16 怪盗と騎士
エレイン伯爵家では、冬支度が始まっていた。空気は日に日に冷たさを増し、屋敷の中にも冬の気配が忍び寄っている。暖炉の準備や衣替えに追われ、使用人たちの動きはどこか慌ただしい。
そんな中、ヴィオラがミラに、買い出しへ同行したいと申し出た。ミラは眉を下げる。冷えは真っ先に彼女の身体に障ると分かっていたからだ。
「本格的に寒くなる前に、街へ出たいの。お願い、ミラ」
想晶のように澄んだヴィオラの瞳で見つめられると、ミラは思わず言葉に詰まる。エレイン領は冬でも比較的温暖な地域だが、雪は降るし、暖炉の火も欠かせない。
「しかし……」
「最近は体調もいいし、医者にも身体を動かした方がいいと言われたわ」
「……分かりました。ただし、少しでも体調に変化があれば、すぐにお知らせくださいね」
ミラの返事を聞き終えるより早く、ヴィオラは立ち上がり、その場でくるりと一回転してみせた。喜びを隠そうともしないその姿が愛らしく、ミラは思わず微笑み、「かわいい」と心の中で呟く。
ミラはメイドたちに支度を指示すると、執事室へ向かった。
ノックして入室すると、机に向かうルーイと、ヴァレンティンの執事であり、『執事長』を務めるシグヴァルト・ローデンの姿があった。シグヴァルトも部屋の奥で書類に目を通している。
「ヴィオラお嬢様が、本日の買い出しに同行したいと仰せです。寒くなる前に街へ行きたいそうで、主治医からも身体を動かすよう指示があったとのことです」
「今日は快晴の予報だ。気温も上がるし、問題はないだろう」
淡々としたルーイの言葉に、ミラは静かに頷いた。
その直後、シグヴァルトが書類から視線を上げ、濃い紫色の瞳をミラへ向ける。
白髪は腰ほどまで伸ばされ、一つに結われている。隙のない立ち振る舞いで、ヴァレンティンの絶対的な信頼を得ている人物だ。
「護衛にはレオンをつけなさい。もともと街の巡回を命じている」
レオンという名を聞いた瞬間、ルーイは思わずペンを持つ手を止めた。しまった、と内心で舌打ちする。これでは成りすまし失格だ。
「……私も同行します。お嬢様の容体が急変する可能性もありますから」
苦しい言い訳だったが、シグヴァルトは特に口を挟まなかった。
「かしこまりました」
ミラは一礼し、執事室を後にした。
***
「これはどう?」
「お似合いです」
「じゃあ、こっちは?」
「こちらも、よくお似合いです」
「……ミラ」
ヴィオラがわずかに目を細める。だがミラは本心を述べているだけで、お世辞のつもりはない。青を基調としたドレスは、どれも彼女によく映えていたからだ。
ドレス店に入り、試着を始めてから数十分。ミラは「似合っている」としか言わなかった。
病弱なヴィオラがこうやって店に出向き、買い物を楽しんでいる姿は久しぶりだった。心から楽しそうに笑う彼女は、どんなドレスも一際美しく着こなして見えた。
ヴィオラは決め兼ね、ミラの横に立つルーイに視線を向けた。
「ルーイは、どちらがいいと思う?」
「流行はこちらですが……お嬢様は、先ほどからこちらばかり手に取られています。ですので、こちらがよろしいかと」
「自分でも気づいてなかったわ……」
最初から何度も手にしているドレスを、ルーイは指した。どちらも購入すればいいのにと内心は思うが、彼女は想晶以外贅沢をしなかった。ヴィオラは迷いなくそのドレスを選び、会計を済ませた。
買い物を終え、店を出る。通りにいた領民たちはヴィオラに気づくと、笑顔で手を振った。そして隣に視線を移した瞬間、娘たちの弾んだ声が聞こえてくる。
「レオン副団長よ!」
「すごい体格……素敵!」
レオンは照れくさそうに手を振った。その気さくな人柄も、彼が慕われる理由のひとつだった。
「相変わらずね、レオン」
「モテたい人には、あまりモテませんけどね」
そう言いながら、レオンは無意識にミラへと視線を向ける。目が合うと、ミラはそっと視線を逸らした。
「……そらすんだよなぁ」
「反応に困るの」
好意を向けられるたび、どう応えればいいのか分からなくなる。嫌ではない。けれど、その気持ちに応えることもできなかった。 レオンには、そんなミラが可愛くて仕方なかった。
「そういうところも──」
「──レオン副団長。酒場の前で、喧嘩が始まりそうだ」
ルーイがレオンの言葉を遮る。レオンが酒場に目を向けると、赤ら顔の男二人が睨み合っており、一人が胸倉を掴んでいて今にも殴り合いが始まりそうだった。
「お嬢様、行って参ります」
慌てて駆けていくレオンの背を見送り、ミラは小さく息を吐いた。それに気が付いたヴィオラはミラの瞳を覗き込む。
「ミラ、困ってる?」
「……どうすればいいのか分かりません」
ヴィオラの問いに、ミラは感じていたことをそのまま伝えた。
「一度、レオンのことをちゃんと意識して考えてみて。答えがきっと出るはずよ」
「分かりました、考えてみます」
意識してこなかったミラが、レオンを一人の男性として見るようになれば、二人の関係は変わるかもしれない。
ミラの視線の先には、喧嘩を止めに向かったレオンの姿があった。それを見つめるルーイの胸には、焦りだけが静かに積もっていく。
酒場の前は、すでに人だかりができていた。赤ら顔の男が二人、互いの胸ぐらを掴み合い、罵声を浴びせている。
「おい、やめろよ。こんなところで喧嘩するな」
