ込めたように輝いている。
ヴィオラと、その場にいたミラは、穏やかに彼女を迎え入れた。
「初めまして、カロラ。今日からよろしくね」
「お嬢様は想晶がお好きなのですね!」
ヴィオラの身につけている青色の想晶のアクセサリーに目を輝かせながら、カロラは無邪気に尋ねる。 ヴィオラはアメシストに指先で触れ、そっと微笑んだ。
「ええ。青色が好きで、よく集めているの」
「わあ、素敵です!」
うっとりとした表情で、カロラは青い輝きを見つめる。そして。
「────私、視えるんですよ」
その声音は、あまりにも自然でミラは思わず聞き逃すところだった。ヴィオラはこてんと首を傾げる。
「視える?」
「想晶の生まれた時の記憶です」
ミラの手にあったティーカップが、かすかに揺れた。落としそうになるのを、辛うじて指先で支える。
カロラは、日常会話をするように軽く、その能力を明かした。ミラがずっと、ヴィオラに言えなかったことだ。
「……そんな話、信じられると思う?」
ヴィオラは驚いたように笑う。『視る』力は、目に見えないエネルギーや直感の類と同じ扱いを受ける。世間には浸透していないし、証明もされていない。ミラはこのヴィオラの反応に怯え、言えなかった。特にあのアメシストを視てしまったから。
だが、カロラは笑顔を崩さなかった。
「想晶に触れれば、生まれた瞬間の記憶がバーッて頭に流れ込んでくるんです!信じがたいですよね。でも、本当なんですよ?」
あまりにも、言い方が軽くてミラはヴィオラの顔から目をそらせない。彼女は驚きというより好奇心が勝っているようだった。
「……じゃあ、このアメシストを視てもらえる?当たったら信じるわ」
ヴィオラは右手の薬指からリングを外した。ミラは思わず一歩踏み出しかけ、止まる。
アメシストの記憶がヴィオラのものではなく、シリルのものであることを知るのは、偶然それを視てしまった自分だけだ。止めることは不自然だが、喉まで「待って」が込み上げる。
「承知しました!」
カロラは躊躇なく近づき、リングを受け取る。それを、ミラはただ見つめることしかできなかった。
「どう? 記憶は視えた?」
アメシストを手のひらに乗せたまま微動だにしないカロラの橙色の瞳を、ヴィオラは覗き込んだ。
その反応に、ミラはいち早く気づいてしまった。カロラが、『視える』人間だというのは事実なのだと。
「お嬢様……これは、お嬢様に関する記憶ですね?私は声までは聞こえないのですが……お嬢様は泣いていました。男の人が去って行って───」
ヴィオラの美しい薄水色の瞳が、大きく開く。分かるはずがない。そう思い込んでいたヴィオラは、カロラの言葉によって、その能力を信じざるを得なくなった。
カロラの能力が、声の聞こえないものでよかった。これがシリルの記憶だということがバレてしまうからだ。
そして、これ以上ヴィオラにシリルのことを思い出させるわけにはいかなかった。
「──お嬢様、そろそろ先生がいらっしゃる時間ではありませんか?」
ミラがそれを遮った。もう少し話を聞きたかったのか、ヴィオラは名残惜しそうな表情を浮かべながらも、素直に立ち上がる。
「カロラ、また後で続きを話しましょう」
想晶の話題に心を奪われているヴィオラに、カロラはにこりと笑った。
「ミラは、カロラのこと信じる?」
廊下を歩きながら、ヴィオラが問いかける。揺れる銀髪をミラは見つめながら、言葉に迷った。信じるも何も、自分もまた同じ能力を持っている。だが、それを打ち明けることは今さらできない。
「……信じます。」
「そうよね! びっくりしてしまったわ。私の想晶のこと、カロラには何も話していないのに。本当に視える人がいるのね」
あのとき、アメシストの記憶を視てしまったとき。抱きしめた理由を尋ねられても、ミラは『視てしまった』とは言わなかった。今さら伝えても、どうしてあの時言わなかったのかと問われるだけだ。ミラは、黙ったままでいることを選ぶ。
カロラの能力は、瞬く間に屋敷中で話題になった。元メイドの窃盗事件など、もう忘れ去られていた。 彼女が廊下を歩けば、従者たちに呼び止められ、笑顔を向ける。
そして、ミラの能力を唯一知るルーイ──否、怪盗リアムは、カロラの力を疑わなかった。
「なかなか見つけられなかった、能力を持つ人間がこんなに集まるなんて」
リアムはそう呟いていた。私と同じように利用するつもりだろうか、ミラはそんな疑問を抱く。感情に同調しやすい自分には、リアムは一夜に一つしか想晶を視せない。それでも、毎晩のように窓から現れる。
だが、カロラがいれば、より効率よく、リアムの探している記憶へ辿り着けるかもしれない。それで、いいはずだ。協力したいとは思っている。だが、自分よりもカロラの方が適しているのなら、そちらを選ぶべきだ。
──そう思ったから。
「カロラにも、協力を仰ぐべきだと思う」
自分から、リアムにそう告げた。
ヴィオラの想晶を一つ盗んできたリアムは、今宵もミラの自室を窓から訪れていた。窓辺に腰掛けたリアムは、盗んできた想晶を指先で転がしながら、片眉を上げた。
「へぇ。自分からライバルを増やすタイプ?」
シルクハットでリアムの表情は読めないが、声は低いように感じた。
「ライバルって何?効率の問題」
「効率ねー」
不機嫌かと思いきや、くつくつと喉の奥で怪盗は笑う。見えた表情はどこか楽しそうで、ミラの胸の奥がざわついた。
「あなたの目的は記憶でしょ。なら最短を選ぶべきだと思って」
ほんの少しだけ間があり、リアムが口を開く。
「さすがだな、名探偵。じゃあ明日からカロラにお願いしてみるか」
あまりにあっさりした返答だったが、分かりきっていたことだ。それなのに胸の奥が、ほんの少しだけざわつくのは、彼の記憶に興味があったからだと思い込む。見届けられなくて、残念なだけだ。
「それが最善ね」
「言ったな?」
「うん」
ミラの返答にリアムがにやりと笑う。
「即答かー、つまんねぇの」
いつも通りの軽い声だった。リアムは窓際から降り立つと、シルクハットを抑えながら優雅に礼をしてみせる。
「じゃあ今日は最後のご指名ってことで」
「……最後のご指名、ありがとう」
ミラの皮肉ともとれる返事を聞き終わると、リアムはいつものように盗んできた想晶を手渡す。胸の奥をかすめるざわつきに、自分でも苦笑した。もちろん、記憶に集中したミラがそれに気づくことはない。




