11 怪盗とガーネット
ヴィオラは、ランクリフ侯爵家で開催される恒例の茶会に招待されていた。
数日間、ヴィオラの熱は続き、茶会への出席は難しいかと思われたが、当日を迎える頃には回復していた。青いドレスを纏いながらも、どこか浮かない主人の心が、ミラには分かっていた。
招待主は、侯爵家の令嬢──ナディーヌ・ランクリフ。微妙な皮肉や含み笑いでの貴族間の駆け引きは好まず、思ったことをすぐ口にする気丈な性格で、誰にでも遠慮がない。ヴィオラは彼女に苦手意識を持っていた。
茶会には十数人の令嬢が集い、直接二人で言葉を交わすことは少ない。それでも、顔を合わせるたびに肩がこわばる。
「準備は整いましたでしょうか?」
扉の外から聞こえたルーイの声に、ミラはヴィオラを見た。小さく頷いた主人を確認し、ミラはそっと扉を開く。彼女たちは静かに部屋を後にした。
ルーイと目が合い、ミラはすぐにそらす。
ミラとルーイはあの日以来、メイドと執事の距離感を保っている。怪盗はミラの前に、想晶を持って現れていないし、会話も業務連絡に限られていた。
馬車で領地を移動し、ランクリフ領へと辿り着いた。玄関前で馬車が止まると、使用人たちが迎えに出る。その屋敷は、何度訪れても圧倒されるほどの壮麗さだった。エレイン邸も十分豪奢だが、その規模はまるで違う。
「到着いたしました」
三人は温室へと案内された。色とりどりの花々が咲き誇る中央に、白い円卓が並んでいる。香水と紅茶の香りが混ざり、微かな緊張が漂っていた。顔見知りの令嬢たちと挨拶を交わすヴィオラを横目に、ミラとルーイは一歩下がって控えた。
鮮やかな紅のドレスがミラの視界を染めた。堂々とした足取りで現れたのは、侯爵令嬢ナディーヌ・ランクリフ。闇を溶かしたような黒髪が腰まで流れ、紅の瞳が鋭く相手を射抜く。
「あなた───」
彼女はヴィオラの席の後ろで立つ、執事ルーイの前で足を止めた。ルーイは平然としているが、ヴィオラは目を見開いた。
「誰の従者?」
その声に、ヴィオラが即座に立ち上がった。
「ナディーヌ嬢、私の新しい執事でございます」
「……あなた、どこかで。名前は?」
ヴィオラがルーイの前に出るが、ナディーヌの視線は、ルーイに注がれたままだった。
「ルーイ・フィントと申します」
優雅に頭を下げるルーイ。その動きの一つ一つは完璧だ。
もしかすると昔、ルーイが怪盗リアムとしてランクリフ邸に忍び込み、ナディーヌに姿を見られていたのではないか。そんな考えがふと浮かび、ミラは思わず肩に力が入った。ヴィオラも動揺したように二人を交互に見つめている。
ナディーヌは紅の瞳で彼を覗き込み、唇をわずかに歪めた。
「いつもの執事はいないのね、ヴィオラ嬢」
「……はい。解任いたしました」
「まぁ。婚約者を差し置いて、あれほど一緒にいたのに」
はっきりとした言葉に、ヴィオラは俯き、何も返せなかった。事実を言われただけのはずなのに、胸の奥がちくりと痛む。
「それより、あなた。以前はどこかに仕えていたの?」
「申し訳ありません。それはお答えできません」
「……そう。まあいいわ」
興味を失ったように肩をすくめると、ナディーヌは背を向けた。彼女の耳元で、無色のダイヤモンドのピアスがきらりと揺れる。
ヴィオラは席に戻る。ミラは黙ってその背中を追った。
「本日は王室御用達のスイーツをご用意いたしましたわ。冬が深まると皆様との交流も減りますもの。どうぞ、今のうちにたっぷりお喋りなさって」
ナディーヌの声が、温室に柔らかく響く。テーブルには秋色のスイーツが並び、紅茶の香りが立ちのぼる。
ヴィオラはカップを持つ指先に力が入り、味も分からない様子だった。ミラは小さく息を吐き、主人の後ろで控える。