レオンが間に入るが、酔いが回った男たちは聞く耳を持たない。
「うるせぇな、騎士は黙ってろ!こいつが、俺の酒を――」
「嘘つけ!お前が勝手にぶつかって――」
どちらの言葉も荒く、要領を得ない。酒の匂いが強く、足元も覚束ない様子だった。
「やめろって」
レオンが一人の男の腕を力を込めて掴む。男は顔を歪めながらレオンへ顔を寄せ、酒臭い息を吐きかける。思わず、レオンが眉をひそめた。
「偉そうにすんなよ!どうせ、俺を殴って終わりだろ!全部暴力で解決しやがって」
殴り合い寸前だった男たちだが、レオンはそれは口に出さなかった。
「力だけでどうにかなるなら、とっくに終わってる」
「あ?」
彼らは胸ぐらは掴み合っているものの、まだ拳は出ていない。特に被害があったわけでも、暴力沙汰になっているわけでもない。ここで力ずくで抑えれば、エレイン騎士団が反感を買うだけだ。それはレオンにも分かっている。
「──それをやったら、騎士が酔っ払いを殴ったって噂になるな」
背後から声がして、レオンは顔を向ける。そこには、黒い執事ルーイが立っていた。
「……そんなことは分かってますよ、ルーイさん」
「事実を言っただけだよ、レオン副団長」
ルーイはわざとらしく肩をすくめる。こんな男だっただろうか、とレオンは内心で首を傾げた。屋敷では物静かで、誰とも必要以上に関わろうとしない執事だったはずだ。それが、ミラのこととなると露骨に感情を見せる。――そういうことか。
「執事が、騎士団のやり方に口出ししないでほしいですね」
「解決方法に困っているようだったから」
二人の視線が、正面からぶつかる。今まで関わりの少なかった執事がここまで敵意を向けてくる理由を、レオンはすぐに察した。ちらりとミラに視線をうつし、納得する。
「焦ってるんですね、ルーイさん」
レオンの視線がミラへ向いたことに気づき、ルーイはにやりと笑う。レオンの眉間に深い皺が刻まれる。その笑みに挑発されたことを、自分でも認めざるを得なかった。なので、負けず嫌いな性分が、顔を覗かせる。レオンはルーイの耳に顔を寄せた。
「ミラが誰を目で追っているのか、気になって仕方ない顔ですね」
「……君は随分と余裕があるね」
「ありますよ。俺は正々堂々、口説いてますから」
その言葉に、ルーイの笑みがわずかに消える。奥歯を噛み締めたのは、一瞬だけだった。
「……ミラ、あの二人、仲が悪かったの?」
「話しているところを見るのは初めてです。」
ヴィオラが近づきながら、ぽつりと静かに呟いた。二人の声は届いていなかったが、睨み合っているのは見えていた。レオンはすぐに表情を戻し、
「意見が合わないだけです。」
「否定はしません。」
空気はかなり張り詰めているがその横で、酔っ払いの二人はヴィオラへと視線を向けた。街の誰もが知る、エレイン伯爵家の令嬢。
「「すみませんでした!!」」
顔を青くした男たちは、一斉に頭を下げる。ヴィオラの登場で喧嘩は収まってしまった。レオンは力を緩め、ヴィオラに向き直りその場で膝をつく。
「私が収めるべき騒ぎでした。それをお嬢様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません。」
「私が来ただけで収まったのなら、それで十分よ。」
騒ぎはあっけなく収まり、人々は何事もなかったかのように散っていった。
ルーイはヴィオラの隣へ、レオンは自然とミラの隣へ並ぶ。二人の視線が交わることは、最後までなかった。
「さ、買い出しの続きをしましょう」
ヴィオラが柔らかく笑う。その一言で、張り詰めていた空気はようやく和らいだ。
***
街から戻ると、エレイン邸はすでに夕暮れの色に染まっていた。冬に向けた買い出しの荷を下ろし、使用人たちはそれぞれの持ち場へと散っていく。
「お嬢様、お疲れでしょう。ゆっくりお休みください」
「ええ、ありがとう」
ヴィオラを部屋へ送り届けたあと、ミラは室内で繋がっている隣の衣装室へ向かった。外出用のコートを片付け、街で新調したドレスを丁寧に掛けていく。
一通り片付け終えたあと、無意識に想晶の保管棚へと視線を向ける。
──その瞬間、ミラの動きが止まった。
「……ない」
棚の中に収めていた想晶のうち、ひとつだけ消えていた。リュシアンがヴィオラに贈った『作られたサファイア』だ。
よりにもよって、あの想晶だった。他の想晶なら見落とすことはあっても、あれだけはあり得ない。どうしても目を向けてしまうのは、そこに残された記憶を思い出してしまうからだった。
朝、身支度を整えたあとには確かに揃っていた。出掛ける前にも目を通している。想晶の並びも、はっきり覚えていた。 ミラは棚をもう一度見渡し、一つずつ数え直す。床へ視線を落とし、引き出しを開け、ドレスの間まで確かめた。
それでも、サファイアだけが見つからない。
「……どうして」
一瞬、思考が真っ白になる。まさか、と胸の奥がざわついた。次に浮かんだのは、たったひとつの名前。
──怪盗リアム。
真っ先にその名が浮かぶ。だが、今日は買い出しの間、怪盗リアム――ルーイとはずっと行動を共にしていた。抜け出す隙など、あったとは思えない。それでも、胸騒ぎは収まらなかった。
「……誰かが、この部屋に入った?」
ミラは弾かれたように衣装室を飛び出した。




