第七十五話 王室特務局
王城の一角には、関係者以外、立ち入ることを許されない一室がある。
王室特務局。
王の命を直接受け、国の内側に潜む脅威を調べる者たちの拠点だ。
王城へ出入りする貴族であっても、この扉を訪れる者は少ない。用があれば、向こうから呼ばれる。そのときには、何を聞かれるのか、心当たりを探すことになる。
その部屋へ、陛下の命令書が届いた。
神殿における、血を用いた商取引の調査。及び、聖女の保護。
受け取ったのは、特務局長ベネル。二十七歳にして局長を務める男だった。
相手が誰であろうと、調べた事実を曲げない。貴族の機嫌を損ねても、報告書から名前を消すことはなかった。その姿勢を買われ、この職を任されている。
調査に加えて、聖女の保護。
ベネルは命令書を読み直した。
神殿の中にいても、安全とは限らないということか。
「緊急だ。全局員、神殿へ向かう」
室内の者たちが顔を上げた。
血の商いに関する報告は、すでに全員が読んでいる。提供者の名、販売を担う部署、施術を受けた令嬢からの訴え。出発前に説明し直す必要はなかった。
貴族の血を商品にした者たちが、聖女にも同じことを求めたのなら。
断られたあと、おとなしく引き下がるとは限らない。
ベネルは命令書を懐へ収め、立ち上がった。
「私は聖女様のもとへ向かう。販売部と施術を行う部署には、それぞれ人を出せ。記録も商品も、その場から動かさせるな」
椅子が引かれ、書類が閉じられていく。局員の一人が神殿の見取り図を取り、別の一人が通信魔道具で王城に詰める者へ出動を伝えた。
「神殿への先触れは、いかがいたしますか」
「要らん」
知らせてから向かえば、案内する者が待っている。面会の用件を尋ねられ、担当者を呼ぶ間に、別の誰かへ話が届く。
普段なら、それでよかった。
「聖女様の所在を確認しろ。移動されているようなら、すぐに知らせろ」
返答を聞きながら、ベネルは扉を開けた。
聖女は陛下と並び、この国を象徴する存在だ。その血に値をつけ、買おうとする者がいる。
本人へ願い出るだけで済ませる者ばかりとは思えなかった。
廊下を歩くベネルの後ろへ、局員たちが続く。
行き先を尋ねようとした文官が、その顔ぶれを見て道を空けた。
*
神殿の受付には、施術を待つ者と、商材を受け取りに来た店の者が並んでいた。職員が名前を呼び、奥へ案内している。
その声を遮って、鋭い声が響いた。
「その場から全員動くな! 王命である!」
受付の神父が顔を上げた。
入口には、黒い服を着た者たちが立っていた。先頭の男が王家の紋章を掲げると、神父は開きかけた口を閉じた。
王室特務局。
聞いたことはあっても、ここで姿を見るとは思わなかった。
何をしに来た。
誰を調べに来たのだ。
並んでいた者たちが入口を振り返る。その間を局員が抜け、受付の内側へ回った。別の者は奥へ続く廊下に立ち、こちらを見て足を止めた職員たちへ、動かないよう命じている。
「私は聖女の部屋に行く。各員、現場を押さえ、手筈通りに」
先頭の男の指示に、局員たちが短く応じた。
販売部へ向かう者が、受付の神父へ案内を求めた。
「責任者を呼んでまいります」
「お前が案内しろ」
神父は、受付に置かれた通信魔道具を見た。
局員の目も、そちらへ動いた。
「連絡を行えば、直ちに連行する」
まだ、何もしていない。
いつも通り、上へ知らせようとしただけだった。
それさえ許されないのか。
受付を出る前に、局員の一人がその場に残された。開いていた帳簿も、届いた書面も、そのままにするよう告げられる。
背後で、受付の通信魔道具が鳴った。
いつもなら、すぐに応じる音だった。
神父は廊下へ向かいかけた足を止め、受付に残った局員を振り返った。
局員は、何も言わずに首を横に振った。
*
神殿の廊下で、ベネルは職員を呼び止めた。
「聖女様は、ご自室か」
「はい。ただ、今は――」
「案内しろ」
職員は手にしていた書類を抱え直し、歩き出した。ベネルと二人の局員が、その後ろに続く。
聖女の部屋へ続く廊下では、すれ違う職員たちが、ベネルたちを見て壁際へ寄った。
案内役の職員は、扉の前で足を止めた。中へ声を掛けようとしたが、ベネルが先に扉を叩いた。
「王室特務局、局長ベネルです。陛下の命により参りました」
すぐに扉が開いた。
顔を出したのは、ルチアだった。
ベネルは、ひとまず安堵した。この女が扉を開けに来られるなら、室内で争いが起きているわけではない。
小柄で、普段はおどけたところもある。だが、かつて暗部で特殊工作に従事していたことを、ベネルは知っていた。
今は聖女付きのメイドを務めている。その経歴を知る者にとっては、誰を警護に置くよりも心強い配置だった。
「どうぞ。聖女様は、こちらにいらっしゃいます」
ルチアはベネルの背後まで確かめ、身体を脇へ寄せた。