「そういえば。先日のアルマン公爵のオークション、怪盗リアムが現れたそうですわね?」
ナディーヌの一言に、令嬢たちの視線が一気に熱を帯びた。一瞬こわばっていたヴィオラの表情が、その言葉を聞いた途端、はっと緩む。どうやら怪盗リアムの噂には、関心を抑えきれないらしい。
「参加なさった方はいらして?」
「参加いたしました」
ヴィオラは待っていたと言わんばかりに口を開いた。話題に自然に食いつくその様子に、ミラは内心ほっとする。同時に「かわいい」と心の中で呟いた。
「どうでしたの?噂の怪盗は」
「お話しても…?」
「ええ、ぜひ」
ナディーヌは興味深そうに微笑む。紅い瞳には好奇心の光。
「オークションの目玉、インペリアル・トパーズが開かれた瞬間、怪盗リアムが白い鳩とともに、二階バルコニーに現れましたの!そしてこう高らかと言いました、『今宵も輝きは、私の掌に。』──とても華麗で、かっこよかったですわ!」
「私も見ました!背が高くて、ミステリアスで……本当に素敵でしたの!」
ヴィオラの隣席の令嬢、マリエルが桃色の瞳を輝かせる。マリエルはヴィオラと同じ伯爵家の娘で、領地も近く、顔を合わせれば自然と話が弾む相手だった。
その様子を、ナディーヌは酷評するでもなく、ただ和やかに見守っていた。意外と優しい人なのかもしれない、ミラはそんな印象を抱きつつ、そっと紅茶を注ぐ。
「私はまだ一度も拝見したことがないの。でも最近、怪盗が主人公の小説をよく読むわ」
ナディーヌの言葉に、ミラはちらりと隣に立つルーイの表情を盗み見るが、彼は表情を一切変えず、ヴィオラだけに視線を向けていた。
「わたくしも!」
「わたくしも好きです!」
令嬢たちは次々と賛同する。話題はロマンス小説へと移り、笑い声が花の香りに混ざった。
「『予告状は恋の始まり』という本はご存知ですか?おすすめですわ」
「知らないです、読んでみたいわ」
「私は知っていますわ、その本の怪盗は少し強引なのですがそこがまた」
「どんなお話なの?」
令嬢達は興奮気味にロマンス小説の話をしていた。ヴィオラもまた、自然と笑顔が溢れている。
その隣で、身振りを交えて話していたマリエルの金髪が揺れ、手元がふと乱れる。
ガチャン。フォークが音を立ててテーブルの下に落ちた。他の令嬢たちは気にせずに話に花を咲かせていた。
ミラが近くにいたため、すぐに身をかがめる。テーブルの下で、フォークの隣に鮮やかなピンク色のガーネットのイヤリングが落ちているのを見つけた。
触れれば記憶が流れ込んでしまうので、勝手に覗き見るようでミラは毎回、少なからず罪悪感を覚える。
それでも拾わないわけにはいかない。そっと指先で持ち上げた瞬間、視界が白くかすみ、世界が反転した。
▼▼▼
日が傾きはじめた、古い石橋。夕焼けが川面を真紅に染めていた。
「もう、泣かないでよ。泣いてたら、余計にあいつらに笑われるんだから」
黒髪に金色の瞳の小さな少女が、震える少年の前に立ち塞がっていた。少女の服は泥に汚れ、口元からは血が一筋流れている。少年も、少女と同じく黒髪に金色の瞳を持っていた。その美しい瞳からは大粒の涙が溢れている。
「ぼ、僕が弱いから……うっ…姉ちゃんまで!」
「ちがうよ。私がお姉ちゃんなんだから。守るのは、私の役目なの」
弟をいじめていた三人の少年を、どうにか追い払ったものの、少女の拳は痛みに震えていた。
「僕だって……守りたいのに……」
少年は膝を抱え、悔しさに唇を噛む。涙は止まらなかった。
「強くなる、絶対に。次こそ僕が、姉ちゃんを守るから!」
悔しい。
少女はそっと少年の頭に手を置く。
「じゃあ今は、私に守らせてよ。いつか私の方が弱くなる日が来るかもしれないから。その時は、絶対に守ってね」
悔しい悔しい。
