6. 今日は良き日
「んぎゃ―――――!」
けたたましい悲鳴で朱璃は飛び起きた。
只事ではないと枕元の短剣を引っ掴み、物置部屋の建つけの悪い引き戸を蹴とばした。
「美琳さんっ、白蓮さんっ」
朱璃の目に飛び込んできたのは、美琳のボンに乗るボンの姿。
「あ……すみません」
昨日は色々あって疲れていたのと、夜遅かったのと、問題を先送りしたかったのとで彼らの事を話していなかったのだ。
ふわふわだと思われる美琳のボン、否、美琳の胸の上で丸くなる薄茶の塊が呑気にあくびをしていた。
「……! 早くっ 早くこの獣を退けなさい!」
美琳は仰臥位で固まったまま、ものすごい剣幕で朱璃を怒鳴りつけた。
自分がまるで隠していた捨て犬を見つかった子供のようだと少しおかしくなりながらも、朱璃は表面上は申し訳なさそうに側に向かう。
「ボン おいで」
ボンは朱璃を認識した途端、美琳の上から飛び降り尻尾をふりながら駆け寄ってきた。その可愛さと言ったら。きゅんきゅんしながら両手を出す。
「ボン、おはよう」
くるんとした瞳にふわふわの小さな体。抱き上げ思頬ずりしようとしたところに当然雷が落ちた。
「お、おはようじゃないわよ! 貴女ちょっとそこにお座りなさい!!!」
「と、言うわけでお母さんが見つかるまでと翼が治るまでここに置いても良いでしょうか」
朱璃の隣には鶏のコスチュームを着たようになっているオウムのキュウもいた。
「聞いて呆れるわ。良いわけないでしょ。貴女ここに何しに来ているの? 獣の世話をしたいのなら飼育係にでもなりなさい。早く出て行って」
正論である。自分よりうんと年下なのに論理的思考力が高い頭のいい子だなと朱璃は感心する。
「おっしゃる通りです。飼育係も良いのですが、私は武官にもなりたいので出ていくわけにはいきません。ご迷惑にならないようにしますのでどうかお許しください」
何度頭を下げても美琳の許可は下りず無視される。白蓮はいつものように無言で困った顔をしていた。
朱璃は小さいため息をついた。
仕方がないと朱璃は部屋を出ていこうとしたが、昨日泉李からいい加減に何とかしろと言われたことを思い出してしまったからだ。
馬小屋の方が気が楽で良いのが本音だったが、もう少し頑張ってみようと白蓮に向き直った。
「白蓮様はどうお考えですか?」
蒼白蓮は名前のごとく、透き通るような色白で、ボブカットの銀髪はサラサラ流れ、澄んだ青色の瞳は宝石。まさに清純美あふれる美少女であり昨日までは最年少は彼女だと思っていた。
そんな白蓮は、上位貴族の中でも彩家(色のつく家名)の為さらに格上であり高飛車美琳でさえ敬意を払っているように見える。また、蒼家は占術気術に特化した仙家の末裔と言われ、どこか神秘的で取り巻き達も高潔な巫女を守る従者化している。
「この生き物は初めて拝見しました」
(うわ~きれいな声)
めったに話さない白蓮の声でも聴けたらラッキーくらいに思い返答に期待していなかった為、朱璃の心拍数が上がった。
「わ、私もです。最初は狐か狸だと思ったのですが特徴が少し合いません。こんなに尻尾を振るので柴犬かとも思ったのですが全然吠えませんし犬でもないのかもしれません」
「イヌ?」
「はい。私の国ではこのような四肢獣でそう呼ばれている動物がいました。多種多様な姿形をしていたので自信はないのですが」
「………」
「…………」
その後沈黙が続く。どうしようと焦ったが白蓮の視線がちらちらとボンの方にいく事に気が付いた。
「抱っこされますか?」
「いえ」
「はい、どうぞ」
絶対抱っこしたいに違いないと確信をもって無理矢理抱かせる。
ボン頼むから空気を読んでいい子でいてな(朱璃には言われたくないだろうが)
「かわいい」
はい、可愛いです。天使とつぶらな瞳のボンの2ショット。
朱璃が両手をワキワキさせながら身悶えていると、はっと我に返った白蓮が少し頬を紅く染めボンを返してきた。
白蓮が許可を出してくれないだろうかと期待して見つめると、そっと両目を閉じてしまった。
やっぱりだめかと肩を落とす朱璃だったが、突然美琳に頭を押さえられた。
「御宣託よ!」
頭を下げさせられてしまったがチラリと白蓮を見ると胸の前で人差し指を交差していた。天の声との交信?