部屋の奥では、聖女が机に向かっていた。
手にしていた書面を置き、立ち上がろうとする。
「そのままで結構です」
ベネルは室内へ入り、机から少し離れたところで一礼した。ようやく、その姿を自分の目で確かめられた。
顔色に異常はない。こちらを迎える様子にも、怯えは見られなかった。
「陛下より、身辺をお守りするよう命を受けております」
「私のために、皆さんで?」
「神殿内の調査も、併せて命じられております」
命令書を差し出すと、聖女は静かに目を通した。
廊下へ残した局員の声が聞こえる。近くの部屋にいる者へ、その場で待つよう告げていた。
「何か、陛下を案じさせることがあったのですね」
「聖女様の血を使った商品があると、街で噂されております」
「……ええ。私も伺いました」
聖女はすでに噂を知り、ルチアに調べさせていた。差し出された報告には、こちらで把握している問い合わせに加え、販売店から聞き取った内容まで記されている。
ベネルは日付を確かめた。噂を耳にしてから、まだ間もない。
相変わらず、仕事が早い。メイドとして置いておくには惜しい女だった。
血の提供を直接求められたことはないという。最悪の事態ではない。だが、価格を尋ねる者がいる以上、警護は必要だ。局員を残す旨を伝えると、聖女は了承した。
「神殿にいらっしゃる方々も、驚かれたでしょう」
「事前の通告はしておりません。記録を確かめるため、必要と判断いたしました」
「そうですか」
責める口調ではなかった。
だが、廊下の様子まで聞こえていたことには気づいた。
ベネルは一礼した。
「調査のため、ご不便をおかけいたします」
「私へお断りになる必要はありません。陛下がお命じになったことですもの」
扉の外から、局員がベネルを呼んだ。
ベネルは聖女へ一礼し、廊下へ出た。
待っていた部下が、通信魔道具を差し出した。
「どうした」
『販売部を押さえましたが、司教が帳簿の引き渡しを拒んでおります』
陛下の命令書は、すでに示してある。
それでも拒むというのなら、こちらの権限を理解していない。
どうやら、置かれた立場を分からせる必要があるようだ。
「帳簿には誰も触れさせるな。私が行く」
*
販売部の扉は、開け放たれていた。
職員たちは壁際に並ばされている。机には開いた帳簿が残り、運びかけの商品を載せた台車が、通路を塞いでいた。
部下から報告を受けて駆けつけた私も、入口で止められ、そこから動かないよう告げられた。
何も説明されないまま、いつまで待たせるつもりだ。
入口に、新たな男が現れた。
「王室特務局長、ベネルだ」
若い。壁際の職員たちが姿勢を正さなければ、局長とは思わなかった。
「あなたから説明していただきたい。職員を動かすな、帳簿を渡せと、突然来て――」
「命令書の意味を知らんのか」
男は、机へ置かれた紙を指した。
「神殿の商いに関わるものだ。私の一存で、お渡しするわけにはいかない」
販売部の責任を負う立場として、当然の返答だ。
売上だけではない。提供者の家名も、取引先も記されている。持ち出されたあとで問題になれば、帳簿を渡した私が責められる。
事情も知らず、命令書一枚で何でもできると思っている。
「枢機卿猊下へ確認する。その間くらいは、待てるだろう」
ベネルは、そばの局員へ告げた。
「王命による調査に対し、帳簿の提出を拒否したと記録しろ」
「待て。拒否ではない。確認が必要だと――」
「王命よりも、その確認を優先したと追記しろ」
局員の筆が動いた。
帳簿は、すぐ手元にあった。
渡せば、この場は収まる。
だが、猊下へ何と説明する。神殿の記録を、許しも得ずに王城へ渡したのかと言われたら。
局長は返事を待っている。
壁際の職員たちまで、こちらを見ていた。
「……確認する時間も認めないのか」
「これ以上拒むなら、王命への妨害として扱うぞ」
自分の返答が記された紙を見た。
ここで何を言っても、また書き加えられる。
「帳簿を出せ。異議があるなら、その後で聞く」
自分で渡すほかなかった。
表紙へ手を掛けると、局員が机のそばへ来た。いつもは部下に命じて運ばせるものを、私は両手で持ち上げた。
ベネルは、それを受け取らなかった。
そばの局員が預かり、別の机へ運んでいく。
あれほど渡せと言ったくせに、開きもしない。
「これでよいのだな」
「お前が販売責任者だな」
「そうだ」
ベネルは、空いた机へ数枚の写しを広げた。
商品の価格を尋ねる問い合わせだった。
こんなものなら、毎日届いている。
だが、そこに書かれた品の名を見て、私は顔を上げた。
「聖女様の血は、いくらで買える」
「……何だと?」
「お前たちの販売部へ届いた問い合わせだ。どう答えた」
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