少年が顔を上げる。涙に濡れた瞳から、小さな決意が火のように灯る。
「約束する。絶対、絶対!姉ちゃんを守る!」
その言葉に、少女は息を呑み、すぐに誇らしげな笑みを浮かべた。
悔しい、悔しい悔しい。本当に悔しい。
女の子である姉に守られている自分、一対一でも勝てない弱い自分、笑われていじめられる自分、慰められている自分、かっこ悪い自分、背が伸びない自分、幼く弱い自分が情けない。
彼女の頬を伝う血に、少年がそっと手を伸ばし、触れた。
▼▼▼
「ミラ、拾えた?」
テーブルの下にしゃがむミラを心配して、ヴィオラが声をかける。ミラはすぐに立ち上がり、落ちたフォークを銀のトレイに乗せつつ、ガーネットのイヤリングを布で丁寧に拭いた。
「失礼いたします。こちらのイヤリング、マリエル嬢のものでしょうか?」
「あっ……私のイヤリングよ」
右耳にはガーネットが煌めいており、片方が落ちてしまったらしい。マリエルのメイドが慌てて近づき、耳に付け直す。ミラは軽く会釈し、何事もなかったようにルーイの元へ戻った。
「ルーイ」
「どうした?」
数日言葉を交わしていないだけなのに、久しぶりに感じてしまう。ミラはためらいながらも、そっとルーイの耳元に口を寄せた。
「マリエル嬢のイヤリングの記憶を視たの。…そのことで話したくて」
「……わかった」
ルーイとミラは、温室の隅へと下がる。令嬢たちは会話に夢中で、従者の動きには一切気づいていなかった。
「なんで、想晶を視たんだよ」
ルーイの驚いた声に、ミラは不思議そうに首を傾げる。
「……協力すると言ったのに。 あれから貴方は、視せに来なかったけど」
協力すると言った矢先だ、ギクシャクしてしまったがミラはリアムが持ってくれば拒まなかった。
「それは……例の想晶が混じってるかもしれないだろ。」
意味が分からず、ミラは首を傾げた。
利害の一致で動いているだけ、そう思っていた相手の言葉が、なぜか心配しているように聞こえて、ミラは動揺を隠せなかった。
「……作られた想晶は視たくない。でも、あなたの探している想晶を見つけたいと思ってる。それに、もし視てしまっても、一人じゃないから」
想晶を視る時は、必ず怪盗が目の前にいる。それがミラに安心感を与えていた。怖くても、気持ち悪くても、彼に話すことができる。
灰色の瞳は真っ直ぐにルーイを見つめた。
最初からそう言ってくれればよかったのに、とルーイは思う。だが、自分もまた本心を隠していた。無理強いはさせたくないという思いを押し隠し、それでも彼女を利用している。
その真剣な眼差しに、ルーイは思わずぷっと吹き出した。
「ミラって基本、無表情で分かりにくいからさ、もっと可愛く笑って言ってくれない?」
「あーあ、協力するって言ったのに、無駄だったみたいね」
「うそうそ、冗談だから。そう怒るなって」
ルーイの軽口に、ミラは肩の力をほんの少し緩めた。最近は、ルーイとの間に距離を感じることが多かっただけに、心が元に戻ったような感覚が胸を満たす。
「それで?記憶はどうだった?」
「それが…黒髪と、金色の目の少年が出てきて、貴方なんじゃないかと思って」
そう言った瞬間───ルーイの手から銀のトレイが滑り落ちた。芝生に落ちたため音こそ響かなかったが、珍しい反応にミラは目を丸くする。ルーイはそれを、拾おうとせず、ミラへ一歩詰め寄った。
「ルーイ?」
「早く。教えて」
瞳に焦りが見え、ミラの鼓動が跳ねる。どれほど大切な記憶を探しているのかが痛いほど伝わった。
ミラは視た記憶を正確に話した。姉弟が互いを想い合う記憶を。聞き終えたルーイは、首を横に振った。
「……それは、俺じゃない。姉はいないからな」
深く息を吐くと、ルーイはようやくトレイを拾い上げた。
「そう……違ったのね」
