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第七十話 父に言えなかったこと

「どうだった?」


 書斎へ入ると、お父様はすぐに尋ねてくださった。


「しばらく、休むようにと」


「そうか。では、次の予定は入れなかったんだな」


「はい」


 それだけ伝えて、部屋へ戻りたくなった。

 間違ったことは言っていない。次の予定は入れなかったし、休むようにも言われた。


 けれど、お父様は、私がよくなったらまた行くと思っている。


「それから……血の提供も、やめてきました」


「やめた?」


「はい。書面に、名前を書いてきました」


 机の端に、私の瓶があった。

 届いた日に、お父様と一緒に箱を開けたものだ。来客にも見せられるよう、ここへ置いてくださっていた。


 お父様は、その瓶を見た。


「……そうか」


「申し訳ありません」


「何を謝っている?」


「皆様に、勧めてくださったのに」


「ああ。そのことなら、私から話しておく」


 思っていたより、簡単なお返事だった。

 あれほど楽しそうに紹介してくださったものを、もう渡せませんと、お父様が一人ずつ伝える。


「私からも、お詫びを――」


「そこまでは要らん。都合がつかなくなったと伝えれば済む」


 済むのだ。

 私は、帰りの馬車で何度も言葉を考えていたのに。


 ほっとした。

 けれど同時に、あの日の集まりまで、大したことではなかったと言われた気がして、胸の奥がきしんだ。


「それより、やめなければならないほど具合が悪いのか?」


「……今は、座っていれば大丈夫です」


「そういうことではない。次を断る前に、話してくれればよかっただろう」


 お父様の声が、少し強くなった。


 やはり、先に相談するべきだった。

 でも、先に話していたら、今日は店へ行けたのか分からない。もう少し休んでから決めればいいと言われたら、きっと、そうしていた。


「昨日も、休んでいました」


「知っている。だから、無理をしなくていいと――」


「はい」


 お父様は、休ませてくださった。

 店でも、日を選んでよいと言われた。


 誰も、今すぐ行けとは言わなかった。

 だから、やめたいとまで言うのが、申し訳なかった。


「……お父様が、喜んでくださったので」


 うまく答えられずにいると、結局、それしか出てこなかった。


「私の品を、皆様へ見せてくださって」


「それで、つらいと言えなかったのか?」


 お父様を責めているように聞こえてしまった。

 慌てて、続きを話した。


「私も嬉しかったんです。白くなったことも、名前を付けていただけたことも。お父様とご一緒に、紹介できたことも」


 やめたくなったからといって、あれまで嫌だったことにはしたくなかった。

 お父様は、私が持っていった瓶を褒めてくださっただけだ。もう一度受ける日を選んだのも、私だった。


「今日も、名前がなくなると聞いて……次はいつなら受けられるか、尋ねてしまいました」


 お父様は、何も仰らなかった。


「でも、また具合が悪くなるのは嫌なんです」


 口にしたら、涙が落ちた。


 嫌だと言えば済む。

 お父様なら、きっとそう仰る。


 それでも、店では日付を選びそうになった。

 やめると決めて出掛けたのに、次の令嬢の写真を見て、帰れなくなっていた。


「自分でお願いしたのに……もう、行きたくなくて」


「アデル」


「お父様が喜んでくださったのも、本当に、嬉しかったんです」


 お父様が、椅子のそばへ来られた。


「もう、行かなくていい」


 肩へ置かれた手を、つかんだ。


 店では、もうやめると伝えた。書面にも名前を書いた。

 それでも、お父様から聞きたかった。


「……はい」


     *


 身体がつらいなら、言えばいいだろう。

 そう言いかけて、喉まで出かかった言葉を止めた。


 娘は、集まりの帰りに疲れたと言っていた。

 私は、早く休みなさいと答えた。


 聞いていなかったわけではない。


 私の手をつかむ娘の指は、冷たかった。

 もう、何も言えなかった。


     *


 娘を部屋へ休ませてから、書斎へ戻った。


 机の端の瓶は、先ほどと同じ向きで置かれている。

 札の肖像は、私がよく撮れていると褒めた顔だった。


 あのときも、疲れたとは聞いていた。

 だが、本人が鏡を見て喜んでいた。少し休めばよくなるのなら、心配しすぎて水を差すこともないと思った。


 集まりでも、よく笑っていた。

 娘を紹介すると、誰もが肌を褒めた。アデルも嬉しそうだったから、次の相手にも声を掛けた。


 一度くらい、座らせてやればよかった。


 食事をしていないと聞いたときに、私も一緒に席を外せばよかった。

 娘は帰りの馬車でも、私の話へ顔を向けていた。家に着いて疲れたと聞いても、あれだけ立っていたのだから当然だと思った。早く休めば、明日にはよくなると。


 瓶の札を裏返すと、家名と娘の名が並んでいた。


 これを人へ見せるのが、私も楽しかった。

 誇らしくもあった。


 通信魔道具を引き寄せ、店へ連絡した。


「ヴァレール伯爵家だ。娘の提供について、話がある」


 担当者へ替わるまでの間、品を勧めた家の名を、書き出した。

 また欲しいと言ってくださった方々には、私から断る。娘が気にすることではない。


『アデル様から、提供終了のお申し出をいただいております』


「本人から聞いた。今後、再開を勧める案内も送らないでくれ」


『承知いたしました』


 返事は早かった。


 娘が、何を言われるかと恐れていた相手だった。

 だが、こちらが念を押すまでもなく、担当者は手続きを説明した。


『お名前と肖像を使った案内は、順次取り下げます。ご注文につきましても、今後は――』


「私が追加で頼んでいた分は、取り消したい」


『現在手配中のお品ですね。確認いたします』


「それから、残っている娘の商品は、どうなる?」


『そちらは、在庫がなくなり次第、販売を終了いたします』


 瓶の札を、元へ戻した。


 娘は、店へ行かなくてよくなった。

 だが、この顔は、まだ棚に残る。


 私が勧めた方々も、それを買う。

 次にアデルへ会えば、使った感想を伝えてくださる。よかったと褒められれば、娘は礼を言うのだ。


 もう行きたくないと、私の前で泣いたあとでも。


「店にある分は、すべて引き取る」


『残っている分を、すべてでしょうか?』


「ああ。ほかの店へ出した分も、残っているなら」


 引き取ったあと、娘に見せる必要はない。

 書斎のこれも、しまっておこう。


『ありがとうございます。では、本数と金額を確認して、ご案内いたします』


 礼を言われた。


 先ほど、注文を取り消したばかりだった。

 娘の提供も、もう終わりだと伝えた。


 それでも私は、また、この品を買う客になっていた。

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