やがて白蓮が口を開いた。
「良縁あり」
おみくじかよ。
吹き出しそうになり朱璃は口を押えた(罰当たり)
「では仕方ありません。でも私のそばには来させないで。いいわね。先程の様な事があったらどうなっても責任は持たないわよ」
「あ、はい」
なぜか赤面して怒っている?美琳はそれだけ言うと部屋を出て行ってしまった。
訳が分からないがとりあえず許可が下りたと思っても良いのだろう。朱璃は笑顔で返事するが無視されてしまった。それでも嬉しさがこみ上げる。
「白蓮様。ありがとうございます」
「………オウムの名は?」
「キュウです。羽が折れていて今はこんなミイラですが、黄色と朱色の混じったとっても綺麗な羽なんです」
「キュウ。休徴ですね」
そう言ったきり白蓮も部屋を出て行ってしまった。
「きゅうちょう?」
残念ながら休徴の意味は理解できず、ボンキュッのキュウなのがなんだか申し訳ない気持ちになった。
しかし白蓮にほんの少し笑みが浮かんでいたので悪い意味ではないような気がした。思えば2人と会話らしい会話をしたのは初めてだったなぁと思い返す。
「きっとボンとキュウのお蔭やね。ありがとう」
悲鳴から始まった最悪の朝だったが武修院にきて初めて明るい気持ちで朱璃も朝礼へ向かうことが出来たのだった。
朝礼の後の朝食はいつもの席(1番奥の端)に座る。どこに座っても蜘蛛の子を散らすように避けられるので最初から隅で座るようになっていたのだ。
ボンのご飯どうやって確保しようか、これ少し残しておこうかなどと考えていたので珍しく傍に人が座ったことに気が付かなかった。
「おい、おいっ」
「は、はい」
驚き顔を上げると不機嫌そうな千紫明がいた。
なんとなく幸せだった気持ちがすーと冷え、朱璃は箸をおいた。
自分を見たとたん笑顔が消えて身構える朱璃の様子になぜかむっとした紫明が冷たい声を出す。
「もう二度と昨日のようなことが無いようにして俺たちに迷惑をかけないでくれ」
「……」
なんやろ。嫌な感じ。
後で礼を言いに行くつもりだったので今言っても良いのだが、もしかしてケンカ売られてる?
ここで「だれも助けてくれとは頼んでいませんよ」というのはやっぱり大人げないか。相手はうんと子どもだ(たぶん)。挑発に乗らない乗らないっと自分に言い聞かせ、にっこり微笑んだ。
「承知しております。先日はご迷惑おかけして申し訳ございませんでした。では失礼します」
早く部屋に返ってボンキュウに癒されよう。
そう考えながらさっさと傍を離れようとした途端後ろから腕を掴まれた。
「……! 他にも何かございますか」
関わりたくないのに何がしたいのだろうか? 知り合いでいる絶世の美女(男)もつかめない人だが、この国の美人たちは変わり者が多い。そもそも美男美女が多い気がする。特に私の周り。右見ても左見てもイケメンばかりで気にならなくなっていたが、何だろこの不公平感。せめてボンキュッ位私も仲間入りさせてくれてもいいんじゃない!?
だんだん思考回路が混線し横道に逸れて勝手に不機嫌になっているのだが、それに気付く者はここにはいない(居たらまちがいなくゲンコツだっただろう)
ただ朱璃の貼りついた笑顔の奥の瞳が全く笑っていないと分かった瞬間、紫明はとっさに腕から手を離した。
「わ、悪い」
「……何もなければ失礼してよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
今度こそ立ち去ろうとした瞬間、紫明が捨てられた子犬のように見えた。
「……」
そっちからケンカを売ってきたのに何やそれと思った瞬間、ゲンコツが落ちた。
「……ったー」
あー痛そう。うん、相当痛いやつだな。ご愁傷様。
頭を押さえうずくまる紫明を気の毒そうに見つめる朱璃の手から盆が奪われた。
「謝りにきて何ケンカ売ってんだ馬鹿か。申し訳ない。嫌な思いをさせたな。メシの途中だったんだろう。むこうで一緒に食おう」
残っている飯を見て朴久遠が謝ってきた。
「いえ、もういいんです。その、残りはボンの、昨日の子のご飯にしようかと」
「ああ、昨日の狐か。あとで残飯をもらえばいい。お前はこれ全部食べなきゃだめだ。大きくなれないぞ」
ほら来い、と朱璃の盆を持ったまま自分たちの席へもどる久遠の後を小走りで追う。
「彼はいいんですか」
「ほっとけばいい」
ひざ抱えてるよ。あーあー。
「紫明さんもご飯途中ですよね。行きますよ」
後に朱璃が陰で猛獣(実は珍獣)使いと呼ばれるようになる片鱗を垣間見た瞬間であったが、気づく者はいなかった。
久遠が連れてきた卓には昨日助けてくれた蘇健翔も居た。
「おはようございます。健翔さん」
「おはよう」
穏やかな笑顔が返ってきたことで朱璃の肩の力が抜けた。
「皆さん昨夜は助けていただいてありがとうございました」
頭を下げると「いいから早く飯を食え」と促される。なんか久遠さん男前だな。
隣にはいつの間にか紫明が座っていて何食わぬ顔で食事をしていた。
箸を取り、残すつもりだったおかずを口に運ぶ。冷めてしまっていたが先程に比べると数倍もおいしいと感じた。急に空腹感も感じ、なぜか紫明が盆の上に載せてきた小鉢もぺろりと平らげてしまう朱璃であった。