第六十九話 次の方
「次の施術を、お断りしたいんです」
神殿ギルドの店へ着いて、私は最初にそう伝えた。
「アデル様。ご予約の取り消しでしょうか?」
「はい」
昨日までは、日を変えていただこうと思っていた。
もう少し休んで、階段がつらくなくなったら。また鏡を見るのが楽しみになったら。
けれど今朝、届いた案内を開けなかった。
次はいつにするかと考えただけで、あの寝台に横たわる自分が浮かんだ。
「別のお日にちは、いかがなさいますか?」
「いえ。しばらく、受けずにいたくて」
付き添いのメイドには、馬車の中で話してある。
お父様には、店へ相談に行くとしか伝えられなかった。
「ご体調が優れませんか?」
「身体が重いんです。昨日も休んでいたんですが、あまり変わらなくて」
「では、奥でお話を伺います」
施術へ案内されるときと、同じ扉だった。
足が止まった。
取っ手の艶まで、覚えている。
「今日は、お話だけですよね?」
尋ねてから、失礼だったと思った。
何も準備されていない。血を取るとも言われていない。
店員は、いつものように微笑んだ。
「はい。ご安心ください」
*
奥の席で、前回の施術を受けた日と、その後の様子を尋ねられた。
集まりへ出掛けたことも話した。
ずっと立っていたのかと聞かれ、はいと答えると、十分に休んでいただくことが大切ですと言われた。
昨日は、休んでいた。
それでも今朝は、ここへ来ようと決めたのに。
「血を取ったから、こうなったんでしょうか?」
「ご提供のあと、疲れを感じられる方はいらっしゃいます」
「次も、同じようになりますか?」
「その際のお身体を確認してから、進めております」
前回も、確かめていただいた。
受けてもよいと言っていただけたから、受けた。
ここで大丈夫と言われても、家の階段を上がるのは私だった。
「……やはり、やめたいです」
今度は、しばらくと言わなかった。
お父様に喜んでいただいた話も、ニーナ様が買ってくださった話も、今日はしない。
話したら、私まで、もう一度だけならと思ってしまう。
「承知いたしました。書面をお持ちします」
店員は、すぐに席を立った。
引き止められなかった。
来るまでに考えていた言葉が、どれも要らなくなった。
次は大丈夫と言われたら。待っている方がいると言われたら。お父様の注文を持ち出されたら。
「よかったですね、お嬢様」
隣のメイドに言われて、初めて、息を止めていたと気づいた。
「……ええ」
帰ったら、お父様へお話ししよう。
もう決まったことなら、私からでも言える。
*
「こちらへ、お名前をお願いいたします」
戻ってきた店員が、書面を広げた。
提供を終えること。
今後、新たな提供を希望する場合は、改めて申し込むこと。
一つずつ確かめながら、読み進めた。
「お名前と肖像を使った案内も、順次取り下げます」
「……待ってください」
ペンを持つ手が、止まった。
まだ、名前も書いていなかった。
「商品も、棚から下げるんですか?」
「現在ある分の販売を終えましたら、別の方の商品へ切り替わります」
「少し休んでから、また受けることは……」
やめたいと言ったばかりだった。
店員も、書面へ伸ばしていた手を止めた。
「再びご希望いただいた際に、お申し込みいただけます。ただ、そのときの募集状況によりますので」
もう一度、選んでいただけるとは限らない。
お父様は、皆様へ勧めてくださった。
欲しいと言われたと、帰りの馬車でも楽しそうに話していた。
その方々が買いに来たとき、私のものはもうない。
別の令嬢の瓶を渡される。
「名前だけでも、残していただけませんか」
「お気持ちは分かります。ただ、次の入荷をお約束できなくなりますので」
棚に私の名前があることを、お父様はまだ知らない。
今度、一緒に来ていただいてもよかった。皆様に選んでいただけたところを、見てほしかった。
「次は、いつまでに受ければ間に合うんですか?」
店員が、書面から顔を上げた。
「施術のご予約でしょうか?」
「……日にちを、伺うだけです」
すぐに決めなくてもいい。
間を空けていただけるなら、今度こそ十分に休んでから受けられる。もう一度だけ提供すれば、その間は名前も残る。
「空いているお日にちを確認いたしますね」
店員が、予約の一覧を開いた。
見慣れた紙だった。
前も、こうして空いている日を選んだ。少し休みたいと思いながら、お父様の集まりより前の日を指した。
今度は、何に間に合わせるの。
袖の下の腕を、反対の手で覆った。
針を刺されたときより、帰ってからの方がつらかった。
朝になっても起きられなくて、食事に呼ばれても、もう少し横になっていたかった。
「お嬢様。今日はもう、お帰りになりましょう」
メイドの声に、返事ができなかった。
帰って、やめたとお父様に伝える。
あんなに喜んでくださったものを、私が続けられなかったと。
「こちらが、今後ご紹介する予定の商品です」
店員は、別の案内も机へ置いた。
白い服の女性が、こちらへ微笑んでいる。
名前の上には、侯爵家と書かれていた。
「お父様からご注文をいただいた際には、こちらをご提案することもできます」
「父は、私のものだから、注文してくれたんです」
思ったより、強い声が出た。
この方のものが欲しかったわけではない。
お父様は、私が選ばれたことを喜んでくださった。私を隣へ呼んで、娘が協力していると、皆様に紹介してくださった。
「失礼いたしました。あくまで、ご希望があればというご案内です」
謝られて、何も言えなくなった。
この方が悪いわけではない。
私がやめると言ったから、次の方を紹介しているだけだ。
それでも、この写真をしまってほしかった。
私がまだここにいるうちから、次の方の話をしないでほしかった。
「……やめる方の書面を、お願いします」
予約の一覧が、脇へ寄せられた。
今なら、まだ変えられる。
日付を一つ選べば、今日は名前を書かずに帰れる。
私は、提供を終えるための書面に署名した。
*
帰りに、商品棚の前を通った。
私の肖像は、まだ飾られていた。
瓶の首にも、私の名がある。
初めて自分の商品を見に来た日は、入口から足が速くなった。残っている瓶が少ないと知って、頬が熱くなった。
今は、その二本を誰にも買ってほしくなかった。
「お嬢様。足元にお気をつけください」
開けてもらった扉の外に、馬車が見えた。
あそこまで歩けばいいだけなのに、遠かった。
帰りの馬車で、私は袖の下の腕をさすった。
もう、血を取られなくていい。
そう思うと、肩の力が抜けた。
けれど。
商品を手にして笑ってくれた父を、私は裏切ったのだろうか。
次回更新は、本日の22:20です!