「違った、な。でもミラみたいに協力してくれる人は、今までいなかった。……もし、そのガーネットが俺の探してる記憶だったら、ミラがいなきゃ一生見つけられなかったかもしれない。だから、その、ありがとう。」
珍しく弱い声音に、ミラは眉間にしわを寄せた。
「………」
素直にお礼を言ったのに、しかめっ面を向けられルーイの眉間にも思わずしわが寄る。
「……え、なんでそんな顔してんの?せっかく感謝したのに」
ルーイが目を細める。
「急に真面目にありがとうなんて言うから……どう反応すればいいか分からないの」
ミラは視線を逸らす。頬の内側がほんの少し熱くなるのを、必死で隠した。そういうことか、とルーイは口角を上げた。
「へぇ。つまり照れてる?」
「違う」
間髪入れずに切り捨てるミラに、ルーイは肩をすくめた。
「ま、いいや。照れてるってことにしておく」
「しないで」
「するよ」
いつもの軽口へ戻ったルーイの声音に、ミラはようやく胸を撫で下ろした。
二人は何事もなかったかのように、ヴィオラの後ろへ戻った。小説の話で盛り上がり、ヴィオラは気づいていなかったようだ。
「そういえば……最近、想晶を人工的に作ることができる、研究が流行っていると、お聞きになりまして?」
一人の令嬢が話題を変えた。ナディーヌの紅い瞳が向けられる。
「……人工的?想晶は人から生まれるものに、決まってるじゃない。何を言っているのかしら」
ナディーヌの冷ややかな声に、話題を振った令嬢は怯えたように口を閉ざす。沈黙を埋めるように、別の令嬢が控えめに続けた。
「その……人から生み出す過程を、効率的に研究しているらしいのですわ」
ナディーヌは興味を示すように眉をわずかに上げる。
「……面白いわね。誰に聞けばわかるの?」
「私の婚約者がその事業に出資しておりますの。ご紹介いたしますわ」
ヴィオラの表情が曇る。また、その話。耳を塞ぎたくなるような嫌悪が胸に広がった。
想晶は人の心から生まれるものであって、数字や効率と結びつけてほしくはない。
「ええ、ぜひお願い」
ナディーヌの唇が、ゆるやかに弧を描く。それは優雅であるはずの笑みなのに、どこか不気味に感じた。ヴィオラは視線を落とし、そっと息を吐く。
それから、恒例の社交界の噂へと話題は移り、ナディーヌ・ランクリフ主催の秋の茶会は幕を閉じた。
「……はぁ」
馬車に乗り込む直前、ヴィオラは大きく息を吐いた。張り詰めた笑顔を保ち続けたせいで、全身から力が抜ける。
ナディーヌの紅色の瞳を思い出し、ヴィオラの胸がきゅっと痛んだ。すべてを見透かされているようで、できることなら、あまり顔を合わせたくなかった。
「お屋敷に戻られましたら、お風呂のご用意をいたしましょうか?」
「そうね……」
力のない声。ルーイは穏やかに微笑み、軽く頭を下げた。その瞬間、ヴィオラがはっと顔を上げる。
「あ。扇子がないわ。どこかに落としたのかしら」
「取って参ります。私の確認不足です、申し訳ございません」
「ありがとう、ミラ」
ヴィオラとルーイはそのまま馬車に乗り込み、ミラは足早にランクリフ邸へと戻った。使用人に事情を話し、温室へ通される。
「こちらでしょうか?」
「はい、ありがとうございます」
皿を片付けていたメイドが、落ちていた扇子をすでに見つけていたらしい。ヴィオラを追いかけようとしていたところだったという。ミラは青い扇子を受け取り、深く礼をしてその場を後にした。
廊下を抜け、庭の角を曲がれば馬車が見える、はずだった。
だが、その刹那。
視界が一瞬暗転した。振り向く間もなく、強い腕が彼女を捕らえる。体が引きずられ、手足が動かない。声も咄嗟に出ない。
ミラは、力強く押されるように見知らぬ馬車へと引き込まれたのだった。




